第25話 収穫祭と冬の移動

 収穫祭は、やはりあっという間に終わった。

 追想祭と同じようにミルシェを三羽烏亭へとお使いに出して、皿焼きを買ってきてもらう。

 私が祭り見学に出かけて誘拐されそうになったり、助けられたと思ったら今度は信頼していた相手にそのまま攫われたりとしたので、収穫祭はレオナルドも思うことがあったらしい。

 収穫祭で賑わう街中での仕事はアルフに押し付けて、細々とした書類仕事を館へと持ち込んで一日私と過ごしてくれた。

 館にレオナルドがいるのなら、と珍しくサリーサが休みを申請してくれたので、快く送り出す。

 これは春華祭に刺繍を贈った相手とデートだろうか、と土産話を楽しみにしていたのだが、サリーサが持ち帰ったお土産は花束だった。

 ついでにいえば、私へのお土産ではない。

 エノメナの鉢へのお土産だ。


「……この花束は、どうしたのですか?」


 外で会ってきたと思われる恋人からの贈り物だろか。

 だとしたら、サリーサが花束をエノメナの鉢に供える意味がわからない。


 どういうことか、とサリーサを見上げると、サリーサはこともなげに花束の出所を教えてくれた。


「先日、ウェミシュヴァラ・コンテストへ出てくれないか、という打診をいただきましたので、出場してまいりました」


「……え? ウェミシュヴァラ・コンテストの花束って……え? サリーサ、優勝したのですか?」


 豊穣の女神ウェミシュヴァラの名を冠するウェミシュヴァラ・コンテストといえば、つまりは美人コンテストだ。

 出場者は完全な他薦で選出されるため、出場できるだけでもかなりの栄誉とされる。

 以前カリーサにも出場の打診があったので、サリーサに打診があったとしても不思議はないのだが、まさか知らないうちに出場し、優勝して帰ってくるとは思ってもいなかった。


「サリーサがウェミシュヴァラ・コンテストに興味があるとは思いませんでした」


「興味はありませんでしたが、どうやらカリーサと間違えられていたようでしたので、カリーサとして出場して、優勝してきました」


「……納得しました」


 珍しくサリーサが休みを申請したのも、ウェミシュヴァラ・コンテストに出場したのも、カリーサのためだったのだろう。

 外で恋人とデートをして来たわけではなかった。

 サリーサは、カリーサの存在を少しでも誰かの中に残したかったのかもしれない。







 盥を横に置いて今日も玄関扉とその向こう側を睨んでいると、昼食にはまだ早いと思うのだが正門からやって来るレオナルドの姿が見えた。

 ここで玄関から飛び出して出迎えることができたら、レオナルドは喜んでくれるだろう。

 そんな想像をして足を前へと踏み出そうとするのだが、やはり自分の意思で外と中との境界である玄関を越えることはできなかった。

 境界の前に立つと、どうしても足が縫い止められたように動かなくなってしまうのだ。


 ……早く外に出られるようにならないと、レオナルドさんの冬の旅行においてかれちゃうよ。


 内心の焦りを表情おもてには出さず、悠々と歩いてくるレオナルドを玄関ホールで迎えた。

 昼食の時間には早いが、何かあったのかと聞くと、レオナルドは懐から一通の封筒を取り出す。

 どうやら私が読んでもいい手紙らしい。


「……なんですか、これ?」


 手紙の差出人はアルフレッドで、あて先は私とレオナルドになっている。

 問題なのは、その内容だ。

 王都ではレオナルドの冬の移動に合わせ、私の護衛である白銀の騎士を増員する準備をしているらしい。

 何人送るかはまだ決定していないのだが、そのうち一人はジークヴァルトで決定しているそうだ。

 ジークヴァルトであれば人見知りの私も慣れているから大丈夫だろう、というアルフレッドの有り難い気遣いである。


「……わたくしはレオナルドお兄様の旅行に付いていく予定なのですが?」


「外に出られないんだから、ティナは一緒には行けないだろう」


「そのために猛特訓中です」


 だから昼前だというのに玄関でレオナルドを出迎えられたのだ、と準備していた盥を示す。

