最終章 黎明に響く聖鐘
第1話 子守妖精
私からの求婚に対するレオナルドの返事は「とりあえず婚約」という確定ではないが、一応私の気持ちを酌んだものだった。
これに対して私は「往生際が悪い」と相変わらずの憎まれ口を叩いてしまったのだが、内心では心臓がバクバクだ。
憎まれ口でも叩いて虚勢を張らなければ、内心でうろたえていることがそのまま
……一応、お断りじゃないし、前向きに検討します、ぐらいに考えておいていいんだよね?
私との婚約に対し、レオナルドがかなり悩んでいたことは知っている。
アルフにも、丁度館にいるジークヴァルトにもレオナルドは相談していたようだ。
なぜ自分にも相談してくれなかったのか、とランヴァルドが少し騒いでいた気もするが、これはアルフが黙らせていた。
アルフがなにを言ったのかは判らないが、あれ以来妙にランヴァルドがおとなしい。
……あと三年で、もう少し胸とかお尻が成長しますように。
さすがに私の身長と体型がまだまだお子様であるという自覚はあるので、これについては祈るしかない。
レオナルドが「妹を嫁にするなんて」と悩むのは、私が幼すぎるという理由もあるはずだ。
私だって、今のままの体格では物理的な意味でレオナルドの花嫁になるのは難しいと思っている。
……
そう考えてみると、三年という猶予は丁度いい期間の気がした。
私が大人として心身ともに成長し、レオナルドは私を一人の女性として見るよう意識を変えていく。
私たち二人にとって、三年は充分な準備期間だと言えるだろう。
……一応婚約って方向で、ベルトラン様は満足したようだし?
私の求婚に対する、レオナルドからの婚約という返事に、ベルトランは満足をして王都へと帰っていった。
どうやら、私の今後の進路をはっきりさせておきたかったらしい。
身内としては唯一の孫娘、それも年頃となった私の今後について、気をもんでいたのだろう。
私とレオナルドの一応とはいえ婚約には、サリーサも喜んでいた。
結婚まで三年もあれば、花嫁衣裳の準備に十分な時間を割ける、と。
三年後の花嫁衣裳など気が早すぎると思うのだが、糸も布も工場で均一な品質のものを大量に作っていた前世とは違い、すべての作業が人間の手によるものだ。
少し凝った衣装を作ろうと思えば、たしかに年単位の準備期間が必要になるのだろう。
どうも私はレオナルドを異性として好きらしい。
そう自覚した後、私の部屋でちょっとした異変が起こった。
植えてから一年以上葉を茂らせるばかりで花の咲く気配のなかったエノメナが、ようやく蕾をつけたかと思うと、翌日の夜には月光を浴びながらゆっくりと赤い花びらを開く。
本来なら花が咲いた、と喜ぶべきところなのだが、花の中から出てきたものに、開花の喜びなどどこかへと吹き飛んでしまった。
それもそのはずで、蕾の中から出てきたものは、本来なら有り得ないはずのものだ。
「……えっと、妖精?」
「そう、見えますけど……?」
そろそろ就寝時間だ、と居間から自室へと戻って来たところで、この異変に気がついた。
茶器を片付けるというサリーサの代わりに、就寝前の身支度を手伝ってくれるのはいつもミルシェだ。
この時間だけは以前のように友人として接してもいい、と保護者たちが気を回してくれていることを私は知っていた。
そのため、ミルシェの口調も少しだけ砕けているのだが、堅苦しい言い回しをしていたとしても、これについては首を傾げるしかなかっただろう。
ようやく咲いた赤いエノメナの花の中央には、小さな女の子が眠っていた。
「……え? 妖精、ですよね? どう見ても。あれ? 妖精なのに、ミルシェちゃんに見えてるの……?」
「物語の挿絵に描かれた妖精にしか見えないけど……え? どうして私に見えるの? 私、精霊の寵児じゃないのに……?」
二人並んで驚きの声を出し、妖精は眠っているようだと遅れて思考が頭に辿りつく。
眠る妖精を起こさないように、と反射的に口へと手を当てて声を潜めた。
「……とりあえず、レオナルド様と他に誰か呼んで来てください。他の人にも見えるか確認してもらいましょう」
「はい」
目を離していいものか、と気になりつつもそっと窓辺から離れ、部屋を出て行くミルシェを見送る。
代わりに扉の前で警護をしていたアーロンへと声をかけ、確認のために部屋の中へと入って来てもらった。
「私には何も見えません。赤い花が開いていることぐらいは判りますが……」
窓辺へと案内したアーロンに、エノメナの鉢の変化を伝えてみたのだが、反応はいまいちだ。
目を細めてエノメナの花を観察してくれているのだが、やはりアーロンの目には花以外の何も映らないらしい。
