第4話 闘技大会とサリーサの恋の行方 1

 夏が終わりに近づくと、グルノール砦では他の砦よりも遅れて闘技大会が行われる。

 この闘技大会の成績によって砦内での地位や給金にも影響があるので、黒騎士とその家族は毎年本気でこの大会に挑んでいるらしい。

 私はというと、以前は大柄な男性たちが剣を振り回す闘技大会など怖いし、興味もなかった。

 昨年は一年中館に引き籠っていたので、『気が付けば終わっていた』というぐらいの関心しかない。

 レオナルドは応援に来てほしかったらしいのだが、わざわざ怖い思いをしに時間を使ってまで出かける気にはならなかったので、毎年少し顔を出す程度の付き合いだ。


 そんな理由わけで、朝から闘技大会を見に行こうと準備しているのは、私としては珍しいかもしれない。


 ……せっかくソフィヤ様がくださった帽子も、被らないともったいないですからね。


 猫耳が付いていることは気になるが、帽子に罪はない。

 ソフィヤとしても、春華祭の贈り物を伯母として贈ってくれたのだから、こちらにも罪はない。

 ただ私が、十七歳にもなって猫耳を付けるはめになるのか、とちょっぴり気恥ずかしいだけだ。


 帽子から伸びるリボンを顎で結んで、ミルシェがリボンの長さを確認する。

 以前は見習い女中メイド扱いだったのだが、十五歳になったミルシェは一人前の女中として働いていた。

 レオナルドに買われたミルシェには本来給金など払う必要がないのだが、レオナルドは少しずつミルシェの給金としていつかお嫁に行く時のためのお金を貯金している。

 おそらくは、ルシオがミルシェを買い戻せるだけのお金を貯めて迎えに来る頃には、退職金とでも言ってミルシェを開放するつもりなのだろう。


 本当に、私の友人を法に則って保護してくれただけのようだ。


 友人が使用人になってしまったことについては思うこともあるが、ミルシェを少女娼婦にしておくことを思えば、やはり今の形が一番よかったと思う。

 私たちがお互いを『ミルシェ』『クリスティーナ様』と、主と使用人として呼び合うのは、もう数年の辛抱だ。

 ミルシェをルシオが迎えに来たら、またもとの友人関係に戻れるはずである。

 

「カリーサ、クリスティーナ様の護衛をしっかりね」


 子守妖精カリーサ用にとサリーサが作った小さなメイド服を着て、子守妖精が『任せておけ』と薄い胸を叩く。

 頭にはこれまたサリーサが作った小さな帽子を被り、子守妖精は私の肩に陣取っていた。


「カリーサがいれば、万が一誰かの剣が折れたり、弾き飛ばされたりしてきても、大丈夫そうですね」


「レオナルド様の突進も防ぎましたからね。その点では私も安心しています」


 とはいえ、今日は途中で少し自分が抜けるので心配だ、とサリーサは顔を曇らせる。

 サリーサは少し用事があるらしく、今日の闘技大会で私についていく役目をミルシェに任せていた。


 ……サリーサの想い人って、黒騎士らしいからね。応援に行くのかな?


 そろそろサリーサの想い人の正体が判るだろうか、とそちらも少し楽しみにしている。

 近頃はどこもかしこも、夏だというのに春真っ盛りだ。

 ジャン=ジャックとジゼルがいい感じらしいし、アルフレッドは結婚して王都へ戻った。フェリシアもお気に入りの騎士と結婚し、アリーサもイリダルを口説いている最中とのこと。

