レオナルド視点 俺の名前と神王の遺骸

※誤字脱字、探せていません。

 なにか見つけても、見なかったことにしてください。

 もうしばらくこの見苦しい言い訳が続くと思います。


■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □


 ……雪がなくなった程度で、これほど地形が判らなくなるとはな。


 山の形などそう簡単には変わらないはずなのだが、雪が無いというだけで一度来たことがある場所だというのに、探している洞窟の入り口が見つからない。

 ティナが『エレベーター』と呼んでいた小さな部屋か、階段の出口がどこかに必ずあるはずなのだが、それもみつけることはできなかった。


 ……一度ティナのところへ、……クリスティーナのところへ戻るか。


 本人が子ども扱いはそろそろ止めろ、『クリスティーナ』と呼べ、と言うので一応改めているつもりなのだが、なかなか身についてくれない。

 俺にとって『ティナ』は『可愛い妹のティナ』という印象が強いので、年頃になったからといって『一人の女性であるクリスティーナ』と意識するのは難しかった。

 これが『成長した妹のクリスティーナ』としてならすぐに改められる気もしているので、俺はクリスティーナを女性として見ることに抵抗しているのだろう。

 俺はあくまで『ティナの兄』なのだ。


 あまり一人にしてはおけない、と入り口の捜索を中断して一度クリスティーナの元へと戻る。

 俺の姿を見つけたクリスティーナは、パッと顔を輝かせて笑った。

 俺を迎えようと椅子代わりに使っていた岩から腰を上げる仕草さえ可愛いのだが、クリスティーナは俺の妹だ。

 残念ながら、妹を愛おしむ気持ちしか湧いてこない。


 ……二十歳までまだ三年……もうすぐ二年になるのか? あるとはいえ、ティナを女性としてなんて見ることができるんだろうか。


 八歳からクリスティーナを知っているため、子どもとしか思えない。

 名付け親であるサロモンから兄として預かったため、妹としか思えない。


 書類上や形の上で夫婦になることは可能だが、俺たちが本当の意味で夫婦になることは、クリスティーナが考えているよりも難しいだろう。


 ……うん? ティナは何に気を取られて……?


 俺を見て微笑んでいたクリスティーナの視線が、不意に横へと逸れる。

 僅かに驚いて目を丸くしたかと思ったら、クリスティーナは俺の元へではなく、ふらふらと脇へと道を逸れ始めた。


 ……あれは……っ?


 クリスティーナの視線の先に人影を見つけ、足を早める。

 人影がクリスティーナと接触する前にクリスティーナを確保しておきたかったのだが、人影は自分へと近づいてくるクリスティーナから逃げるようにその場を離れ始めた。


「ティナ!」


 止まれ、という意思を込めて名前を呼んでみたのだが、クリスティーナの足は止まらない。

 声が聞こえていないはずはないのだが、クリスティーナは人影を追い続けた。


 ……ジャスパー!?


 木々の合間を縫う際に目深く被られたフードが揺れ、その奥に隠された横顔が覗く。

 フードの奥に隠れていたのは見知った男の顔なのだが、この場にいるはずのない男の顔でもある。

 ジャスパーは二年前に死んでいた。

 死体を確認していたし、遺体を燃やす現場にも立ち合っている。

 木々の合間を縫って歩く男が、ジャスパーであるはずがない。


「ティナ!」


 もう一度叫んでみたが、クリスティーナが立ち止まることはなかった。

 クリスティーナはジャスパーの顔をした人影を追いかけ、かと思えば忽然と姿を消す。

 目の錯覚かと疑う程に短い、一瞬の出来事だった。

 ただ、確かにクリスティーナがいたことを示すように、クリスティーナの肩に陣取っていたはずの子守妖精がポテッと下草に覆われた地面に落ちる。

 子守妖精も何が起こったのか判らないようで、パチパチと瞬いてからその場で頭を抱えてグルグルと回り始めた。

 置いていかれたのは黒柴も同じで、グルグルと回る子守妖精の周りをグルグルと落ち着きなく回る。


 ……妖精まで置いてくのは、さすがにおかしいだろ!?


