6話
小秋に義足制作を再度断られてから一夜明けた。
成葉はカーテンの隙間から入り込む陽の光で目が覚めた。朝の外は、今が秋であることを忘れたように夏に近い快晴だった。民放のニュースの天気予報でも全国的に晴れだが、それも今日限りらしく、東海地域は明日か明後日にはまた秋の雨季に戻るようである。
その日は休みなのにも関わらず、成葉は寮で食事と身支度を済ませると出勤した。出勤といっても、予定していた小秋の分がなかったので、これといった仕事はない。だが、なにかしら働いていないと気が休まらなかった。
現状を打開する手段が思い浮かばなかったのだ。傘士という立場を除いて、セールスマンみたいに屋敷へ押しかける訳にもいかない。傘士は客との信頼が第一の職業だ。それを失えば、義肢を任せてもらうことは夢のまた夢となる。
──いや、はじめからあの子に信用されてなかっただけか。
その考えは決して悲観ではなく、そうだったと認めるしかなかった。途端に足取りが重くなった。
成葉の方は、小秋に会える次の機会が待ち遠しくてもどかしかった。欠損した左足、それを慰めるように動いていた彼女のほっそりとした白い手が忘れられなかった。物静かで、紙の匂いに満ちたあの古い屋敷もそうだった。
幼少期に鮮明に焼きついている記憶はそう簡単には剥がれそうになく、青年となった彼を未だに縛り上げていた。
鬱々となりそうな心境を振り払うべく、社内の廊下を早足で歩く。タイムカードは切らず、義肢装具課の社員が集まる工房のような制作部屋に向かった。
広い空間が待ち構えているその部屋には多くの傘士がいた。
皆、自身が担当している義足のソケット部の加工や使用するパーツの選別などに集中している。入ってきた成葉に意識を向ける者など誰もいない。
それもそのはず、今は絶賛繁忙期なのだ。小秋のように、梅雨シーズンで新たに吸血鬼になった客向けに大量の義肢を生産している真っ最中だった。九月から十一月は、壊死してしまった四肢の切断手術と数ヶ月の入院を終えて、日常生活のための義肢を購買する人々が集中するのである。
また、秋が過ぎても今度は秋雨シーズンで吸血鬼化した人々からの依頼が増える。日本の配血企業の義肢装具課は、雨の集中する下半期は特に忙しいのである。
小秋の分が無くなって暇になり、今は別の案件を受けている訳でもなかったので、手が足りていない人の作業の援助か雑用でもしようかと職場の中を見回りながら奥に進んだ。すると課長に呼び止められた。
「ちょうど良かった、お前に電話を入れようと思っていたところだったんだ」
精密機械の塊である電動義手の指を玩具のごとく易々と弄っている課長は億劫そうな口調で言った。不健康そうにぽってりと太ってはいるが、この課の責任者の男だ。
「おはようございます。何かありました?」
「お客様がお呼びだ」
「……分かりました」
「なんだ?やけに元気ないが」
次の客。
血液配送ではなく、義肢制作という本来の職務に打ち込もうと社に出向いてきたはいいものの、そうやって気を取り直そうとすればするほど、小秋が頭から離れなかった。
成葉はなんとか首を横に振る。
「なんでもありません。早速、顧客データの方を参照したいのですが──」
「悪いがそれはない。支社長から言われててね。どうもあの人お抱えのプライベートな客っぽいんだ」
それって──。
成葉ははっとした。そんな彼とは裏腹に、課長の方は気の抜けたように椅子へ重い体を任せている。
「にしても疑問が残るな。だったらどうして成葉なんだか。そんなに大事なお客様なら俺でも良くないか?」
「多分、血液型が同じとかそれだけの理由だと思いますよ。万一何かあった時、その方が都合がいいですから」
成葉は愚痴っぽくなった課長をフォローしたが、発していた自分の言葉をいつの間にか心で
どうして津吹は自分に娘を任せたのだろう。
義肢と人間のひしめく部屋の隅、一人の青年の中でその考えは人知れず膨張していった。
*
成葉は小秋が住む屋敷を訪ねた。これで通算三回目の来訪だ。
互いに緊張も緩和し、それとなく距離感も掴めたようだった。以前までよりは比較的砕けた会話のお茶会となったが、やはり名家の令嬢たる小秋はお淑やかで気品溢れていた。知識豊かであり、慈しみと謙遜というものを十分に心得ているのが分かった。人を不快にさせる言葉遣いや仕草を見せる真似は絶対にしなかった。客と会うのが仕事の一環であり、言葉遣いや態度を会社から常々厳しく指導を受ける成葉から見ても、彼女のそれは徹底されていた。
