5話
「そうおっしゃると思いました。私としてもお客様側に強制するつもりは全くありませんが……」
「あら。では片足のない女が見るに
「そのようなことはありません」
自虐と皮肉が込められた小秋の言葉を正面から受け止めつつも横に流した。
職業柄、成葉は四肢のいずれかを失った人をよく見るが、差別意識の類は持ったことがない。吸血鬼を義肢を売りつけるための客だと割り切ったこともない。
雨に打たれて弱っている人を救いたい──。それが傘士として成葉が働く動機だ。それだけと言えば真っ赤な嘘になるのだが。彼が傘士を続けているのは、他者への慈善の精神よりも恩人である津吹家に対する献身によるところが大きかった。同家の一人娘たる小秋がその対象になるのは避けることのできない必然だった。
「貴方がわたくしの義足を作ることにそう執心されるのは、それがお仕事だからでしょうか?もしくはお父様に頼まれたから?」
「傘士という立場で、そういった質問に正直にお答えすることは良くないと分かっていますが──両方です」
「そうなりますと、やはりわたくしの足はお父様が作って下さらないのですね?」
「いいえ。支社長は……お客様のことを大切に想っていらっしゃいますよ」
探りを入れられ、成葉は戸惑いつつも言葉に気をつけながら対応した。そんな彼の様子を見た小秋は艶然と薄く笑った。
「貴方、お父様にそっくりですわ。とことん嘘をつくことが苦手な人ですのね」
「支社長と私が?」
「ええ。お父様はそれはもう叱られた子供のように嘘が下手なのです。昔はお母様も微笑ましいとおっしゃっておりました」
「お言葉ですが……私は嘘は言っておりません」
「ふふ。嘘に嘘を重ねても仕方ありませんよ?わたくし、お父様が嘘をつく時はふたつあるとお母様から教わりましたの。それ以来、お父様がおつきになる嘘は大抵見破れました……理由は分かりませんが、貴方もそうみたいですわ。もしかしたら男の人って皆さん同じなのかもしれませんね」
「……それはまた興味深いお話ですね。お客様、そのふたつとは一体何なのか私にお教えしていただけますか?」
「そうやって興味があることを装って、都合の悪い話を避けようとするところもお父様と瓜二つですよ」
嫌味は込められてなく、妙に楽しそうに小秋は言った。
図星だった成葉はぎょっとして閉口した。そんな傘士の青年の心の内を読み取ると、小秋はそよ風のように柔らかな微笑みを浮かべ、存在しない自分の左足をさすった。
「……貴方には本当に申し訳ありませんが、わたくしはお父様がお作りになられた足しか要らないのです」
少女が虚空を見下ろす先に、美しい白い手が宙を撫でていた。成葉はその手をただじっと眺めた。
*
それは小秋との初回契約を終えた日のことだった。
屋敷を後にした成葉は、同僚の男と共に立ち食い蕎麦を食べてから、会社の寮に戻った。寮はブランデル愛知支社の建物から徒歩三分ほどの場所にある。
配達員の同僚は、往復に使用した配送用の車を会社に戻してくると言って、成葉を寮近くで降ろして去っていった。
その頃にはすっかり雨は止んでおり、夏が少しだけ混ざった暖かな秋の日差しが雨上がりの街全体を照らしていた。
ひとりで先に自室に帰ろうと、寮のアパートへ歩いていた成葉は、出入口に見覚えのある人物を見つけた。彼は成葉のことを視界に認めるなり、軽く手を挙げた。台風や豪雨災害時に傘士が纏う重装備の耐雨外套を装着しているようだが、フードは外して顔を出している。津吹だった。成葉は慌ててそちらへ駆け寄った。
「支社長。お疲れ様ですっ。何されてるんですか、こんな所で」
「お疲れ。成葉を待っていたんだよ」
「私をですか?すみません……帰りに昼食を挟んだので遅くなりました」
「いいんだ」
津吹は成葉の肩をぽんと叩いた。彼の笑顔は、あたかも息子を優しく労う父親のそれだった。
「支社長、その格好は?」
「久しぶりにこの装備で雨の中を歩いてみようと思ってな。会社から歩いてきた。俺は腐っても傘士なんだなと改めて実感した──残念ながら雨は止んでたけどな」
豪快に笑ってみせる津吹に、成葉もつられて相好を崩した。
「それで首尾はどうだ?」
津吹とのとりとめのない無駄話に嬉しくなったが、すぐに仕事の話に舵を切られた。成葉は表情が暗くなりそうになった。
小秋の件だろう。どうして事前に通達がなかったのか、なぜ周りには秘匿しているのかなど、津吹に聞きたいことはたくさんあったがそれは後回しにする。鞄を開けて、彼女に記入してもらった契約書を手にすると、津吹へ渡した。契約書は無論ひとつだけだ。
「血液の定期配送契約は大丈夫でしたが……申し訳ありません。義足は駄目でした。支社長がお作りになられた物しか装着しないと、お客様が一点張りされていまして……」
屋敷にて、義足のパーツカタログを並べてまで強く勧めたのだが、結局は小秋の心が動くことはなかった。とりあえず次回までにまた考えておくよう言い残してから、成葉は血液の契約だけ持って帰ってきていたのである。
「やっぱりか」
「……?あ、それで──支社長が次の出張からお帰りになるまでは私の義足を使ってはどうでしょうと提案したのですが、断られてしまいました」
「お帰りになるまで?まるで出張から戻った俺が改めて義足を作るみたいな言い方じゃないか」
「はい?出張の関係で義足を作る時間が取れないから一時的に私に任せた……ということではないのですか」
二人は顔を見合せた。かつてのような身長差はなく、視線がほぼ同じ高さで並ぶ。