「……個人差か、目のせいかは判りませんね」
「花が開いていることはなんとなく判りますから、個人差の方だと思います」
ミルシェに妖精が見え、アーロンに見えないというのが少し不思議だ。
私にだけ見えてミルシェとアーロンには見えないというのなら判るのだが、ミルシェはこれまでに精霊や妖精の引き起こす不思議現象に巻き込まれたことはない。
それなのに突然妖精が見えるようになった、というのもおかしな話だった。
「ミルシェに呼ばれたんだが……」
エノメナの花の中に妖精がいた、というのは本当か? と言いながらレオナルドが大股で窓辺へとやって来る。
私の部屋の中の異変ということで、茶器を片付けていたはずのサリーサもレオナルドの後に続いてやって来た。
「……何もいないぞ?」
「カリーサ……?」
エノメナの花が咲いているだけだ、と言うレオナルドと、花の中央に妖精が見えたらしいサリーサの反応は、実に対照的だ。
レオナルドは眉を顰め、サリーサは驚いて目を丸くしている。
特にサリーサは、眠る妖精を見た瞬間に『カリーサ』の名を呼んでいた。
少なくとも、サリーサには私と同じものが見えているようだ。
「わたくしの目にも、小さなカリーサがいるように見えるのですが……」
「はい。私たちの幼い頃の顔によく似ていると思います」
顔立ちはカリーサで、髪の色もカリーサと同じ赤毛だが、少し鮮やかな色をしている。
眠っているので瞳の色は判らないが、これが黒ければカリーサと同じ色を持っていることになるだろう。
もしかしなくとも、カリーサの遺骨を埋めた影響だと思われた。
私の部屋の異変ということで、王都から来ている白銀の騎士にもエノメナの花を確認させる。
より多くの情報が欲しい、ということでバルトとタビサ、ランヴァルドとその護衛二人も巻き込んで調べた結果、妖精が見えているのは私とサリーサ、それからミルシェの三人だけだった。
共通点があるとすれば、三人とも女性であるというところだが、これが条件であればタビサにも妖精が見えるはずだ。
ということは、女性であることは条件に含まれていない。
「……本当に妖精がいるのか?」
「あ」
止める間もなかった。
妖精が見えなかった白銀の騎士やバルトたちが持ち場へと戻ると、レオナルドがエノメナの花へと利き手を伸ばす。
レオナルドの手は空を撫でるかと思ったのだが、眠る妖精の頭を――正確には頬を――無遠慮に押しつぶした。
むぎゅっと力いっぱい頬を押しつぶされた妖精は、ぎょっと深い紫色の目を開くと、即座に反撃を開始する。
自分の眠りを妨げた犯人は、目の前にある指先だとすぐに理解したのだろう。
「なんだ? 何か指に……って、痛っ!?」
妖精に指先を噛まれたレオナルドは、反射的に手を引っ込めかけ、すぐに動きが変わる。
噛まれた指先にぶら下がる妖精は見えていないはずなのだが、レオナルドは器用に中指と親指とで妖精を捕まえた。
「何かいるぞ!? 指を噛んだ。噛んでいる。ギリギリ歯を立てている!」
「……見えなくても、それは判るのですね」
レオナルドが言うように、手の中で妖精はすごい形相をしてレオナルドの指先に噛み付いている。
気持ちよく寝ているところをいきなり突き起こされたのだから、怒るのも当然だろう。
カリーサによく似た妖精は、噛んでいる位置に納得がいかないのか、包囲を解いて逃げようと思っているのか、何度も位置を変えてレオナルドの指先に噛み付いていた。
「……随分凶暴な妖精だな」
「レオナルド様が乱暴に扱うからですよ」
「そうは言ってもな、先に噛み付いてきたのは妖精の方だぞ?」
「違います。レオナルド様が寝ている
おいで、と手を差し出すと、レオナルドが手を開く。
妖精は最後にもうひと噛み、とレオナルドの指に噛み付いた後、私の手のひらへと飛び移ってきた。
……か、かわいい……っ!
目が合うと、カリーサに似た妖精はニパッと笑う。
顔はカリーサなのだが、全体的に幼い姿をしているので印象がまるで違った。
あまりに可愛らしい妖精だったので、思わず指で頭を撫でようとして、空を撫でる。
たしかに妖精の頭を撫でているつもりなのだが、なんの感触もなかった。
……あれ? レオナルドさんは触れたみたいなんだけど……?
不思議に思って首を傾げると、妖精の方も首を傾げる。
頭を撫でてもらえると思ったら、私の指の感触がないので不思議なのだろう。
……あ、妖精から触る時には感触があるみたい?
それとも目に見えているからこそ、今妖精が触れた、と錯覚しているのだろうか。
妖精の頭へと伸ばした指に、妖精の小さな手が添えられる感触がしていた。
……どういうこと?
