42話
小秋は、近くの机にあった携帯端末を持ってきた。成葉は立ち上がり、彼女の元に寄る。端末の画面は周辺の地図を表示している。ユーザーの位置情報がリアルタイムで更新される、ごくありふれたものだった。画面には、ちょうどこの屋敷に重なるように、青い丸が映っている。無論、それは小秋の端末の座標を表すマークだと認識するのが理にかなっている。それなのに青丸には、見慣れた社員IDと血液型が名前のように記されていた。
「もしかして……」
そう言ってる最中に成葉は寒気がした。
「ブランデル社の監視機構?」
小秋は、遠慮がちに頷く。
「わたくし、普段からこちらを使って、成葉様がどのような場所に行かれるのか、ずっと……見守っていたのです」
配血企業に所属する社員は、外回りの業務中、位置情報を会社と共有する規則がある。
万が一、外回りをしている社員が瘴雨で吸血鬼化すれば、配血企業にとっては自社イメージのダウンに繋がるし、献血可能な血液を文字通り数リットルも無くしてしまう恐れがある。そのため配血企業の社員は、自社に登録している携帯端末あるいはバッジによって、勤務中は会社に安否を確認されている──もとい、監視されているのである。
小秋はこれと同じ監視機構を使って、今日の成葉の行動の全てを読み取っていたそうだ。
「社外の人はもとより、社内でもごく限られた人しか閲覧できないシステムだと思いますが……支社長の計らいでしょうか?」
「そうですわ。お父様が、好きに使うようにとおっしゃってくださって……。気分を害されたのならごめんなさい」
「お構いなく。あまり気持ちのいいことじゃありませんが、これも仕事ですからね」
淡白に言うと、成葉は自身の胸元に目をやった。ホワイトペリカンのバッジは、彼がブランデル社の人間であることを主張している。
私服を持たないゆえに、限りなく少ないプライベートな外出時にも、バッジを装備した完全な制服姿でいる成葉にとって、小秋から告げられた件は衝撃が大きかった。今まで訪れた場所と日時のあらゆる情報が、小秋側には知られていたのだ。
「仕事」という語句で、小秋には平然な様子を演じているものの、成葉は内心動揺していた。
血の繋がった娘のためとはいえ、自社員の位置情報を易々と明け渡す津吹を不気味に感じた。
「それにしても、いつから私のことを見ていたのですか。まさかとは思いますが、去年の秋……私たちが配血と義足を契約されてから間もなく?」
ほっそりとした白い手で口元を覆い、笑みを浮かべる小秋からは、肯定も否定も返ってこない。
焦って疑問をぶつけるだけでは、聡明な小秋を揺り動かすのは困難だ。成葉は空咳をする。
「いえ──もっと他に聞くべきことがありましたね。何のために、私なんかを見ておられたのですか」
「“愛というものはつねに勝手なものよ。熱烈なら熱烈なほど勝手なものよ。わたくしが嫉妬深いの、ご存知ないでしょ”」
よく通る綺麗な声を発しながら、小秋は熱っぽい視線を成葉に向けた。
「……レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』に出てくる女吸血鬼、カーミラの台詞ですか」
電源を切った携帯端末を机に戻し、小秋は椅子に身体を預けた。横切る彼女を見ずに、成葉は雨の降る窓の外を眺め続ける。
「小秋さんが何をおっしゃいたいのか、私には分かりません」
後ろから金属の音が響く。振り向くと、小秋が左足の大腿義足を外していた。義足は彼女の両手に抱えられる。
「この期に及んで……まだそんなことを?分かっていらっしゃるのでしょう?」
可憐な佇まいの小秋は、絶えず淑やかな眼差しを保っていたが、声には焦りと苛立ちが込められていた。
「以前からお伝えしているではありませんか。わたくし、貴方が好きと何度も……」
「人を愛するためには、四六時中も見張らなくてはいけないのですか」
「決してそのようなことはございませんが……」
小秋は、義足をゆったりと撫でた。
「成葉様が見張る、という表現をされるのは無理もありません。わたくしもそれは分かっております──けれどご安心くださいませ。わたくし、なにも成葉様を縛りつける気なんて微塵もありませんわ」
「その割には、さきほどはやけに物騒な一節をお引きになられましたが……」
「まあ!物騒だなんて。とんでもございません、これはわたくしの本心ですよ。“誰の心にも多少なりとも嫉妬心はあるものです”」
「小秋さんの将来のお相手はさぞ苦労されますね」
「それはどういう意味ですの?わたくし、貴方にご迷惑なんてかけませんわ」
「そうですか」
生返事した成葉だったが、小秋の意図が汲み取れなかったわけではなかった。かねてより小秋が好意を寄せていることは、個人的な吸血から知っている。最早、小秋もそれを隠すことはしなかった。
