閑話:レオナルド視点 俺とティナ 2

「……よかったじゃないか。なにが問題なんだ?」


 俺の嫁になるというティナの宣言についてをアルフに相談すると、アルフはこともなげにこう答えた。

 問題はない、と。

 おそらくは王都にいるアルフレッドに相談したところで、同じ答えが返ってきたことだろう。

 長年入れ替わっていたせいか、二人の物の考え方は非常に似通っており、アルフレッドとアルフが入れ替わっているはずなのだが、違和感というものがまるでなかった。


「それにしても、クリスティーナもようやく思春期か。ちゃんとおまえに惚れた上での発言なら、問題ないだろう」


「……あれは惚れたって顔なのか? 恋する乙女というよりも、戦場に立つ兵士のような鬼気迫る顔つきだったが」


 ティナが俺の嫁になりたい、と言うのは、実のところ初めてではない。

 以前から嫁入りの話が出るたびに逃げ道として、もしくは消去法で選んだ最良の結果だと言って、俺の嫁になると宣言している。

 この話題が出るたびに「大人になっても同じことを言えたら」「ティナが俺を異性として好いてくれたら」と言葉を濁し、答えを先送りにしてきたのだが、この問題を先送りにするのは限界のようだ。

 ティナをできるだけ長く俺の手元に置いておくためには、今のままの兄と妹という関係が最良だと思うのだが、ティナはそうではないらしい。

 家族は家族でも兄と妹ではなく、夫婦になってしまえばうるさい祖父も黙る、と今の関係を変えたいと言い始めた。


 ……兄と妹で、いいと思うんだけどな。


 恋人同士は、心が離れることがある。

 夫婦も離縁することがある。

 それを考えれば、兄妹という家族関係は不変だ。


 ティナは何が不満なのだろう、と考えて、すぐに撃沈する。

 ティナから『兄と呼んでいたのはサービスである』と真顔で宣言されたことを思いだしてしまった。

 あれは本当に、衝撃的な一言だ。

 兄として数々のいたらなかった点や失敗を思いだせるが、それでも近年は良い兄でいられているつもりだったのだ。

 まさか、最初からずっと内心で『レオナルドさん』と呼ばれ続けていたとは思わなかった。

 ティナは俺よりも一枚も二枚も上手で、こういうところはやはり『女』だったのだろう。

 女性の裏を読むことは、男には一生できない。


 ティナの真顔での宣言を思いだしてうな垂れていると、アルフは恋する乙女なんてそんなものだ、と笑う。

 乙女にとって恋は戦だ、と。


「……ティナは本当に俺が好きなんだろうか」


「それは本人に聞け」


 クリスティーナと呼ぶように言われたのではなかったか、とアルフに指摘され、思わず眉を寄せる。

 ティナの成長を促すために愛称をやめて『クリスティーナ』と呼ぶことには異論はないが、ティナを女性として意識するために『クリスティーナ』と呼べ、と強制されることには抵抗があった。


「ティナに俺を好きかと聞いたら、利点と欠点を並べた後で最終的にこれが最良の選択だ、とか言われるだけな気がする」


 どう自分と俺にとって都合がいいのか、と細かく説明はしてくれるだろうが、好きだとか愛しているという甘い言葉をくれる気がしないのがティナだ。

 これぐらいはさすがに判る。

 ティナとは、そういう女の子だ。


「女の子の言う『好き』は、いつか冷めるからなぁ……」


 ティナの顔つきを見れば、たぶん俺のことを好いてくれたのだろう。

 そうは思うのだが、女性の言う『好き』はいつか冷めるものだと身に染みている。

 今は夫婦になりたいと言ってくれるティナも、いつか同じ口から「やっぱり兄妹のままの方がよかった」と言い出さないとも限らない。

 俺はそれが今から想像できてしまい、恐ろしくもあるのだ。


「俺なんかは、初恋の子がいつまでも忘れられないぐらいなんだが……」


 女の子は薄情だ、と愚痴ると、すっかりアレのことが心の傷になっているな、とアルフが肩を竦める。

 今はアルフレッドと入れ替わっているが、当時は兄王子として俺と妹王女を見ていたはずなので、俺の荒れようもアルフは覚えているはずだ。


「観念するまで迷惑なほど毎日、毎日、毎日追い掛け回されていた相手に、ある日突然『もう飽きた』『他に好きな人ができた』とか言われた俺の気持ちがわかるか? とどめに別の男の子どもを身ごもったとか言い始めて……」


