IF タフネス ~タフなわたしは悲観しない~ 3

「アントンさーん!」


 私の隔離措置は、意外に早く終了した。

 同時に収容されたジャン=ジャックが明らかに病を発症させているのに対し、ワーズ病で滅んだ村に住んでいたというのに、私がワーズ病を発症する様子が潜伏期間の倍を過ぎてもなかったからだ。

 

 今日から自由に隔離されていた部屋を出ていい、というお達しを受けて、私が望んだのはヤギのアントン夫妻との再会だ。

 メイユ村から連れて来たのはいいのだが、グルノールの街へ到着してから一度も様子を見ることができてはいなかった。

 

「にゃんてことだっ!? ジャスパーにょお世話は、完璧らったっ!?」


 セドヴァラ教会の裏庭で久しぶりに再会したヤギ夫妻の様子は、私が世話をしていた時よりも完璧だ。

 体は綺麗に拭かれていたし、それどころか微かに青葉の良い匂いがする。

 聞くところによると乳の出もいいようで、セドヴァラ教会内にある薬師たち用の食堂でヤギ乳を販売もしていたのだとか。

 

 ……これが不労所得。

 

 私が連れて来たヤギだが、世話はジャスパーがしている。

 にも関わらず、微々たる額ではあるがヤギ乳の売り上げは私の小遣いとしてジャスパーが積み立ててくれていた。

 なんというのか、ジャスパーに対してとっても頭が上がらない感じだ。

 

 お金といえば、私の治療費――正確には病への感染疑いありの隔離期間中の生活費だろうか――は国が払ってくれるようだ。

 普通の怪我や病気ではこうはいかないが、今回の場合は伝染病だ。

 お金がないからと治療を放置し、他へと感染を広げるわけにはいかない。

 メイユ村にいる時は国の仕組みどころか、王様の名前すら知らなかったのだが、気になったことは聞けばジャスパーが教えてくれた。

 いつかお金が必要になることもあるだろう、と家を出る際に見つけた両親の結婚指輪を持っているのだが、今のところ換金する必要はないようだ。

 

 ……さて、これからどうしようかな?

 

 父は孤児院を頼れと言っていたが。

 念のためにもうひと月はセドヴァラ教会内に居るようにと言われているし、その後の身の振り方としてはジャスパーに声をかけられていた。

 日本語が読めるという秘密を隠して生きるつもりなら、事情を知っている自分が保護者になる。

 ダルトワ夫妻が目をかけていた子どもなら、自立できる目途が立つまでは、世話をみてもいい、と。

 

 ……転生者が認知されてるとは思わなかったな。それも、日本人の転生者は需要がある、とか。

 

 少しずつ――これも、一度にすべてを話してくれなかったのは、ほかの人間に話を聞かれないタイミングを狙ってのことだろう――ジャスパーが聞かせてくれたのだが、日本人の転生者は探されているらしい。

 昔の偉人が残した薬の処方箋レシピが日本語で書かれているのだとか、なんとか。

 

 ジャスパーの話を聞くかぎりは、どうしても隠しておく必要はない気がする。

 むしろ、必要ならば日本語を読むぐらいはしてもいい。

 そう思うのだが、なんとなくジャスパーの言いつけを守って前世で日本人だった記憶のある転生者だ、とは誰にも話していない。

 ジャスパーの様子を見る限り、私に話していないデメリットが絶対に隠されているはずだ。

 

「きみがティナ・メイユかな?」


「はい、そうれす……って、キラキライケメンきらーっ!?」


 ヤギの背を撫でていたら、背後から知らない声に話しかけられた。

 とくに嫌な雰囲気は感じなかったので素で振り返ったのだが、振り返った先には見たこともないような金髪碧眼のキラキラしい美青年が立っていた。

 こんな美青年、今世では初めて見た。

 前世でなら、テレビや映画で美形を見ることもあった気がするが、今世ではない。

 

 ……イケメンすぎて、目がつぶれる。

 

 アルフと名乗る美青年に若干の苦手意識を覚え、なんとなくヤギのアントンの背後へと逃げ込む。

 ヤギを防波堤に、キラキラオーラが少しでも和らいでくれないものだろうか。

 

「女児にこんなに警戒されたのは初めてだよ」


「……」


 ……そうでしょうね、すみません。

 

