アンシェリーク視点 家出王女と精霊領の子どもたち 2

 とりあえず中へどうぞ、と見覚えのある気がする女性に誘われて家の中へと入る。

 素朴な外観の家は、室内もやはり素朴だった。

 離宮のような華美な装飾や置物は一切なく、木と植物のぬくもりが感じられる室内だ。

 大きな暖炉のある居間には長椅子があり、精緻な刺繍で彩られたクッションが三つ並んでいる。

 他には裁縫箱が置かれていて、刺繍の途中だったのか縫いかけの図案が裁縫箱の上に置かれていた。


 ……えっと?


 不思議な人だな、と家の中を見渡したあと前を歩く女性を見上げる。

 この家のいろいろなところに、これまたいろいろな精霊が潜んでいた。

 もしかしなくとも、離宮にいる精霊の数よりも多い。


 そしてこの家の精霊たちは、実によく働いていた。


 離宮の精霊はお願いしないと動いてくれないし、むしろお願いしても言うことを聞いてくれないことの方が多いのだが、この家の精霊は違う。

 女性が歩くだけであとを追うように移動し、女性が扉の前に止まってノブへと手を伸ばす前に扉を開く。

 家の中へと案内された時に帽子を女性へと預けたのだが、女性が帽子掛けへと視線を向ける前に帽子掛けの方から歩いてきたし、なんだったら帽子は自分から帽子掛けに飛び移っていた。

