第30話 春華祭の贈り物

 レオナルドの冬の移動が終わると、やはりというか悪戯妖精の活動も落ち着いた。

 私が意図せずマンデーズ館や離宮へと運ばれることがなくなり、レオナルドの心労も少しだけ減ったと思う。


 その代わりというわけではないが、サリーサによる悪戯妖精の検証は順調だ。

 私でさえお菓子を対価にしての交渉は成功したことがないのだが、一日一回限定とはいえサリーサの要求は必ず聞き入れられている。


 この話をしたところ、「サリーサが妖精の契約者なのでは?」というのがアルフの感想だ。

 レオナルドが神王から聞いたという『精霊に名前を付けると契約したことになる』からの推論らしい。

 そう指摘されて思い起こしてみれば、最初にエノメナの鉢を『カリーサ』と呼び出したのはサリーサだった気がする。

 私がうっかりやらかすこともあるが、レオナルドから「名前を付けないように」と言われていたので、当初は私も気をつけていたはずだ。


 ……サリーサが契約の主なら、私に対して何かしてくるのは、子守りの範疇ってこと?


 カリーサの遺骨を埋葬してから、エノメナの芽は勢いがよくなった。

 まったく影響していないということはないだろう。

 契約主がサリーサで、カリーサの影響を受けていると考えるのなら、悪戯妖精的には私の子守りとして私をマンデーズ館やオレリアの家に運んでくれているということになる。

 私の意志でどこかへ行きたいといって即座に運ばれることはないが、レオナルドと離れ私が不安定になった時に移動が起こることを思えば、あながち間違いではないだろう。

 カリーサは死してなお、私の子守女中ナースメイドとして働いていたのだ。


 ……嬉しいような、申し訳ないような。


 カリーサには安心して眠っていてほしい気がするのだが、まだ見守っていてくれるのだと思えば心強くもある。

 なんとも複雑な気持ちだ。


 一応のまとめとして『サリーサが契約の主で、カリーサの影響を受けた妖精なのでは』と報告書にしたためたところ、レオナルドは少し安心したようだ。

 不可視の存在とはいえ、カリーサの影響を受けているのなら、私に危害は加えないだろう、と。


 そんな報告書を作っている間に冬が終わった。


 この一年ののんびりした暮らしとレオナルドの帰還に、私の体もようやくここは安心して成長できる場所だと思いだしたようだ。

 初潮が来たこともあるが、遅れてきた成長期に背が少しずつ伸び始める。

 自分の裸など毎日入浴時に見ているはずなのだが、ささやかながらもいつの間にか胸が膨らみ始めていることに気がついた。


 ……目指せ、人並み!


 バシリアやサリーサほど大きな胸にはならなくてもいいが、やはり人並みには成長したい。

 胸はないよりもあった方が、大人として見てもらえるような気がするのだ。


 胸が膨らみ始めると、肌着が少し変わった。

 これまでは薄手の袖のないシャツに飾りとしてリボンやレースが付いた感じの物だったのだが、胸の部分に柔らかい生地で当て物がされている。

 ちょうど前世で見たスリップのような感じだ。

 もう少し胸が大きくなると、胸当てを使うようになる。

 前世ほどの立体縫製技術はないそうなのだが、一応ブラジャーのような物もあるようだ。

 肌着を変えていこうという話になったので聞いたところ、かぼちゃパンツは子どもが主に穿いているようで、おしゃれな大人の女性は両横を紐で縛るいわゆる『紐パン』を穿いているらしい。