レオナルドが触れて、私が触れないというのは、少し意外だ。
こう言ってはなんだが、不思議現象に巻き込まれる回数は私の方が多い。
てっきり精霊や妖精といった不思議現象は私担当かと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
何か条件があるのだろうか、と考えていると、サリーサが近づいてくる。
サリーサにも妖精の姿が見えているようなので、手のひらの妖精を近づけてみると、妖精はポンっと手のひらから飛び降りて、サリーサのエプロンのポケットへと飛び込んでしまった。
「え? あれ?」
妖精の動きが見えているのは私とミルシェ、サリーサだけだ。
レオナルドは私の視線を追ってはいるが、妖精の姿は見えていない。
妖精はサリーサのポケットの中でもぞもぞと動いた後、すぐにポケットから顔を出した。
「……ほっぺがパンパンに膨れているのですが?」
「クリスティーナ様の緊急事態用の蜂蜜飴が一つ減っていますね」
言いながら頬を膨らませてムグムグとしている妖精を、サリーサが摘んでエプロンから取り出す。
改めて私の手のひらへと妖精が戻されたのだが、そんなことよりも気になることができた。
「……サリーサも触れるのですね」
「そのようです」
試しに、とお食事中の妖精にことわってからミルシェに触らせてみたのだが、ミルシェも撫でることができなかった。
その代わり、妖精から触れることは私と同じで可能だ。
「何が条件になっているのでしょう? 見えるのはわたくしとミルシェ、サリーサ。触れることができるのはレオナルド様とサリーサの二人ですね」
どちらにもサリーサがいるのは、サリーサがエノメナの花に名前を付けた契約者ではないか、という疑惑への答えだろう。
エノメナの鉢を最初に『カリーサ』と呼び始めたのは、やはりサリーサだったようだ。
……じゃあ、レオナルドさんはなんで触れたんだろうね?
試しにもう一度触ってみてください、とレオナルドに促すと、一度噛まれているレオナルドは渋面を浮かべる。
それでも渋々ながら妖精へと手を伸ばしたレオナルドは、見えていないからか妖精にひらりと身をかわされていた。
……あれ?
レオナルドと妖精の何度目かの攻防に、一つだけ気が付いたことがある。
妖精はレオナルドの利き手の動きに注意しており、逆の手には無関心だ。
というよりも、逆の手は避けもしないし、私が触れようとした時と同じように妖精の体をすり抜けていた。
……レオナルドさんの利き手が問題なの?
見える者と見えない者の差は、ミルシェの誕生日がきて判明した。
今年の春で十五歳になったミルシェが、誕生日の朝から妖精の姿が見えなくなったのだ。
「
きっちり十五歳の誕生日の朝から見えなくなったので、そこは疑いようがないのだが、だからといって納得もできない。
サリーサは妖精に名前を付けた契約者なので判るとしても、夏で十七歳になる私にはまだ妖精が見えているのだ。
必ずしも成人が条件ではないはずである。
「カリーサはクリスティーナ様の
ミルシェは十五歳で子守妖精の守護範囲から外れたが、カリーサにとって私は特別な存在だ。
十五歳を越えたとしても、だからといって目を離せるものではないのではないか、というのがサリーサの意見だった。
カリーサにとって、私はいつまでも子守対象なのだろう、と。
「……嬉しいような、悲しいような、複雑な気分ですね」
ね? と視線を向けると、丁度顔をあげた妖精と目が合う。
妖精は今日もニパッと笑って可愛いのだが、どうやら話すことはできないようで、まだ一度も声を聞いたことがない。
言葉は発せないのだが、以前の私のようにボディーランゲージが激しいので、大体の感情や言いたいことは判断でき、意思の疎通が可能だ。
試しに一度焼き菓子で釣ってマンデーズ館まで運んでくれ、と言ってみたのだが、その時妖精は少し考える素振りを見せた後、チラリとサリーサの顔色を窺った。
視線を受けたサリーサが緩く首を振ると、妖精は短い腕を使って頭の上で×印を作っている。
これほど判りやすい意思表示は珍しいが、おおむねこんな感じだ。
お菓子には釣られそうになるが、意思決定はサリーサに委ねる。
私だけの要求では聞いてくれないのが、この小さなカリーサだ。
悔しいが、カリーサなだけあってしっかりしている。
腰に手を当てて怒った顔を作る時があるのだが、サリーサ曰く「悪戯をして周囲を困らせるな」と言いたいのだろう、ということだった。
……悪戯っこなのは、
同じく悪戯っこの妖精に怒られるのは、なんとも納得がいかない。
妖精カリーサの生態を観察している間に、春の終わりがやって来てレオナルドは三十歳になった。
三十歳と改めて聞くと、なんだか歳をとった気がする。
とはいえ、年齢一桁の私を引き取った時すでに二十一歳だったので、私がもうすぐ十七歳になるのだから、レオナルドもそれなりの年齢になるのは仕方がない。
冷静に考えれば、男性であってもそろそろ結婚した方がいい年齢だろう。
……まあ、レオナルドさんは三年後に私がお嫁さんになる予定なのでよし、と。
三年後といえば、三十三歳のレオナルドに二十歳の私が嫁ぐことになる。
数字でだけ見れば、世間一般的にレオナルドは若いお嫁さんを貰う幸せ者といったところだろう。
……中身は残念だけどね。
中身が残念、はアルフレッドにも言われたことがあるが、今生の私は外見がとびきりらしいので、レオナルドにはそこで相殺してもらうことにしておく。
今すぐに今のままの私が嫁になるわけではないので、そこは期待していてもらいたい。
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