IF タフネス ~タフなわたしは悲観しない~ 4

 ジャスパーとの二人暮らしに慣れてくると、夏が近づいてきて私は九歳になった。

 寺子屋のような役割をしているメンヒシュミ教会へ行く気はあるかと聞かれたので、読み書きはできるようになりたいと伝える。

 家でジャスパーに日本語を教えているのだが、私がこの世界の文字を読み書きできない、ということで多少の不便を感じていたので、丁度いい。

 

 メンヒシュミ教会へ通い、少し文字が読めるようになってくると、あることに気が付いた。

 紐に通して首から下げていた両親の結婚指輪には、内側に名前が彫られている。

 サロモン・ベルトラン・カンタール、と。

 

 ……長い名前は貴族の名前、だっけ?

 

 メンヒシュミ教会で習った授業の内容を思いだしながら首を傾げる。

 貴族の名付けの法則は、本人の名前、家長の名前、家(もしくは領地)の名前となる。

 前世の日本とは違い、神王を偽った妻の神話が元で、跡取りとしては男性よりも女性が望ましいとされていた。

 このことから、本人の名前の次に来るのは、女性の名前であることが多い。

 

 ……まあ、お父さんの家は家長がお祖父じいちゃんみたいだけど。

 

 はて? と『ベルトラン』という名前に引っ掛かりを覚えたが、気付かないふりをする。

 今はどこかで聞いたことがある気のする祖父の名前よりも、父の名前についてだ。

 

 『サロ』と名乗っていた父の名は、本当は『サロモン』といったらしい。

 そして、てっきり母の指輪だと思っていた木製の指輪には『クリスティーナ』と名前が彫られている。

 もしかしなくとも、この木製の指輪は私の指輪だったのだろう。

 『ティナ』は『クリスティーナ』の愛称だ。

 

 ……よし、気付かなかったことにしよう。

 

 誰かに見られたら面倒ごとに発展しそうだ、と父の指輪を服の中にしまう。

 とりあえずは、これまでと変わらない扱いでいいだろう。

 今日までだって、首から下げて服の中に隠していた。

 

 

 

 

 

 

 ……なーんて思っていたんだけどね!

 

 虫の知らせとはまた違うと思うのだが。

 気になって確認したあとにかぎって、それは起こる。

 

 ……テオのアホ。次会ったら絶対絞める。

 

 この場合のテオは、テオはテオでもロイネの息子のテオではない。

 メンヒシュミ教会に悪童として君臨していた(過去形)テオだ。

 

 悪童のテオにはメンヒシュミ教会へ通い始めたその日に悪戯を仕掛けられたので、その場でやり返した。

 家に帰ってからジャスパーに報告したら無言になっちゃったぐらいには、徹底的に。


 テオの妹のミルシェが泣きながら謝ってきたので、こちらへも叱っている。

 悪いのはテオなので、妹が謝るべきではない。

 むしろ、妹が謝るからこそ、兄は反省しない子どもになったのではないか、と。

 

 以降、なぜかミルシェには懐かれ、テオからは遠巻きにされている。

 

 テオは正面からでは私に勝てないと悟ったのか、近頃では背後からボコリと私を殴って逃げていくようになった。

 もちろん、殴られて黙っている私ではないので、すぐに捕まえて泣くまでボコしかえす。

 あまりうるさいようなら本気で対策を練る必要があるが、今のところは少し乱暴な八歳児の悪戯程度、という認識だ。

 拳には拳で返礼をしているので、それほどストレスはたまらない。

 ただ、導師アンナから私まで問題児扱いされていることだけは、少し納得がいかなかった。

 

 そして、本日のテオからの攻撃が、後ろから指輪の通された紐を引っ張る、というものだった。

 殴ってこなかっただけ進化したのか、首を絞められただけ悪化したのか、は判断に困るところである。

 

 さすがに首が絞まっては命の危険があったので、普段は『パー』のところを『グー』で殴った。

 首を絞めることの危険性についてを懇々と(拳で)諭すと、さすがのテオも反省したようだ。

 普段とは違う様子でしゅんとして謝った。

 テオとは夏が始まってからの長いようで短い戦いであったが、ようやく言葉が通じたようだ。

 

 ……でも殴る。次ぎ会ったら、絶対殴る。

 

 指輪を通した紐は、テオに引っ張られた時に痛んでしまったのだろう。

 いつの間にか紐が切れてしまっていたようで、指輪がないことに気が付いたのは寝る直前の服を脱いだタイミングだ。

 慌てて部屋中を探したが、父の指輪は見つからなかった。

 ではほかの場所か、とアパートの廊下や炊事場を探すが、指輪はやはり見つからない。

 それでは――と翌朝になって家からメンヒシュミ教会までの道を睨みつけるようにして指輪を探し、銭湯までの道筋を探し、商店街を探したが、やはり指輪は見つからなかった。

 

