開拓村の少年視点 白梟の精霊と古木の精霊
少し前から村の雰囲気がおかしい。
いつからだったか、はっきりとしたことは判らないが、なにがきっかけだったかは僕でも判る。
村のはずれには古い樫の木がたっていた。
その古木を、畑を広げようとした大人たちが切ってしまったのだ。
村の雰囲気が暗くなったのは、その時からだった。
木陰や畑の
母さんは「病気が移るから近づいちゃダメよ」と言っていたけど、あれは病気ではないと思う。
足が動かなくなったというトムおじさんの右足には黒い木の葉のような痣がついていたし、腕が動かなくなったというフォンスさんの左肩にも黒い痣があった。
木の葉のような痣は、木の葉といっても、葉ではない。
枯れた葉をすり潰して遊ぶと残る、太い茎のような部分だ。
それがちょうど人の手のひらのように見えた。
それも、とても小さな人だ。
……あ、またいる。
古木の根元に、痩せた老人の姿を見つける。
少し前から見かけるようになった、どこかの老人だ。
背は
低い背丈と同じように、手のひらも小さい。
ちょうど、病気で寝込んでいる大人たちについた黒い痣ぐらいの大きさだ。
このことを母さんに伝えると、古木には近づかないように、と怒られてしまった。
父さんに伝えると、父さんは村の集会場に他の大人たちを集めてなにか話し合いを始めた。
集会場から帰ってきた父さんが聞かせてくれたのだが、古木に寄り添う老人については、他所の家の子どもからも話が出ていたらしい。
大人の中にもなにかいる、と気がついていた人はいるようで、父さんもその一人だった。
どうやら村の異変は病などではなく、古木の精霊によるもののようだ。
そう大人たちの中で意見が纏まって、村長よりも偉い人に助けを求めることになった。
病で寝込んでいる村長の代わりにその娘が手紙を書き、昔街で黒騎士をしていたというダンおじさんが村に三頭だけいる馬に乗って手紙を届けにいくことにしたのだ。
「テオはロサリオと家で待っていてくれていいよ」
「やだ。父さんといる」
街から助けが来るまで、とにかく古木と老人は見張っておいた方がいいだろう。
大人たちの間でそういう話になって、交代で古木と老人を見張ることになった。
今夜の見張りは父さんで、月が真上に来たら隣の家のイグニスおじさんと見張りを交代する。
そしたら次は夜が明け始める頃にまた別の人と交代だ。
眠いし、怖いが、見張りは村の男たちの仕事である。
僕もその一人なので、父さんと同じ仕事をすることにした。
……あれ?
眠い目をこすりながら古木の老人を見張っていたのだが、古木のむこう、森の奥に違和感を覚えて視線をずらす。
夜の闇に包まれた月の光も届かない森の中に、一点だけ白い光が見えた。
その光はじっと見つめていると、少しずつ近づいてきているのがわかる。
普通に考えれば怖がるところなのかもしれないが、不思議とそんな気持ちにはならなかった。
怖がるどころか、なにかとても良いものが来てくれた、と胸の中に温かい気持ちが広がったぐらいだ。
白い光は、近くに来るとぼんやりとした影に変わる。
輪郭が判るまで近くにくると、白い光でも影でもなく、一羽の白い
梟と言っても、鳥の梟ではない。
二本の足で立つ女性が、梟を象った白い外套を着ていたのだ。
「とうさ……」
あれは誰だろうか。
そう父さんに聞いてみようと横を見上げたら、大きな手で口を塞がれてしまう。
静かに、ということだろう。
白い梟の登場に一瞬忘れてしまっていたが、僕と父さんは古木の老人を見張っていたはずだ。
老人に気付かれないように、声は出さない方がいいのかもしれない。
ポカンっと口を開いている父さんから、視線を白い梟へと戻す。
梟の
その輪郭から、嘴の下にはとんでもない美女が隠れていることがわかった。
……なにか抱っこしてる。赤ちゃん?
白梟の美女は、羽の内側に白い包みを抱いている。
抱き方と大きさから察するに、赤ん坊だろう。
女性が抱いている赤ん坊となると、白梟の美女の子どもだろうか。
白梟の美女が口を開くと、古木の老人が驚いて飛びあがった。
ずっと蹲るように座っている姿しか見たことがなかったのだが、立ち上がった背はやはり僕よりも小さい。
小さな老人は白梟の美女と少し言葉を交わすと、切り株を指差しながらわんわんと泣き始める。
そんな気はしていたが、やはりあの古木が切られたことが、老人がこの村へとやってきた理由だったのだろう。
白梟の美女は古木の老人を慰めるように肩を叩いたあと、切り株から少し距離を取る。
それから白い衣の裾を持ち上げて、今度は切り株の周囲をぐるりと一周歩いた。
……なんだろ?