 人間なら出し抜くことは可能かもしれないが、不思議な存在である子守妖精まで退ける力をもった何かが、クリスティーナを連れ去ったらしい。

 これはどう考えても、精霊絡みだ。

 クリスティーナ自身が精霊と交渉できるとはいえ、放置はできない。


「落ち着け、カリーサ」


 地面の上で回り続ける子守妖精を捕まえ、手のひらに載せる。

 視線があがることで気分も変わったのか、子守妖精はきょとんっと瞬いてから抱えていた頭から手を離した。

 ようやく我に返ったのだろう。


 クリスティーナがどこへ行ったのか判るか、と聞いてみると、子守妖精は一度首を傾げる。

 それから、ようやく自分が何者であるかを思いだしたようだ。

 深呼吸をしたかと思うと、次の瞬間には顔を怒らせて黎明の塔を指差した。


「ティナは黎明の塔に連れて行かれたのか?」


 手のひらの子守妖精は、コクコクと大きく頷く。

 早く行くぞ、追いかけよう、とでも言うように、子守妖精は俺の親指を引っ張り始めた。


「カリーサ、塔の入り口がまだ見つかっていないんだが……判るか?」


 入り口がわからないことには追いかけようが無い。

 最悪の場合、木を切り倒してでも中に入るしかないが、武器を構えたら木の根に襲われるという状況で、木を切り倒すために斧が振るえるかどうかも怪しい気がする。


 何か判らないか、と難しい顔をしてしまった子守妖精を見ていると、近くに気配が増えた。

 人間ほどはっきりした気配ではないのだが、さすがにこれは判る。

 先ほどまで周囲にいた精霊とは桁が違いすぎるほどの数の精霊が、周囲に集まってきていた。

 もしかしたら、エラース大山脈中の精霊が集まってきたのではないだろうか。


 ――それに きいても むだ。


 ――その子、作られた子だものね。


 ――しかも、鉢植えだもの。


 ――にんげんに つくられた から。


 ――世界と正しく繋がっていないから、道案内には不向きよ。


 ――その点、私たちはちゃんと生まれているから。


 ――世界と正しく繋がっているから、道案内は得意よ。


 思いおもいに自分ならば道案内ができる、と名乗り出る精霊たちに、子守妖精が悔しそうに顔を歪める。

 精霊同士のことはよく判らなかったが、子守妖精の反応を見るに、精霊たちの言っていることは本当なのだろう。

 子守妖精は人間の手によって作られた精霊であるからこそ能力に制限があり、周囲の精霊たちは自然に生まれたものだからこそ子守妖精が感じているような制限はないのだ。


「……ティナのところまで道案内を頼めるか?」


 ならば、と周囲の精霊へと道案内を頼むと、囁きあっていた精霊たちは一斉に口を閉ざす。

 妙な緊張感に支配される中、前へと進み出てきたのは上半身が老人で、下半身が山羊の姿をした精霊だった。


 ――わしなら間違いなく、おぬしをあの娘の元へと案内してやれるぞ。


「では、頼めるか?」


 ――おぬしの名と引き換えになら、案内してやろう。


 むしろ名前と引き換え以外では案内はしない、と言い切られてしまい、内心で舌を巻く。

 見返りの明言をせず、精霊を自主的に動かそうと思っていたのだが、今回は精霊あいての方が一枚上手だったようだ。

 名前と引き換え以外では案内しない、と宣言されてしまっては、譲歩を引き出すことは不可能である。


 ……こういう時、言葉に縛られる精霊は本当に面倒だな。


 人間ならば交渉で条件を変えていくことができるのだが、精霊は人間ではない。

 人間のように肉の体に縛られていないぶんだけ、言葉に縛られる不思議な生態をしているのが精霊だ。

 それを利用して逆に言い包めたという童話や御伽噺は残っているが、言い包めるための隙は先に塞がれてしまった。

 これでは俺が精霊に道案内をさせようと思えば、名前を差し出すしかないだろう。


 ――どうせそろそろ無理が出ているのだろう。風が言っていた。おまえはその怪力で友の腕を切り落としそうになった、と。


 友の腕を切り落としそうに、と聞いて昨年の闘技大会を思いだす。

 加減を誤り、剣どころか盾ごとアルフの腕を切り落としそうになったことが、確かにあった。


 ――人間ひとの身で王の体を使っているから、無理が出ているのだ。神王はおぬしが死ぬまで待つと言っていたが、おぬしがおぬしのまま生きられる時間は少ないぞ。


