12話
客間に移った二人は、自然な習慣となった茶会を始めた。柔らかな香りの紅茶と、フロランタンやマドレーヌなどの菓子が品よくテーブルの上を飾っている。茶会は花壇のように華やかだった。
傘士の業務に尽力する日々を送るあまり、これまで余暇時間を軽視していた成葉には、この茶会はありがたい癒しとなっていた。対面する小秋の笑顔も温和で、見とれるほど綺麗であった。
それでも尚も、成葉の中では、津吹が義足制作を了承したことが見過ごせない疑問として渦巻いていた。今回、小秋の屋敷に訪問したのは血液の配送ではなく──その疑問の中心となっている足についての話があったからだ。
「……小秋さん。そろそろご契約の件を」
世間話の際よりも低くかしこまった声で言った。吸血鬼の少女は頷いて、手にしているカップをテーブルに置いた。
成葉は、一人掛けソファの横に置いた小型のアタッシュケースを持ち、席から立つ。小さな花園となったテーブルを避けて小秋の近くへ寄った。片膝をつくようにして、彼女にケースの中身を見せる。
「以前からお話していた本義足がひとまず完成しましたので、本日はその仮合わせにやって参りました。こちらが……小秋さんの新しい義足です」
ケースには輝く銀色の義足が一本、収められている。
小秋は目を見開き、面白い文庫本を
「成葉様、これは……」
「驚かれました?」
赤子を抱えるように慎重に義足を取り出し、小秋に渡した。
「……お母様の義足」
「そうです」
小秋の呟きに、成葉は不安の色を帯びた苦笑を返した。
「なるべく当時の部品と近いものを使用して作りました」
小秋は何も言わなかった。ただ、彼女はじっと食い入るように義足へ視線を落としていた。その足は成葉がデザインしたものだった。
気に入らなかったのだろうか──。客の言葉を待ち、成葉は唇を噛むように口を閉ざした。
本来、義足の制作には、医師との相談を含めながらも客の意向を第一に取り入れるものである。例えばアスリートは、競技用として柔軟性に優れた部品で組み立てるよう頼むし、懐事情が寒い労働者なら、安くてとにかく頑強な製品が良いと口を揃える。それらの願いに応えるように作り上げるのが義足なのだ。
そんな中で、令嬢たる小秋は、本義足の設計については傘士の成葉に何も言わなかった。
これは必ずしも傘士が自由に商品を作れるとは限らない。客の好みを聞かずに、客が喜ぶものを提供しなくてはならないのだから、むしろ難しい依頼だ。父親が手がけた足が本命の小秋にとって、自分の作ったものなど練習用に過ぎないと成葉は重々分かっていた。だからそれ以上は何も聞かず、独りで作ることにしたが、これが上手くいかなかった。はじめこそ、若い女性に人気なデザインを参考にした。だが、目当ての客は屋敷に引きこもり、世俗の人々とは別格な雰囲気を醸し出す深窓のお嬢様である。彼女に似合う足をゼロから作ることがいかに至難の技であるか、成葉は作業量を増やせば増やすほど痛感した。そうして何日か夜遅くまでの仕事が続いて挫折しかけた矢先、記憶の奥底から成葉に呼びかける姿があった。
それは、津吹が作った左足を装着した──小秋の母親だった。
「外見は昔のモデルですが、中身は現行モデルのパーツで構成されています。性能にも整備性にも問題ありません。もしお気に召さないようでしたら、別の足をご用意いたしましょうか?」
成葉は、小秋の腕に抱かれる義足を見た。
過去の記憶だけを頼りに制作したそれは、ブランデル社の資料室から古いカタログを掻き集め、現在は生産中止となって手に入らない部品の代替品をひとつずつ選定し、機能自体は低めないよう細心の注意を払って作ったものだ。
大切な人の一部と酷似したそれは、成葉にとっては会心の出来栄えだった。
「……いいえ」
小秋は可憐に言った。その表情は暗くも見えたが、やがて彼女は屈託のない優美な笑みを振りまく。
「本当にありがとうございます。成葉様、これはわたくしが欲しかった足ですわ」
「それなら良かったです」
客からの感謝の言葉を聞き、成葉はほっと安堵の息を漏らした。
「ねぇ、成葉様。おひとつだけ訊かせてください。どうしてわたくしがお母様と同じ足が欲しいとお分かりになったのです?」
「お恥ずかしいことに、それは自分でもよく分かりません。気づいた時には私の手元にそちらの足が組み上がっていました。お客様に──小秋さんに使って頂きたいと心の底から思えた、最初で最後の足でした。ですから今日こうしてあなたに」
「まあ、そうでしたのね。素敵ですわ……。もう
小秋はあたかも靴のことのように聞き、囁きに近い声で笑った。成葉はつられて微笑む。
「どうぞ。今日はそのために来たのです」
二人はその後、共同作業で仮合わせを実施することにした。
小秋の仮義足を外していく。その間、成葉は今回、仮合わせをする本義足について説明をした。