 黒騎士は警察のようなものだと聞いていたので、落し物の情報がないかと聞いてみたところ、数日後に木製の指輪は見つかった。

 つまり、宝石のついた父の指輪はすでに誰かに拾われている。

 そして、木製の指輪だけが黒騎士に届けられたということは、父の指輪は故意に届けられなかった、ということでもあった。

 

 ……ごめんね、お父さん。

 

 父の指輪を失ったことは悲しくて、悔しいが。

 失ってしまったものは仕方がない、と気持ちを切り替えていく。

 

 ……や、さすがに落ち込むけどね。

 

 落ち込むが、あまりに落ち込みすぎたようで、あのジャスパーがついに折れた。

 たまになら自分を養父ちちと呼んでもいい、と。

 せっかくなので連呼したら怒られた。

 解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 日本のような花火大会はないけれど、グルノールのような大きな街では夏に祭りがあるらしい。

 メイユ村では子どもが悪戯をして怒られ、謝るところまでがセットの日、というイメージだったのだが、追想祭というちゃんとした名前のあるお祭りの日だったようだ。

 すっかり悪戯の日だと思っていたので、しっかり養父ジャスパーに悪戯をした。

 ベッドで眠っているジャスパーの額へと、花を搾って作った色水を使って日本語で『ぱぱ』と書いたのだ。

 

 カタカナで『パパ』と書かなかったのは、ジャスパーが私につけた設定を踏まえている。

 悪戯そのあたりには抜かりはない私だ。

 

 私の渾身の可愛らしい悪戯に、ジャスパーは気付いた瞬間に悲鳴をあげ、しかし私に怒ることはなかった。

 私がジャスパーへとした悪戯は、子ども時代にジャスパーが幼馴染とした悪戯と、そっくりそのままの真似っこである。

 以前そんな話を聞いた。

 自分がしたことでもあるので、自分がやられる側になった時に強くは相手を叱れないのだ。

 

 ……そして、そこまで計算にいれて悪戯をする私。

 

 内心でだけのつもりのドヤ顔が、やはり表情おもてに出ていたのかもしれない。

 酸っぱそうな顔をしたジャスパーに頬を抓られた。

 

 ジャスパーはセドヴァラ教会での仕事があるので、追想祭は同じアパートに住む子どもたちと回る。

 同じアパートに住む者同士、懐事情も似たり寄ったりだ。

 近頃はほかの子どもたちもスープ作りに参加しているので、私たちの祭りのお小遣いはスープ代から出る。

 

 ここは家族で住む広さのアパートだと思うのだが、家族と思うには少々疑問の湧く二人組がいる。

 時折黒い制服を着て出勤する姿を見かけるので、職業は黒騎士だ。

 黒騎士が二人で部屋を借りて住んでいる。

 

 ルームシェアだろうか? とロイネに話したら、普通に夫婦では? と言われた。

 この国では同性婚も珍しくないらしい。

 というか、疑問に思う方がおかしい、と不思議がられた。

 さすがは異世界というのか、同性婚はわざわざ『同性』婚と区別して呼ぶものではないのだとか。

 夫婦が異性であろうが、同性であろうが、ここではただの『結婚』だ。

 

 前世との常識の違いに驚いてジャスパーに報告したら、そもそもあの二人は夫婦でも、二人組でもない、と訂正される。

 私が顔を見分けていなかっただけで、二人組と思っていた黒騎士は三人組で、三人揃った姿は見かけないはずだ、と。

 

 ……なんで揃ってる姿は見かけない『はず』なんだろうね?

 

 妙な言い回しだな、とジャスパーの言葉を反芻しながら祭りを回る。

 大通りと中央通りが交差する広場ではメンヒシュミ教会主催の劇が行われていた。

 劇など子どもしか見ないだろう、と思っていたのだが、意外に大人の男性の姿を見かける。

 なにが目当てかは、劇の終盤に差し掛かって判明した。

 正義の女神イツラテル役の女性が、とんでもなく雰囲気のある美女なのだ。

 あれはかぶりつきで見に行く価値があるだろう。

 

 ……あんなところに特等席発見。

 

 舞台正面の直線状にある建物の屋根に、天幕を見つける。

 お金持ちか街の有力者のための席だろう。

 舞台が正面から見れ、人ごみを避けられる最高の物件だ。

 

