13話

 どうやら手が止まっていたらしい。


「成葉様?」


 覗き込んでくる、小秋の顔が近くにあった。青い二つの海が成葉を呑みこむ。

 宝石ではなく、秋の陽光に照らされた凪の海を彷彿とさせる彼女の双眸は、母親と似ていたが、暗い夜に閉ざされているようにも思えた。雨雲に隠され、月も浮かばぬ常闇の下の黒い海と言っていい。そこには確実に、獲物を捕まえようとする獰猛どうもうな何かが潜んでいた。

 人格を内面からまるごと見透かされている気がして、成葉は自分でも驚くほど、びくっと肩をこわばらせた。


「……少し集中が途切れただけです。なんでもありません」


 一旦、成葉は工具を片付けることにし、小秋から目を離した。


「それなら良いのですけれど。成葉様、さきほどから顔色があまり優れないようでしたから」

「なんでもありません、大丈夫です……小秋さん。一応、これで本義足の装着は済みましたが、ソケット部と接している箇所などで痛むところや痒いところなどはありますか?」


 気を取り直した口調で事務的に訊ねた。

 ソファに座る小秋は、手で義足の膝を曲げたりして、愉しげに確認している。


「今のところ平気ですわ」

「そうでしたか?どんな些細なことでも構いませんよ。何か不満なところがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」

「強いて挙げるとするなら、座っている時に膝を曲げようと思っても曲がらないことぐらいでしょうか?“手足がおたがいに助け合うのであり、手とか足は、われわれの思考とは別に動く”……と言いますけれど、義足では中々そうもいきませんね」


 唐突に、小秋はソファから離れて立った。本義足をつけている彼女はバランスをとることに苦労していない様子だったが、一歩、踏み出そうとする彼女の体はぐらりと傾いた。


「あっ」

「小秋さん!」


 成葉は咄嗟に彼女に近づき、華奢なその身体を支えた。

 手と手が触れ合う。

 呼吸が接近し、少女特有の甘い香のような匂いが成葉の鼻をくすぐった。しばらく二人は、抱き合う形の距離にいたが、青年は震える手で、小秋を引き剥がした。


「……危ないですよ?電子制御での歩行を前提にしたものですので、仮義足とは勝手が違うと言ったではありませんか」


 そう注意し、小秋をソファへ座るよう促した。彼女は転倒せずに無事なようだった。成葉は額に汗がどっと伝う。


「ごめんなさい……。成葉様のおかげで助かりました」

「次からは気をつけて下さいね──“両足をしっかりと踏んばって、自分の弱さで地面にばたんと倒れないように注意しているだけでも、力に余る大仕事”なのです。小秋さんは、これからも無理だけは控えるようお願いします」

「ええ。そうさせていただきますわ」


 心臓に悪い出来事があったものの、小秋は本義足で起立しても痛痒に襲われないことが確認できたので、仮合わせはクリアした。

 本義足は本格的なマイコンを搭載するために一度、社に持ち帰ることになり、代わりとして小秋の足には再び仮義足がつけられた。

 仕事が終わったので、成葉は早々に帰ることにした。

 瘴雨はまだ降り続いているが、依然として低濃度である。所定の時間を過ぎても客の家に留まっていることを悟られるとサボタージュを疑われる。傘士は出先で瘴雨にやられていないか、常に会社から位置情報と定期連絡で監視されているのだ。ゆえに、勤務態度による評価はシビアな世界だった。

 玄関先で耐雨外套を着用した成葉は、見送りのためにエントランスにいる小秋へ頭を下げる。


「ご協力ありがとうございました。これからのスケジュールは主に本義足の最終適合とリハビリになりますが、施設への送迎は今後も私が担当させていただきますので、その際はまたよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 小秋はお辞儀を返した。

 扉を閉じようとした成葉だったが、話は終わっていない、とでも訴えかけてくるような小秋の目線に引き留められた。


「義足を準備してくださって、本当にありがとうございました。お母様と同じ足で歩けるようになったこと……。わたくし、こう落ち着いて話をしておりますが、実のところ飛び跳ねてしまいたくなるほど嬉しく思っているのですよ。ですから、貴方に何かお礼がしたいのですが……どうでしょうか?」

「それは結構です。後日、義足代の請求書の方は会社から小秋さんのご実家へ──」

「成葉様。そういうことではありませんわ。貴方個人に感謝の気持ちを示したいのです」


 仮義足で立つ小秋は、恥じらうように白い頬を赤く染めて息を継ぐ。


「お父様から電話で義足のことをお聞きした時、実は成葉様のことも教えていただいたんです。ここのところ、ずっと業務がお忙しい中……わたくしの足を作るためにとても尽力してくださったのでしょう?」

「そのお気持ちだけ、ありがたく受け取らせていただきます。これが我々の仕事です。仮に支社長が私を小秋さんの担当員にしなかったとしても、ブランデル社の傘士なら今の私と同じことをしたと思いますよ。だから私個人への感謝は不要です」

