19話

「……申し訳ございません。難しくて、どうにも私には解けないようです」


 そう弱音を吐露とろすると、小秋は肩をすくめるように下げた。少女の目には、どこか落胆の色が見えた気がした。


「本当は分かっているにも関わらず、未だわたくしには伏せている……というわけではございませんの?」

「誓ってそのようなことはありません。もしそうだとしても、私が黙っている理由なんて……それこそ検討もつきません。解けさえすれば、真っ先に小秋さんにご報告する所存です」

「あら」


 小秋が意味ありげに、にこりと笑った。


「成葉様。今のお言葉、ご自分でもきちんと覚えておいてくださいね?約束ですよ。朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足のものとは何か──。答えが分かった際には、包み隠さずわたくしにお伝えください」

「それはもちろん……ですが、あの」

「なんでしょうか?」

「何故そう、そちらのなぞなぞにこだわられるのです?」


 眉根を寄せそうになった表情を愛想笑いに戻した成葉は、静かに問いかけた。

 元々、この問題は小秋が誕生日に津吹から贈られた本に収められているもので、成葉は好奇心から聞いたに過ぎない。たしかに小秋がどのような本をもらったのかは知りたかったが、それひとつに既に十日も頭を悩ませている現状は、ちょっとした会話の一話題にしてはおかしかった。

 この二ヶ月あまりの期間で、二人の関係はとても親しいものになっている。今更、会話のネタに困ってのことではないのは分かってはいたが、それならば尚のこと小秋の意図が読めない。彼女側になにかしらの思惑があるのなら、それを把握しておきたいのが成葉の切実な本音だった。


「小秋さん。正直なところ、もう降参です。そろそろ……答えをお聞かせ願いたいのですが──」

「駄目ですわ」


 直截ちょくせつな口調で拒んだ小秋は、目を伏せた。彼女は一呼吸、間を置いてから「どうしてもですわ」と切り出す。


「他ならぬ成葉様に解いていただきたいのです。それが叶わない限り、わたくし……貴方のことを」


 その言葉の続きを待ったが、小秋は一向に口を開かなくなった。そんな彼女を成葉は黙って見つめていた。

 結局、謎は解けずに輸血後観察の終了時刻を迎えた。



 屋敷を去り、会社で他の客の義足の仕様書を何枚も作成した成葉は、日付が変わった頃になってから、ようやく寮の自室に帰った。

 小秋に割く時間を補うべく、連日続いていた残業はハードスケジュールだった。成葉は靴を脱ぐなり、床に突っ伏すように寝てしまった。

 そして微睡まどろみの中で、ある夢を見た。

 それは昔の記憶だった。自分の心の奥底で眠りこけていた──意識的に凍らせていた情景。


 雨に閉ざされた古い建物。

 子どもが多くいるそこには、場違いなほど綺麗な女性がいる。その女性は読み聞かせのための絵本を手にし、元気な子どもたちに囲まれていた。

 女性は子どもが好きなためか、幸福そうに微笑んでいるようだ。笑う度、吸血鬼の犬歯が露わになると、いつも慌てたように手で隠す。女性がそうして恥じらう姿は実に可憐だった。

 青い瞳をもつ──白皙はくせきの吸血鬼。名前を与えてくれた恩人。

 少年は、遠くから女性を眺めていた。

 絵本の読み聞かせが一段落ついたようで、小さな取り巻きたちがはしゃいでいる。


「みんな、あちらのお部屋で遊んでいらっしゃい。今日も新しい本をたくさん持ってきましたよ」


 よく通る女性の声が響いた。

 わぁい、と声を上げ、子どもたちは隣の部屋に一目散に駆けていく。置いてけぼりにされた少年は、木製の椅子に腰を下ろす女性に近づいた。女性が着る白いロングドレスの裾から、人工物の左足がひっそりと伸びている。


