第32話 自覚と開花

 ……よく来るなぁ。


 ベルトランがグルノールの街にしばらく滞在するとは聞いていたが、ほぼ毎日のように城主の館を訪ねてくるとは思わなかった。

 残念なことに追い返す理由も、先に予定があったりもしないので、つい相手をすることになっているのだが、こうも連日では疲れてしまう。

 落ち着いた私にすっかり元の仕事人間に戻ってしまったレオナルドも、これには何か含むものを感じたようだ。

 普段であれば夜まで帰らないレオナルドが、今日は私の休憩時間に合わせて顔を出してくれた。

 まるで私の休憩時間を狙ったかのようにベルトランが顔を出すので、懐かしい前世の三者面談のようだ。

 この場合、訪ねてくるのは教師ではなく、一応私の身内である。


「今日はレオナルドも一緒か」


「連日ティナの相手をしていただいていると聞きまして、そのお礼をと」


 少しだけレオナルドの口から出た『連日』のアクセントが妙な気がした。

 きっと気のせいではない。

 私にベルトランの家に帰りたいか、と聞いてくるくせに、私の意思を無視してベルトランが連れ去ることは許さない、とでもけん制してくれているのだろう。


「二人揃っているのなら、丁度いい。……そろそろどうするつもりか、聞いておこうと思ってな」


「どう?」


 なんだ、もともと私とレオナルドに用事があったのか、とレオナルドと顔を見合わせて首を傾げる。

 ベルトランに『どうするつもりか』などと、改めて聞かれることに覚えがなかった。


「……ベルトラン様の家の子になるつもりはありませんよ?」


「いや、それはもうよい。おまえも元気で過ごしているようだし、引き取ったところですぐ嫁に行く年齢だろう」


「そうですね……?」


 はて、少し態度が丸くなったな、と頭が疑問符で埋まる。

 この世界の風習では、女児の方が跡取りとして望ましいとされていた。

 てっきり私を引き取って跡取りに据える気かと警戒していたのだが、ベルトランの考えも変わってきたようだ。


 ……まあ、私としてはレオナルドさんから引き離されるんでなければ、良し。


 なんだ、随分と丸くなったな、これなら仲良くやっていけるかもしれない。

 これからはもう少し優しく接してみよう、と思い始めたところへ、ベルトランの用件が提示される。

 そろそろ年頃なのだから、結婚については考えているのか、と。


「アリスタルフとは従兄弟なのだから、アリスタルフと結婚して家にもど……」


「お断りです」


 結局それか。ちょっと絆されてしまったじゃないか、と内心でだけベルトランを罵倒する。

 手を変えてきただけで、内容はいつもと同じだ。

 家に帰って来い、と言っているのだ。


「用件はそれだけですか? それでしたら……」


「いや、待て。まだある。気が短いにも程があるだろう」


「わたくしは何度もレオナルドお兄様からは離れません、と言っているはずです」


「では、そのレオナルドの嫁になればいいだろう」


「……へ?」


 アリスタルフの嫁になれ、と言ったそばから今度はレオナルドの嫁になれ、とベルトランは言う。

 これはつまり、私を家に連れ戻すことが目的なのではなく、前世でもあった『そろそろいい歳なのだから、早く嫁に行け』攻撃だ。

 たしかに、実年齢だけなら今の私もお年頃だった。


 ……見た目はやっと成長期に入った少女こどもだけどね!


 どうやらベルトランは私を孫として手元へ取り戻すことは諦めたが、祖父としてあれこれと口を挟みこみ始めたらしい。

 正直、私の結婚問題など放っておいてくれ、と怒鳴り返したいところだ。


 ……我慢、我慢。淑女は簡単に怒鳴らない、と。


 最近すっかり忘れている淑女としての振る舞いを思いだしつつ、ぐっとお腹に力を入れる。

 いつまでも感情のままに振舞っているからこそ、周囲レオナルドからの子ども扱いも改善しないのだ。


「……ということですが、レオナルドお兄様はわたくしをお嫁さんにしてくださいますか?」


「ティナが大人になって、それでも俺のお嫁さんになりたいと言ってくれるなら、と前に言っただろう?」


「身体機能的には大人です」


 機能的には子どもも産める体だ、と暗に告げると、自分から見ればまだまだ子どもだ、と諭される。

 レオナルドとしてはまだ子どもなので、私の主張は受け入れられない、ということなのだろう。

 そもそも、妹を女性を見る目で見られるか、と。


 ……それ、一生私のこと、子どもだって言うつもりじゃないかな?


