アンシェリーク視点 家出王女と精霊領の子どもたち 3

 みんなで作ったサンドイッチで昼食を済ませる。

 自分も作るのを手伝ったからか、新鮮ないい野菜と卵を使っていたのか、これまで食べたサンドイッチの中で一番美味しいサンドイッチだった。

 クピクピと白い髭を作りながらヤギのミルクを飲むティナを見守っていると、ティナの肩に乗っていた小さな女の子がふいに顔をあげ、窓の外を気にしはじめる。

 つられてそちらへと視線を向けると、タローとジローの黒髪が見えた。

 

 ……なんで隠れてるの?

 

 タローとジローは、二つとはいえ歳の離れた兄弟とのことだった。

 私の家も、伯父や伯母たちの産んだ従兄弟たちが多いので判るのだが、小さな子どもというのは一年の差が大きい。

 二つ離れているタローとジローは、はっきりと身長が違った。

 にもかかわらず、窓から見える黒髪の高さは同じだ。

 ということは、タローが意図的に腰を屈め、窓から隠れているということになる。

 

「タロー様とジローは、どうして隠れていますの?」


「へっ!?」


「うにゃ?」


 思った疑問をそのまま口から出しただけなのだが、クリスティーナは視線を泳がせ、ティナはきょとんっと瞬いた。

 種類の違う反応をした二人だったが、クリスティーナは何ごともなかったかのようにティナのコップを持ち、ティナはクリスティーナに掴まるより早く椅子を蹴って窓辺へと突撃する。

 その勢いに、ティナの肩から小さな女の子の姿をした精霊が転がり落ちた。

 

「ティナもっ!」


「うわっ!?」


「気付かれたか……」


 勢いよく窓を開けると、ティナはそのまま窓枠を乗り越える。

 危ない、と止める間はなかった。

 本当に一瞬の行動だ。

 ティナは窓枠を越えたかと思うと、ほとんど襲い掛かるような勢いでタローへと飛びつく。

 タローの方はティナのこの突飛な行動に慣れているのか、難なく妹の体を抱きとめていた。

 

「ティナも! いく!」


「えぇー? ティナはお昼を食べたあとは、いつもお昼寝しちゃうだろ?」


「置いていった方が楽……」


 すぐに昼寝をする妹を、遊びに連れ出すのは面倒くさい。

 ジローが言いたいのは、そういうことだろう。

 伸び伸びとしたジローの発言に、タローはそっと目を逸らし、ティナの頬は丸く膨らむ。

 

「ティナも! いく! のっ!」


 行くの、と言って大声で泣き始めるティナに、ジローは両手で耳を塞ぐが、ティナを抱きとめたタローの両手は塞がっている。

 結果として、至近距離で大声を上げるティナの泣き声を聞かされることとなったタローは、災難以外のなにものでもない。

 

「……タロー様、ジロー様、これはもう、諦めて一緒に連れて行かれてはいかがでしょう」


 子守ならいるので、途中でティナが寝てしまっても大丈夫だ、と女中メイドがティナの肩から落ちた精霊を運ぶ。

 精霊は女中の手のひらからティナの頭の上に飛び移ると、宥めるように頭を撫で始めた。

 それだけでなんらかの不思議が起こったのか、ティナの泣き声が小さくなる。

 タローの代わりにタローの耳を塞ごうかと周囲に寄ってきていた精霊も、ホッとしていた。

 

「シェリーも一緒に行っておいで」


「わたくしも、ですか?」


「街にはシェリーと『同じ』で『違う』子たちがいるから」


 『同じ』で『違う』とはなんだろう? と首を傾げる。

 疑問に思っている間に、クリスティーナの中で私の同行は決定事項になっていたようだ。

 帽子掛けが自分の足でやってきて、私の帽子を頭の上へと載せてきた。

 

 

 

 

 

 

 私も行くなら、ということで、タローが一度裏庭へと戻る。

 裏庭には物置があったようで、小さな荷車を押して戻って来た。

 

 ……荷車って、馬や驢馬ろばが引くものだと思っていたのだけど?