白梟の美女の足跡から、白い光が生まれる。
いったい何が起こっているのか、と白梟の美女を見つめたまま動かなくなってしまった父さんの腕の中から逃れ、近づいて足跡を覗き込む。
白梟の美女には重さがないのか、足が土に沈んだ足跡はできていなかったのだが、その代わりのように足の形をした白いキノコが地面に並んでいた。
「うわっ!?」
不思議なキノコだ、面白い。
そうつい指で突いてしまったのだが、それがまずかったらしい。
キノコに触れた僕の指からもキノコが生え始め、それはあっという間に指から手のひらへと広がる。
指の数よりも増えたキノコに、慌てて逆の手でキノコを払い落とすと、今度は逆の手からもキノコが生えてきた。
「わわっ!? なんだコレ? なんだコレっ!?」
助けを求めて父さんに振り返ると、父さんはまだ固まったままだった。
視線は白梟の美女に固定されたままで、しかしその視線は僕のすぐ後ろにある。
少しだけ困ったような響きの声が背後から聞こえたかと思ったら、白い手が僕の手に生えたキノコを払い落としてくれた。
「子どもが好奇心の塊だってことは知ってますけど、考え無しに何にでも触るのは危ないと思うよ」
これで全部取れたかな? と言って白梟の美女は赤ん坊を抱いていない方の手で僕の手を検分する。
あっという間もなく指の先から手のひらへと広がって生えたキノコは、もうどこにも生えてはいなかった。
触れるだけで増えたキノコだったが、白梟の美女の手には生えていない。
どうやら僕の手にしか生えないキノコだったようだ。
視線をずらすと、白梟の美女の背後で、古木の老人が笑いを噛み殺しているのが見えた。
僕の失敗が、古木の老人には面白かったらしい。
「……さて、全身キノコにょきにょき病の治療費代わりに、きみには伝言を運んでもらいます」
「でんごん? 誰に? 父さん?」
父さんならすぐそこにいる、と振り返って父さんを指差すと、白梟の美女は笑う。
父親でもいいが、もっと村の偉い人がいい、と。
「長老さんへの伝言をお願いします。胸に精霊の手形を付けられて、病に苦しんでいるはずだと思うんだけど……」
「あ、そのちょうろうさん? ならわかるよ。村長さんだ」
「では、その村長さんに伝言をお願いします」
白梟の美女の話は、父さんが話してくれるお話よりもわかりやすかった。
大人たちの言葉よりも、子どもたちの言葉に近い言葉で話してくれたからだと思う。
白梟の美女によると、古木の老人はやはり古い樫の木の精霊だったようだ。
老人の姿をしているように、ほとんど枯れかけていたので、自分が切り倒されたこと自体には怒っていなかったらしい。
むしろ、自分を切ってできた材木で神王に献上する家具を作れ、と白梟の美女に売り込みをかけるぐらいには、材木としての自分に自信があるようだ。
では、なぜ村に病を撒き散らすようなことをしたかというと、切り株を取り除こうとしたことが原因だったらしい。
切り株のすぐ横に、細い小さな若木が生えていたのだ。
「枯れた自分が除けられるのは世の道理かもしれないが、生まれたばかりの若木が殺されるのはしのばれないんだって」
「しの、ばれ……?」
「……生まれたばかりの弟や妹が死ぬのは嫌だ、ってこと」
「それはだめだね。いもうとは守らないと」
「うん、だからね……」
弟妹は守らなければ。
それが先に生まれた兄や姉の役割である。
そう胸を張って答えると、白梟の美女は僕の頭を撫でてくれた。
白梟の美女に抱かれた赤ん坊には、弟や妹がいるのかもしれない。
兄の心構えとして、白梟の美女の琴線に触れたようだ。
「樫の木のお爺さんは、若木を守るためにこの場所を動きたくないんだって」
だから、自分の足跡で囲んだ範囲の開墾は諦めろ、と白梟の美女は言う。
畑には出来ないが、その代わり、周囲にできる畑での仕事に疲れた時に、この場所に座って休憩をとればいい、と。
そうすれば、古木は命のある限りこの村を守ってくれるし、古木が枯れたあとは若木がその後継として村を守護してくれるのだとか。
「……というお話を、村長さんに伝えてください」
こちらは自分からの『お願い』ではなく、精霊との『契約』である、と言って白梟の美女は話を結んだ。
村長からの返答は必要なく、伝言を伝えた時点で契約は結ばれ、村長の病も治るだろう、とも。
伝えるだけならば、と伝言役を引き受けると、白梟の美女は唐突に姿を消した。
現れた時のようにゆっくりと去っていくのではなく、本当に突然だ。
たった今まで目の前にいたはずの美女に、幻だったのか、と目をパチパチと瞬かせて首を捻る。
どうにも信じられない気持ちで後ろにいた父さんを振り返ると、父さんも正気に返ったようだ。
僕と同じように瞼をパチパチと開いたり、閉じたりと繰り返してから、慌てて僕を抱き上げた。
