第2話 小さなことからコツコツと

 レオナルドの誕生日が過ぎて夏が来ると、すぐに私の誕生日だ。

 今年で私は十七歳になったのだが、特にこれまでと変わった気はしない。

 レオナルドからの誕生日の贈り物は、深紅の石が嵌った白金の耳飾りだった。

 貴金属や宝石いしの見分けについては覚え始めたので、この白金の耳飾り一つがとんでもない値段だということが、今の私には判る。

 十七歳となった妹への贈り物か、婚約者への贈り物か、と少し意地悪な返しをしたら、正直なレオナルドは私からそっと目を逸らしていた。

 これはいつもどおり、『妹』への贈り物として用意したのだろう。


 ……まあ、そんなすぐに気持ちが切り替わるとは思えないしね?


 長期戦は覚悟のうえだ、と自分に言い聞かせる。

 私の外見がまだまだお子様なのだ。

 いきなり婚約者として見ろ、というのは無理がありすぎた。


 ……小さなことからコツコツと、ですよ。


 小さな一つの変化として、今日は薄く化粧をしてみる。

 もちろん化粧をするといっても、私の場合は他者ひとにやってもらうのが前提だ。

 自分でもできるように、とやり方を教わりはするのだが、実際に私が自分で自分の化粧をする機会などないだろう。

 一応はお嬢様ということになっているので、私が自分で化粧をすれば、誰かの仕事を奪ってしまったということになりかねない。


「……耳飾りにも慣れましたね」


 化粧の出来を確認しながら鏡を覗いたのだが、今日はどうしてもレオナルドから貰ったばかりの耳飾りが気になった。

 頭を左右に揺らすと、白金で作られた小さな花が微かに揺れて可愛らしい。

 少し前までは耳飾りを着けること自体が気恥ずかしかったのだが、慣れた今となっては、どうしてあれほど気恥ずかしかったのかすら思いだせない。

 これが大人に近づくということだろうか。


 今日はこれから、贈られたばかりの耳飾りを着けた私の姿をレオナルドへとお披露目に行く予定だ。

 薄く化粧をした私に、レオナルドは気付いてくれるだろうか、と考えて、すぐにこれを否定する。


 ……気付かないな。レオナルドさんなら、私がお化粧したぐらいじゃ、絶対気が付かない。


 むしろ女性の化粧に気が付くような観察眼を持っていれば、三十歳を過ぎても嫁どころか恋人もいないだなんて事態にはならなかったはずだ。

 私にとっては都合のよい事態とも言えるので、これについてはレオナルドをいじめるのはやめよう、と心に決めておく。

 女心には疎いが結婚相手の条件としては最高で、妹一番すぎて恋人にするには最低なレオナルドを好きになったのは私なのだ。

 少しポンコツなところも込みで好きになったのだから、そこを不満に思うのは私の自己責任である。


「……せっかくですから、髪も大人っぽく結い上げますか?」


「髪はこのままでいいです。そこまで張り切って大人っぽくしたら、今度は滑稽こっけいになりそうですし」


 髪型や化粧で大人らしく整えても、私の身長まではどうにもならない。

 グルノールの街に戻ってきてからというもの、私の体は成長することを思いだしたようなのだが、まだまだ年齢どおりの身長はない。

 ついでに言えば、もともと年齢よりも小柄な方だったので、成長しきったとしても私は小柄なままだろう。

 子どもが大人と同じ化粧や髪型をしても、滑稽な仕上がりにしかならないはずだ。


 ……見た目を弄るより、普段から姿勢や振る舞いに気を付けるべき、だよね。私の場合。


 せっかくヘルミーネという家庭教師に淑女のなんたるかを教わったというのに、最近の私はそれをすっかり投げ出していた。

 思い返せば、ヘルミーネが教えてくれたことは今の私にこそ必要な技術ものであったのだろう。

 女児から少女、淑女へと成長していくために必要な過程を教えてくれたのがヘルミーネだ。