 

 どうやらこれは私が物知らずだっただけらしい。

 タローが物置から押して来た荷車は、馬にも驢馬にも引かれず、ひとりでにコロコロと道を進む。

 タローが押していたのは最初だけで、荷台に私とティナ、ジローを乗せると、最後にタローも荷台に乗った。

 あとはコロコロと荷車がひとりで走り始めている。

 

 ……ローが楽しそうなのだわ。

 

 頭上を見上げると、白梟ローが翼を広げて空を飛んでいた。

 気持ち良さそうに白梟が飛んでいることを思えば、荷車はけっこうな速さで走っているのだろう。

 ひとりでに走る速度の早い荷車に乗っているというのに、不思議と恐怖はなかった。

 

 

 

 

 

 

「……うわぁ。たてものがいっぱい! わたくし、街は初めてですわ!」


 荷車は順調に森の中を進み、十五分もすると開けた場所に出た。

 森の中の開けた場所というよりは、はっきりとした街だ。

 大小様々な建物があって、奥には城まで見える。

 

「街といっても、住んでるのは精霊と子どもだけだけどね」


 ついでに言えば、人間の子どもよりも精霊の数の方が多い、とジローが指差す先を見る。

 指差す先にあったのは、パン屋だ。

 店先にかかった看板には『黄金のスプーン亭』とレストランを示す絵と文字が書かれているのだが、漂ってくるのは焼きたてパンの良い匂いなので、パン屋としか思えない。

 わらわらと精霊が溢れる店内で、私より少し年上の男の子が働いている。

 焼きたてのパンを両手で運び、棚へと商品を詰めているのだが、詰めるそばから精霊がパンを買っていた。

 精霊といえば、人間の常識が通じない、ちょっと付き合うのが難しい存在だという認識をしていたのだが、ここの精霊は買い物をするという概念があるようだ。

 パン屋の男の子へと何かを手渡し、パンを受け取っていた。

 

「さっき食べたパンは、あの店のパンだよ」


「サンドイッチのパンですね。とてもおいしかったです」


「じゃあ、あとでそう伝えよう。きっと喜ぶよ」


 パン屋の少年は、親のパン作りを見よう見真似で再現しているらしい。

 しっかりとパン作りを教わったわけではないので、日々試行錯誤を繰り返しているのだとか。

 

 子どものうちから、それも商品であるパンを試行錯誤の段階から売り物にし、それが商売として成立しているだなんて少し妙な気がする。

 疑問をそのまま伝えたら、タローは困ったような顔をした。

 パン屋の少年は、実家のパン屋を継ぐ前に、正式な修行を積む前に、家を出てこの街に来ることになってしまったので、少し妙でも仕方がない、と。


「それにしても……?」


 精霊の数が多いことも不思議だったが、出会う人間のことごとくが子どもだ。

 男女で言えば、男の子の姿が少しだけ多く、大人はそのどちらもいない。

 今のところ、最年長はパン屋の少年だろうか。

 いずれにしても、護衛ローから聞く街の様子とは少し違った。

 ローから聞いた街の様子では、大人の姿を見かけないだなんてものはない。

 

「タロー様!」


「タローちゃんさま! あ、女の子がいる! あたらしい子?」


 ……新しい子?

 

 さっきも言われたな、と荷車の周囲へと集まってきた子どもたちを観察しながら考える。

 荷車の方も子どもたちの接近は承知していたようで、なんの操作もしていないのに車輪の動きが緩やかになった。


「今日はクリスティーナ母様はいないの?」


「クリスティーナさまはおなかに赤ちゃんがいるから、しばらく来れないんだよー」


「あ、ティナだ! ティナがいるっ!」


「え!?」


 荷車に集まった子どもたちが口々にタローへと話しかける。

 その中の一人が荷車で眠るティナを見つけ、両手で口を塞いだ。

 荷車に揺られて結局眠ってしまったティナに気を使ったのかと思ったら、少年たちは恐々とティナの寝顔を覗き込む。

 息を潜めて本当にティナが眠っていることを確認すると、ホッと安堵とわかる溜息を吐いた。

 

「ティナはすぐ怒る」


「ティナはクリスティーナさまをひとり占めしていじわる」


「ティナのおかあしゃまはティナのなのっ! ってすぐ泣く」


 どうやら子どもたちが声を潜めたのは、昼寝中のティナに気を使ったわけではないらしい。

 単純に起きていられると困る、といった印象だ。

 ここで嫌われていると知っているからこそ、タローも家にティナを置いていこうとしていたのだろう。

 ティナは昼寝の時間だから、という理由があったにしても、それがすべてではなかったようだ。

 

「タロー様、その子は?」


「新しい子?」


「年下じゃないよね? お姉ちゃんができるの?」


 子どもたちの関心が、ティナから私へと移り変わる。

 初めて見る顔の私が珍しいのだろう。

 あっという間に周囲を子どもに囲まれて、やはり大人の姿が無いことが気になった。

 子どもも精霊もいるが、大人の姿だけがない。

 