 バシリアとディートフリートが婚約し、ミルシェはルシオが迎えに来る予定で、エルケは大店の三男と婚約したと先日館に呼んだ時に教えてくれた。

 本当に、あちらこちらで纏まるべき話が纏まっている。


 ……まあ、アーロンとペトロナちゃんは相変わらず微妙な感じみたいだけどね。


 アーロンとペトロナについては、私には手も口も出せるものではない。

 アーロンはいずれ王都に戻る白銀の騎士で、ペトロナは実家の跡取り娘だ。

 ペトロナが家を出て王都へ行くか、アーロンが騎士を辞めてペトロナの家に入るしか、二人が纏まる道はない。

 そして、アーロンは視力を失いつつも騎士を辞めずに私の護衛を続けている。

 これを思えば、アーロンが白銀の騎士を辞めてグルノールの街に留まるとは考え難いだろう。


 そんなこんなを考えている間に、身支度が整う。

 今日の護衛は行き先がグルノール砦ということで、普段は館の中の護衛をしているアーロンだ。

 グルノール砦ならアーロンも間取りを覚えているということで、護衛を任せることができるだろう、とジークヴァルトからのお墨付きもある。

 そのジークヴァルトはというと、こっそり闘技大会に出場するつもりらしい。

 しっかり事前に飛び入り参加の申請書類を提出していたようだ。

 ジークヴァルトは私の護衛としてグルノールの街に出向しているはずなのだが、油断も隙もないちゃっかりさんだった。







「……あれ? もしかしてティナちゃんか? すっかり綺麗になったな」


「こんにちは、テディさん」


 裏門を通って闘技大会の行われるグルノール砦の中庭へと向かう。

 その途中で顔見知りの黒騎士に会い、以前のように愛嬌を振りまいた。

 以前は幼女というプレミア的価値のある愛嬌だったと思うのだが、残念ながら今の私は幼女ではない。

 実年齢より幼くは見えるが、そこそこの年齢の少女には見えているはずだ。

 そこそこの年齢の少女が振りまく愛嬌など、幼女の愛嬌ほどの有り難味はないかもしれないと思いかけて、これを否定する。

 今生の私は、両親が可愛らしい顔立ちに産んでくれた。

 実年齢はともかくとして、美少女が振りまく愛嬌だ。

 それなりの価値はあるかもしれない、と思い直して顔なじみの黒騎士に会うたび愛嬌を振りまく。

 笑顔は人付き合いの基本だ。

 いかに引き籠りの私であっても、そのぐらいは知っている。


 ……知らない顔も結構増えたね?


 愛嬌を振りまきつつ移動していたら、どこかで私が来ていると噂になったらしい。

 チラホラと知らない顔の黒騎士まで私へと挨拶にやって来た。


 ……新入りさんかな?


 砦の新入りは、まず門番の仕事を任せられる。

 その門番のうち何人かは、砦の主が住む城主の館の門番として配置されていた。

 さすがに館の門番とは面通しをしているので、私の記憶にない新入りというのは少し珍しい。

 もしかしたら私が王都に行っていた二年か、誘拐されていた二年の間にグルノール砦へと配属されたのだろう。


 黒騎士の案内でレオナルドの天幕へ顔を出すと、全身を鎧に包んだレオナルドが書類へと目を通していた。

 闘技大会こんなひでも、騎士団長は書類仕事から逃げられないらしい。


 ……レオナルドさんの鎧姿ってあまり見ないけど、すっごく敵キャラ感あるよね。


 それも、敵は敵でもボスクラスの敵キャラだ。

 全身が黒く、騎士団長という役割からか鎧の意匠はゴテゴテと威厳があり、はっきり言ってしまえばトゲトゲとした肩当てが一昔前の悪役としか見えない。

 これは所属する騎士団で変わってくるのだが、グルノール騎士団が差し色として意匠に用いる色は深紅で、黒との相性は悪くない。

 その結果として、刺々しい漆黒の鎧に深紅のマントのレオナルドは、どこからどう見ても魔界四天王とか言い出しそうな外見ノリになる。

 これで黒犬オスカーでも足下にいれば絵的に映えるのだが、レオナルドと並べようとしてすぐに用意できるのは黒柴コクまろだ。

 真っ白な丸い麻呂眉が目印の黒柴が足下に侍っていれば、せっかくのボスキャラ感も台無しであろう。


「……今年もレオナルド様とアルフさんの対戦は一番目なのですね」


「他の砦では団長対副団長は闘技大会の最大の見せ場として、最後に行われるんだけどな」


 グルノール砦は砦の主が少し特殊であるため、闘技大会の対戦順も変わってくるのだ。

 本来ならメインとも言うべき団長対副団長の対戦が最初に行われ、副団長の実力を見せた後で他の砦の副団長半数と対戦させる。

 ここで副団長アルフが負けるようなことがあれば、晴れて勝った他の砦の副団長が団長であるレオナルドと対戦することができる仕組みになっていた。

 一見アルフの負担が多くなっているように見えるのだが、グルノール砦は本当に特殊な状態になってしまっている砦だ。

 団長と副団長が白銀の騎士でもあるため、黒騎士である他の砦の副団長の相手ぐらい、なんということもないらしい。


 ……あれ? でも、アルフさんって、これまでいたアルフレッド様とは違うんだから……ちゃんと強いの?