 その腕を王に返せ、と続いた言葉に、思わず利き腕を掴む。

 いつだったか、精霊の視線を感じた時に痛んだのも、この利き腕だったはずだ。


「……俺の腕がなんだと言うんだ?」


 身に覚えは無いのだが、精霊から見る俺の腕は、俺の腕ではならしい。

 返せと言われるからには、返すべき腕を失ったものがいるはずだ。

 それも、精霊たちに王と呼ばれる存在が。


 ――それはおぬしの腕ではない。


 ――その腕は王の腕。


 ――それは神王の腕。


 ――おまえは王の棺から腕を盗み出し、自分の腕にしたんだ。


 ――どろぼう。


 ――どろぼう。


 ざわざわと周囲が一斉にざわめき、あまりの騒音に思わず片手で耳を塞ぐ。

 もう片方の手には子守妖精が乗っていたため、両耳を塞ぐことはできなかった。


 ――王の腕を返せ、盗人め。


 ――もう一つの棺の前に、あの子が立ってる。


 ――王が約束をした娘が立ってる。


 ――あれを壊せば、あとはその一つ。


 ――全部壊せば、王が喜ぶ。


 ――王の旅が終わる。


 名を寄越せよりも、腕を返せという声が多い気がする。

 というよりも、俺の名を奪うことは腕を返すことに繋がっているようだ。


「……俺は神王の腕など盗んだ覚えは無い。どういうことだ?」


 ――答えてやったら、名前を寄越すか?


 どうやら、どう答えても『名前を寄越せ』としか言う気は無いようだ。

 精霊側からここまで徹底されると、なんらかの作為的なものを感じる。

 誰かが入れ知恵をしたか、人間に騙されている可能性もあるだろう。


 ……ティナと分断されたのは、精霊の故意と考えて良さそうだな。


 クリスティーナを俺から引き離すことで、俺を動揺させているのだ。

 となると、人間おれに対する揺さぶりのかけ方など精霊がどこで仕入れてきたのか、ということになる。


「ん? ……って、痛っ!?」


 ひょいっと手のひらから子守妖精が飛び上がったかと思うと、耳を塞いだ俺の利き手へとしがみ付く。

 飛び移った勢いのままに何をするのかと思えば、子守妖精は力いっぱい俺の指へと噛み付いた。


 噛み付いてくることは以前もあったが、今回の噛み付き方は尋常ではない。

 不満を訴える意思表示のひとつではなく、はっきりとした攻撃の意思を感じた。


「カリーサ、今は俺に喧嘩を売っている時じゃ……」


 俺に喧嘩を売っている時ではないだろう。

 どうにか精霊たちを宥め、クリスティーナを追いかけなければならない。

 そう子守妖精を諭そうとしたのだが、ペロペロと指から滲んだ血を舐める子守妖精に、周囲の精霊がざわめいた。


 ……なんだ? 何をそんなに驚いて……?


 精霊たちの戸惑いの正体はすぐに判明する。

 子守妖精によって綺麗に血を舐め取られた指には、妖精の噛みあとなど何も残ってはいなかった。

 確かに子守妖精が血を舐めていたはずなのに、そこには血の赤はなく、肌の色しかない。


 そして、瞬きをひとつする間に、精霊たちがざわめいた理由を知ることになる。


「……カリーサ、か?」


 変化は一瞬だ。

 本当に瞬きをした次の瞬間には、子守妖精の姿が変わっていた。

 手のひらに乗る大きさの幼児のような姿をしていた子守妖精は、今はスラリと手足が伸び、俺よりも背が高い。

 顔の基本はやはりカリーサなのだが、人ではないせいか格段に美しい顔立ちになった。

 子守妖精はサリーサの作ったメイド服を着ていたのだが、姿が変わったついでに服装も深紅の長衣に変わる。

 エノメナの花を髪に差す姿は、これまでの子守妖精より木に人間の遺体を飾っていた精霊に近かった。

 単純に姿が変わったということもあるが、存在感がまるで違う。


 ……そうか、神王の血か。


 そんな覚えは無いのだが、精霊たちは俺の腕を神王の腕だと言っていた。

 そして、子守妖精はその『神王の腕』から流れる血を舐めている。

 精霊たちの言うことが正しいのなら、俺の腕からでた血は神秘の力を持った神王の血だ。

 子守妖精がなんらかの力を得たとしても、不思議はないのかもしれない。







 ――なんと恐ろしいことを!


 ――王を喰うだなんて!


