第31話 お膝で密談
「ベルトラン殿がグルノールに来ているようなんだが……」
「早速来ましたよ。すでにお話しをした後です」
帽子をいただきました、と言いながらソフィヤから贈られた帽子をレオナルドに見せる。
ソフィヤの中では、私はいつまでも獣の仮装をしている子どもらしい。
リボンの部分に繊細な春華祭の刺繍があるのだが、それ以外の部分の方が目立つ帽子だ。
左右から私の髪の色に合わせた黒い猫の耳が、にょきにょきと生えていた。
「仮装は趣味ではなく、精霊避けのおまじないだったのですが……」
「ティナは冬でなくても、精霊に攫われるからな」
季節外にも仮装をしていたので、獣の仮装は趣味だとでも思われているのだろう。
私も特に話すことでもないかと、自分が精霊の寵児だなんて話はソフィヤにしていない。
どこかから耳に入ることはあるかもしれないが、あまり社交的ではないソフィヤが自分で情報を集められるとは考え難い。
その結果の、成人を過ぎた私への贈り物が猫耳付き帽子なのだろう。
「……それで、ベルトラン殿とはなにか話せたか?」
「今日は比較的平和に? お話しできた気がします」
母の昔の話も聞いた、と続けると、レオナルドの表情がわずかに緩む。
それはよかった、と。
……やっぱり、私とベルトラン様の不仲を気にしてたんだね、レオナルドさん。
自分に血の繋がった家族がいないからか、私とベルトランについては何度となく取り持とうと口を出してきたレオナルドだ。
少しの時間とはいえ、私とベルトランが会話をしたと聞いて安心したのだろう。
「俺も少しならサロモン様のことを話してやれるが、ティナの母親については知らないからな」
ベルトランから話が聞けたのならよかった、と言葉を区切り、レオナルドの視線が彷徨い始める。
表情からして後ろ暗いことがあるようには見えないので、言い難いことでもあるのだろう。
なんだろう、とレオナルドが口を開くのを待っていると、意を決したレオナルドの口から出てきたのは「ベルトランと和解したのなら、ベルトランと暮らすか?」というものだった。
意外すぎるレオナルドの提案に、ぽかんと口を開いたままレオナルドの太ももに手を添える。
「……ティナ? 膝に座らせるのは十歳になった時に『禁止だ』と、自分で言っただろう?」
「言いましたが、返答によっては制裁が必要になりますからね。お膝が距離的に丁度いいのです」
添えた手でレオナルドの太ももを開き、その膝にわざと勢いよくお尻を落とす。
体格が小さめとはいえ、そろそろ勢いよく膝へと座られたら、いかなレオナルドでも痛くないはずがない。
少しでもおかしなことを言ったら両頬を引っ掻いてやる、と猫の手を作って睨みつけてやると、レオナルドは困ったように眉を寄せた。
「それで? ベルトラン様と暮らすか、とおっしゃるのは、どういった意味ですか?」
今さら私を捨てたくなったのか、と恨みがましく言ってやると、レオナルドは捨てるわけがないだろう、と困惑した。
どう受け止めたらそういう理解になるのか、と。
どうやら、今さらベルトランと暮らせという言葉が、私にとって「おまえを捨てる」という意味になるとは思ってもいなかったようだ。
「……ただ、俺とティナには血の繋がりがないからな。母親のことも話してやれないし、やはり本当の家族の方がいいのでは? とは、どうしても少し考えてしまう」
「それでいくと、レオナルドお兄様は血の繋がった妹が見つかったらわたくしがいらなくなる、って言っているようなものですが、この理解で間違っていませんか?」
「なんで、そう捻じ曲げて受け取るんだ」
「レオナルドお兄様がそう言っているからですよ」
頬へ爪を立てるほどではないが、面白くもないので、顎の下に見つけた剃り残しの髭を引っ張ってやる。
チクッとした刺激は、不意にやられると結構痛いらしい。
一瞬ではあるのだが、レオナルドの顔が崩れるので、効果が判りやすいところも素敵だ。
「ベルトラン様と少しぐらい喧嘩せずにお話しできたからって、わたくしがレオナルドお兄様から離れる理由にはなりませんよ。……わたくしたちは、家族なのでしょう?」
家族は気に入らないところがあったからといって、簡単に取り替えられないから家族なのだ。
逆に言えば、他により良い家族がいたとしても、簡単には取り替えられないのも家族だ。
前にそう言っただろう、と指摘すると、レオナルドは少し記憶を探るような表情をする。
前に言ったとはいっても、私が転生者だとレオナルドに話した直後ぐらいの話だ。
たしか王都に行く少し前なので、私が十歳の時の話である。
ざっと考えて、六年も前の話だ。
「……六年も家族をやってるのに、レオは相変わらずのすかぽんたんですね」
「すかぽ……? 六年じゃないだろう。ティナが八歳の終わりに引き取って、夏が来れば十七歳になるのだから、大体八年だ」