一瞬の沈黙の後、津吹はため息をつくように苦笑する。
「いいや?はじめから作る気はないが。あらかじめそれを言ってしまうと、あの子は俺以外の傘士の派遣を拒みそうだから、成葉には俺の助手として名乗るようにさせたんだ。それも失敗だったみたいだが」
「なるほど……そういうことだったんですか」
なるべく冷静に、さも分かったように答えたが、津吹が何を考えているのか成葉にはまるで理解できなかった。
「なにか新しい手を考えなきゃならんな。参ったな、まったく──」
小秋の話によれば、津吹は病室に一度も見舞いに来なかったという。それに加えて出張関係なく、彼には義足を作る意思はないらしい。
一人娘が吸血鬼化し、しかも義肢を制作する仕事に就いている親が、こうまでして子供に関心を寄せないことに事情がないとは思えなかった。そこに部外者たる自分が踏み込んでまで介入すべきなのか。成葉は判断に困ったものの、小秋の沈んだ瞳と彼女の母親の静かな笑みがまぶたの裏に通り過ぎると、意を決して発する。
「支社長。どうしてそこまでお客──いえ、お嬢様に関心を払われないのですか?」
タイミング悪くその声に重なって、寮の駐車場へ一台の車が入ってきた。タイヤがばしゃりと周囲の水たまりを引き裂く。
津吹がその車の方に目をやった。車にはブランデル社のロゴがペイントされている。どうやら迎えの車らしかった。
異議とも詮索とも受け取れそうな質問が聞こえていたのかは定かではないが、津吹はさきほどの要領で、成葉の肩にぽんと手を置いた。
「午前勤務とはいえ、本当は休日だったんだろう?ご苦労様」
分厚い手袋に覆われた津吹のその手は、子供の頃に自分を抱えてくれたあの優しい手だった。成葉は何も言えず、黙って会釈するように頷いた。
これ以上、自分が追求すべきことではなさそうだった。津吹にも何かしらの事情があるのだろう──。そう自身に言い聞かせた成葉は沈黙をもって引き下がった。
「この書類の後の記入はこちらでやっておくよ。そうだな……一応は希少血液だし、人手もなさそうだから、あの子への血液の受け渡しは配送課じゃなく君に任せる」
「私にですか?」
「ああ。義足の件もなんとか頼む──。じゃあ俺はそろそろ行くから、またな成葉」
いつの間にか駐車場へ降りていた運転手が、車の後部座席の扉を開けて待っていた。津吹が乗り込むなり、車は成葉を気にも留めない様子で出ていった。
「……私にどうしろというのですか、支社長」
視界に映らなくなるまで車を見送ると、成葉は独り言を呟いた。
*
屋敷には絶えることなく雨が降っている。雨脚が強くなってきていて、壁や屋根を打つ音が低く室内に響いていた。
どうにかして小秋に義足の制作を承認してもらおうと考えていた成葉だったが、津吹が作らないと悟られてしまったので話を進展させられなかった。小秋は根っから興味がないのだろう。実の父親以外の傘士と、義足には──。
「そう落ち込まれなくてもいいではありませんか」
欠けた左足を確かめるように撫でていた小秋が言った。成葉は顔を上げる。
「貴方は義足を作ることで誰かを助けられるのでしょう?今回のことで言えば、その誰かが単にわたくしではなかった──それだけの話なのですから」
「……おっしゃる通りかもしれません」
成葉は沈みそうな声で返した。
腕時計に視線を落とす。小秋の身体に輸血後のショック反応はなかった。一時間が経過して問題がなければ、吸血鬼の経口輸血は成功だ。
津吹からの特命とはいえ、傘士としてここに来ている以上、様子見の時間を超過した長居は無理だった。
けれど輸血のみの関係になれば、今後、この屋敷に住まう小秋とは全血製剤の定期配送の期間である二ヶ月に一度のみの関係となる。成葉はそれが嫌だった。もし制作の件が通れば、しばらくの間は会える回数が増える。津吹の期待に応えることもあったが、成葉にとって、この件は自分の欲を満たすためにも必要だった。
もっと、少女の近くにいたかった。津吹の妻──今は亡き彼女の娘のそばに。
成葉はソファから腰を上げる。
「紅茶、ご馳走様でした。お客様のお体の様子も問題ないようですので、私は社に戻ろうかと思います。ですがその前に一点だけ訂正をさせて下さい。さきほど私は……お客様がご指摘されたように、嘘をつきました」
「分かっていますわ。貴方はお優しい方ですのね──お父様がわたくしなんて眼中にもないことを隠してくださったんでしょう?」
「否定は致しませんが、私が訂正したいのは別のことです」
「あら?では、なんでしょうか」
「お客様が質問されたことについてです。私が執拗に義足を勧めるのは、それが仕事だからか、それとも支社長からの頼みだからか……この返事に私は両方だと見栄を張ってしまいました」
苦笑も交えず、やけに真面目に語る成葉を前にして、小秋はくすりと微笑する。
「もしかして両方とも違ったのですか?」
「そうなります……が、この二つの思いが全くないと言えばそれこそ嘘になります。本当はもうひとつの考えが私の中では強くありました」
「もう、焦らす方ですのね。はっきりとおっしゃってください」
「お嬢様には何不自由なく幸せで、笑顔でいてほしいのです」
成葉は思い切って本音を漏らした。
数秒、その言葉を
「……お帰りになるのでしょう?玄関までお見送りしますわ」
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