 やはりというか、薄く化粧をしたぐらいではレオナルドはなんの反応も見せなかった。

 正確に言うのなら、何か違うような気はしていたようで、私の顔を見てすぐはわずかに首を傾げている。

 しかし、違和感の理由には気が付かず、さらにはすぐに違和感のある私にも慣れてしまったようで、レオナルドの反応は完全に消えた。

 これが『前髪を一センチ切っただけでも気付け』『自分を褒めろ』というタイプの女性であれば、レオナルドが振られるのは秒読み段階であろう。


 ……やっぱりレオナルドさんって、私以外だとお嫁さんになってくれる人、捕まえられないんじゃない?


 私ならレオナルドの良いところも、悪いところも知っている。

 少なくとも、今さら褒めてほしいタイミングを気付かれなかったぐらいでは失望しない。

 そのぐらいレオナルドには慣れている、と自負しながら、ふと気が付く。


 ……それはそれで、どうなんだろうね?







 追想祭が近づいてくると、ペルセワシ教会からコーディの手紙が届けられた。

 普段はコーディが手紙を届ける役なので、コーディから手紙が届く、というのはなかなかに新鮮な気分だ。


 コーディからの手紙はレオナルド宛で、コーディの近況とジゼルの様子が書かれていたらしい。

 コーディは本来一年かけて大陸を一周する行商をしているのだが、昨年の今頃グルノールの街に顔を出したコーディは、今はズーガリー帝国にいるらしい。

 今、と一言でいっても、実際にはひと月以上前の情報だ。

 これは手紙を出すのも、受け取ることにも時間がかかる今生では、仕方がないことである。


「体調を見ながら、サエナード王国経由でジゼルを運んで来てくれるそうだ」


 ジャン=ジャックも一緒に戻ってくるらしい、というレオナルドからの追加情報を適当に聞きながら、頭の中でざっくりと計算をする。

 コーディが一年かけて回る大陸だ。

 手紙がグルノールの街へ届くまでにそれなりの時間がかかっているので、当然今頃はアウグーン領を出発しているはずである。

 となれば、コーディが商売をしながら移動するのなら、半年後ぐらいの帰還だろうか。

 しかし今が夏で、その半年後となると冬だ。

 冬に旅をすることはコーディも避けたいはずなので、どこかで冬を過ごして春の帰還か、少し急いで秋の終わりぐらいには帰ってくるだろう。


「……それにしても、ジゼルの体調はそんなに悪いのですか? 大怪我をしてすぐに動かせる状態ではなかったからカルロッタ様に預けてきた、とレオナルド様はおっしゃっていましたよね?」


 子守妖精カリーサの悪戯でアウグーン城へ行ったことはある。

 その時にジゼルの姿を見かけたが、体力づくりをしている様子はあったが、体調を考慮する必要があるほどに弱っているようには見えなかった。

 怪我をしたといっても一年以上も経っているので、そろそろ元気になっているはずだ。


「ティナには……」


「クリスティーナ、ですよ」


 相変わらず『ティナ』と愛称で呼ぼうとするレオナルドに、すかさず訂正を入れて話の腰を折る。

 以前は私の方が『クリスティーナ』と呼ばれることに抵抗を感じていたのだが、今は逆だ。

 女性として意識しろ、と言って愛称呼びを禁止したからか、レオナルドは『クリスティーナ』と呼ぶたびに一瞬だけ緊張する。

 その顔がまた良い、とか思っているのだから、私は相当意地悪で天邪鬼だ。

 私に好かれたレオナルドには悪い気がするが、これはもう運命だとでも思って諦めてもらうしかない。


「……クリスティーナには簡単にしか話していなかったが、ジゼルの怪我は本当に酷かった。足のけんが切られていたから、騎士として復帰することは不可能だろう。右手の薬指も切り落とされていて……命は助かったが、本当の意味で傷の付いた娘になってしまった」