「お客様、そろそろ本題に入らせていただこうと思うのですが、よろしいでしょうか。今回は一体どのようなご用件でしたか?」
長々とした歓談の最中、成葉のその一言で、にこやかに微笑んでいた小秋の顔つきが瞬時に固くなった。
「……そうでしたわ。せっかくのお休みの日にお呼び出ししてしまって申し訳ありません──。その、貴方にひとつお願いがあるのです」
「お願い?」
「もちろん、わたくしがものを頼むべきではない立場にあることは重々承知しております。ですが貴方にしか頼めない事で……ついお呼びしてしまった次第ですの」
そうとなると、義足の依頼だろうか。
成葉は態度にこそ出さなかったが、屋敷に来た時から期待していた。
おそらく、昨日の訪問の件から一晩考えた彼女がやっぱり義足は今後必要になると考え直してくれたのかもしれない。高まる胸を抑えるように、静かに頷く。
「大丈夫ですよ。いつでも頼ってください」
「ありがとうございます」
小秋はため息に近い、くぐもったような声で応えた。やがて凛とした目で成葉を見る。
「お父様を説得しては下さいませんか」
「……説得。そうなると、義足のことで?」
自分への制作依頼ではないようだ。淡い期待を破壊された成葉だったが、小秋の話を聞くことにした。
「はい……実は昨日、貴方がお帰りになった後、お父様に電話をかけたんです。そこでわたくしの義足を作ってくださるようお願いしたのですが、また断られてしまいましたの。断られたというより、避けられたと言いますか……」
「そんなことが──」
「出張の後でも構わないと言っても、お父様は聞く耳すら持ってくれませんでした。その後は仕事があるから、と一方的に通話を切られてしまって……」
「支社長がそのようなことを?」
「わたくしも信じたくありませんわ」
成葉が口を挟むと、小秋は力なく呟いた。彼女は今にも泣き出しそうな声色と沈痛な面持ちだった。
「お父様はどういう訳か、わたくしが憎たらしくて仕方がないようなのです。吸血鬼になった娘になんて……もはや愛情を向けられないのかもしれませんね」
成葉には信じられなかった。
あの屈託のない父親らしい津吹の笑顔に裏があるとは思いたくなかったが、義足を作らない意向は彼自身の口からも直接聞いているし、小秋が呼び出してまでこう言っている。昨日あったという電話での会話も事実なのだろう。
「すると、お客様の義足を制作するよう支社長に説得というのは……私が?」
成葉の問いかけに、小秋はこくりと頷いた。
その恐ろしく困難そうな依頼内容を口に出して一字一句確かめるなり、成葉は客である小秋の首肯を見るまでもなく頭を抱えそうになった。これまで請け負ったどんな仕事よりも無理難題に思えてならなかったからだ。制服の下で、背筋に汗が垂れる。
「駄目……でしょうか?」
上目遣いで懇願してくる少女を容易く突き放すだけの度量を有してはいなかった成葉は、どうしたものかと
不自由そうな小秋が不憫に思えて、本命の津吹が帰国するまでの期間、つなぎとしての義足を作らせてくれ──と初回の訪問時に客側へ逆に頼んだのは他ならない成葉自身だったが、戸惑った。まさか津吹がそこまで義足制作を拒否する姿勢を構えているのは想定外である。
しばらく思案した。これを断ってしまえば小秋はずっと義足をつけない。だが、馬鹿正直に承諾しても、二人の間の事情を知らない状態で、津吹を説得できるとは思えない。つまりどちらを選んだとしても、小秋の生活の質は向上しないままなのだ。加えてこれらの選択肢は、双方、小秋との関係が結局は血液配送のみで完結している未来しかない。恩人の娘が幸せであるなら、どんな手段も
関係者全員が得をしている道が中々見当たらなかったが、ふと妙案が浮かんだ。
「分かりました。私が引き受けましょう。必ず支社長を説得してみせます。そして支社長が出張からお帰りになった際、あの方にお客様の大腿義足をご用意していただけるよう手配します」
成葉がそう言い切ると、小秋はぱっと顔を明るくした。雨下に咲く花のような笑顔だった。
「本当に引き受けて下さいますの?ありがとうございます……っ。なんとお礼を言えば──」
「ただし条件があります」
「……あら?なんでしょうか?」
「支社長が帰国されるまでは、お客様には私が作った義足を使用していただきたいのです」
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