「わたくしの中では十歳の夏に一度、レオナルドお兄様は『兄』をクビになっているので、十歳からです」
「……あれか」
まだ根に持っていたのか。ジークヴァルト様の言葉は本当だったな、と小さく呟かれた言葉を拾い取り、ジトッとレオナルドを睨む。
小さな呟きだったので私に聞かせるつもりはなかったのだろうが、なにやら失礼な含みを感じた。
何のことかと問い質したい気はしたが、今は横へと置いておく。
話がどんどんと脱線していって、すでに最初の話題から随分遠くへと来ている気がした。
「ジークヴァルト様については後でお聞かせ願いますが、……ベルトラン様の家族として一緒に暮らすのは嫌かもしれません」
「それは、サロモン様やティナの母親のことがあるからか?」
「それについては改善しつつありますが……、ベルトラン様って、もういい御歳でしょう?」
「まあ、そうだな。正確な年齢は忘れたが、六十は越えていたはずだ」
「誕生日は知りませんが、六十三、四歳だったと思います」
ニルスがベルトランのファンだったので、誕生日のような細かい情報は知らないが、教科書に載るような戦歴と当時の年齢については覚えている。
それによると、ベルトランの現在の年齢は六十代のギリギリ前半だ。
医療の発達した日本であっても高齢者に数えられ、男性であればポックリと逝っても不思議はない年齢である。
「一緒に暮らし始めた途端に、もしくは、一緒に暮らし始める準備をしている間に……なんて、もう嫌です」
あれはがっかりなんてものではなかった、とオレリアの訃報を聞いた日のことを思いだし、気分が沈む。
あの時は、ワイヤック谷から出てくる気になったオレリアのために、部屋を整えてワクワクと春を待っていたのだ。
ところが、春になって届けられたのはオレリアの訃報だった。
あんな思いは、もう二度としたくない。
なんといっても、私は根が単純にできている。
そんな私が、祖父と一緒に暮らし始めて懐かないわけがないのだ。
一緒に暮らせば、私は絶対に懐く。
そして、いつか必ず訪れる別れの日に、また泣くことになるのだ。
「わたくしの大好きで大切な人は、わたくしを置いてどんどん先に逝ってしまいますからね。……死んだら悲しい人が増えるのは、嫌です」
「ティナは家族が増えて、また先立たれるのが怖いんだな」
「たぶん、そうだと思います」
今生の私は、大切な人を失ってばかりだ。
両親が死んで、懐いていた祖父母のようなダルトワ夫妻も死んで、オレリアと一緒に暮らせるようになると思えば先立たれて、ずっと私を見守ってくれていたカリーサももういない。
そして仮にベルトランの家に私が入ったとしても、祖父のベルトランは老齢でいつ死んでもおかしくないし、従兄弟のアリスタルフは病弱だと聞いている。
伯母のソフィヤも、あまり体が丈夫そうではなかった。
父サロモンの家に私が帰ったとしても、またすぐに失いそうな家族ばかりだ。
「また誰かが死んで悲しくなるぐらいなら、遠くに住んでいる親戚ぐらいの位置にいてくれた方がいいです」
「そうは言ってもな、ティナは『大切な人を増やしたくないから』とベルトラン殿を避けても、無駄だぞ」
ついでに、努力の方向が後ろ向きである、と指摘される。
たしかに、大切な人を増やしたくないから人付き合いを敬遠する、というのは後ろ向き以外のなにものでもないだろう。
「ティナの大好きなミルシェは、迎えが来たらいずれお嫁に行って、子どもを産む。サリーサもいつかは嫁に行って、子どもを産むはずだ。ティナは二人の産んだ子を大切に思うだろう?」
「……思いますね。ミルシェちゃんの子どもとか、絶対溺愛しますよ、わたくし」
ミルシェは私の身近にいる唯一の年少者だ。
レオナルドに買われた身分では呼べなくなってしまったが、メンヒシュミ教会に通っていた頃は私のことを『ティナおねえちゃん』と呼んで慕ってくれていた。
だから私もミルシェを妹分的に大切に思っているので、その子どもとくればレオナルドの子どもと条件はほぼ同じだ。
気分的なものでしかないのだが、それは大切な妹の子どもである。
大切に思わないはずがない。
「だったら、ベルトラン殿に懐かない努力をするのは無駄だ。ティナの大切な人はベルトラン殿だけじゃないからな。ミルシェやサリーサに子どもを産むな、とは言えないだろう?」
放っておいても増えていくミルシェたちの子どもを大切に思うのなら、ベルトランだけを遠ざけるのは可哀想だ、とレオナルドは思うらしい。
「俺が嫁を貰って子どもが生まれても、ティナはその子を大切に思ってくれるだろう?」
「……レオナルドお兄様の場合は、まずお嫁さんが来てくれるという前提を成り立たせることが難しいのですが」
そこは努力します、とレオナルドが言うので、努力の当てはあるのか、とついチクリと返してしまう。
レオナルドの嫁の座を狙っている身としては、他に当てがあるというのは、聞き捨てならない。