見張りを早めにイグニスおじさんと交代すると、その足で父さんに背負われたまま村長さんの家へと運ばれる。
夜も遅い時間だったので、明日でもいい気はしたが、村長の容態的にも早く伝えた方がいいだろう、と父さんが判断したのだ。
真夜中だというのに、村長の家のドアを叩いて家の人を叩き起こし、説明もそこそこに病床の村長の枕元へと連れて行かれた。
村長に白梟の美女からの伝言を伝えると、胸を苦しげに押さえていた村長の呼吸がふと軽くなるのがわかる。
それまで脂汗を浮かべていたのが嘘のように引っ込み、三度瞬く頃にはケロリとした顔つきに変わっていた。
白梟の美女が言っていたとおりになったのだ。
朝になって、村長に連れられて古木を見にいくと、古木の周囲には昨夜見たとおりに足跡の印が残っていた。
昨夜は確かにキノコだったのだが、白梟の美女の足跡は、不思議なことに艶のある白い石に変わっていた。
見張りの途中で居眠りをした僕と父さんのみた夢ではなかったのだ、と証明された数日後。
街へ助けを求めに行っていたダンおじさんが、五人の黒騎士を連れて村に戻って来た。
黒い鎧の騎士は『黒騎士』だ、と聞いていたが、騎士のうち一人は『精霊の騎士』という少し違った騎士らしい。
父さんたちは何が違うのか、と首を傾げていたが、僕には違いがすぐにわかった。
精霊の騎士の肩には、精霊が座っていたからだ。
「陳情のあった古木を調べに来たのだが――」
そんな出だしで始まったのは、大人たちの難しい話だ。
何故そんな大人たちの話の場に僕が呼ばれたのか、と不思議に思いつつも頑張って『大人の会話』に耳を傾ける。
白梟の美女は僕にもわかるように言葉を噛み砕いてくれていたのだが、この大人たちはダメだ。
自分たちにわかる言葉でだけ話していて、僕にはさっぱり意味がわからなかった。
頑張って話を聞いてみたのだが、難しい言葉ばかりだ。
「テオ……この子の名ですが。テオが古木の精霊と白梟の精霊の話を聞いていたそうです」
白梟の美女の話を村長がそのまま黒騎士へと伝え、時々確認をするように僕へと黒騎士たちの視線が降りてくる。
聞かれるままに答えてたのだが、どうやら白梟の精霊が古木の精霊と話を付けてくれたらしい、と話が纏まりかけたところで、それまでほとんど黙ってなりゆきを見守っていた父さんが口をひらいた。
「……ああ、そうだ! やっと思いだした」
あの子だよ、あの子。
精霊じゃない、人間の女の子だった、と言って父さんはすっきりとした顔をする。
あの夜以来、なにか考え込むように押し黙ることが多かった父さんだったが、ようやくすっきりとしたらしい。
「前にグルノール砦で見た女の子だ。ほら、慰霊祭で案内をしていた……」
随分綺麗になっていて驚いた、と言う父に、黒騎士は思い当たる人物がいるのか納得顔をして、村長の娘は父に食いつく。
ティナちゃんが遊びに来たんなら、なんで引きとめなかったのか、と。
『ティナちゃん』という名前は知っている。
街に住んでいたころ世話になった女の子だ、と母さんや村の大人たちの話に時々あがる名前だからだ。
「まあ、クリスティーナ様が来たってんなら、ホントにもう大丈夫なんだろう。一応
「クリス……誰だ? あれはティナちゃんだろう」
「そのティナちゃんが、クリスティーナ様だよ。今はご領主様の奥方をやっている……」
「逆じゃないか? クリスティーナ様が領主で、テオドール様がその婿だろう?」
「いや、グルノール領主はテオドール様だから……」
ああでもない、こうでもない、といよいよ大人たちの会話が混乱してきたので、そっとその輪から抜け出す。
村の大人たちが大好きな『ティナちゃん』の近況は、なかなか複雑なようだ。
父さんを村長の家に残して、自分だけ家に戻る。
道すがら、黒騎士たちの話は終わったのか、と村人に話しかけられたので、「話は終わった」「今は『ティナちゃん』の近況で盛り上がっている」と答えておいた。
こう答えると、肩に担いでいた農具を放りだして大人たちは村長の家へと向かうのだ。
どうやら大人たちは『ティナちゃん』の近況が気になるらしい。
途中から面白くなって、話かけられる前に黒騎士が『ティナちゃん』の近況を村長に話している、と大人たちに話して聞かせた。
失敗だったのは、母さんにまでこの話をしたことだろう。
母さんまで村長の家へと『ティナちゃん』の近況を聞きに行ってしまい、両親の帰宅を腹ペコで待つことになった。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
モブ視点のその後のティナです。
こんな感じに、いつか御伽噺の住人になっていくのかな、と。
テオはよくある名前(作中設定)(考えるのが面倒だっただなんて本音は黙ります)
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