推測するまでもなく、監視機構の使用は、彼女の内面からくるものであることも理解していた。想い人の行動を手中に収めて、小秋は安心感を得たいのだろうと。
津吹に命じられる形で始まった今日までの付き合いの中で、成葉も抗いがたいほどに小秋に惹かれていた。小秋が欲しかった。小秋に触れていたいと思った。だが結局は、それらの想いを自覚した上で、成葉は小秋という異性の存在を受け入れられなかった。青年には複雑な事情があった。大切な小秋にすら、もっといえば小秋が相手だからこそ、口が裂けても絶対に言えないものが。
成葉は椅子には座らず、二本の足で直立したまま、小秋の方を見て話を続ける。
「私の家が分かったのも、監視していたから……ですか」
成葉はため息をついて訊ねた。小秋は何も言わず、大事そうに義足を撫でていた。
「おかしいとは思っていたんです。独身寮に住んでいるとは言いましたが、私は部屋の番号まで小秋さんに教えていなかったので」
一度だけ、成葉の住まう会社の独身寮に、小秋が直々に押しかけてきたことがある。いちごのタルトケーキを土産に持参して、予告なく訪問してきた冬の時期の出来事だ。
成葉の本名の苗字は珍しくもない。独身寮のアパートには、同じ苗字の人間が何人もいる。規則上、表札には愛称の類を記載できないため、外部からは成葉の存在は消えている。尾行するか、今回のように位置情報を把握するなどをしない限り、彼の部屋を正確に特定できるはずがなかった。それとも、津吹が直接教えるという手もあったかもしれないが。
本義足の制作とリハビリ施設での適合が終わり、義足の契約がなくなったのは去年の十二月だ。その後約一ヶ月間も小秋とは会わなかったわけだが、今年の一月になって、いよいよ成葉の方が小秋のことばかり考え始めるようになってから、彼女の方から部屋にやってきた。まるで成葉を焦らすような意図的な振る舞いとも思える。
小秋は、ふと思い出し笑いをしたように小さく微笑んだ。
「少々……成葉様は勉強不足ですわ」
つい数時間前、彼女の父親である津吹からも似たような台詞を聞いた気がした。
二人の言葉が似ているのも、親子という関係で血が繋がっているためだろうか。成葉は眉を
「吸血鬼について?」
「ええ」
「今の話で、何か吸血鬼に関連することがありました?」
小秋は義足を腕から下ろすと、左足の切断部にそれを装着した。
すると再び、彼女という身体障害を背負った女吸血鬼のイメージ像が、成葉の中で急速に補完されていく。白髪と白皙の微笑。青い瞳と長い睫毛の優しい目つき。無くなった身体と、人工の足……。
「古くからの伝承によれば、吸血鬼は他所の家に上がる時、その家に住まう当人から事前にお招きがなければ上がれない──という設定があるのですよ」
一瞬、成葉は戸惑った。
「またもや変な設定ですね。吸血鬼というのは、どうもおかしな伝承ばかりです」
「そうおっしゃらず」
小秋は目を細くして笑った。
「だったら小秋さん。なぜあなたは私の寮の部屋に入れたのです?」
「それは貴方がお招きしてくれたからですわ」
小秋はすんなりと答えた。
言うまでもなく、文学の中の吸血鬼と現実の瘴雨患者たちはまったくの別物だ。冗談のつもりで質問したのに、思いもよらぬ返答を小秋から浴びせられた成葉は面食らった。
「事前に?私が小秋さんを?」
「そうですよ」
「……そのような記憶はありませんが?あの時、小秋さんは何の前触れも断りもなく、唐突に私の部屋を訪れて来たじゃないですか」
「違いますわ」
「はい?」
「わたくしが成葉様のお部屋を訪ねたのは、わたくしの勝手な想いだけが理由ではありません。他でもない成葉様が大いに望まれたことなのです……そうでしょう?」
核心を突いてくる小秋の上品な言葉遣いは、今の成葉にとっては、磨きあげられた刃物そのものだった。
義足が完成し、傘士としての吸血鬼との繋がりが血液だけになってしまい、小秋に会えなかったあの時期。小秋と会うのを望む自分がいたことは成葉も否定できなかった。それが「招く」という解釈に繋げられるのかは不明だったが、少なくとも小秋はそういうことを言いたいのだろう。
小秋にペースを奪われてしまいそうな空気を察して、成葉は話を広げたことを後悔した。
「婉曲的にものをおっしゃられるのは、小秋さんの悪い癖です」
「うふふ。それはお互い様ですわ」
小秋は血を飲んだ後のように満たされた表情で、成葉の顔を見上げた。小秋の青い瞳はどこまでも深く澄んでいた。
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