 私がいつ吐き気に襲われてもいいように、と『タライら五郎』と名付けた盥は玄関が定位置になっていた。


「今年はルグミラマ砦だから、あまりティナを連れて行きたい場所ではないんだが……」


 なにがなんでも付いて行くつもりだ、とまったく膨らみ始める気配のない薄い胸を張って主張する。

 そんな私に、レオナルドはそれでもルグミラマ砦へは連れて行きたくないのか、「国境が近いのでまた攫われたら大変だ」「ルグミラマ砦には個性的な黒騎士が集まっている」「黒騎士内でのルグミラマ砦の総称は『魔窟』だ」等など、私から「やっぱり行きたくないです」という言葉を引き出そうと必死だ。


「国境が近くても、ルグミラマ砦が魔窟でも、レオナルドお兄様と冬の間ずっと離れるのは嫌です」


 たとえルグミラマ砦に苦手なエセルバートやベルトランがいるとしても、そこにレオナルドが一冬の間滞在するというのなら付いて行く。

 十日ぐらいの留守番ならできるかもしれないが、さすがに一冬離れて暮らすのはまだ無理だ。


「……アルフレッド様が、白銀の騎士を手配してくれたぞ」


「白銀の騎士も一緒に行けばいいじゃないですか」


 私に護衛が必要なのは、グルノールの街でも、ルグミラマ砦でも同じことだ。

 王都から送られてくる護衛が増えるからといって、出かけない理由にはならない。


「よし、わかった。じゃあ、俺が出発する日までにティナが目を閉じず、自分の足で玄関から外に出られるようになったら、一緒に行こう」


 その際に、盥の携帯は禁止。

 外に出られてもその場で固まってしまっては意味がないので、淑女らしく馬車に乗れるまでが最低条件として追加された。

 馬車に乗ることさえできれば吐き気はある程度落ち着くので、重要なのは自分の足で玄関から出て、馬車まで優雅に歩くことだ。


「レオナルドお兄様はわたくしを舐めすぎですよ。そのぐらいの条件、すぐに達成してみせます」







 ……なんて勢いよく言っていた頃が懐かしいです。


 ただ玄関から出て特大の淑女ねこを被って馬車に乗り込むだけなのだが、これがやはり難しい。

 いつ吐き気がきてもいいようにずっと盥を小脇に抱えて練習していたので、盥を手放すとそれだけで不安が増える。

 目を開いたまま玄関の境界を越えるというのも、意識しすぎて境界に近づくことすらままならなくなってしまった。

 まずは一回外に出てみよう。境界が見えなければ内も外も判らないはずだ、と目を閉じて飛び出そうとしたのだが、室内から室外へと変わる光量の変化に、無意識に内と外とを感じ取ってしまう。

 外に出た、と頭で理解した瞬間に足が固まってしまい、そのままべしゃりと転んだ。

 倒れながら反射的に目が開き、近づいてくる地面に受身を取ることには成功していたが、そのあとはやはり吐いてしまったので、服も私も大惨事だった。


「これは思っていたより難しいかも?」


 外出に対するトラウマが、ここまで酷いとは思わなかった。

 性格上、普段はそれほど本気で外へ出ようとはしないので、必要な時に困るまでは甘く見ていたのだ。


 レオナルドの決めた期限は、レオナルドが冬の大移動に出立する日まで、ということだった。

 毎年神王祭に間に合う期日のギリギリまで私と過ごしてくれているのだが、今年は私が付いて行きたいと言い出したため、レオナルドの出立予定日は早い。

 ほぼ冬に入ってすぐ、といったところだ。

 少々自分で自分の首を絞めている、と思えなくもない。

 私が一人で馬に乗れれば、冬の雪道も旅できれば、出立日時はもう少し遅くなったはずである。


 ……私がいると馬車での移動になるから、馬だけの移動に比べて日数が大幅に増えるんだよね。


 レオナルドだけの移動であれば、冬の中頃にある神王祭に間に合うように出かけ、他の砦を巡って冬の終わりにはグルノールの街へと帰ってくる。

 それが、私が付いて行くというだけで移動が馬車と遅くなり、冬の初めに出かけて終わりにグルノールの街へ帰ってくる予定になるというのだから、本当に私はお荷物だ。


 ……こう、改めて考えると……むしろ例年通り付いて行かない方が、レオナルドさんに優しいような……?