「あら?客であるわたくしから所望されたわけでも、この件でお給料を多く頂けるわけではないのにも関わらず……毎晩遅くまで会社に残って、十年以上も前の顧客がつけていた義足と似たものを用意するために色々とはからってくださるような素晴らしい傘士の方が、貴方以外に本当にいらっしゃいますの?わたくしには……とてもそうとは思えませんわ」


 そのことも既に聞いているのか、と成葉は苦笑した。

 義足は決して美術品ではない。制作にかけた時間を競うものでもないし、他の仕事のことを考慮すると残業は不都合でしかない。恥を隠すように制作過程の苦労は黙っていたが、津吹を介して筒抜けだったらしい。


「……そればかりは私としても検討もつきませんね。社の中では比較的、新人なので」


 成葉はおどけたようにごまかすが、小秋は力なく首を横に振った。彼女は不満そうな表情だった。


「はぐらかさないでくださいませ。成葉様と出会ってから、わたくしばかりが助かっているのは……少々、居心地が良くないのです。どうかご一考を」

「傘士とお客様という関係である以上、それで良いかと思われますが……そう言われると弱りますね」


 冷ややかで、薄い赤色の雨の矢に打たれながら、ごわごわとした外套に身を固める成葉は、腕を組んで思案した。

 芝の生える庭には、雨で小さな川ができていた。それを越えれば、屋敷の玄関へと続いている。迷ったが、成葉は屋根の下までは戻らなかった。一度小秋の笑顔に招かれてしまうと、あの茶会の再開を望んでしまう自分がいたのだ。青年はあくまで玄関先に留まった。

 吸血鬼であり、学生の小秋が現状行えることは数えるほどもない。その事情を鑑みた上で挙げろという方が酷だが、客の対応も仕事だ。そう割り切り、成葉は考えを巡らす。

 どうにもアイデアが浮かばなかったが、彼女に関連する記憶で何か引っかかっていることがあったと思い出す。


「それでしたら、今後のためにも、私にあなたの事を教えてほしいです。それでどうでしょうか」

「もちろん構いませんわ。今のわたくしに答えられることでしたら、なんなりと」


 はにかんだ笑みを浮かべた小秋は、満足気に一歩前に出た。彼女は室内から出てきていないのに、何故かその手が外にいる自分にまで届きそうに感じて、成葉は緊張感を覚えた。


「それはどうも……。では、小秋さんのお誕生日を教えていただきたいのですが」

「……誕生日、ですか?わたくしは十一月二日生まれですよ」


 不思議そうに答えた小秋に、成葉はさっと一揖いちゆうした。


「左様でしたか。助かりました。これで小秋さんからのご恩はたしかに受け取らせていただきました。そういうことですので、今日のところは──」

「あら、もうおしまいですの?成葉様、なんだかわたくしに遠慮されていませんか」

「いえ。本当に助かりました。実は、支社長から小秋さんのお誕生日をお祝いするプレゼントを預かっているのです。なのに、私としたことが大切な日にちをお聞きしていなかったもので……」


 申し訳なさそうに成葉は笑った。小秋の誕生日を耳にしていないのは本当だった。秋の季節はもっと重要な日があったために、成葉は意識が完全にそちらに向いていて、危うく小秋のプレゼントの存在を忘れかけていたのだ。


「お父様から……それはお聞きしていませんでしたわ。楽しみですね。きっと本でしょうけど」

「ばれてしまっているようですか」

「毎年のことですもの。今年は一体何の本でしょうね。成葉様、タイトルはお聞きしていないのですか」

「残念ながら、私が知っているのはプレゼントが本であることだけです……なにせ包みの中です。私には中身を見る権限はありません。当日までのお楽しみですね」

「ええ。……あの、成葉様はわたくしと同じようにお父様からいただくのですか?お誕生日のプレゼントを」

「はい。大変恐縮ではありますが。今年は小説を一冊いただきました。吸血──あ、失礼。玄関先とはいえ外でした。自重じちょうします」


 瘴雨以降、多方面のメディアで雨や血など、瘴雨患者が触れて不快に思うであろう、ありとあらゆる表現が規制された。最も制限されたのは言うまでもなく「吸血鬼」というワードだった。差別表現に該当するそうである。

 成葉は傘士として、会話の中でのそれらの言葉には気をつけているが、昔から津吹の勧めで古い本を読むのが趣味になっていたので、たまに素が出そうになる。特に同好の小秋の前では気が緩みがちだ。


「あらあら……うふふ」


 吸血鬼の小秋は楽しそうに笑った。

 そこには当事者としての、そしてそういった古い文学作品を嗜む少女の複雑な気持ちが混じっていたが、暗いものではなかった。少なくとも、成葉にはそう映った。


「わたくしのプレゼント、成葉様と同じ本だといいですね」

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