 ならばサリーサも紐パンなのか、とセクハラ覚悟で聞いてみたところ、サリーサは見せる相手もいないのでお腹まですっぽりと覆うかぼちゃパンツ派だそうだ。

 大人の女性は紐パンを穿く、というなんとなくの傾向はあるが、全員が全員穿いているわけではないらしい。

 このあたりは、各自の着る物については似合っていればよい、という風潮によるものだろう。


 ……気になる相手へのアピールに、普段からお洒落な紐パンを愛用したらどうですか、って言ったら真顔になっていたのが意外といえば意外。


 サリーサの恋は難航しているらしい。

 うちの可愛いサリーサのどこに不満があるのか、とサリーサが片思いをしている相手が目の前にいたら小一時間ほど問い質したくもある。


 下着で意識が変わるのなら、と私のかぼちゃパンツが紐パンに変わったことは、さすがにレオナルドへは秘密だ。

 お説教回避のために『初潮が来た』だなんてデリケートな内容を異性の保護者に聞かせる私でも、これは言えない。

 冷静に考えると初潮の話をする方がどうかと思うのだが、あれは勢いにまかせて言ってしまったので仕方がないだろう。

 一度口から出してしまった言葉は、もう口の中へは戻せないのだ。


 ……かぼちゃパンツに比べると、ちょっと防御力が低くなった気がするね、紐パン。


 前世の下着と形状的にはほとんど変わらないはずなのだが、今生ではかぼちゃパンツを十六年も穿いてきた。

 久しぶりのスカスカとした頼りない感覚に、違和感を覚えるのも仕方がないだろう。

 頼りなさからつい下半身に力が入ってしまうのだが、それがよかったようだ。

 私の下着事情など知るはずもないアルフから、姿勢がよくなったと褒められた。







「今年も咲きませんでしたね」


「葉の数としては、十分なはずなんだがな」


 今年も春華祭がやって来て、私からレオナルドへは例年通りシャツを、レオナルドから私へはエノメナの花が咲いた鉢が贈られる。

 レオナルドが手配したエノメナの鉢も、バルトが育てている庭のエノメナも綺麗な花を咲かせているのだが、豪華ドールハウスまで飾られている私の世話する鉢のエノメナは、今年も花を咲かせる気配がない。

 元気よく何本もの葉が増えているのだが、それだけだ。

 蕾が出てくる気配もない。


「今年こそは、と思っていたのですが……」


 何が問題なんだろう、と青々と茂る葉を撫でる。

 おやつをお供えするようになってから葉が生えるようになったのだが、花が咲くにはまだ何か足りないようだ。


 咲かない花を見て頭を捻っていても仕方がない、とせっかく外へ出られるようになったのでミルシェの後をつけてみる。

 今年の誕生日で十五歳になるミルシェは、まだ現役で恋の仲立人キューピッドをしていた。

 そのミルシェがサリーサから綺麗に飾られた小箱を受け取り、裏口から出て行くのを見つけたので、ピンと来る。

 来てしまった。

 ミルシェをつければ、サリーサの想い人が判る、と。


「……あれ?」


 裏口から出るミルシェに少し遅れて裏庭へ出たはずなのだが、裏口から出たはずの私が立っていたのは玄関ホールだ。

 私が寝ぼけたのでなければ、悪戯妖精の仕業だろう。


 ……レオナルドさんが帰ってきてからは、なかったんだけどな?