 そんな心配が浮かんだのでレオナルドにこっそりと聞いてみたところ、心配はいらないと答えられた。

 私はすっかり忘れかけていたのだが、アルフレッドも白銀の騎士の一員である。

 初めてグルノールの街にアルフレッドがやって来た時の名目は、白銀の騎士として聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の護衛をしてきた、というものだった。

 ということは、レオナルド、アルフレッド、アルフの三人が白銀の騎士ということで、アルフとアルフレッドが入れ替わっているからといって、実力的な意味で黒騎士に劣ることはないのだそうだ。


「レオナルド様の試合はすべて見るとして、……サリーサはどなたの応援に行くのですか?」


「私は応援に行くわけではありませんが、……私の試合はお昼過ぎです」


「……うん? 聞き間違えたみたいです。サリーサの試合がある、みたいなことが聞こえたのですが……」


「はい。私の試合と言いました」


「……はい?」


 またも幻聴が、と聞き返すと、サリーサは真顔で「幻聴ではない」「『自分が試合に出る』で正しい」と言い直す。

 およそ信じられないサリーサの言葉を私が理解するまで、同じことを三回は繰り返してしまった。


「……サリーサが黒騎士の闘技大会に出場するって、いったいどうして……?」


「女には、戦わねばならない時がございます」


「なんだかすっごくカッコいい顔でカッコいいこと言ってるけど、全然意味がわかりません」


 意味わかる? と肩の上にいる子守妖精へと視線を向けると、子守妖精にはサリーサの言いたいことが解ったようだ。

 両手を握り締め、自身がこれから戦いに出るような顔つきをしている。

 これはサリーサを応援しているのだと思う。


「……ちなみに、レオナルド様からの許可は?」


「書類がしっかり揃えられていたからな。たまにはこういう催しもいいだろう、と俺より先にアルフが許可を出した」


 サリーサの試合は昼過ぎの、本当に昼食の時間が終わった後だ、とレオナルドが予定表を見せてくれる。

 試合が設定されている時間帯をみるに、闘技大会の余興扱いなのだろう。

 余興と考えれば、それほど危ないことはないはずだ。







 レオナルド対アルフの、本来ならば闘技大会の最後を飾るはずの一戦は、あっという間もなく終わった。

 試合開始直後に二度、三度と肩慣らしに打ち合ったかと思うと、勢いよく振り下ろされたレオナルドの剣がアルフの剣を『斬った』のだ。

 それはもう見事に、なんの抵抗もなく、スッパリと。


 アルフが咄嗟に盾を掲げたためことなきを得たが、レオナルドの剣を受け止めることになった盾は、こちらも中ほどまで剣で斬られてしまっている。

 叩き割ったのでも、へこんだのでもなく、文字通り『斬られた』だ。


 普通、レオナルドたちが使っている剣は、このようには斬れない。

 というよりも、斬るためには日本刀のように研ぎ澄まされた刃が必要になり、肉や骨は切れても盾のような鉄の塊は斬ることが難しいのだ。

 できたとしても、表面に傷を付けるぐらいで、分厚い盾の中ほどまで刃を食い込ませることは不可能だろう。


 これがレオナルドたちの使う剣になると、切れ味という意味では数段下がる。

 日本刀が文字通り『斬る』ものならば、こちらは『叩き斬る』や『叩き割る』と表現した方が近い。

 切れ味で劣る代わりに刀身には厚みがあり、それだけ丈夫だ。

 劣る切れ味は、腕力で対象へと剣を叩き込むことで補っている。


 そしてレオナルドは、切れ味の悪い剣でアルフの剣と盾とを『斬って』いた。

 これは少しどころではなく異常だ。

 剣のことなど素人の私でも判る。


 アルフの剣と盾が斬られたことで、試合はそのままレオナルドの勝利で終了となった。

 試合会場とされている四角い柵の向こうから釈然としない顔で戻って来た二人は、互いに首を捻っている。