「レオナルドお兄様に好きな方がいらっしゃるのなら、協力は惜しみませんよ。これでも兄思いの妹ですからね」
レオナルドの嫁に納まろう、と企んではいるが、レオナルドに相手がいるというのなら協力は惜しまないつもりだ。
どうせ何かの間違いで上手くいったとしても、仕事一番、妹二番のレオナルドを良しとする度量を持った女性は少ない。
となれば、私が二十歳になるまでの数年間で破局を迎える可能性は大きいだろう。
私にとってはなんの障害にもならない。
「好きな子か……」
小さく呟かれた言葉に、おや? とレオナルドを見上げる。
どうせいないだろう、いたとしても問題にならないと踏んでいたのだが、レオナルドの顔つきを見るに、憎からず思っている相手がいるようだ。
レオナルドの顔から表情が消えて、黒い目はどこか遠くを見つめていた。
「……レオナルドお兄様って、好きな方がいたのですか?」
初耳である。
驚きすぎて、まじまじと穴が開きそうなほどにレオナルドを見つめてしまったが、これは仕方がないと思う。
「好きな子がいるというか……初恋の子ならいるが、さすがにもう嫁に行ってるだろう」
「……あ、いつもの方ですね」
安心しました、と出かかった言葉は途中で飲み込む。
レオナルドの想い人の話が出てきて、初恋の相手だと聞いて安心するのは、我ながら少しおかしい。
「名前も正確には思いだせないし、顔を思いだそうとしてもティナの顔になるんだが……」
「レオナルドお兄様の妹好きは、もう病気ですね。判っていましたけど」
「……とにかく可愛い子だったのは確かだ」
あれだけ可愛かったのだから、周りが放っておかないだろう、というのがレオナルドの感想だ。
可愛い女の子だったので、年頃になれば求婚者が列を成していたはずだ、と。
そして、結婚適齢期なんてものではない自分と同い年だったので、すでに誰かの妻となり、子どもの二、三人いても不思議はない、とも。
「そう思っていても、まだ気になっているのですね?」
「うん? そうか? そんなことはないと思うが……」
たまに思いだす程度だ、とレオナルドは言うのだが、これは嘘だ。
もしくは、自覚がないのだと思う。
表情の消えたレオナルドの顔から感じるのは『諦め』。
けれど、どこか遠くを見つめる黒い目には、普段は見せない熱情のようなものが潜んでいた。
……レオナルドさんでも、こういう顔ってするんだね。
少し意外だ、と失礼なことを考えながら、腑に落ちるものがある。
以前に私が「レオナルドの嫁になる」と提案したところ、レオナルドからは「年頃になった時、異性として自分を好いてくれたのなら」とお断りされていた。
あれは、レオナルドに好きな相手がいたからなのだろう。
自分に忘れられない初恋の人がいたからこそ、私にも恋を知ってほしかったのだ。
……モヤモヤしますね。面白くないです。
イラッとしたので、とりあえず目の前にあるレオナルドの顔から剃り残しの髭を一本引っ張り抜いてやる。
短い悲鳴をあげるレオナルドに溜飲を下げていると、モヤモヤとした感情に心当たりがあった。
……なるほど、これがヤキモチか。
嫉妬というほど強い感情ではないが、モヤモヤとして面白くないことは確かだ。
レオナルドの中で、私が一番でないことは知っている。
いつものことなのだが、レオナルドは仕事が一番で、私のことは二の次だ。
それでも仕事を除いた人間関係の中では最優先にされていると思っていたのだが、どうやら仕事と私の間には『初恋の人』という喉の奥に刺さった魚の小骨のような人がいたらしい。
なんとも面白くない新発見だ。
「初恋の人、探さないのですか?」
「昔少しだけ探したことがある。……けど、見つからなかった」
私が思いつく程度のことは、レオナルドもすでにしていたようだ。
レオナルドは自分で探すことはもちろん、人を使って調べもしていたらしい。
それでも初恋の人は見つからなかったようで、レオナルドはどこか別の街へ嫁いだのだろう、と考えているようだ。
「……残念ですね。一度きっちり振られた方が、レオナルドお兄様も諦めがつくかと思ったのですが」
思い出ばかりが美化されて、忘れがたくなっているのだろう。
そう故意にズケズケと物申すと、レオナルドの眉が情けなく下がる。
「俺の妹が今日も俺に手厳しい」
「愛されていると思ってください」
「愛してくれてるんなら、もっと優しくしてくれてもいいだろう」
「わかりました。でしたら優しくお髭を抜いて差し上げます」
剃り残しのある顎を綺麗にしてやろう、と続けると、レオナルドは顎と首を私から隠すように両手で覆う。
それから、それは優しさとは言わない。
執拗に痛めつけると言っているのだ、と私を膝から下ろした。
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