第23話 コーディと精霊の鞄

 私の誕生日が過ぎると、王都に居た頃は追想祭に向けた衣装合わせがあったのだが、今年の私は自由だ。

 いえから出られないということで、レオナルドが事前に私の『精霊の寵児』としての追想祭参加を断ってくれたらしい。

 というよりも、年齢的には成人を過ぎているので、そろそろ精霊の寵として人間から呼び出されることはなくなる。

 もちろん、『精霊の寵児』といった存在は人間が勝手に呼んでいるだけなので、精霊からの干渉はこれからもあるだろう。

 精霊の寵児という呼び方は、あくまでこの世界の人間が使っているだけのもので、実態としては大昔に異世界から運んで来られた魂のことだ。

 精霊はこの世界の魂と異世界の魂を明確に区別して扱うが、そこに大人と子どもの区別はない。

 異世界の魂が大人だろうが、子どもであろうが、それはただ『異世界の魂』だ。

 手を貸す時は手を貸してくれるが、悪戯をする時もある。

 これは私が何歳になっても、変わらないだろう。


 ……なんて気が付いていても、レオナルドさんには指摘しないけどね。


 年齢としては成人したのだから、と冬の間は強制されていた獣の仮装も終了だ。

 神王祭の獣の仮装は、本来なら子どもがするものである。

 この世界の成人年齢に達した私が強制されるものではない。

 ましてや、精霊に攫われるから、と一年中の獣の仮装などお断りである。


 ……仮装あれも人間が言ってるだけで、あんまり精霊に対して効果は無いみたいだし。


 今年はのんびりと追想祭を過ごせそうだ、と思っていると、城主の館にコーディが顔を出した。

 すっかり元の旅の商人に戻っていたコーディは、どうやら追想祭に合わせて商売のためにグルノールへとやって来たらしい。


「お久しぶりですね、コーディ」


「はい。クリスティーナお嬢様……じゃなくて。クリスティーナ様も、お元気そうでなによりです」


 最後に見た私の様子はまだおかしかったことから、コーディは元の生活に戻りつつも私のことを気にかけてくれていたようだ。

 冬の間の私には余裕がなく、コーディのことはほとんど覚えていない。

 神王祭の一週間前にはグルノールの街に戻っていたそうなのだが、それまでの記憶はほとんどなく、神王祭の後、いつコーディが館を辞したのかも覚えていなかった。


「コーディにはわたくしもレオナルドお兄様も、随分と助けられたそうですね。旅の商人が予定にない旅程で商売をして、これまでの顧客から機嫌を損ねることになっていませんか?」


「確かにいつもどおりの商売ができず、顧客が離れた町もありますけど……逆にクリスティーナ様のおかげで広がった人脈もあります」


 差し引きで言えば、ゼロか少しプラスといったところらしい。

 むしろ、今後の商売を考えれば大きなプラスになる可能性もあるのだとか。


「辛かったのは甥の薬を求めて王都に行った時と、ラローシュの種を求めてクエビアへ行ったあたりですね。あれはもう完全に俺の責任ですから、クリスティーナ様たちが気にされることではありません」