 恐ろしい、神々の怒りに触れるぞ、と口々に騒ぎたてながら、俺を囲い込んでいた精霊たちの包囲が薄くなる。

 どうやら神々の怒りに巻き込まれることを恐れ、気の弱いものからこの場を離れ始めたようだ。


 大きくなった子守妖精は、力強く一歩前へと足を踏み出す。

 ズシンッと地面が揺れたような気がしたのだが、これは錯覚ではないだろう。

 子守妖精の動きに合わせて、小さな精霊が飛び上がって尻餅をついた。


「ぬおっ!?」


 怖気づいた精霊には目もくれず、子守妖精が俺の襟首を掴む。

 これは普段の仕返しか、とは思ったが、無言で森を突っ切り始めた子守妖精に黙って従った。

 先ほどまではクリスティーナを見失ってオロオロと頭を抱えて地面を歩き回っていただけなのだが、今ははっきりと目的地が定まった歩き方をしている。

 精霊にクリスティーナの居場所を聞けないのなら、今は子守妖精に従うべきだろう。


 前を歩く子守妖精へと、試しに何処へ向かっているのかと聞いてみる。

 これに対する返事は無言だった。

 というよりも、クリスティーナから子守妖精と会話をしたという話を聞かないように、この子守妖精が声を出しているところを聞いたことが無い。


 ……風の精霊なんかは、普通に話しているんだがな?


 子守妖精には話せない何かがあるのだろうか、と考えて、よそ事は横へと置いておく。

 今はとにかくクリスティーナを取り戻さなければならない。


「……ここは?」


 木々が開け、少しだけ広場のようになっている場所へ出ると、ようやく子守妖精の歩みが止まる。

 周囲を見渡してはみるのだが、特におかしなところはない。

 普通に、森の中で少し開けた場というだけの場所だ。


「カリーサ、少しぐらい説明を……」


 せめて何か意思表示ぐらいないものか。

 そう要求すると、子守妖精はまたも無言のまま地面を強く踏みしめる。

 すると、その衝撃が引き金になったのか、地面からひょっこりと小部屋が姿を現した。


「……待て。これはあれか? エレベーターとか言う……?」


 以前クリスティーナと来た時に使ったエレベーターを、子守妖精は見つけたらしい。

 一言も説明がないため判り難いが、大きくなったことで能力的に変化があったのだろう。

 あれほど俺が探しても見つからなかった場所が、子守妖精のひと蹴りで姿を現していた。







 洞窟の中に入ってしまえば、一度クリスティーナと隅々まで探索をしたことがあるので、迷うことはない。

 相変わらず精霊灯は点いていなかったが、別の光源があるため明かりには困らなかった。


 ある意味で恐ろしいことに、洞窟の中は以前とまるで変わっていない。

 外は一面の雪が消えていたというのに、洞窟内部は平和そのものだ。

 廊下には小鬼や行き交い、時折巡回している帝国兵の姿が現れる。


 ……いや、今は平和とは言い切れんか。


 以前はクリスティーナと好きに歩き回った洞窟内だったが、今の俺は侵入者でしかない。

 髪と髭を伸ばして山賊のジンとして訪れていたのなら違ったかもしれないが、今の俺はイヴィジア王国の黒騎士の制服と簡易な鎧姿だ。

 この姿でズーガリー帝国の軍事施設へと侵入しているようなものなので、俺と顔を合わせた瞬間に兵士が腰の剣を抜き、そして木の根に襲われてどこかへと攫われるということを繰り返していた。