 ある意味ですごい体験だった、と当時を思い返して遠い目をしてしまう。

 当事者である俺たちにしてみれば、王女が心変わりして別の男と関係を持った、というだけの話だったのだが、周囲は面白おかしく囃し立てた。


 中でも多かったのは、腹の子どもが俺の種だという話だ。


 正式な婚礼を待たずに王女と関係を持ち、戦場からなかなか戻ってこない俺に、腹の目立ち始めた王女が焦って別の男を赤子の父親として用意したのだろう、という王女にも俺にも、赤ん坊の父親に対してすら失礼な噂だった。

 本当に、誰一人得をする者がいない噂だ。

 ああいった噂はどこからどのようにして広がるのか、と考えてうんざりする。

 王女との顛末には、わずかながらに良い面もあったのだ。


 当時増えすぎていた俺の養父・養母希望者が、あの事件の後、何人も手を引いている。

 噂を信じた人間が、王女を孕ませたうえで捨てた俺が国王に睨まれると判断し、家に取り込むことを危険だと判断したのだ。

 これに関してだけは、本当に第七王女には感謝している。

 国王のお気に入りで、王女を娶る親のいない男、しかも功績まで付いてくる、ということで、俺の取り合いは激化していた。

 白銀の騎士とはいえ孤児で立場の弱い俺は、本当に困り果てていたのだ。


「……アレについては私も不思議だった。そもそも子どもの父親に、おまえから乗り換えるほどの魅力がないからな」


 第七王女の好みからも外れているはずである、と言ってアルフは首を傾げる。

 この話は、最初からどこかがおかしいのだ、と。


「考えてみれば、レオナルド信者のあの第八王女クローディーヌ第七王女マルティーネとの婚約には口を出してこなかったからな。第八王女なりに、第七王女をおまえの妻として認めていたんだろう」