 イケメンすぎて近づきがたい。

 私はそう感じているが、世間一般的な女の子は、顔の整った青年とか大好物だろう。

 私はジャスパーぐらいの普通の顔の方が落ち着くが、ひとの好みは、それこそ十人十色だ。

 

「……わたしになにか、ご用れすか?」


 落ち着かないので、さっさと用件を済ませて帰ってもらおう。

 私は久しぶりのヤギに癒されて、ついでにヤギ乳を美味しくいただくところなのだ。

 イケメンオーラに焼かれて疲れたくはない。

 

「砦へとあがってきたセドヴァラ教会からの報告にきみの名前があった。テディたちからの報告にも」


「テディさん……?」


 テディの知人で、ワーズ病の広がりについて報告が行く、となると、アルフは黒騎士かその関係者だろう。

 ということは、用件があるとすれば、報告書への補足説明かなにかだ。

 私とアルフという青年に、ほかに接点になりそうなものはない。

 

「きみからの速やかかつ、細やかな情報提供にまず感謝を。きみの情報のおかげでいち早く病の正体に気づけ、被害は最小限に抑えこめたと思う」


「えっと……お役にたてたのにゃら、よかったれす」


 片言で答えるのと、噛んでも流暢にしゃべるのと、どちらがいいだろうか。

 以前の私なら片言を選択したが、今は違う。

 言葉に困って咄嗟に日本語が出てくるようではマズイ、とジャスパーに指摘され、噛んで言葉が乱れても片言は封印することにしていた。

 

「ジャン=ジャックの感染にもすぐ気付いてくれたようで、感染対策を行ってくれたおかげで黒騎士への被害はジャン=ジャックのみで防がれた」


 ジャン=ジャックの感染に気が付かなければ、まず同行していた黒騎士に感染が広がり、そこから黒騎士の家族、グルノールの街で交流のある友人・知人へと感染が広がり、被害は計り知れないものであった、と褒め言葉が続き、少しむず痒い。

 私としては、誰かのためになにかをした、という意識はない。

 その場、その場で、するべきだと思ったことをしただけだ。

 

「そんな大恩あるきみは孤児だということで、信頼のおける養子先か孤児院を紹介しようとも思っていたのだが……」


 ふむふむ、報告書の補足と伝染病の顛末、私へのご褒美として今後の身の振り方について相談に乗ってくれるということか、とアルフの言葉を頭の中で整理する。

 愛想笑いを引っ込めて淡々と事務的な話をするアルフは初見のキラキラオーラよりも親しみやすい。

 少しだけイケメンにも慣れてきた。

 そう油断し始めたところで、突然爆弾を投下された。

 

「ところで、私は今、子どもを相手にするような話し方はしていないのだけれど――」


 難しい話だったが、理解できているようだね? と確認を込められた笑みで見下ろされ、ギクリと肩を震わせる。

 アルフの顔は綺麗に微笑んでいるのだが、青い瞳の奥が少しも笑っていない。

 こちらを見透かすように、どんな瑣末な嘘も見逃さないとでも言うような、チクチクとした痛い視線だ。

 

「……わ、わたし、こども。むずかちいはなし、わかんにゃいなー」


「うん。全部しっかり理解しているようだね」


 それはよかった。僥倖である。

 自分は子どもと話すのが苦手だ、と微笑むアルフの目は笑っていない。

 本当に笑っていない。

 本当に、多少なりとも整えていたらしい子どもに対する態度は止めたようだ。

 本人の申告はどうあれ、多少幼児わたしに合わせて屈んでいた背筋がまっすぐに伸ばされ、すっきりとした顔をしている。

 

「信頼のできる杖爵家に養父母を用意しよう。転生者なら――」


 転生者なら、のあとどう続けるつもりだったのかは判らない。

 裏庭の外れにある家畜小屋へも聞こえてくるほどのざわめきがセドヴァラ教会内を襲った。

 いったい何事か、とお互いに話を中断し、耳を澄ませる。

 薬師たちはなんらかの一報に大騒ぎをしているようだ。

 断片的に拾えた言葉を繋げると――

 

 ――谷の魔女が。

 

 ――衰弱、死。

 

 ――聖人の秘術が。

 

 ――ワーズ病の薬が、まだ。

 

 ……えっと? 魔女? が衰弱死して、聖人……っていうのはあれか。日本語で処方箋を書いた偉人さん。その薬がまだ足りない、かな?