「……この街には子どもと精霊しかいないよ。大人は母さんたちだけ」


「こんなに大きな街ですのに?」


 城まであるのに、大人はクリスティーナたちだけだ、というのは変な話だ。

 うちには祖父母と両親の他に、文官や侍女、使用人といった大人たちが大勢いる。

 むしろ子どもの姿の方が少ないぐらいだ。

 それなのに、この街に大人はいないだなんて。


「街自体は大きいけど……この街は一応『廃墟』なんだ。十年ぐらい前に捨てられた街なんだけど……シェリーはここがどこだか知ってる?」


「ぞんじませんわ。ここへは白梟ローがつれて来てくれましたの」


 私の初めての外出先として、安全な場所を選んだと言っていた気がするが、具体的な場所は聞いていない。

 森の一軒家という様子のクリスティーナの家に案内され、そのあとは荷車でこの廃墟(?)の街まで来ているが、誰も地名などは口にしていなかったはずだ。

 

「ここはエラース大山脈の中腹にある……十年前までは帝都トラルバッハと呼ばれていた街だよ。前はズーガリー帝国って名前だったけど、皇帝が行方不明になって三つ……今は四つだったかな? の国に別れたんだけど」


「そのお話なら知っていますわ。世界に『黎明に聖鐘』が響いて、精霊が戻って来た時のお話でしょう?」


 物心もついていない頃に起こったことなので、話にしか聞いたことはなかったが。

 私が生まれて少しした頃に、世界は大きく変わったらしい。

 それまで精霊は人間の住む世界とは離れて暮らしていたのだが、神話の神王の帰還と共に、また世界に精霊が戻って来たのだとかなんとか。

 

 私にとっては物心つく頃にはすでに精霊に溢れる世界だったが、少し前は精霊など物語の中の存在でしかなかったらしい。

 そう聞くと、なんだか少し不思議なことに思えた。

 私にとっては見えて当然の精霊たちが、見えていない人間がいる。

 むしろ、そちらの方が普通だったというのだから。

 

「……この街の子どもたちは、精霊が見えたり、話しができたりするってことで、親に怖がられて捨てられた子どもたちなんだよ」


 親に捨てられた子どもを不憫に思い、精霊がクリスティーナの元へと送り届けていたらしい。

 クリスティーナの家は、精霊から見て世界一安全で守られた場所にあるのだとか。

 そこへ親に捨てられた人間の子どもを送り届け、子どもは人間であるクリスティーナに育てられることとなった。


 子どもたちがクリスティーナの家で育てられたのは、最初の二年だけだ。

 精霊が世界に溢れ、一年、二年と経つと、世界中から送られてくる捨て子の数に、物理的にクリスティーナが育てることは不可能になっていた。

 そこで廃墟となっていた元・帝都トラルバッハの街を利用することを思いついたらしい。

 なんといっても、城を含め街がまるごと一つ無人になって空いていたのだ。

 世界中から送られてくる子どもたちが寝泊りをするのに、これほど都合のいい場所はなかった。

 

「みんな、わたくしのお父様のように、精霊とお話しできる子どもをとじ込めようとはしなかったのですか?」


「早いうちから精霊と話せる子どもに価値を見出せるのは……シェリーのお父さんとか、お祖父さんみたいな、人の上に立つ仕事をしている人ぐらいだよ」


 親が精霊と話すことができる人間であれば、自分と同じだと受け入れられるかもしれないが。

 大人の世代では、精霊の姿が見えていないものもいるし、姿が見えても話しをすることができるものは少ない。

 私の父もそうだ。

 父は精霊を見ることが出来ているが、声を聞くことは未だに出来ていない。

 私の父は精霊が見えていたし、精霊と話しができる子どもに価値を見出す立場にいたから、私が捨てられるということはなかったが――

 

 ……たしかに『同じ』で『違う』のだわ。

 

 森の中の家で、クリスティーナが言っていた言葉の意味が判る。

 この街の子どもは精霊と話しができるという意味では私と『同じ』で、親からの扱われ方はまるで『違う』。

 子どもたちの親は彼らを恐れ、捨てることを選んだが、私の父は違った。

 

 父は私へと離宮をまるごと一つ与え、離宮内での自由を認め、その代わり離宮の外へ出ることを禁じていた。

 これまでは『それ』が普通だと思っていたので何の不満も無かったのだが、すぐ下の妹は違う生活を送っていると先日ついに知ってしまったのだ。

 妹は『お使い』と称して、街へ出ることもある、と。

 

 そこで私は生まれて初めて『不満』を覚えた。

 同じ姉妹で何故、と。

 

 今回『家出』をしてみようと思ったのも、父へのあてつけが目的だった。

 何も本当に家を出て行こうなどと考えたわけではない。

 それが判っていたからこそ、白梟も私をクリスティーナの家へと運んだのだろう。

 精霊から見て世界で一番安全な場所は、私の息抜きの外出には丁度いい、と。

 

