第20話 悪戯妖精と急使

 許可なく『クリスティーナ』と呼ぶな、とレオナルドには言ったが、名前を変えるだけで精霊からの悪戯が防げるというのなら、こんなにお手軽な対策はない。

 多少お尻がむず痒い気はするが、ここは腹を決めて試してみるのもいいだろう。


「……ということで、わたくしのことはお試し期間を決めて『クリスティーナ』で統一することにしました」


「期間など決めなくていいだろう。年齢的には大人の仲間入りをしているのだから、そのまま『クリスティーナ』に直していけばいい」


 何が不満で期間限定なのか、とアルフに聞き返されて、一瞬答えを躊躇する。

 なんとなく、自分でもおかしなことを主張している、という自覚はあるのだ。


「……レオナルドお兄様に『クリスティーナ』って呼ばれると、妙にこそばゆい? からですね」


 他の人からは『ティナ』でも『クリスティーナ』でも気にならないが、レオナルドからだけが妙に居心地が悪い。

 慣れないからだとは思うのだが、レオナルドに呼ばれる『クリスティーナ』が面白くないのだ。

 呼び方など無理に変えるものではない、と私なりの反抗期かもしれない。

 私にとって『ティナ』というのは私の名前だが、周囲の人間からすれば子どもを呼ぶ時の愛称だ。

 愛称なのだから、家族が呼ぶ時に使うぐらいは、無理に変える必要もないだろう。


「……それは、レオナルドからだけか?」


「そうですね。他の人に『クリスティーナ』と呼ばれても、なんとも思いません」


「つまり、クリスティーナにとってレオナルドは特別、ということだな」


「何を言っているのですか? レオナルドお兄様がわたくしの特別枠なのは当たり前です。心の一等地にいますからね」


 親類といえばアリスタルフやベルトランもいるが、身内と呼べる家族はレオナルドだけだ。

 これが特別でないわけがない。


 今さら何を言い出すのか、とまだまだ薄い胸を張って言い切る。

 レオナルドが私の特別であることに、疑いを挟む余地はない。


「ああ、うん。そうだな。クリスティーナにとって、レオナルドは最初から特別だったな」


 他者ひとのことを言えない鈍さだ、と溜息と共にアルフの言葉が漏れる。

 鈍いと言われているのは恋愛関係の感情のことだと思うのだが、それをレオナルドに当てはめると首を傾げずにはいられない。

 私はレオナルドのことが大好きだが、それはレオナルドが私の家族だからだ。

 家長としては父代わりで、兄として振舞うレオナルドは、間違いなく私の家族である。

 そんなレオナルドを、今さら恋人や恋愛的な意味で好きな異性だなんて、わざわざワンランクもツーランクも落ちる位置に置く意味が解らない。


 レオナルドはただ、レオナルドだ。

 レオナルドというだけで、私の中で一番の位置にいる。


 これから先にレオナルド以上に思える男性が現れるとは思えなかったし、恋人や夫ができたせいで私の中のレオナルドが占める割合が減るとも思えなかった。

 そして、これを快く思う恋人や夫など、いないだろう。


 ……最初からお嫁に行かないか、レオナルドさんのお嫁さんになるのが、一番丸く納まると思うんだよね。


 レオナルドが自分で嫁を見つけてくる気配はないし、その嫁と私の気が合うとも限らない。

 この場合、私が追い出される側になると思うのだが、気に入らない相手にレオナルドを譲る気はないので、これは最初から考える必要がなかった。

 私が好ましいと思う女性以外にレオナルドを任せるつもりはないし、私と気の合う女性ならば私が追い出されることもない。

 結局は、私がレオナルドの嫁に納まるのが、一番納まりがよいのだ。







 レオナルドの嫁に納まるべく、はじめから埋まっている気がする外堀を完膚なきまでに埋める準備を整える。

 レオナルドは兄と妹という関係を大切にしているようなので、宣言している二十歳まではいい妹でいるつもりだ。

 二十歳までの五年――正確にはそろそろ四年になる――の間に天変地異でも起きてレオナルドがいい相手を連れて来るでもしないかぎりは、私の人生設計は『レオナルドの嫁』である。

 これでも兄大好きな可愛い妹であるという自負はるので、私が二十歳になるまではレオナルドが恋人を作ろうと足掻くのも応援するつもりだ。


 ……まあ、レオナルドさんの場合、私が何かしなくても、妹最優先すぎて恋人に捨てられる未来しかないと思うんだよね?