「後半は、わたくしがお願いしたお使いだと思うのですが」


「神王領クエビアへ手紙を運んだことは、ムスタイン薬を用立てていただいたお礼でしたし、やっぱり俺の責任ですよ」


 商売を無視して馬車を走らせてワイヤック谷に向かい、オレリアの訃報にイヴィジア王国の王都へと目的地を変更する。

 無事にムスタイン薬が手に入ったまではよかったのだが、今度はアルフレッドの手紙を持って神王領クエビアへと向かったため、帰り道でもコーディは商売をしなかった。

 これでコーディはサエナード王国内の顧客を多く失ったらしい。

 しかし、この無茶のおかげで甥の命が助かっているため、コーディに後悔はないようだ。

 顧客を一部失いはしたが、ラローシュの種を持ち帰ったことでイヴィジア王国から礼金も出ている。

 顧客を失っても生活に困窮するようなことにはなっておらず、他に何度か手紙を運ぶことでレオナルドから礼金も得ているので、今すぐに家族が飢える心配もないそうだ。

 このあとどう顧客からの信頼を取り戻し、新たな顧客を掴むかは自分次第だ、とコーディは頼もしく笑う。


「本当に、心配をする程のことではないのですね? コーディにはお世話になりすぎていて……そのせいでコーディに不利益が出ているのではないかと、気になっていたのです」


 レオナルドがお礼として金貨をいくつか包むつもりでいるようだ、とレオナルドの帰宅を待つかグルノール砦へと寄ってほしいと伝えると、コーディはサッと青ざめた。

 私の救出に関する諸経費はレオナルドたちがその都度出していたし、そもそもボビンレースの指南書を広める販路として使われていたので、そちらの方でも儲けが出ている。

 これ以上は貰いすぎだ、と。


「十分すぎる程いただいていますから、もうこれ以上は勘弁してください……」


「コーディは欲がありませんね。その謙虚さが精霊に好かれるのでしょう」


 本気で困っていると判るコーディに、申し訳ないのだが少しだけ笑ってしまう。

 困惑するコーディが可愛くて、もうしばらくからかいたい気はしたが、意地悪をするのも可哀想なのでやめておく。

 レオナルドに対してちょっとした悪戯はするが、私はいじめっ子ではないのだ。


「コーディなら金貨は辞退するだろう、と兄と相談したのですが……コーディにはわたくしの鞄を差し上げます」


「クリスティーナ様の鞄、ですか?」


「お金ではありませんから、受け取ってください。仕立てのよい丈夫な鞄ですから、旅をするコーディの役に立ってくれるでしょう」


 私の視線を受けてミルシェが一度部屋から下がる。

 次に戻って来た時には、手にはあらかじめ用意しておいた精霊の鞄が載せられていた。


「この鞄は……たしか、クリスティーナ様が持っていた……」


 ズーガリー帝国からグルノールの街まで私を馬車に乗せていたコーディは、当然精霊が作ったという鞄にも見覚えがあったようだ。

 それはそうだろう。

 私が覚えていなくとも、私がずっと使っていたらしいのだ。

 コーディの馬車の中でも、当然この鞄を持っていたはずである。


「お金ではありませんし、わたくしが使っていたので新品でもありません。ただの仕立てのよい、丈夫な鞄です」


 これなら受け取りやすいだろう、という言葉は飲み込む。

 さすがにこれは押し付けがましすぎるというものだ。


 そう思って飲み込んだ言葉だったのだが、コーディは人がよさそうに見えても商人だ。

 私の言葉に込められた本音を、しっかりと聞き取った。

 困ったように苦笑いを浮かべ、それでもこれ以上の辞退は失礼にあたる、と精霊の鞄を受け取る。


「大切に使わせていただきます」


「見かけより多くの物が入る鞄ですから、大切にしてください」


 他にも、まじないがかかっていて失くしても戻ってくる、持ち主以外が許可無く手を入れると噛み付くので貴重品を入れておくのに最適である、と冗談めかして『精霊の鞄』たる鞄の性能を伝えておく。

 苦笑いを浮かべたコーディは冗談かなにかだと思っているのだろうが、とんでもない。

 戻ってくるのも、噛み付くのも、すべて本当のことだ。

 あとは、水に入れても中身が濡れないし、なんだったら水を入れて運ぶこともできる。

 実験すればするだけ不思議な鞄であることが判った。


 ……さすがに怖いから、火をつけて燃やす実験はしなかったけどね。


 本当に燃えてしまったら嫌だったので、火を使った実験だけはしていない。

 しかし、鞄としてはどこまでも万能な精霊の鞄だ。

 きっと火にくべても燃えないし、火も中に入れて運ぶことができるのだろう。


「……それは本当に丈夫でいい鞄ですね」


 ありがとうございます、と言って微笑むコーディの顔に困惑の色はもうない。

 ただの中古の鞄について、館に引き籠って暇をしている少女わたしが面白おかしく語って聞かせただけ、とでも思っているのだろう。

 私の見かけが幼いせいで、余計に少女の夢想にしか聞こえない内容だ。


 ……全部、本当のことだけどね?