 戦闘にはならないのだが、平和とは少し言いがたい。


「何もの……っ!?」


 角を曲がった瞬間に目の合った帝国兵が腰の剣を抜き、地面を割って現れた木の根に攫われていく。

 おかげで無駄な血は流れていないのだが、この光景に慣れて来ている自分が少し恐ろしい。


「……うん? おまえの顔には見覚えがあるな?」


「なんだと……っ!?」


 出くわす帝国兵を無力化して洞窟内を進んでいると、珍しく即剣を抜かなかった帝国兵がいた。

 これは珍しい、とすぐに距離を詰める。

 さすがに攻撃に移られては、と帝国兵の手が腰へと伸びたが、これを難なく捕まえて拘束する。

 剣を抜くと木の根に攫われるぞ、と警告してやると帝国兵はおとなしくなった。

 警告を聞く耳を持っているあたり、この帝国兵も仲間たちが木の根に攫われるところを見てきたのだろう。


「やっぱり……見覚えのある顔だな」


「俺はイヴィジアの黒騎士に知り合いなんていないぞ!」


 どこで見た顔だったか、と帝国兵の顔を見ながら記憶を探る。

 この顔は確か――


「……ティナにパンケーキを貢いでいた?」


「へ? ティナちゃん? ……ってことは、ジンか? おまえ、ジンだろ? 髪型は違うが……背格好なんかはジンだ。おまえ、イヴィジア王国の黒騎士だったのか!」


「……他人の空似だ」


 見覚えがある顔だ、と確認してしまったせいで正体がバレてしまったが、どうにでもなる。

 俺がズーガリー帝国にいる間はランヴァルドがグルノールの街で俺の振りをしていたので、俺がズーガリー帝国にいたはずがない、という言い訳は成立するようになっていた。

 元々そのためのランヴァルドだ。


「そんなことより、この国はどうなってるんだ? 地上うえでは皇帝が死んでいたぞ」


 そもそも、何故ズーガリー帝国は大陸全土に向けた宣戦布告なんて馬鹿げた真似をしたのか、とついでに帝国兵へと聞いてみる。

 せっかくズーガリー帝国内部へと侵入しているのだから、仕入れられる情報は仕入れておきたい。


「なんでエデルトルート皇帝陛下が亡くなられるんだよ。そんなはずないじゃないか!」


「まあ、驚くよな。普通は」


 自国の皇帝が死んでいる、なんて話を突然聞かされても、すぐには信じられないだろう。

 ついでに言えば、何故そんな話を聞かされるのかと、わけが判らなくて混乱もするはずだ。

 混乱する帝国兵の心情はわかったが、俺としては先を急ぎたかったし、情報の交換は簡潔に行いたい。


 淡々と洞窟の外で起こっていること、地上で見たものについてを聞かせてやると、帝国兵は半信半疑ながらもズーガリー帝国側の事情を話す。

 帝国側の事情といっても、洞窟内へも聞こえてくる程度の話だ。


 大陸全土への宣戦布告については、洞窟内では噂話でしかなかったらしい。

 まずはこののん気さに驚かされる。


「……この洞窟の警備は、正規の帝国兵士なんだよな? なんで噂しか回っていない」


「ここの警備はカミール爺さんの見張りが主な仕事だかんな。他所の国との戦争なんて、俺たちにゃ関係ないんだよ」


 カミールが逃亡しないよう見張ることと、洞窟の秘密が外へ漏れないようにと見張ることが洞窟に配置された帝国兵の仕事であるため、ズーガリー帝国そのものが隣国へと戦を仕掛けようとしていようとも、ここの兵士にとってはよそ事でしかなかったらしい。

 自国の話だというのに、恐ろしいまでの無関心さだ。


 そして、その自国のことであっても無関心な帝国兵によると、ズーガリー帝国が大陸全土へと宣戦布告を行いそうな話としては、『なんだかすごいものが発明されたらしい』という噂が洞窟内にもあったようだ。

 他の噂としては、数ヶ月前に洞窟の兵士が何人か行方不明になっただとか、そいつらが洞窟内の便利な道具を手土産に帝都へと戻っただとか、雑多な話も多い。


「……そーいや、奴等が消えてからか? なんかカミール爺さんが『困ったことになったかもしれない』って珍しく考え込んでるみたいだったのは」


「全部繋げると、なんとなく見えてくるものがあるな」


 おそらくは、洞窟内の道具を持ち出した兵士がおり、それが帝都で見つかった。

 ズーガリー帝国皇帝は洞窟内で発明された便利な道具に勝機を見出し、たいした考えもなく大陸全土へと宣戦布告をしたのだろう。

 カミールはこの流れを想定して困っていたのかもしれない。


 ……カミールは何を盗まれたんだ……?


 いずれにせよ、皇帝が死に、精霊曰く『喧嘩を止めないだめな子』は木々の養分にされた。

 しばらくは指示系統が麻痺しているため、隣国との戦どころではなくなるはずである。

 ズーガリー帝国による大陸全土を巻き込んだ戦禍は、生まれる前に消えてしまった。


「そのカミールはどこだ?」


「カミール爺さんなら、少し前から行方不明だよ。また洞窟のどっかで部屋を増やしてるだけだとは思うんだけど……ああ、爺さんの姿が見えなくなった頃からか?」


 洞窟内で帝国兵の目に精霊の姿が映るようになったのは、カミールの姿を見かけなくなった頃かららしい。

 詳しく聞いてみると、地震と錯覚したあの衝撃より数日前のことだった。


「呼びかけてみるとクルクル回ったり、結構愛嬌があるんだよな、見た目は不気味だけど」


「慣れると案外可愛いだろう。簡単な遣いまでしてくれるぞ」


「え? そうなのか?」


 とりあえず聞きたいことは聞けたので、と帝国兵を開放する。

 別れ際には、木の根についてを伝えておいた。

 剣を抜いて攻撃行動を取ると襲われる、武装を解除されたのちにイヴィジア王国の国境へと放り出されるようだ、その際には全裸にされているので粗末なものを晒したくなければ気をつけろ、と。