 この家の、もしくは女性の周囲にいる精霊たちは実に働きものだ。


 ……精霊とおはなしできる大人って、そういえばはじめてなのだわ。


 少なくとも、離宮の大人たちは誰も精霊と会話することができなかった。

 姿を見ることができる大人はいたが、精霊騎士団で鍛えられたというローですらも精霊と会話はできていない。

 それなのに、目の前の女性は普通に精霊と言葉を交わし、悪戯を注意すれば精霊はすぐにその言葉に従っていた。


「好きなところに座ってどうぞ。今お茶を淹れてくるか……ら?」


 あら? と扉を開けて台所へと向かう女性が立ち止まる。

 少し戸惑ったような声が聞こえたかと思うと、女性は奇妙な姿勢で後ずさってきた。


 ……あ、小鬼だ。


 前掛けをした小鬼が、女性の足を止めるように抱きついている。

 抱きついているというよりも、台所から押し出そうとしているようだ。


「お手伝いしてくれるのは嬉しいけど、わたしだってお茶ぐらい淹れられますよ?」


 ――いいえ これ わたしたちの しごと。


 ――おかあさま だいじ すわる。


「いえ、たしかに今はお腹に赤ちゃんがいる時期ですけど、少しぐらい働いた方が……」


 ――だめ ぜったい。


 どうやら女性の大きなお腹には赤ちゃんが入っているようだ。

 精霊たちは女性の体を気遣って、台所に立たせまいとしているらしかった。


 自分を決して台所へは立ち入らせず、お茶の支度を始める小鬼に女性が困惑していると、奥から別の女性の声が聞こえてくる。

 耳が声を拾っているので、今度の女性は人間だ。

 精霊の声ではない。


「クリスティーナ様、お茶でしたら私たちが準備いたしますので」


 小さな客人の相手を、とまでは聞き取れたのだが、続いた言葉は潜められたのか聞き取れない。

 どうやら内緒話をしているようだ、と白梟ローに視線をやったのだが、白梟は無言だ。

 いつもなら離宮内で内緒話などしようものならば白梟がすべて拾い取って私に教えてくれるのだが、ここでは教えてくれないらしい。

 これはかなり珍しいことだ。


 女性――クリスティーナと呼ばれていた――と対面している女性の顔は見えないが、しばらくボソボソとした音が聞こえたあと、クリスティーナの華やいだ声が聞こえた。


「え? あの子、アンシェリークちゃんなの?」


 どうりで見たことがある気がしたわけだ、とクリスティーナの視線が私へと向けられる。

 私はまだクリスティーナの顔をどこで見たのかが思いだせないのだが、クリスティーナは私の顔をどこで見たのか思いだしたようだ。


 くるりと体の向きを変えると、私の手をとって居間の長椅子へと案内される。

 次にクリスティーナが対面の椅子へと腰を下ろそうとすると、わらわらと集まってきた精霊がクリスティーナの椅子へとクッションを積み上げた。


「……すごい」


 むしろ精霊に愛されすぎて座りにくそうな椅子が出来上がった、と呆れてクッションの山を見つめる。

 クリスティーナは慣れているのか、苦笑いを浮かべるだけだ。

 今はお腹に赤ちゃんがいるので、精霊みんなが気を使ってくれているのだ、と。


「それで、アンシェリークちゃん……様? 呼び捨てでいいのかしら?」


 お忍びのようだし、いっそ愛称で呼んでみる? と呼び方に悩んでいるクリスティーナに、白梟が「アンシェリークと呼び捨てるのが正しい」と答える。

 どうやらこのクリスティーナという女性は、精霊的には『姫』より偉いらしい。

 人間的には微妙な立ち位置にいるようで、それでクリスティーナは悩んだのだと思う。


 私を置いてけぼりにして話を進める一人と一羽に、面白くなくて割ってはいる。

 お忍びなので愛称希望だ、と。

 では『シェリー』で、とクリスティーナはにこにこと笑う。

 会話に割ってはいるような無作法をしたのに、怒り出す様子もなかった。


 ……えらいひと、なのですわよね?