「あら、成葉。どうしたのです?さっきはみんなから離れたところにいましたが、何かありました?」


 女性の青い瞳は明澄な光を放ち、穏やかな秋の海のように揺らめいていた。

 目が合うなり、少年は俯く。


「別になにも……」

「そうでしたか。それならいいのですけど……みんなと一緒に行かないのですか?」

「……奥さまと、一緒にいたいです」

「まあ!嬉しいことを言ってくれますのね。でも、わたくしといても何もありませんよ」

「あの」

「はい?」

「絵本を読んでる奥さま、とても綺麗でした」


 言い終えてから、少年は顔が熱くなった。目が薄らと潤み、耳まで赤く火照った。

 女性は少年の肩を引き寄せると、頭をそっと撫でる。


「うふふ、ありがとう。そう言ってくれるのはあなたとあの人だけですわ」


 耳元で女性は苦笑した。

 罪悪感があるようなその笑みをくつがえしたくて、少年は顔を上げる。すぐ近くに吸血鬼の犬歯が見えた。気持ちを抑え切れず、少年は息を吸い、これまで胸で抑えていた気持ちを発する。


「あのっ。僕は……!僕は、あなたを……お嫁さんにしたいです」

「あら、うふふ……どうしましょう、困りましたねぇ。わたくし、もう結婚していて夫がいる身ですのに」

「それでも僕は、あなたと」


 少年は諦めずに言葉を紡ごうとしたが、女性の眼差しにいさめられた。強い威圧感があった。しかし不思議と恐怖までは感じられない。それは少年がこれまで知らなかった、母という人間の叱り方だった。


「成葉?ダメなものはダメですよ」


 少年は萎縮し、泣きそうな顔で下を見た。自分の足と並ぶのは女性の銀色の義足だった。


「それに……わたくしにとって、あなたは大切な息子同然の存在なんです。どうかその気持ちは他の人に向けてあげてくださいね?」

「……はい」


 大粒の涙がぽつりと床に落ちた。

 女性はゆっくりと少年の頭を撫でる。


「落ちこまないでください。あなたが悲しくなると、わたくしも気分が塞がってしまいますわ……。そうですねぇ……どうしても諦められないのなら、こうしましょう?」

「なんですか」

「傘士になって、わたくしに足を作ってください」

「かさし?」

「そうですわ。いつの日か、立派な一人前の傘士になって、あの人が作ってくれたこの足にも負けないような良い足を……わたくしに贈ってください。分別のある一人の男性として、ね。その時また改めて、あなたからの告白をお断りしますから」


 女性は日頃からまとっていた聡明な雰囲気をころっと無邪気に崩し、少女のような笑顔を見せた。少年はまた泣きそうになった。


「やっぱりそれじゃあ、僕はダメってことじゃないですか」

「当然ですわ」


 女性はくすりと笑った。屈託のない笑顔は柔和で美しい。少年は何も言えなくなり、口を尖らせるようにねた。


「……成葉」


 女性が唐突に少年を呼んだ。


「足は、血ですわ」

「え?」

「わたくしと夫は──他人です。同じ親からの血を分けたとか……そういったつながりはありません。でも、あの人の血でわたくしは今日まで生きてきましたし、この足で繋がっています」


 なんのことだろう、と少年は小首を傾げた。女性は目元に涙を溜めている。


「今はまだ分からないかもしれませんけど……縁というものがあるのですよ。傘士になれば、そのことを分かる時が……いずれあなたにも来ます。誰かと、血と足で繋がる日が」

「僕にとっての、その誰かは……奥さまではないのですか?血と足で、あなたと繋がることはできないのですね、僕は……」


 女性は鷹揚おうように頷いた。


「だって、あなたはわたくしの息子ですもの。血が繋がっていなくとも」


 今度こそ拒絶され、少年はショックを隠しきれなかったが、頭を優しく撫でてくれる女性の温かい手を払い除けることはできなかった。


「どんなことがあっても、立ち止まってはいけませんよ。歩くのです」

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