 

 

 

 

 

 タローはクリスティーナの代わりに、捨てられた子どもたちの街を見て回っているらしい。

 食料が足りなくなっていたり、困っていたりしていないかと、ほとんど毎日来ているようだ。

 会う子ども、会う子どもが笑顔でタローに駆け寄ってきて、そのうちの一人が持って来たボールに、『野球』という遊びが始まった。

 

 もともとは、ジローが言い出した遊びらしい。

 ボールをバットと名付けた木の棒で殴り、遠くへ飛ばす遊びなのだとか。

 ジローは『遊び』ではなく『スポーツ』だと言っていたが、遊びだろう。

 ジローの説明どおりの『遊び方』ができる子どもは少数で、ほとんどの子どもは何人かで組んでボールを投げ合っているだけだ。

 私はこの街では年長に数えられ、手も足も伸びていたので、ジローの説明どおりの『遊び方』が出来た。

 

 木の棒を振り回してボールを殴り、遊びが行われている広場を走り回る。

 離宮ではできない遊びだ。

 できないというよりも、こんな遊びなど思いついたこともなかった。

 とにかく手足をおもいきり振り回し、全力で動き回る。

 ジローの説明だけでは何が面白いのか判らない遊びだったが、やってみれば気分は爽快になった。

 体をおもいきり動かすのが良かったのかもしれない。

 走り回っているうちに、父に対するモヤモヤとした気持ちが嘘のように消えていた。

 

「すごく楽しいですわ!」


「満足したかい?」


「ええ、とっても!」


「じゃあ――


 そろそろ帰っておいで。

 そう続いた言葉に、驚いて背後を振り向く。

 聞き覚えのある声ではあったが、ここで聞くはずの無い声でもあった。


 ……え?


 口から漏れたはずの疑問は、音になる前に消える。

 背後に立っていたのは、街にいるはずのない父様だった。

 

 父様の手が肩に添えられたかと思うと、猛烈な睡魔に襲われる。

 すぐに瞼を開けていられなくなって、眠気に身を任せた。

 頭から父様へと倒れこみながら、暗くなっていく視界にひとつだけ違和感がある。

 今朝挨拶を交わした時には長かった父様の髪が、ばっさりと短くなっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、離宮の自室で目覚めると、人間の方のローに切々と恨み言を聞かされた。

 遊び疲れてそのまま寝こけてしまうなど、外出がよほど楽しかったのだろう、と。

 

 ローは私の家出に気付いた父様に懇々とした説教を受け、私の外出をあっさりと見送ってしまったことを父様の護衛に「幼女こどもに言い包められるなんて鍛錬が足りない」とまた肋骨を折られそうになっていたそうだ。

 折られた、ではなく『折られそうになっていた』のは、今回はグルノールで体を鍛えられていたことが功を奏したらしい。

 厚い筋肉に守られた肋骨は、白銀の騎士による鉄拳制裁を無事にやり過ごすことに成功していた。

 

 そして、その守られた肋骨の代わりというのか――ローの髪も少し短くなっている。

 父様とお揃いに『した』のだな、と指摘してみたら、お揃いに『され』ました、とローは言う。

 奇妙な言い回しだな、と少し気になったがそれだけだ。


 朝食を食べ、午後の授業を午前へと移動してもらって早々にこれを終わらせる。

 今日は天気が良かったので、午後は『屋外』で遊ぼう、と『扉をくぐった』。

 てっきり庭先にでも出るだろうと思っていたのだが、今日は居間へ『通じていた』ようだ。

 クッションに埋もれるようにして椅子へと座っているクリスティーナの膝に、今日は叔父の黒い頭が載っていた。

 居間に現れた私と目が合うと、叔父の黒い目が呆れたように細められる。

 

「……ほらみろ。アルフレッド様の娘だぞ。一度の家出で満足するわけがない。さっそく味をしめて遊びに来たじゃないか。あとで何故か俺がまた懇々とした嫌味を聞かされるの決定だな」


 精霊にやった髪の毛など、俺にはどうしようもないだろう、と言いながら叔父は顔をクリスティーナの膝に伏せる。

 どうやら叔父たち夫婦はいちゃいちゃタイムらしい。

 叔父は昨夜も遅くまで父様に文句を言われただとか、父様の護衛にもほとんど同じ文句を言われただとかを、クリスティーナの膝に頭を載せてブツブツと呟いている。

 そんな叔父に、クリスティーナは苦笑いを浮かべながら頭を撫でていた。

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