義足は膝関節に最新のマイコンを搭載したモデルだ。使用者が歩き出すと自動で歩行速度を把握し、膝を曲げてくれる造りになっている。コンピュータを搭載すると、バッテリーやその他の機構の問題から従来製品より重くなりがちであるが、散歩などの日常生活において歩きやすさを追求するためには欠かせない。搭載する部品が増えると、機構が互いに干渉して歩行の際の音がひどくなるので、最近ではマイコン搭載型の義足は、干渉し合う部品数を極限まで減らすのが通例だ。その代わり、部品の物理作用のみでは膝の制御が難しくなり、万一バッテリーが切れれば身動きが取れなくなるデメリットもある。
ただし、吸血鬼の客は外を出歩くことがほとんどなく、電力の供給を受けられる自宅にいることが大半なのでそこは特に問題視されていない。こういった義足は、配血企業による血液製剤や日用品の配送網が成熟した1980年代後半から徐々に増産傾向にあった。
瘴雨の発生以降、雨に対抗して人類の技術は日々進歩している。
気象観測衛星やそれを打ち上げるロケット、危険な外で働く人間との連絡を担う通信技術は四半世紀前から目覚しく進化した。
にわかには信じられないが、専門家の話によれば、もし瘴雨がなかったとしたら──携帯端末を介したインターネット・ウェブサービスは2010年代頃まで普及しなかったし、二十秒後の雨雲の流れを随時キャッチできる天気予報サービスは2020年代に入っても実現不可能だったはずだと言われている。
こんな与太話を鵜呑みにするほど成葉は非常識ではなかったが、そういった不便ながらも平穏で、吸血鬼が実在しない世界もどこかにあるのかもしれないと感慨にふける時もある。
技術進化の点で特に顕著だったのが、義肢の技術全般だった。しかし、それは主にソフトの面の話だ。ハードを造る技術者の
義肢はそのほとんどがオーダーメイドだ。人の手足は形状も用途も全く異なる。人に寄り添い、人の意思を実現させることは、人の視点に立てないロボットにはできないし、工場で大量生産した義肢をセール品のようにたたき売りすることでも叶えられない。そのため人の手で部品を選び、人の手で製品を組む。最後は人の手で直接、客に適合させなければならない。
太陽光と瘴雨を避け、社会の中で孤立しがちな吸血鬼を救えるのは傘士だけだ。経口輸血療法時のショック反応への緊急輸血もそうだが、未だにこの職業が無人化されない理由は義肢にもあった。
無骨な仮義足を外し終えたところで、成葉は空咳をした。
「今からはめていきますね」
仕事を始める。前に採型した型を流用して作った、新しいソケット部を小秋の切断部へとつけていく。装着作業は客をベッドか椅子に座らせて行う。小秋の場合は客間のソファだった。傘士はそこに
「痛みや
「大丈夫ですわ」
質問を投げると、はきはきとした返事が来た。
ちらりと目をやる。欠けた自身の左足のスペースに、新しい人工の代用品が収まる様を興味深そうに見届ける小秋がいた。目が合うと、彼女は嬉しそうに首を
小秋は彫像のごとく美しい。世の汚れを知らないように無垢なのに、同世代の誰よりも教養や見聞が豊かだ。なによりも、良家の人間として人を使うことを心得ている節がある。小秋の前で膝をついて手仕事をしていると、一瞬、成葉は自分のことを
相変わらず小秋は絵になる、と成葉は思った。それ以上の感想は持たないために視線を下げたが、その先にも、青年の心を惑わすには充分なほど瑞々しい少女の生足があった。義足の固定をかねた微調整をするため、左足の切断部や残った右足へ手が触れる度、傘士としては許されない思いだが、男としては当然な欲求が少なからず込み上げてきた。
成葉は自分の身体に隠された獣のような荒々しい感情の波に動揺した。ぐっと耐え、あの言葉を心で呟く。
──われに純潔と禁欲を与えたまえ。
叫ぶように心の中で何度も発したが、小秋の白い足は成葉を激しく惹きつけた。その足が目にも、頭にも焼印となって張りついてくる。
邪心を上書きして消すべく義足を見つめていた成葉は、不意にシンデレラの話を思い出した。
あれは王子と恵まれない女性という至極シンプルな構成ではあるが、よくよく紐解いてみると、あのお話は紛うことなき「足」をめぐる話だった。求める女性を追うため、王子は自分の元に残されたガラスの靴を使って探し出す。しかし、もしそのガラスの靴に偶然、別の女性の足がはまっていたとすれば、本来の靴の所有者である女性とは結ばれなかったはずだ。
そうと知っていて王子は女性を探した。そこには心に巣食う邪悪な観念があったはずだ。靴さえ合えば誰でもいい、というような……。
──ガラスの靴。
「どうされましたの?」
小秋の声。物思いに
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