 変だな、と考えてみるのだが、思いつくことは一つしかない。

 悪戯妖精こと仮称『カリーサ』は、サリーサの味方なのだろう。

 私が恋の仲立ちの邪魔をするかもしれない、とミルシェの後を追わせなかったのだ。


 ……せめて、相手の顔ぐらいは確かめたかったんだけど……。


 こちらからは手が出せない妖精に阻まれているのでは、これ以上どうしようもない。

 ちょっとした好奇心だったのだが、悪戯妖精としてはそっとしておいてほしかったのだろう。

 サリーサの恋の行方は気になるが、私だって邪魔をしたいわけではないので、追跡は素直に諦めることにした。







「何かご用ですか?」


 春華祭は特に騒動もなく無事に終了したのだが、その一週間後に騒動の元となる人物がやって来た。

 伯母からの使いだ、と言ってグルノールの街へとやって来たのは、祖父のベルトランだ。

 レオナルドからはズーガリー帝国で見かけたと聞いていたのだが、ベルトランもこの一年の間にイヴィジア王国へと帰ってきていたらしい。

 なんの用ですか、と私の声が少し堅くなるのは仕方がないと思う。


「……すっかり元のクリスティーナだな。以前はあんなにも懐いて可愛らしかったのに」


「記憶にございませんね。ベルトラン様も御歳ですから、夢と現実の区別がつかなくなったのではございませんか?」


 レオナルドの話によると、私の記憶が曖昧な二年の間はそれなりにベルトランへも懐いていたようなのだが、意識がはっきりとしていれば苦手意識の方が強い。

 ベルトランといえば、祖父とはいえ母のクロエを悪く言う人物だ。

 素直に懐ける相手ではない。


「まあ、よい。ほれ、ソフィヤ殿からの届け物だ」


 受け取るがいい、とテーブルの上に載せられたのは丸い大きな箱だ。

 箱の大きさと形からいって、中身は帽子だろう。

 私がいない間にも、ベルトランはこうしてソフィヤからの使いだと言って春華祭の贈り物を届けに来てくれた、とレオナルドから聞いている。


「伯母様からの贈り物は素直に受け取らせていただきます。お使いありがとうございました」


「……いやに素直だな」


「わたくしだって、いつまでも子どもではありませんので。伯母からの贈り物ぐらい素直に受け取りますし、贈り物を届けてくれたお使いの方へお礼ぐらい言います」


 あくまで伯母の顔を立ててである、と重ねて言うところはやはり直せない子どもらしさだが、それ以外は努めて大人の対応を心がける。

 いつまでも子どもではないのだからと自分に言い聞かせ、「用が済んだのなら早く帰れ」と憎まれ口が飛び出しそうになる口を閉ざした。

 ベルトランは一応、伯母の使いである。

 母を悪くさえ言わなければ、追い出す必要もない、と。


「お茶ぐらい出しますよ」


 だからそれを飲んだら帰れ、というのが本音である。

 伯母の顔を立てて追い出しはしないし、遠いところはるばるのお使いお疲れ様ですとお茶ぐらい出すが、あまり長居されてまた口喧嘩などしたくはない。


 ……あ、そっか。


 口喧嘩などしたくない、と考えて、腑に落ちた。

 祖父と知る前は懐いていた自覚があるのだが、現在の私とベルトランは不仲である。

 というよりも、私が一方的に嫌って避けていた。

 それというのもベルトランが私の母を悪く言うことが原因なのだが、逆に考えればそれさえなければ嫌いな人物ではない。


 ……私は、ベルトラン様と口喧嘩をしたくないから、近づきたくないんだな。


 以前思った『たまに会う親戚程度の距離感ならいい』というのも、結局はこれだろう。

 たまに会うだけの相手なら、そもそも会話をする機会も少ない。

 私は母の悪口を聞きたくないし、他者ひとの悪口を言うベルトランも見たくない。

 そこから私との口喧嘩に発展するのだから、なおのこと近づきたくない相手となっていた。


 ……お母さんの悪口と、私を引き取ろうとさえしなければ、いいお祖父じいさんだと思うんだけどね。


 一人納得している私の目の前で、ベルトランの目が泳いでいる。

 なんだろう? とその珍しい姿に興味を惹かれていると、目の合ったベルトランがわざとらしい咳払いをした。


「あー、その……なんだ。クリスティーナよ、甘い飲み物はあるのか?」


「甘いもの、ですか?」


 はて、なんのことだろう? と首を傾げる。

 ベルトランと甘い物とは、なんだか不思議な組み合わせだ。

 しかし、甘い物が飲みたいのなら、といくつか候補を挙げてみる。

 花の香りのお茶に蜂蜜を入れたもの、ホットミルクに蜂蜜を入れたもの、季節的に早すぎる気はするのだが氷あめなんてものも用意できるはずだ。


「……あとはココアぐらいでしょうか?」


「そうか、ではココアをいただこう」


 さすがにこれは子どもっぽすぎるか、とココアは避けていたのだが、ベルトランの表情が芳しくなかったので、挙げてみた。

 意外なことに、ベルトランはココアが好きだったらしい。

 パッと目に見えて表情が明るくなったかと思うと、恥ずかしそうに目を逸らした。


「ではサリーサ、ベルトラン様にココアを淹れてください」


「なに? 女中メイドが淹れるのか?」


「サリーサの淹れてくれるココアは絶品ですよ」