 やはり同じことが気になっているのだろう。


「……そこまで力を込めたつもりはないんだが」


「年々おまえの馬鹿力が増していないか? いくら人並みはずれた馬鹿力でも、三十ともなればそろそろ衰え始める年齢だろう」


 衰えるどころか非常識な域にまで達している怪力に、二人揃って難しい顔をする。

 口を挟める雰囲気ではなかったので黙ってレオナルドの天幕まで移動すると、黒騎士がジュースやお菓子を差し入れてくれた。


「しばらくぶりに顔を見せたからか、サービスがすごいですね」


「これは違うと思うが……」


 せっかくのお菓子なので、とミルシェと子守妖精とで仲良く分けて戴く。

 お疲れ様、とレオナルドとアルフにもお菓子を分けたら、アルフが苦笑いを浮かべていた。


「俺の妹に浮かれすぎだろう。あとで訓練を増やしておくか」


「俺のではなくて、俺のですよ、レオナルド様」


 間違えないでください、とレオナルドの発言に訂正を入れる。

 小さなことすぎるが、小さなことからコツコツと意識を改めていかなければ、いつまでも私たちは兄と妹でしかいられない気がするのだ。

 しつこいと顔を顰められようが、ここを譲る気はない。


「それとこれとは話が別だ。気が緩みすぎている、という意味で訓練の追加を検討している」


「今日は黒騎士の皆さんにとって恋人を見つける絶好の機会なので、少しぐらい浮かれても仕方がないと思いますが……」


 数年前までこの闘技大会は、砦の黒騎士たちが街の若い女性に自分をアピールできる、ほとんど唯一の機会だった。

 近年は春華祭に黒騎士の家の子どもを恋の仲立人キューピッドとして砦への贈り物配達に受け入れたことで、妻や恋人のできる黒騎士が増えてきている。

 なにがなんでも闘技大会きょうのうちに女性といい雰囲気になっておかなければ一年結婚が先になるという事態にはならないはずなのだが、やはり今日という日は黒騎士たちにとって特別なのだろう。


「……それではクリスティーナ様。私はそろそろ一度下がらせていただきます」


「サリーサの試合はお昼の後、すぐでしたね。では、わたくしも応援に行きます」


 イリダル仕込みの我が家の女中メイドがどれほど強いのか、少し興味があった。

 以前カリーサから聞いた話によると、カリーサは姉妹で一番弱いとのことだった。

 その弱いカリーサでも黒騎士の一人ぐらいは制圧できるだろうと聞いていたので、サリーサが試合に出るというのなら、いい勝負が見られるだろう。


 ……子守妖精が守ってくれるから、うっかり剣とか槍が降ってきても大丈夫だしね。


 軽い気持ちで腰を上げると、レオナルドがなんとも言えない顔で私を見ていた。

 何か言いたいことがあるのだろうか、と首を傾げると、レオナルドは緩く首を振る。

 なんとなくだが、私にサリーサの試合を見てほしくないのだろう。

 そうは思っていても、私の行動を制限するつもりはないようで、微妙な顔をしつつもエスコートの手が伸びてくる。

 その手に私の手を重ねると、サリーサは私とレオナルドに女中ではなく、騎士の礼を取った。


「クリスティーナ様が期待されているものとは少し違うと思いますが、精一杯頑張らせていただきます」


「はい? ……えっと、応援していますので、頑張ってください」


「ほどほどにな」


 それでは、と天幕から出て行くサリーサを見送り、次にサリーサの姿を見たのは柵で囲まれた四角い闘技会場の中だ。

 サリーサは得物として槍を使うようで、メイド服の上に籠手や胸当てといった簡単な防具を纏っていた。

 そして、対戦相手として少しだけ遅れて会場にやって来たのは、三人の黒騎士に連行――は言葉がおかしい。逃げ出せないように――もなにか違う気がするが、気にするのはやめる。

 とにかく、周囲を黒騎士に固められたパールが会場に現れた。

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