 ジゼルがなかなか帰ってこなかったのは、帰りたくなかった、という部分もあるのだろう、とレオナルドは言う。

 もとから華爵の三代目という婿取りの難しい立場だったところに、一本とはいえ指を切り落とされるような傷が残る娘だ。

 ジゼル本人に好意を持っている相手しか、婿にはなれないだろう。


「……ジゼルが黒騎士へいみんでもよければ、砦で何人でも紹介できると思うのですが」


「春華祭に黒騎士の家の子どもが恋の仲立人をするようになったからか、砦の黒騎士も恋人のいない者は減ったぞ」


 その中からジゼルと歳の合う人間を探すと、更に数は減るらしい。

 グルノール砦の独身者たちの嘆きが知らないうちに減っていたことは喜ばしいのだが、ジゼルの将来的には私に役立てることは無さそうだ。

 功績を持った黒騎士なら目の前にいるが、これはもう私のものなので、ジゼルでも譲れない。


 ……いっそカルロッタ様の見立てが当たりで、ジャン=ジャックがジゼルを口説き落とせばいいのに。


 ジャン=ジャックの素行を考えればジゼルに押し付けるのは不安だが、独身の黒騎士といえばジャン=ジャックも当てはまったはずだ。

 あれでグルノール砦では第三位の実力者だそうなので、功績だって取れないことはないかもしれない。


「……そういえば、ジャン=ジャックはどうして戻ってこなかったのですか?」


 一人で残ることになったジゼルに付いているよう、ジャン=ジャックをズーガリー帝国に残して来たとは聞いていない気がする。

 ということは、ジャン=ジャックは私の捜索にズーガリー帝国へ行き、私がグルノールの街に戻ったというのに、一年以上ズーガリー帝国に残っているということになる。

 私がグルノールの街に戻ったと知らなければそういうこともあるかもしれないが、それはない。

 レオナルドは私をつれてカルロッタのいるアウグーン城へと立ち寄っているので、ジャン=ジャックがアウグーン城へと顔を出している以上、私がレオナルドとグルノールの街へ戻ったことは知っているはずだ。


「ジャン=ジャックは……俺がティナを助けて帰ったから、もう少し手柄が欲しいとかなんとか……ズーガリー帝国のことを調べているようだ」


「あ、わかりました」


 どうやらジゼルについては私が気を揉む必要も、暇もなかったらしい。

 すでにジャン=ジャックがジゼルを得るために動いているようだ。

 となれば、あとはジゼルが無事にイヴィジア王国へと帰ってくるのを祈るだけである。







 今年の追想祭は、ちょっぴり楽しみにしている。

 子どものうちは精霊の寵児として追想祭で行われる祭祀を見守る役目があったのだが、晴れて十七歳の大人ともなれば、精霊の寵児としての仕事はない。

 だからといって食べ物の屋台ぐらいにしか興味のない私だったのだが、今年の追想祭だけは楽しみだ。


 なんといっても、昨年はウェミシュヴァラ・コンテストでサリーサが優勝している。

 ウェミシュヴァラ・コンテストの優勝者は、夏の追想祭に広場で行われる劇へ、女神イツラテル役として出演することになっていた。

 つまりは、サリーサが広場で行われる劇に出るのだ。

 これを見逃すわけにはいかない。


「……申し訳ございません。私の軽率な行動で、クリスティーナ様のお側を離れることになるなんて」


「気にしないでください。わたくしも広場へ出かける楽しみができて嬉しいです」


 当日はレオナルドと劇を見に行きますね、と言って劇の練習へ向かうたびに詫びるサリーサを送り出す。

 王都では追想祭のたび精霊に攫われていたと知っているサリーサは、私から離れることが不安なようだ。

 ポケットから飴玉を取り出すと、すっかり私の肩の上を定位置としている子守妖精に飴玉を渡す。

 留守の間しっかり私を守るように、というサリーサからの依頼に、子守妖精は飴玉を受け取ると「任せておけ」とでも言うように薄い胸を叩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る