 レオナルドから見れば十三歳年下の私は、十六歳になったからといって子どもに見えるはずだ。

 この年齢差というものは、一生縮まることがない。

 レオナルドの守備範囲が何歳差までなのかは判らないが、十三歳という差は大きいのだろう。


「そろそろ結婚なり、婚約なりしておいた方が、うるさい人が黙ると思うのですが」


 主にベルトランが黙るはずだ、と続けると、そんな理由で結婚するのか、とレオナルドが肩を竦める。

 うるさく突かれたくない、という理由で結婚を選択する私に、未だに初恋の人が忘れられないらしいレオナルドは抵抗したいようだ。


「いいではありませんか。どうせお互いに相手がいないのですし、お互い以外にも相手はいません」


 基本的に館から出ない生活をしている私は、レオナルドが望むような恋をする可能性が低い。

 大前提として、異性との出会いがないのだ。

 辛うじて接点が持てる異性といえば砦の黒騎士だが、彼らはレオナルドより年上の者が多い。

 レオナルドと私の間で年の差が開きすぎているというのなら、他の黒騎士でも条件は同じだ。

 極稀にレオナルドより若い黒騎士も入ってくるが、それでもやはり私の年齢よりレオナルドの年齢に近い。

 歳のつり合う異性との出会いが、私にはそもそもなかった。


 ……まあ、故意に出会いを求めていない、っていうのが一番の理由だけど。


 枯れているのか、本当にまだまだ中身が子どもなのか、異性に特別興味が持てない。

 結婚についてだって、ベルトランが言うほど焦っても、考えてもいないのだ。

 なるようにしかならないし、そもそもレオナルドから離れてでも一緒にいたいと思える相手というのが想像もできない。


「ティナには、好きな相手と幸せになってほしい」


「わたくしはレオナルドお兄様が好きですよ? レオナルドお兄様は、わたくしがお嫌いですか?」


「好きに決まっているだろう。大好きだ。……だが、それとこれとは違う『好き』だ」


 なんと言ったら理解してくれるんだ、と頭を抱えるレオナルドの横で、私と結婚した場合の利点を挙げていく。

 良いところも、悪いところもお互いに知り尽くしているので、お互いに今さら幻滅するということがない。

 同じ理由で、お互いに気楽な相手でもある。

 私が他所へ嫁いでレオナルドから離れるということがない。

 嫁いだ妹の子どもと、自分の嫁の子どもであれば、自分の嫁の子どもの方が圧倒的に構い倒せるはずだ。

 これは好みによるが、私を嫁にすれば男児に人気の英雄ベルトランが義理の祖父となる。

 レオナルドが求めるかは判らないが、ベルトランの家に戻ってから結婚すれば、孫の代までの功績を気にせずとも忠爵となることが確定だ。


 他にもまだ利点があるはずだ、と考えて、ふと気が付いた。


 ……結局、なんだかんだ言い訳を探しても、私が『レオナルドさんがいい』ってだけなんだよね。


 レオナルドの求める『異性としての好き』とは、こういうことなのかもしれない。

 私の幸せを思ってのことだと思うのだが、レオナルドの制止を無視する、自分勝手な感情だ。

 他の誰かと比べたら、絶対に私はレオナルドを選ぶ。

 誰とも比べなくとも、私はレオナルドがいいと言う。

 レオナルドにも、そうであってほしい。

 そうだったら嬉しい。


 けれどレオナルドの中には、実は一人だけ私ではない特別な人がいた。


 仕事第一で、私が二の次、三の次にされるのは別に構わない。

 レオナルドの仕事は大勢の生活に関わる大切な仕事なので、私一人ぐらい後回しにするのは当然のことだと理解している。

 だけど、実は私と仕事の間に一人女性が挟まっていたとなると、話は別だ。

 仕事や国王クリストフ、王子アルフレッドには遅れをとっても、一般人枠でぐらいは一番の位置にいたい。

 仕事上どうしようもない人間以外では、私がレオナルドにとっての一番でなければ嫌だ。


 ……協力を惜しまない、なんて嘘だ。


 先日レオナルドに対して自分が言った言葉を思いだし、我ながら身勝手すぎる考えに嫌気が差す。

 レオナルドには「好きな相手がいるのなら協力は惜しまない」「これでも兄思いの妹だ」と言ったのだが、自覚してしまえばそんなことはできない。

 レオナルドが私以上に私以外の誰かを大事にするだなんて考えられないし、それが面白いはずないのだ。


 この自分勝手な感情が恋か、と自覚して、ペラペラと利点を挙げていた口を閉ざす。

 急に怖くなった。

 これだけ利点を並べても断られたら、と。


 ……ディートはすごかったんだね。


 今さらながら、ディートフリートを見直す。

 相手に自分の気持ちを伝え、求婚するのがこんなに勇気のいることだなんて思わなかった。

 求婚してきたディートフリートに対し、私はきちんとした返事をしていない。

 まずは被り物を茶化し、猫頭の被り物を取って再度求婚してきたディートフリートへと「レオナルドより強い人がいい」と流し、「レオナルドより強くなるから」と食いついてきたディートフリートへと「ディートフリートより弱くても、レオナルドの方がいい」と叩きのめした。