 特等席など私には関係がないことなので、広場の劇が終ったあとはイツラテル教会へと移動する。

 『教会』と名の付く施設が、その実前世でいう公的施設の役割をしているこの世界では珍しく、イツラテル教会は宗教的な施設だ。

 正義の女神イツラテルを信仰し、祈り、悔悟と改悟を捧げるのだとかなんとか。

 

 ……ごめん。宗教はちょっとピンと来ないんだ。

 

 そんな私が劇のあとにイツラテル教会へと足を運んだのは、テオ(可愛い弟分の方)が行きたがったからだ。

 では、テオは信仰心があるのか、と言えば、これも違う。

 祭りの日のイツラテル教会は、改悟と悔悟を捧げた子どもに飴を配っている。

 テオの目当ては、その飴だ。

 

 指輪を失くしてしまったことを女神像に向かって父へと詫び、イツラテル教会を出る時に飴を貰う。

 飴を舐めながらいつも以上に賑わう商店街と屋台を覗き歩き、テオたちと別れてセドヴァラ教会へと顔を出す。

 ジャスパーの仕事は夕方までなので、このあとは私と夕食を買って帰る予定だ。

 

「……せっかくだ。広場まで行くか」


「劇ならもう終っちゃいましたよ。夜になにかやるんですか?」


 片言を封印し、テオやジャスパーと話しまくったおかげか、近頃は私が言葉を噛むことが減った。

 というよりも、ほとんどなくなった。

 ようやく普通の九歳児の仲間入りだ。

 

 ……体格はまだテオと同じぐらいなんだけどね。

 

 悪童のテオは、悔しいことにちょっとだけ私よりも背が高い。

 可愛い弟分のテオは、僅差で私の方が背が高かった。

 ロイネのテオとは私の方が二つ年上のはずなので、私は本当に背が低いのだと思う。

 

「夜の広場は、砦の主が祭りの閉めの祭祀を行う。そのあと広場では振舞い酒が――」


「お酒を飲みたいんなら、子ども連れてったらダメでしょ、養父とうさん」


 子連れの自覚を持て、と故意に『養父ちち』と呼んでやる。

 そうするとジャスパーは少しだけ嫌そうな顔をして眉間に皺を作った。

 

「宅呑みなら、肴を買ってきましょう。串焼きの屋台は……あっち!」


 昼間覗いた屋台の並びを頭の中で分布図として思い描き、ジャスパーの手を引っ張って歩く。

 手を取った瞬間にジャスパーの手が強張ったが、それは一瞬だけだ。

 私の手を握り返してくることはなかったが、手を振り払うこともせず、させたいようにさせていた。

 

 ……ジャスパーは、手を繋ぐのが嫌い……は違うか。

 

 なにかトラウマのような物があるのだろう。

 ジャスパーは時折こういう反応をする。

 

 ほかに気がついたこととしては、ロイネのテオと私が並んでいる時も、奇妙な表情をすることが多い。

 が、これは私にもなんとなく察することができる。

 ジャスパーには女の子の幼馴染がいたので、その子と自分のことを思いだすのだろう。

 

 あとは、自分が言い出したことなのに『養父とうさん』と呼ばれると頬が引きつる。

 字面的には『実父』と『養父』を区別はしているが、呼び方としては『おとうさん』と同じ言葉だ。

 養父というよりも、父親に対して思うことがあるのだろう。

 手を繋ぐ時に反応を見せるのも、父親繋がりだろうか。

 

 どちらにせよ、私が首を突っこむことではない気がするので、気付かない振りをする。

 私はただの九歳児なので、大人の事情トラウマに首を突っこむ必要はないのだ。

 

 ……あれ?

 

 そういえば、と昼間目をつけておいた屋台へと寄って夕食を買い込みながら気が付く。

 近頃は、前世では成人した大人である、という自覚や自負というものがチラリとも姿を見せない。

 すっかり子どもたちの輪に加わっていても違和感を覚えなくなってしまっていた。

 

 ……いつの間にか『ティナ』になってた。

 

 以前は『前世の私』と『今世のわたし』が半々で混在していたが、今はなんとなく『今世の私』という意識だ。

 前世は前世で、前の生の記憶がある、程度の感覚になっていた。

 

 これはたぶん、ジャスパーの影響だろう。

 

 両親には前世の記憶があることを隠していたが、ジャスパーには隠すどころか、逆に私が転生者であることを見抜かれている。

 見抜かれた上で、前世の私も、今世のわたしも、私は私として受け入れられていた。

 そのおかげで、なんとなく私の中で『わたし』が安定したのだろう。

 ジャスパーには悪いが、手のかからない大人の意識を持った子どもから、大人並みに知恵の回るむしろ性質たちの悪い子どもになった気がした。

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