 コーディが話半分に聞いていようとも、私がコーディに聞かせた精霊の鞄の効力は、すべて真実である。

 冷静に考えれば、お金になど代えられない価値のある鞄だ。

 価値がわかっていれば、コーディは金貨の方が気楽だ、と頭を抱えたかもしれない。







「コーディに鞄を渡しておきました。やはり金貨は辞退されましたから、事前に入れておいてよかったですね」


 コーディには『お金ではないから受け取ってくれ』と精霊の鞄を渡したが、金に代えられない価値のある精霊の鞄には、しっかりと事前に金貨を詰めておいた。

 コーディが辞退することも、善良なコーディに大金を持たせることにはレオナルドたちが不安を覚えるのも判るので、そこは私が鞄と話を付けておいたのだ。

 意外と話せばわかる精霊の鞄だったので、鞄へは「持ち主が困った時に出してください」「困った時以外は金貨が入っていると悟られないように隠してください」とお願いしてある。

 もちろん、鞄からの返事は無かったが、レオナルドが用意した金貨はすべて横のポケットへ消えていったし、覗き込んでも金貨は見えなかったので、たぶん大丈夫だろう。


「コーディにちゃんとお礼が渡ったのならいい。あの正直者にはきちんと礼をしたいが、危険を呼び込ませたいわけじゃないからな」


 精霊の鞄がこんな形で役立ってくれるとは思わなかった、と食後の珈琲を口に運ぶレオナルドの横へと腰を下ろして考える。

 神王が地上にいた神話の時代には、精霊もこの世界に暮らしていたらしい。

 普通であれば「そんな神話だなんて御伽噺おとぎばなし……」と笑い飛ばしそうな話だが、私は実際に神王と邂逅したり、精霊に攫われたりとしている。

 少なくとも、この世界に神王や精霊といった不思議な存在は実在しているのだ。

 神話のすべてが作り話ということはないだろう。


「……大昔には精霊もこの世界に暮らしていた、とメンヒシュミ教会で教わりましたけど、ああいう不思議な鞄も昔は普通にあったのでしょうか?」


「頼まなくても勝手に作ってくれたから……普通にあったんじゃないか? 普通ってほどでないにしても、気に入った相手にポンッと作ってくれるぐらいには特別じゃなかったんだろう」


 精霊が地上から姿を消して、随分と経つ。

 前世の記憶となって久しいが、地球で生まれ育った記憶を持つ私には、精霊や魔法といったことがいまいちピンとこない。

 精霊や魔法という単語自体は慣れ親しんでいたが、それはアニメやゲームでの話だ。

 肌で感じる『かつて実在したもの』という位置づけには、ないものだった。


「精霊が地上から消えたのは神王様がいなくなった事件がきっかけでしたけど、『精霊の座』をすべて壊して神王の世代交代が行われるようになったら、精霊も地上に戻ってくるのでしょうか?」