 

 あれ、まだワーズ病の薬は足りていないのだろうか、と首を傾げる。

 アルフによると、感染の拡大は防げたようなのだが、とてもではないがそんな雰囲気の騒ぎではない。

 いったいなにが、とアルフを見上げると、一瞬前までの貼り付けた微笑が嘘のように消えうせ、変わりの表情はなにもない。

 ただ、顔色は心配になるほど悪いので、この騒ぎは私が思うよりも深刻ななにかなのだろう。

 

 それを裏付けるように、アルフは身を翻して裏庭から去っていった。

 

 ……えっと、助かったって思っていいの、かな?

 

 どこで転生者とバレたのかは判らないが。

 一先ずの追求は去ったようなので、ほっと息を吐く。

 アルフについては、ジャスパーに要相談だ。

 

 

 

 

 

 

 谷の魔女というのは、谷に住んでいる老女の通称だった。

 人間嫌いの気難しい老女で、谷に一人で住んでいるのだとか。

 そんな老女の訃報がなぜセドヴァラ教会を激震させたのかと言えば、彼女が偉人の残した秘術を扱える、現代で唯一人の人だったからだ。

 

 ……いや、そんな重要な人を、しかも老女を、一人で谷になんて住ませたらダメでしょ。

 

 老女であろうと、なかろうと、一人暮らしなんてどんな事故が起こるか解らない。

 重要な役割をもつ人物であれば、なおさらだ。

 現に件の老女は、ワーズ病の薬の材料になる素材を採取しに出かけ、足を痛めたのか森の中で蹲り、脱水症状を起こしているところを発見されたのだとか。

 発見時にはまだ辛うじて生きていたそうなのだが、結局持ち直すことはなくそのまま、ということらしい。

 こうして偉人の残した多くの秘術は失われてしまった。

 

 ジャン=ジャックに処方されていた薬は、件の谷の魔女が作っていたらしい。

 魔女の薬が途切れたことで、なんとか持ちこたえていたジャン=ジャックも容態も悪化させ、そのまま持ち直すことはなかった。

 少し意地悪だが、気のいい男だったと思う。


 最期の様子は壮絶だったようなのだが、誰も八歳児わたしにそれをそのまま伝えることはしなかった。

 ただ、メイユ村で闘病生活中の村人を窓越しに見たり、父の最期を看取っているので、言葉を濁されても察することはできてしまう。

 せめて隔離部屋から出されるところを見送りたかったのだが、私がジャン=ジャックの訃報を聞いた時にはすでに火葬どころか埋葬まで終ったあとだった。

 

 経過観察のために、と留め置かれた一ヶ月間も無事に過ぎると、ジャスパーはセドヴァラ教会の近くに部屋を借りた。

 養子先の押し売りをしてきそうな雰囲気だったアルフ対策だ。

 

 早々に法と秩序を司るソプデジャニア教会――前世でいう役場のような施設だ――で私の親権者となる手続きを行い、ジャスパーはセドヴァラ教会を出た。

 ジャスパー一人ならばセドヴァラ教会の薬師として社宅扱いで教会内に住むことができるのだが、家族も一緒に、とはいかないようだ。

 

 手続きの都合上、ジャスパーは私の養父ということになった。

 せっかくなので一度『ジャスパーお父さん』と呼んでみたところ、盛大に嫌そうな顔をされている。

 どうやら『お父さん』はダメらしい。

 私の実父と一つしか違わないそうなのだが、微妙な気分になるようだ。

 

 ソプデジャニア教会での手続きといえば、未婚のジャスパーが養子縁組をするにあたり、受付の女性からこんなことを説明された。

 見るからに子どもの私に、だ。

 

 このイヴィジア王国において、子どもの売り買いは親権者にのみ認められている。

 が、未婚で、それも親戚でもなんでもない子どもを養子にする場合には、養父母の側にこの権利は発生しない、と。

 

 ……まあ、そうだろうなぁ。

 

 そうでもしないと、犯罪に巻き込まれる子どもが急増するだろう。

 そのぐらいのことは、なんとなく私にも解った。

 

 こんな説明を養父母側ではなく、養父母となる者の目の前で子どもの側にするのだから、牽制の意味合いもあるのかもしれない。

 

 セドヴァラ教会を出るにあたり、ヤギのアントン夫妻はセドヴァラ教会に買い取ってもらった。

 借りた部屋が一軒屋であればまだ飼えたかもしれないが、アパートでは無理だ。

 