「ある意味で、帝国ここは安全な国になっているようだ。皇帝はいなくなったことだし、帰るべき家、守りたい家族がいるのなら、洞窟から出て今のうちに故郷に帰ったらどうだ?」


 現在のズーガリー帝国は知る者は少ないとはいえ、王のいなくなった国だ。

 間違いなく荒れる。

 その時に、家族の側で家族を守れるかどうかは、今この瞬間の選択にかかっているだろう。







 子守妖精の案内で洞窟を進み、地下を流れる川へと辿りつく。

 一度クリスティーナがカリーサを探しに来た場所で、カミールがジャスパーとアルメルの弔いをすると言っていた場所でもある。

 何も無い薄暗い空間を見渡すと、ふと地面に色があるのを見つけた。

 何があるのか、と近づいてみると人影があることに気がつく。

 しばらく姿が見えないと聞いていたカミールかと思い人影の顔を確認すると、人影は黒いフードのついた外套をまとっていた。

 この姿は、少し前に見たばかりだ。

 地上の森の中で木々の合間を縫って歩き、クリスティーナから逃げていた男だ。


「……ジャスパー、か?」


 何故ジャスパーがここに、と考えて、すぐにその答えへと辿りつく。

 ジャスパーの足元には薄い水色が可憐な花が咲いていた。


 条件としては、最初から揃っていたのだ。


 子守妖精はクリスティーナがカミールから貰ったエノメナの球根から生まれた。

 エノメナの花を育てる際に、クリスティーナは夢のお告げに従いカリーサの遺骨をエノメナの鉢へと埋葬もしている。


 妖精の生まれる球根がひとつだけだったとは限らないし、ジャスパーたちの遺骨を運んでいったカミールが実際に二人を弔うところを俺は見ていない。

 ここでジャスパーの姿をした何かと遭遇することが、まったくありえないことだとは言えなかった。


 ……好意的に考えるのなら、墓を飾るために球根を埋めた、というところか?


 二人を埋葬すると言っていたカミールが、さすがにその二人の遺骨までも実験道具にしたとは思いたくない。

 となると、小船に乗せて遺骨を川へ流すと言っていたことと矛盾が生じるのだが、そんなことは今はどうでもいい。


「ティナはどこだ?」


 どうせ答えないだろうな、と思いつつもジャスパーへと問いかける。

 すると、意外なことにジャスパーは無言のまま手を動かし、川の対岸を指差した。

 ご丁寧なことに、川を渡りやすいようにと水の中から足場になる岩まで現れた。


「……案内する気があるんなら、最初からティナから引き離すなよ」


 つい漏れた愚痴へは、少女の声で返事があった。

 声に驚いて視線を戻すと、ジャスパーが立っていたはずの場所にはいつか見た姿のままのアルメルが立っている。


 ――私もジャスパーも、案内する気はあったのよ。ただ、あなたが他の精霊ひとに足止めをされちゃっただけで。


「なるほど、つまり、ティナと引き離されたのは精霊たちの自作自演か。中々知恵が回るようだな」


 これは本格的におかしい。

 気難しい精霊も少なくは無いが、基本的には大らかで嘘をつかない精霊ばかりを見てきた。

 その精霊かれらがクリスティーナと俺を故意に分断し、クリスティーナの元へ案内してほしければ名を寄越せという乱暴な方法を取ったことが信じられない。

 どちらかといえば、これば人間にやり方だ。


 ……やはり、精霊は誰かに唆されているようだな。


 対岸に渡ると、岩陰に横穴が隠されているのを見つける。

 子守妖精がその中へと迷いなく飛び込んでいくので、そのあとを追った。

 薄暗い通路を歩くと階段に行き当たり、今度はその階段をひたすらに上る。


 暗く細い階段だったのだが、ある時急に周囲が明るくなった。

 明るい周囲を見渡してみると、石造りの壁が丸く周囲を囲っており、白い階段は真珠色をしている。

 周囲の変化を見るに、どうやら洞窟を抜けたらしい。

 もしかしなくとも、黎明の塔の入り口どころか、すでに塔の中に入っているようだ。


 階段を上りきると、広い部屋の中央にクリスティーナの黒髪を見つけることができた。


 部屋の中央に立つクリスティーナは、困惑しながらも『精霊の座』とその前に立つカミールへと手にした銃を向けていた。

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