 どこか不満があるのか、と聞き返すと、ベルトランの口がへの字に曲がる。

 どうやら不満はあるが、口に出すほどのことでもないらしい。

 口から出すほどでは、と不満を飲み込む顔をして、なんとなく下がった両肩から哀愁のようなものを感じた。


「……あー、ほら、あれだ。馬車の中で飲んでいた、簡単に淹れられるココアがあっただろう」


「ああ、インスタントココアが飲みたかったのですね」


 旅先で飲んだインスタントココアがいい、ということは、お湯だけで入れたチープな味が気に入っているのだろう。

 意外な人が意外なものを気に入ったのだな、とサリーサへの指示をココアからインスタントココアの用意に訂正する。

 ついでに土産としてまだまだあるインスタントココアの瓶を二つほど持たせるのもいいかもしれない。


 なぜかベルトランはがっくりと肩を落としていたのだが、王都へ戻るついでに運んでほしいものがある、と頼んでみると意外にも二つ返事で引き受けてもらえた。

 普通にペルセワシ教会を利用してもよかったのだが、ベルトランが帰るのは王都の屋敷だ。

 届け先に向かう人間がいるのだから、荷物を任せてしまってもいいだろう。


「ソフィヤ様とアリスタルフ様に、春華祭の贈り物を届けてください」


「……二人にか?」


「はい、お二人にです」


 なんだったらアリスタルフにソフィヤへと届けさせれば、二人が会う口実にもなるだろう、と続けると、またもやベルトランの顔が凍りつく。

 ココアの名前が出るまでのベルトランも面白い顔をしていたのだが、今回も負けず劣らずの情けない顔だ。


 ……あれ?


 なにか変だな、と戸惑う私の袖を、珍しいことにミルシェが引っ張る。

 女中見習いとして働くようになってからというもの、ミルシェからのこういった気安い接触は少ない。


「クリスティーナ様、ベルトラン様はクリスティーナ様のお祖父さまだったのでしょう?」


「そういうことになっていますが……?」


「それだと、お祖父さまにだけ春華祭の贈り物がない、ってことになりませんか……?」


「……あ」


 小さく潜められた声で指摘され、そういえば、と遅れて気が付く。

 ソフィヤには以前から春華祭の贈り物をもらっていたこともあり、その息子で従兄弟なのだからとアリスタルフへも普通に贈り物を用意している。

 しかし、ベルトランへは春華祭の贈り物を用意していなかった。


「ち、違いますよ。ベルトラン様の分を用意していなかったわけではありません」


 ……ごめんなさい。ちょっと嘘です。


 正確には、ベルトランへは刺繍絵画という大物を作っていたため、春華祭の贈り物を用意しなければ、という発想にならなかっただけなのだ。

 すでにベルトランへ贈る予定の刺繍絵画があるのに、さらに春華祭の刺繍まで用意するなんて、と。


「母を悪く言うベルトラン様は嫌いですが、それとこれとは別です。帝国まで迎えに来てくれていたようだ、とレオナルドお兄様からも聞いていましたから、お礼を兼ねて作ってはいました」


 ただ、刺繍絵画の大きさが大きさなだけに、半年程度の時間では完成していないだけだ。


 大きさの関係で完成していないのだ、と言い直すと、ベルトランの表情がわずかに明るくなる。

 微々たる変化なのだが、ココアで落ち込み、自分だけ贈り物がないと思ってまた落ち込むといった意外な面を見せるベルトランだ。

 これはもしかしたら、かなり喜んでいる顔なのかもしれない。


「……刺繍が完成しましたら、来年あたり王都へ送りつけます」


「では、来年は楽しみに取りに来ることにしよう」


「来なくていいですよ」


「……」


 来年の約束を取り付けた側から「来なくていい」と言った私に、ベルトランの眉が面白いほどに下がる。

 以前はここまで感情の判りやすい人物ではなかった気がするのだが、今は鉄面皮が形無しだ。


「……い、いい歳なのですから、長旅などせず王都でのんびり暮らしてください、という意味です」


 顔を見せるなという意味で言ったのではない、と慌てて追加する。

 今回は故意ではないのだが、どうにも私の言葉は刃が鋭すぎる時があるようだ。


 なんと言えば誤解を与えずに会話ができるだろうか、とない知恵を絞っていると、ようやく私の訂正が脳に浸透したらしいベルトランが復活した。

 グルノールの街に来なくていい、という言葉が拒絶以外の意味だったと理解したベルトランは、いい歳だからこそ、会えるうちに孫の顔を見に来るのだ、と言う。

 引き取られることを嫌がって、ろくに顔も見せない孫娘なのだから、と。


「わたくしがベルトラン様を避けるのは、ベルトラン様が母を悪く言うからですよ」


「……それについては詫びよう。私にとっては息子を攫っていった女だが、おまえにとっては母親だったな」


 冷静に思い返せば、怒っているのは駆け落ちをされたことに対してであり、女中としてのクロエはよく気の利く働き者の娘だった、と続いたベルトランの言葉に驚く。

 なんとなく、今なら少しだけ素直な気持ちでベルトランと母の話ができるような気がした。

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