「どうだろうな? しかし、それでいくと……『精霊の座』は壊せば壊すだけ、ティナが精霊に攫われやすくなる気が……?」


 そういうことだろう? とレオナルドは眉間に皺を寄せる。

 ただでさえ冬でなくとも精霊に攫われる私だ。

 精霊がいることが普通の世界に戻ってしまえば、もしかしたら世界中の精霊の寵児が精霊の悪戯で困らされるのかもしれない。


「言われてみれば、そのような気がしますね。メイユ村にいた頃は、精霊に攫われたことなんて一度もありませんでしたよ」


 初めて精霊に攫われたのは、神王祭の夜だ。

 あの時は精霊や神王にまつわる話を迷信と考えていて、獣の仮装もコートのフードについた猫耳だけ、という手の抜きようだった。

 次に攫われたのは、王都で神王の手による誘拐だっただろうか。

 話の途中で精霊に『精霊の座』へと投げ出され、翌年も神王に連れ出されることとなった。

 そうして再び放り出された『精霊の座』で、足元にあった『精霊の座』を破壊している。


「なんでしょう? こう……改めて思い返すと、神王様にあって、『精霊の座』を壊してから不思議現象に巻き込まれることが増えたような……?」


 遡れば、最初のきっかけとなったのは神王祭で精霊に攫われたことだと思う。

 死者の行列の中で、姿が変わって見える不思議な青年にあった。

 彼の正体は謎だが、メンヒシュミ教会の授業の一環として調べた神話や迷信の中で彼を見つけている。

 彼が人からどう呼ばれているのかは、その時に知った。


 彼は『孤児の家の鍵』や『暖炉の炎』、『子どもの守護者』と呼ばれる青年だったのだろう。


 神話の時代から死者の行列を見守り、時折親を失ったばかりの子どもが行列に迷い込んでくるのを見張っている。

 そこで子どもに帰るべき家があり、まだ生きるべきだと判断すれば、青年は子どもを家の暖炉へと帰す。

 そして、帰る家が無い、今日を生き伸びても幸せにはなれないと判断すると、青年は子どもを死者の行列を進む親の元へと連れて行く。


 この話を知った後であの日のことを思いだせば、確かに私は両親を失ったばかりの子どもで、新しい保護者であるレオナルドにも本当の意味では懐いていなかった。

 青年の顔が途中からレオナルドに見えていなかったら、私はあの日死んでいたのだろう。

 優しい人だった覚えはあるのだが、彼はそういう存在だ。


 ……たしか神王様って、最初はあの人の気配を追って私のとこに来たんだったよね?


 そのようなことを言われた気がする。

 あれの気配が残っていたからこそ、間違えたのだろう、と。


 ……あれ? よく考えると、私が精霊に手出しされるのって、私がいつまでもレオナルドさんに慣れなかったから? 死者の行列に迷い込んじゃったのが最初だよね?


 死者の行列に迷いこみ、不思議な青年に助けられた。

 その青年の気配に誘われた神王と、追想祭で邂逅している。

 そのあとは神王が気にかけた人間だから、と精霊からも気にかけられるようになった。

 精霊に気にかけられたため、少しのことでも精霊が神王を呼んで助けを求めるようになっている。

 一度精霊を怒らせたため、そう簡単には手を貸してもらえなくなったはずなのだが、どういうわけか精霊がいえに住み着いたらしく、謎の長距離移動をした回数は王都に居た時の比ではない。

 王都の離宮、ワイヤック谷のオレリアの家、ズーガリー帝国のアウグーン城の他にもマンデーズの館へも行ったことがある。

 春から夏にかけての期間だけで、こんなにも頻繁に『精霊に攫われた』状況になっているのだ。

 これはもう疑いようもなく、精霊の引き起こす不思議現象が年々増えている。


「……素直に『精霊の座』を壊してしまっていいのか、気になってきました」


「今さらだろう。あと二つだ。神王にはティナが世話になったことだし、『精霊の座』は破壊しよう」


「神王様にお世話になった、という自覚はあるので、お願いは叶えたいと思いますけど……」


 それで私が精霊に攫われる回数が増えるのは、どうなのだろうか。

 今のところ悪戯妖精が危険のある場所へと私を放り出すことはなかったが、相手は人間ではなく精霊とか妖精といった異なる考え方を持つ存在だ。

 何をきっかけに怒りを買い、王都でのように体を切り刻まれるかも判らないのだ。

 本来は、お互いに不干渉である方が望ましい。


「ズーガリー帝国で一つ見つけたのですよね?」


 では、最後の一つはどこにあるのだろう。

 そう続いて零れそうになった言葉は、珈琲と共に飲み込む。

 まだまだ砂糖とミルクは必要だったが、珈琲の苦味にも少しだけ慣れてきた。

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