 そんな第七王女が、突然心変わりするということがまずおかしい、とアルフは言う。

 俺としてはただの心変わりだとしか思えなかったのだが、この件についてアルフは王都でもいろいろと考えていたようだ。


「第七王女の行動については長く謎だったが、おまえとランヴァルド様を見ていると、これか、とは思うな」


「ランヴァルド様? ……まあ、少し俺とは似ていると思うが」


 似ているとは思うが、それだけだ。

 ランヴァルドが俺と似ていたからといって、王女が俺を裏切る理由にはならない。


「……もしかしたら、ランヴァルド様の遠戚にでも俺の父親がいるのかとは思ったことがあるが」


「というよりも、ランヴァルド様がおまえの父親なんじゃないか?」


「ランヴァルド様はテオの父親だろう。本人がそう言っていた。俺の父親にしては歳が近すぎる」


 今年で三十六歳になるランヴァルドと、春の終わりに三十になる俺とでは六歳しか差がない。

 さすがに六歳児に子どもを作ることは不可能だろう。


 ……ランヴァルド様が俺の父親のはずがない、って証拠ならいくらでも出てくるんだよな。


 年齢のこともあるが、ランヴァルドが王城から逃げ出したのはざっと二十年前だ。

 その頃の俺はギリギリ親元にいたか、もう王都のドゥプレ孤児院にいたかで、本当にランヴァルドの子どもだとすれば、王族に捕捉されていないはずがない。

 さらに言うのなら、六歳の王子が父親であったのなら、当時の王であったエセルバートが目を離すわけがないし、娼婦ははになどおれを預けるとも思えなかった。


「ランヴァルド様はたしかに御自分で『テオの父親』だと言っているが……私はおまえの昔の名前を知らない」


 本名は? とアルフに問われ、思い切り顔を顰めてやる。

 アルフにも、どうやら俺の本名は名乗らない方がいいらしい、という話はしてあるはずだった。


「……どこにでもよくある名前だ」


 ティナの少ない交友関係の中にもいるほどに、本当にどこにでもよくある名前だ。

 そう続けると、どうやらアルフにとっては満足のいく返答だったらしい。

 王都でアルフレッドが俺の家族を見つけたかもしれないと言っていた、と言い始めた。


「クリスティーナの誘拐でゴタゴタしている時に、アルフレッド様が言っていた。そのあと、クリストフ様から許可を得ておまえの身上調査書を読み直していたんだが……」


「その調書なら、俺も王都で目を通した」


 ティナが珍しく俺とお出かけしたい、と言ってくれたので、観劇に行ったり、知人の墓参りをしたりと、積極的に外出をした時期がある。

 その時に、少し気になって自分のことを調べもしたのだ。


「目を通したのなら、おまえは気が付かなかったのか? 調書には不自然なところがあった。正確に言うのなら、おまえ自身に聞いた話と違いがある」


「違い?」


「おまえが主人公にされた物語があったが、物語あれとは違って、おまえは親に売られて奴隷になった、と言っていただろう?」


「確かに言った」


 ティナにもそう話している、と続けて、ふと思いだす。

 同じ質問を、アルフレッドからもされているはずだ。


「おまえを助けたという白騎士サロモンの書いた報告書だったが、奴隷として『攫われた』子どもを助けたことになっていたぞ」


「そんなはずは……いや、そうだな。確かに、あの調書にはそう書かれていた気がする」


 結果としては変わらないので、自分の知らぬ間に書かれたサロモンの報告書と自分の記憶の差異など気にしたことがなかった。

 確かに親に売られた、とサロモンには話していたのだが、どうやらサロモンはそれを俺の思い違いか何かと判断し、奴隷として攫われた子どもとして報告書を作成していたらしい。

 よくよく考えれば、俺がサロモンに助けられた二十年ほど前は、メイユ村の転生者が売られたことでイヴィジア王国内でも人の売り買いについて法が改められたかどうかといった頃のはずだ。

 サロモンが俺の発言を『子どもの勘違い』とし、正しい情報として『奴隷商人に攫われた』と訂正して報告することも、ないとは言い切れない。


「……他にも不自然な点があるぞ。そもそも白騎士がおまえを助けられたことがおかしい。以前おまえは、奴隷商人の馬車に押し込められて国境を越えた覚えがある、と言っていただろう?」


「言った。サロモン様にもそう話しているはずだが……」


「それが本当なら、白騎士はどうして帝国領内にいたんだろうな?」


「……うん? そういえば」


 こうして並べられてみると、確かにおかしい。

 俺には国境を越えたという記憶があり、しかしイヴィジア王国の騎士であるサロモンに助けられている。

 これがどちらも正しいとすれば、サロモンは国境を越えて奴隷商人を追いかけていたということになるはずだ。

 これが事実であれば、少々どころではなくまずい。

 兵士がおそらくは、無断で国境を侵したことになるのだ。


「二十年前……そろそろ三十年前と言った方が近そうだが、あの頃の国境付近は実に微妙な時期だったはずだ。それこそ白騎士がひそかに国境を越えるなんてことがあれば、開戦時期が早まるぐらいには」


 ついでに言えば、実力的な意味でも白騎士が密かになど国境を越えられるわけがない。

 国境付近にいたことから、王都にいる門番しか任せられない白騎士とは一線を画していたようだが、それでも黒騎士になれる力はなかったということになる。


「おまえの証言と白騎士の報告には矛盾がある。おまえの言うように国境を越えていれば白騎士に子どもを救うことなどできないし、イヴィジア王国内であれば白騎士はおまえを助けられるが、おまえが国境を越えただなんて記憶をもっているはずがない」


 おまえが越えたという国境は、どの国境か、とアルフに聞かれ、メール城砦のはずだ、と答える。

 はっきりと名前を覚えているわけではないが、音の響きが短かった。

 国境沿いにある砦はルグミラマ砦、グルノール砦、メール城砦の三つで、すべてに俺が君臨しており、この中で名前が短いのはメール城砦だけだ。


「白騎士サロモンの報告書によると、おまえはレストハム砦の手前、アンハイムとポツダールの中間あたりで保護されたことになっている。おまえが保護された当時の帝国との国境はメール城砦ではなく、レストハム砦だ」


 ついでに言えば、サロモンの報告書では国境を侵したとは一言も書かれていない。

 それもそのはずで、あの当時のアンハイムとポツダールはイヴィジア王国領内だったのだ。

 サロモンは国境を侵してはおらず、俺の記憶の方がおかしいということになる。


「アンハイムとポツダールといえば、丁度テオの足取りが途絶えた辺りだな」


「……何が言いたい?」


 テオの行方についてはアルフレッドが調べていたので、その情報がそのままアルフに渡っていたとしても不思議はない。

 俺もアルフレッドから聞いたことがある情報だ。


「ランヴァルド様が、近頃クリスティーナとしている遊びがあるだろ。視点をテオに変えれば、おまえの思い出と重なるものがあるのではないか、と」


 この遊びをすると、俺の記憶とサロモンの報告書の矛盾が繋がるのだ、とアルフは言う。

 テオが連れ出されたのはメール城砦にある国境で、俺の記憶にある国境もメール城砦だ。

 捨てられた地域はさすがに判らないが、狼の餌として途中で置き去りにされ、サロモンに助けられている。


「……待て。それだとテオが売られた頃にサロモン様が生きていることになる。俺はサロモン様をこの目で看取ったんだぞ?」


 サロモンが他界していなければ、俺がティナを引き取ることもなかった。

 となると、ティナを通じて俺がテオに出会うこともない。


「白騎士サロモンは国境を越えていないんだから、報告書にあるようにおまえを保護したのは二十年前だ。メール城砦を越えたというおまえの記憶と、白騎士の報告書を繋げるのなら、アンハイムとポツダールの間で二十年ぐらい時間がおかしなことになっている。普通ならありえない話だと笑い飛ばすところだが……」