 旅程と日程をサリーサに聞きながら塗板こくばんに纏める。

 レオナルドが一人で行動する場合の費用と日数に比べ、私が付いて行くことで生じる費用と日数は格段に跳ね上がった。

 普通の旅行でも費用がかかるというのに、冬に移動をしようというのだから当然だ。

 単純な食費にプラスして、薪ストーブ用の薪代といった諸費用も膨れ上がるし、私が同行するということは、私の世話をするサリーサや護衛たちといった人数も増える。

 レオナルドの移動は仕事なので費用は国で持っているが、私の移動は私の我儘だ。

 もしかしなくとも、費用はレオナルドのサイフから出されることになるのだろう。

 護衛は国からの仕事として私に付けられるのですべての費用が税金で賄われるが、それだってかかる費用はグルノールの街で護衛するのに比べると増える。


 ……あれ? 本当に付いて行かない方が誰にとっても幸せ?


 私が冬の間寂しいのを我慢するだけで、無駄に使われる税金が減る。

 そう冷静に気が付いてしまうと、これが甘えと言い訳になってしまった。

 レオナルドの設定した期限内に、外出トラウマを克服することができなかったのだ。


「お久しぶりです、ジーク様」


 玄関ホールで私の護衛として送られてきたジークヴァルトと白銀の騎士たちを迎える。

 本当なら玄関から出て迎える予定だったのだが、玄関から外に出られないのだから仕方がない。


「おお、久しぶりだな。クリスティーナは少し大きくなったか?」


「まだちょっと、ジーク様に追いついていませんけどね」


 ジークヴァルトが私に『大きくなった』というのは、お世辞でもなんでもない。

 最後に会った時に比べれば微々たる差でも私の背が伸びていたし、ジークヴァルトは足が短いので一般男性よりも背も低い。

 背の低いジークヴァルトから見れば、私の微々たる成長でも『大きくなった』と感じるのだろう。

 お世辞ではないとわかる私の成長を喜んでくれる素直な賛辞に、少し沈んでいた気分が浮上してきた。


「外に出られないようだと聞いていたが……」


「レオナルドお兄様の移動に付いて行こうと頑張ってみたのですが、特訓の成果もなく、外でお出迎えできませんでした」


 途中から税金うんぬんと言い訳を見つけて逃げてしまったという自覚はあるが、それでもそれなりには頑張っていた。

 アルフからの評価としては、意気込みすぎて逆に退化した、といったところらしい。


 ……レオナルドさんには付いて行けないけど、前向きに考えよう。レオナルドさんと国のお財布が助かった、って。


 物事はいい方向に考えよう、と私がレオナルドの移動に付いて行かない場合の利点を探すのだが、探さなくともゴロゴロと思いつくのが悲しい。

 対して、レオナルドに付いて行かない場合の欠点など、私がレオナルドと離れて寂しいぐらいだ。

 警備面での不安など、アルフレッドが白銀の騎士を投入することで拭い去ってくれていた。


 ……アルフさん……じゃない。アルフレッド様の有能さが憎い日が来るなんて、思ってもみなかったよ。


 長く『アルフ』としてグルノールの街にいたアルフレッドを、つい心の中で『アルフさん』と呼んでしまい、内心とはいえ呼び直す。

 二人が入れ替わったというのだから、私も早く呼び分け方を直さなければいけない。

 次にアルフレッドに会うのは早くても四年後の予定なので、それまでにはさすがに直っているだろう。







「残念だったな、ティナ」


「レオナルドお兄様は嬉しそうですね」


 わたしと離れて、さぞや楽しい時間を過ごすのだろう、と出発間近のレオナルドへとチクチクとした嫌味を混ぜてやる。

 グルノールの街にいる間は香水の匂いをどこかから付けて来ることはなくなったが、王都にいた頃は私の前に顔を出すより先にお風呂屋さんへと行っていた前科がレオナルドにはある。

