第2話 嘘

どれだけ逃げただろうか? もうバテバテで汗だくだ。私は走るのをやめ、歩いて坂道を登る。すると、手水舎ちょうずやが見えた。ここは大きめの神社のようだ。遠くには境内も見える。私は手水舎の柄杓ひしゃくで水を1杯飲み、少し離れた石畳にペタンと座り込んだ。

ハッキリとは分からないが、5万円ぐらい盗めたと思う。だが、それで1ヶ月しのいだからといって、何だと言うんだ。ただ、それだけの為に悪人の仲間入りをしてしまった……。

私は遠くに見える境内に向かって、半土下座のような体勢で、今日の悪事を懺悔ざんげした。そして、立ち上がろうとしたその時。

「どうかされましたか?」

不意に後ろから声を掛けられ、心臓が止まるかと思った。私は振り向きざまに言う。

「ちょっとコンタクトを落としてしまって……」

「そうなんですか、一緒に探します」

「あ、ありがとう……」

そこには学生服に学生カバンを持った高校生に見えるガタイの良い、彫りの深いイケメン男性がこちらを見ていた。走ってきたのだろうか? 随分と息を切らしている。黄色い名札には『屋敷』と書かれてある。屋敷君はカバンを石畳に置き、両手をついて顔を地面につけるように、有りもしないコンタクトレンズを探しだした。


何かごまかさないとと思い、咄嗟とっさについた嘘……。確かに、コンタクトレンズを探しているような体勢ではあったが、窃盗をした懺悔後の気を抜いた瞬間だった為、自分でも信じられないような訳の分からない嘘をついてしまった。だが、言ってしまった手前、一応探さないといけない。まあ、5分程度探して『諦めます』と言えば良い話だ。


「無いですねぇ~」

屋敷君は探しながらつぶやいた。

「そうなんです。もうちょっと探して無ければ諦めます。迷惑かけますし」

「いえいえ、大丈夫です。俺、ゼンコウ日記ってのをつけてるんですよ」

「ゼンコウ?」

「善い行いで善行です」

「ああ、なるほど」

「善行を箇条書きにして書くだけなんですけどね。だから、この事も日記に書きます」

屋敷君は少し笑いながら言った。私達はしばらく無言で探し、また、屋敷君が話す。

「そう言えば、さっき引ったくり事件があったらしいですよ」

「へ~、そうなんだ」

私はビックリしたものの、冷静さを保ちながら言った。1度は引いた汗が、再度噴き出してくるような気持ち悪さを感じた。彼女は叫んだりしなかったので、直ぐには大事おおごとにならないと思っていたのに、偶々たまたま出会った屋敷君が、引ったくり事件を知っているなんて……。既に警察が集まったりしているのだろうか?

「この辺でそんな事件、あんまり聞かないですよね?」

「そうだね。屋敷君ありがとう。もう諦めるよ」

「え? ……あ……後ちょっとだけ探しませんか? 乗り掛かった船なんで、見付けられなかったら気持ち悪いですから」

「そう? ありがとう」

私は礼を言いながらも、本音は辛い気持ちで一杯だった。こんな心の綺麗な少年に有りもしないコンタクトレンズを探させるなんて……。探す時間、心臓を少しずつ握り潰される感覚が続いていたところ、屋敷君が話し掛けてくる。

「お兄さん、性格良さそうですね」

屋敷君は、有りもしないコンタクトレンズを探しながらなので、私の方も見ずに突拍子も無い事を言ってきた。引ったくり犯にそんな事を言うなんて的外れもはなはだしい。

「え? そんな事無いよ。何で?」

「俺、顔を見れば大体分かります。人相学って言うんですか? 俺、今は、こうして善行を心掛けてますけど、昔、悪さばっかりしてたんですよ。だから、周りは不良バッカリで……。でも、不良の中でも改心する奴としない奴が居て……。そいつらを見てきたからですかね? 何となく、分かるようになってきました」

「でも、私なんて大した人物じゃないよ」

「もちろん、悪事を全くしない人間なんて居なくて、改心出来るかどうかだと思うんです。お兄さんは、それが出来る人だ」

「ハハハ、そうかも知れないな」

私は乾いた笑いでごまかしたが、屋敷君の一言一言に心臓を締め付けられる……。私の心臓を握っているのは屋敷君なんじゃないのかという錯覚まで感じられた。彼とこれ以上話をするのは耐えられそうにない。

「屋敷君ありがとう。そろそろ諦めようか」

「そうですか、分かりました」

私はスッと立ち上がり、屋敷君に一礼をすると、逃げるようにその場を去り、来た坂道を下る。

もう、あの場所におばさんはいないだろうか? 会って謝りたい。いや、引ったくり犯が戻ってきたら恐怖でしかないだろう。先ずは警察に行くのが筋だな。

大通りへ出て、しばらく歩くとコンビニの看板が見え、その隣に交番が見えた。

屋敷君の言う通りだ。誰にだってあやまちはある。改心出来るかどうかが重要だ。そもそも、借金でマイナスのスタートなんだ。これ以下は無い。

私は悪事を働いたにもかかわらず、清々しい気持ちで胸を張って交番に入り、引ったくりの一部始終を警官に話した。

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