「シェリーが会いに来てくれて嬉しいな。わたしのこと覚えて……るわけないか。前に会ったのは赤ちゃんだったもんねぇ」


 全体的には父に似ているが、目元は母に似ていると言いながら、クリスティーナは笑みを深める。

 前に会った時は本当に小さかった。

 自分の指を小さな手で握り締めてきて可愛かった、だなどと言われて、少し困ってしまう。

 クリスティーナは懐かしそうに微笑んでいるが、私にはそんなに小さな頃の記憶などないのだ。


「……それで、シェリーはどうしてここに? この家って、そう簡単には近づけないようになっているらしいんだけど……」


「そうなのですか? 白梟ローがつれて来てくれたのですが」


 はて? と二人同時に白梟へと視線を移す。

 視線を受けた白梟はというと、ここには止まり木を使う客が他にも来ることがあるのか、居間に用意された止まり木の上で姿勢を正した。


 ――姫様の初めての外出ですからな。じいめが安全な場所を選ばせていただきました。


 精霊に守られ、精霊と話すことができる人間がいる場所、というのが白梟の選考基準だったらしい。

 白梟の挙げていく条件に、クリスティーナは確かにこの家はその条件に合うようだと納得していた。


「うちには精霊とお話しできる子ばかりいますからね」


「……ほかにもいるのですか?」


「いますよー」


 中にも外にもいっぱいいる、とクリスティーナが言い終わるより早く、台所の向こうから元気な足音が響いてきた。

 先ほどクリスティーナと話していた女性と二言、三言何ごとか言葉を交わす声がして、すぐに扉が開かれる。


「ただいま、母さん」


「ただいまー」


「ま」


 扉が開いた、と思ったら奥から子どもが三人飛び出してきた。

 子どもたちは口々にクリスティーナへと帰宅の挨拶をすると、遅れて私の存在に気がつく。

 一番上の子どもがピタリと足を止めると、その背中に急には止まれなかったすぐ下と判る男の子が鼻をぶつけていた。

 一番下は女の子のようで、鼻をぶつけた男の子の背中に抱きつくと、顔だけ出してこちらを覗いている。

 ひと目で仲の良い兄弟だと判った。

 私たち姉妹とは、なんとなく違う。


「誰? 知らない子」


「あたらしい子?」


「こ?」


「新しい子じゃありませんよ」


 アルフレッド様の子どもです、と言ってクリスティーナは私を男の子たちへと紹介する。

 義兄の子どもなので従姉妹いとこである、と言ってから、クリスティーナは首を傾げた。


「従姉妹、でいいのかな? 今はクリストフ様の養子だから……書類上は従姉妹、血統的にはランヴァルド様の息子だから又従姉妹はとこになるはずだけど……」


「アルフレッドとアリエルの子か」


 全体的に父親に似ている、と言って一番上の子が微笑む。

 私の父を呼び捨てる人間など、祖父以外では初めて見たので少し驚いた。

 父を義兄と呼ぶクリスティーナが私を呼び捨てるのなら、父の兄弟ということで判らなくはないのだが、父の義妹の息子が伯父であるはずの父を呼び捨てるのは解らない。

 解らなくはあるのだが、なんとなくそれが正しいのだとも判った。

 クリスティーナの一番上の子は、なんだか『特別』だ。







 子どもたちは昼食を食べに帰って来たらしい。

 叔父は仕事で家にはいないようだったが、クリスティーナたちはいつも同じテーブルについて食事をとるようだ。

 こんなところも、離宮うちとは違う。

 私の食事は妹とは別だし、両親と顔を合わせるのはお茶の時間ぐらいだ。

 家族と一つのテーブルを囲むことなど、まずありえない。


 ……たのしいのだわ。


 昼食を食べに帰って来たはずなのだが。

 その昼食はこれから作るというので、私もお手伝いすることになった。


 今日の昼食はサンドイッチらしい。


 台所で女中メイドが作る具に、クリスティーナがパンを薄く切り、ジローと呼ばれる真ん中の子が具を挟み、タローと呼ばれる一番上の子が形を整えて具の挟まれたパンを切る。

 私が任された仕事は、作業台の周囲を動き回るティナという末っ子を捕まえておくことだった。


 包丁を使っている場なので、小さな子がうろうろと動き回るのは危ない。

 そんな説明をされて請け負った仕事なのだが、ティナは不満そうだ。

 自分もお手伝いをする、と言って少し暴れ、だからこそ私がティナを確保しているお役目をいただくこととなった。


 そして、私に確保されて動き回れなくなったティナはというと、今はご機嫌な様子で奇妙な歌をうたっている。

 舌っ足らずで少し噛んでいるため歌詞は聞き取り難いのだが、たぶんサンドイッチの具を連呼しているのだと思う。


「にーたま、だいすき、たまごサンド♪ ジローたんすきすき、ローストビーフ♪ フルーツサンドには、あまあまフルーツたっぷりいれて♪ アナナブ、アナナブ、のろいのイチゴ♪ もっひとつおまけにアナナブプリン♪ なまなま、なまクリーム、たっぷりぷり♪」


 ……アナナブはわかるのだわ。チョコレートケーキがおいしいもの。でも、呪いのイチゴってなにかしら?


 アナナブとは、柔らかな果肉の果物だ。

 生で食べても、火を通して食べても美味しい。

 けれど、呪いのイチゴというものは聞いたことがなかった。

 ティナがサンドイッチの具として挙げているので、食べ物であることは想像できるのだが、わざわざ『呪いの』と付くあたり私の知っているイチゴとは違うものな気がする。


「のろいのイチゴって、なにかしら?」


「たべたら、のろわれる」


 腕の中のティナに呪いのイチゴとは何かと聞いていたら、なんだか物騒な返答が返ってきた。

 呪いのイチゴは、食べたら呪われるらしい。


「……そんなもの、食べたくないのだわ」


「おいしいよ」


「食べましたの?」


「のろわれた」


 キリッとした顔で答えてくれるのだが、このティナという子は大丈夫なのだろうか。

 サラッと一大事なことを言われている気がするのだが、クリスティーナたちがティナの発言を気に留める素振りはない。

 それぞれがそれぞれの役割を果たし、ティナの『呪いのイチゴ』発言には苦笑いを浮かべる程度だ。


「シェリー、あーん」


「あーん?」


 パンの上へと具を並べていたジローが、そのうちの赤い実を一つ私へと差し出してきた。

 促されるままに口を開けると、甘い匂いのする果実が舌の上に置かれる。


「……甘いのだわ。とてもおいしいのだわ。しあわせの味がするのだわ」


「それが『呪いのイチゴ』」


「なんてものを食べさせますの!?」


 口の中いっぱいに広がる果汁の祝福にうっとりと頬を緩ませていたのだが、ジローの一言で頭から冷水を被せられたような気分になった。

 知らずに放り込まれた甘い果実が、実は『呪いのイチゴ』だったらしい。

 いったいどんな呪いが降りかかるのかと恐怖に震える私を他所に、一人だけつまみ食いをするのはずるいと怒り出したティナの口へとジローが赤い果実を運ぶ。

 呪いのイチゴだとか呼びながら、平気で妹の口へと入れられるものらしい。


「これで呪われるのはティナぐらいだよ」

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