 とどめにその場で切々と自分のブラコンっぷりをレオナルドに語り、ディートフリートは耐えられなくなったのか、その場から走り去っている。


 恋という感情を自覚してみると、かつての自分の行いが酷すぎた。

 私には断られても、邪険にされても、何度も気持ちを伝えようだなんて勇気はない。

 今だって表情に出ないよう頬へと力を込め、平静を装ってはいるが、すごく喉が渇いている。


 自覚してしまえば、もう一瞬前までのように「レオナルドが好き」「レオナルドは自分を好きではないのか」だなんて傲慢なことは言えそうにない。

 そう、傲慢だ。

 たしかに私は、恐ろしいまでに傲慢な人間だった。


「……子どもだって言うのなら、ベルトラン様を安心させるために婚約だけしておいて、二十歳になったら結婚しましょう」


 二十歳まであと四年、夏がくれば十七歳になるので三年ある。

 そのぐらい時間があれば、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の翻訳作業も終わるはずだ。

 翻訳作業さえ終われば、日本語の読める私がどうしても必要だ、ということはなくなるはずである。

 となれば、私が結婚して子どもを産むことに文句を言ってくる人間はいないはずだ。


「もう三年もすれば、さすがにもう少し胸とかお尻も育つと思うのです」


 それでどうだろう、と付け加えると、レオナルドが苦笑いを浮かべる。

 胸やお尻が育ったところで、やはり妹を嫁にすることには抵抗がある、と。

 融通の利かない、レオナルドらしい回答である。


「……わかりました。ようはレオナルドお兄様が、妹から女性を見る目でわたくしを見れるようになればいいのですね」


 これはやんわりとしたお断りである。

 そう理解はできたが、私はたった今『自分は傲慢で自分勝手な人間である』と自覚し、ディートフリートの勇気を見直したばかりだ。

 妹を女性として見ることはできない、という至極真っ当なことを言うレオナルドに、もう少し抗ってみようと思う。

 なけなしの勇気を振り絞って。


「……まずは形から入りましょう。これからは『お兄様』と呼びません。『レオナルドさん』と……いえ、淑女的には『レオナルド様』ですね。そうお呼びしますので、レオナルド様も兄気分を卒業してください」


「待て、なんでそうなる。妹から『お兄様』と呼んでもらえなくなるとか、どんな拷問だ」


「それについてはもとからレオナルド様へのサービスで付けていたものですので、心の中ではいつでも『レオナルドさん』でした。今さらです」


 ズバッとした私の暴露に、レオナルドの目が点になる。

 まさか、今の今まで心の中では『レオナルドさん』と『お兄様』なしで呼ばれているなんて、思いもしなかったのだろう。


 少し早口になっているという自覚のついでに、もう一つ気が付いたことがある。

 私はレオナルドの呼び方を『レオナルドさん』『レオ』『レオナルドお兄様』と変えてきたが、心の中ではずっと『レオナルドさん』と呼んでいた。

 レオナルドを『家族』だとは思っていたが、本心では兄だなんて思っていなかったのかもしれない。

 もしかしたら、最初から年頃の異性として見ていたのだろう。

 最初からレオナルドを意識していたのなら、他の同年代の少年になど目が行くわけがない。

 大人の男性として完成されたレオナルドと成長途中の少年とでは、勝負になどならないのだ。


「レオナルド様はわたくしのことを『クリスティーナ』と呼んでください。そうしたら、八年育てた『妹のティナ』とは少し違って見えてくるかもしれません」


「……『クリスティーナ』と呼ぶな、と俺に言ったのはティナだろう」


 なんとか「お兄様呼びはサービスです」という本音の暴露から立ち直り、レオナルドがゆるく首を振る。

 妹を大人扱いし始める時期に来ているという自覚はあるが、妹を一人の女性扱いしろ、と言われたらまだ抵抗があるのだろう。


「確かにわたくしが言いましたが、レオナルド様がわたくしをいつまでも子ども扱いなさるのは、やはり愛称という呼び方のせいもあると思うのです」


 レオナルドは私のものだ、という本音は飲み込む。

 初恋の人よりも私の方が一緒にいる時間が長いのだから、今さら初恋の人が見つかったところでレオナルドを譲ってやる気はない。


 恋の自覚とともにくるりと手のひらを返した自分の感情に、若干どころではなく自分自身が振り回されている。

 どこかで踏み止まらなければ、と理性が訴えているのだが、ブレーキを踏み間違えてアクセル全開だ。

 あとはもう、当たって砕けるしかない。

 砕けたところで、泣いて喚いてレオナルドを困らせてやればいいのだ。

 もともと私はレオナルドのちょっと困った顔が好きだという、自分でもどうかと思う嗜好を持っていた。

 レオナルドが絆されて首を縦に振るまで、何度でも口説けばいい。







 私の中の心情の変化は、エノメナの鉢にもなんらかの変化を与えたらしい。

 一年以上花を咲かせずにいたエノメナの花は、私の恋の自覚とともに変化を見せ始めた。


 昨夜までは確かに葉しか生えていなかったのだが、翌朝にはレオナルドの拳ほど大きな蕾をもった茎が現れ、日が沈むと月光を浴びてゆっくりと花びらを開く。


 赤い大きなエノメナの花の中央には、小さな女の子が眠っていた。

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