 ヤギを売ったお金で生活必需品を買い、古着はジャスパーがお金を出してくれた。

 ヤギのお金は貯めておけ、とも言われたが、あまりなにもかも世話になるのは心苦しいので遠慮しておく。

 

 次の棲家は四階建てのアパートだ。

 一階は大家が営むパン屋で、二階は大家家族の生活スペースとなっている。

 三階と四階の部屋が貸し部屋になっていて、屋根裏は物置だ。

 三階には六つのドアがあり、四階と合わせて十二家族が住んでいるのかと思ったら、違った。

 三階と四階は各部屋で繋がっていて、扱いとしては二階建ての部屋が六つある、ということらしい。

 単身者が借りる部屋ではなく、家族で住む部屋だ。

 

 セドヴァラ教会の部屋からジャスパーの荷物を運び込んだのだが、ジャスパーは薬師といっても、セドヴァラ教会内では学者をしていたらしく、荷物には本が多い。

 あまりの本の多さに、途中で運ぶのが嫌になったのかジャスパーの部屋は三階で、四階は私にまるまるくれた。

 とはいえ、私の荷物はほとんどないので、やはり半分はジャスパーの荷物置き場と化す。

 積み上げた本の塊が、ちょっとジャングルジムのようでワクワクする、というのはジャスパーには秘密だ。

 少しだけ冒険してみたい気もするが、本を踏むのはよろしくないと判っているので、自重する。

 

 街の生活は、村の生活とはまるで違った。

 メイユ村には入浴習慣がなかったが、セドヴァラ教会にはあった。

 伝染病を警戒しての隔離生活であったため、なんと毎日入浴ができる、という贅沢な生活だ。

 

 そして、セドヴァラ教会から出ることになった私のお風呂事情はというと、公衆浴場せんとうの世話になることになった。

 入浴文化は昔の日本人の転生者が根付かせた文化ということで、お金の単位は『シヴル』なのに『銭湯』だ。『シヴル湯』ではない。

 ジャスパーはセドヴァラ教会内の風呂が使えるので、銭湯に用があるのは私だけだ。

 一人で通うには少し不安があったのだが、隣の部屋のロイネさんも銭湯利用者ということで、ジャスパーが私のことを頼んでくれた。

 タイミングが合う時だけでいいので、一緒に銭湯へ連れて行ってほしい、と。

 

 このロイネさん。若いお姉さんなのだが、私より二つ年下のテオという息子のいるお母さんだった。

 テオはちょっと生意気だけど、可愛い。

 アパート共用の炊事場に行くと、大体テオがお腹を空かせている。

 ロイネさんの仕事は夜からなので、昼は部屋で寝ているのを邪魔しないよう、部屋から出ているのだ。

 

 テオと並んで野菜スープを作っているとロイネさんが起きてきて、ささっとスープをアレンジしてくれる。

 私が作ると野菜スープ(塩味)かシチューもどきにしかならないのだが、ロイネさんがアレンジしてくれるとボルシチっぽい赤いスープになったり、香草スープになったりと味が変わるのが素敵だ。

 最初はジャスパーと私の分だけを作っていたのだが、いつの間にかロイネさんとテオの分まで作るようになり、気が付けばほかの住民の分まで量が増えていた。

 材料費をくれたり、時には材料そのものをくれたりとする交流が、少し楽しい。

 

 自炊するのはほとんどスープだけで、パンは大家の店で安く買う。

 おかずはお惣菜というか、外の店や屋台でジャスパーが買ってくる。

 これはジャスパーが独身だからの生活スタイルかと思っていたら、ロイネさんの家も同じだ。

 この世界には、まだガスも電気もない。

 ガスコンロや洗濯機といった便利な道具がないため、前世の日本と家事の一つひとつにかかる時間が違いすぎるのだ。

 そのため、各家庭で料理や洗濯をするのは難しい。

 結果として、日本のように毎食料理を作る家は少なかった。

 屋台等で料理を買い、家で作るのはスープや大皿の一品料理ぐらいだ。

 私とテオの作るスープをアパートの住民が買っていくのも、同じ理由である。

 自分で作るよりも楽で、子どもが作っているわりには不味くない。

 ついでに言えば、店で買うよりも安く温かい、ということもあった。

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