 今回の移動も、妹の目のないところでよろしくやるつもりなのだろう。

 大人の男性なのだから仕方がないとは思うが、面白くないと私が思うのも仕方がないはずだ。


「ティナを置いて行くのは俺も不安だが、冬に連れ回すよりは、館にいてくれる方が安心できる」


 普段どおり館から出ず、館の中でも護衛は手放すな、とレオナルドはくどくどとした注意事項を並べる。

 項目が足されるたびに頷いているのだが、レオナルドはまだ心配なようだ。

 いつまで経っても旅立ちそうにないレオナルドを、私にできる全力で玄関の向こうへと押す。

 早く出かけて、早く帰って来い、と。


「わたくしを連れて行く予定で早めの旅程を組んでいたから、早く行って、早く帰って来れるのでしょう? いい子で待っていますから、さっさと出かけてください」


「まだ『行ってらっしゃい』のハグとキスをしてない」


「はいはい、いってらっしゃい」


 おざなりな仕草でハグをして、レオナルドの頬へとキスをする。

 適当すぎる、とレオナルドは少し不満そうな顔をしていたが、ここで時間を惜しめばそれだけレオナルドの帰りが遅くなるのだ。

 置いて行かれるのが決定した以上、早く出かけて早く帰ってきてほしい。

 そのためには、この妹と離れることを渋る兄を早々に蹴り出す必要があった。


 何度も振り返って正門から出て行くレオナルドを見送り、組み直された旅程を頭の中で反芻する。

 当初の予定は私が付いて行くことで足が鈍り、冬の初めに出立してもルグミラマ砦に着くのは神王祭の一週間前だろうと予測していた。

 ルグミラマ砦で神王祭を過ごし、ラガレットを経由してマンデーズ砦へと移動し、そのあと遠く離れたメール城砦へと移動し、冬の終わりにグルノールの街へと帰ってくる予定だった。

 これが出立の日時はそのままに、私の馬車での移動がなくなったために足が早くなり、砦を回る順番にも変化があった。

 先にマンデーズ砦へと回ってからルグミラマ砦に向かい、そこで神王祭の祭祀を行ってから通り道にあるという理由でレオナルドは一度グルノールの街に帰ってくる。

 そのあともう一度旅立って、最後のメール城砦へ顔を出す予定に変化していた。

 旅程が順調であれば、冬の後月の始めにはレオナルドはグルノールの街へと帰ってきているはずだ。

 本当に出立と足が早いだけ、帰ってくるのも早くなる。

 離れている時間としては、例年通りだ。







 不承不承レオナルドを見送った後、頭では納得していたのだが、気持ちは治まらなかったらしい。

 自分でも判るのだが、ものの見事に拗ねた私は不貞寝をした。


 翌日は普通に起床し、普段どおりに予定を組んで過ごしていたのだが、レオナルドの帰ってこない生活に三日で音をあげる。

 サリーサもいるし、ミルシェも黒柴コクまろもいるし、ランヴァルドは騒がしいし、ジークヴァルトたちは増えたし、アルフも夕食の時間には顔を出してくれるのだが、レオナルドたった一人が居ないという空白が、どうしても埋まってくれない。


 アルフ曰く、甘えん坊はまだ治っていなかったな、だそうだ。


 レオナルドが旅立って四日目の私は、エノメナの鉢を抱えて炬燵の中に引き籠った。

 いわゆるコタツムリというやつだ。

 王都から持ち帰った炬燵が、こんなところで役にたった。

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