「ティナを見ていると、少しぐらいの不思議は起こり得る、か?」


「メール城砦を出てから白騎士に保護されるまでの間に、二十年前のおまえは精霊に攫われるかどうかしたんじゃないか?」


 その時に起こったなんらかの現象が原因で、本名を名乗るなと言われているのだろう、というのがアルフの考えだった。

 矛盾した二つの話が、ティナという不思議現象に巻き込まれる妹の存在一つで、仮定とはいえ繋がってしまう。

 理性では有り得ないことだと否定してしまうのだが、ティナを見ていれば有り得ないとは言い切れないのだ。

 事実として、俺の名前は――


「……っ!?」


 普段は記憶の底に沈めてある名前が、思考につられて浮かび上がる。

 脳裏に浮かんだ名前を内心でだけ読み上げようとしたのだが、その瞬間に強い視線と肩に鋭い痛みが走った。

 反射的に肩を押さえ、視線の主を探す。

 とにかく強い視線が突き刺さっているのだが、視線の主は複数いるようだ。

 複数というよりも、無限に感じる。

 部屋の隅、カーテンの裏、インク壷の陰、引き出しの隙間といった、とにかくいたるところから『見られている』のが解った。

 『見られている』という言葉は、少し優しいかもしれない。

 正確に言うのなら、『見張られている』という表現の方がぴったりだ。


 俺が『世界』から見張られている。

 うっかり本名を洩らすその瞬間を、今か今かと『姿の見えない誰かたち』に注目されているのが解った。


「レオナルド? どうかしたのか?」


「……なんでもない」


 叫びだしそうになる痛みは歯を食いしばって耐え、背中を流れる冷や汗は無視する。

 アルフからの呼びかけは、正直助かった。

 これに気を取られたおかげで、視線からも、名乗らない方がいいらしい本名からも、思考が逸れた。


 ……視線が消えた、な。


 浮かび上がりかけていた本名が再び霧散すると、突き刺さるようだった強い視線も嘘のように消える。

 本名について少し考えただけで、こんな体験をしたのは初めてのことだ。

 これまでの自分と何が違うのか、と考えれば、これまで以上に精霊と関わるようになった。

 ティナは頻繁に精霊に攫われているし、俺自身も神王に助けられたことがある。

 このどちらかで、精霊から目を付けられたのだろう。


 ……どういうことだ?


 理由わけが解らないながらも、一つ気になることがある。

 アルフの考えが仮に正解だったのなら、俺の初恋の女の子はティナということになる。

 そして、俺がなりたかった初恋の女の子に全幅の信頼を寄せられていた存在が、今の俺自身ということにもなった。


 ……本当に、どういうことだ? 何がなんだか……?


 とりあえず、俺がティナを妻に迎えることに問題はなかったのか? と浮かび、すぐにこれを否定する。

 いかにティナのような不思議現象に巻き込まれる存在がいるとして、自分までもがそうだとは考えられない。

 アルフの仮説はあくまで仮説で、二つの矛盾する話を無理矢理一つに繋いだだけのものだ。

 二十年ほど時間がおかしいという仮説を説明できない限りは、この矛盾たちは繋がらない。


 ……そもそも、今さら八歳から妹として育てたティナを、女性を見る目で見るというのも、どうなんだ?


 ティナは自分を女性として見ろ、と言って俺への呼びかけを変えたりとしているが、俺にとってティナはティナだ。

 少しぐらい呼び方が変わったからといって、突然女性として見ることなんてできない。


 ……ああ、いや。ティナが初恋のあの子だっていうんなら、俺が好きなのもティナってことに……? あれ?


 グルグルと思考が回り始め、答えらしい答えが出てきてくれない。

 あまりに混乱したので、ティナからの求婚へは「とりあえず婚約ということで」とお茶を濁しておいた。

 ティナは「往生際が悪いですよ。それは逃げですね」と憎まれ口を叩いていたが、この答えで一応の納得をみせてくれる。

 二十歳になるまでの三年間で大人として見られるよう努力します、と淑女の礼で応じていた。


 俺はこの三年で、妹を女性として見られるよう意識を改革していかなければならないだろう。

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