 可愛い妹にそんな邪悪なことを考えられているとも知らずに、レオナルドは今日も私を『クリスティーナ』と呼ぶ。

 正直腰の辺りがムズムズとする呼びかけに床を転げ回りたい気はするのだが、ここは淑女おんなの見せどころだろう。

 ヘルミーネ仕込みの淑女の微笑みを浮かべて応対していた。

 精霊対策としての、期間限定での『クリスティーナ』呼びだ。

 私が萌え転がる必要はどこにもない。


 ……それに、よく見るとレオナルドさんも私のこと『クリスティーナ』って呼ぶ時にちょっと緊張するんだよね?


 その緊張する顔が可愛い、とチラリと気付いてしまったら、もう駄目だった。

 『クリスティーナ』と呼ばれることに戸惑いと照れはあるが、ちょっと可愛い顔をするレオナルドを見られると思うと、これも悪くない気がしてくるのだ。


 ……うん、私もレオナルドさんが好きすぎる。


 相思相愛の兄馬鹿と妹馬鹿である。

 お互いにバランスは取れていると思うので、私たちはたぶんこれでいいのだ。


 ……そして、『クリスティーナ』呼びは精霊対策としては効果なし、かな?


 すでに何日か『クリスティーナ』呼びを徹底しているのだが、精霊による悪戯は一向に治まる様子がない。

 王都の離宮まで飛ばされるような謎の長距離移動はあれ以来していないが、館では精霊の手によるものとしか思えない小さな悪戯が頻発するようになっていた。


 最初の異変が起きたのは、離宮へ行って帰ってきた日の夜だ。

 私の入浴は就寝前と決めているのだが、湯の張られた浴槽に色とりどりの花びらが浮かんでいた。

 前世でも高級なホテルの写真だとか、撮影用の演出でしか見たことがない光景だ。

 いったい誰がこんなお洒落な演出をしたのか、と普段とは違う風呂に首を傾げ、犯人を探して判ったことは、誰も浴槽に花びらなど浮かべてはいないということだった。


 ではこの花びらはどこから来たのか、と花びらの出所が判明したのは翌朝だ。

 裏庭の花壇の花が、何本も花びらだけを取られた状態で発見された。

 これにはバルトが悲鳴をあげている。

 無理もないだろう。

 裏庭の手入れは主にバルトが行っている。

 丹精込めて育てた花を無残に荒らされれば、バルトでなくとも悲鳴をあげるはずだ。


 そして、城主の館では悪戯としか思えない小さな異変が頻発するようになった。

 巨大な熊のぬいぐるみの耳を飾る布で作った花が生花に変わっていたり、食堂に用意されたカトラリーの数が変わっていたりと、本当にささやかな異変が続けて起こるのだ。


「……精霊というよりは、妖精の悪戯って感じでしょうか?」


「害のない悪戯なら、いいんだけどな」


 食堂で食事を取るのは基本的に私とレオナルドだけなのだが、たまにもう一人分のカトラリーがいつの間にか増えている時がある。

 どんな偶然か、判っていてやっているのか、そういった日には館に来客があって、普通にカトラリーが使われることが多い。

 そしてなぜか、この日に限ってはサリーサも食事を多めに用意しているのだ。


「たしか、妖精は一番下っ端でしたね」


「下っ端……」


 精霊というよりは妖精のようだ、と気がついて、メンヒシュミ教会での授業を思いだす。

 大神アバッシトルとその妻を頂点に十二柱の神がいて、その下にそれぞれの眷属神と精霊、さらに下に妖精がいるという力関係だ。

 私が時々遭遇する『精霊に攫われる』という状況は、距離を移動することがある。

 しかし、現在館の中で頻発している悪戯は、本当に小さな悪戯ばかりだ。

 人間ひとを一人遠くまで運ぶ精霊の悪戯と考えるよりも、妖精の悪戯と考えた方がしっくりとくる。


「そうか。精霊と妖精を分けて考えたことはなかったな。……ということは、カミールのところで見た大きな精霊が『精霊』で、小さな精霊が『妖精』か?」


「精霊を見たとか、レオナルドお兄様もすっかり不思議の世界の住人ですね」


 レオナルドは神王からなにやら忠告をいただくぐらいには何かあるようなので、精霊関係では私と同様に警戒しておいた方がいいだろう。

 精霊は私たちを助けてくれることが多いが、絶対に攻撃をしかけてこない存在でもないのだ。

 私は大切な人を、もう誰一人失いたくはない。

 天寿であればさすがに諦めるしかないが、他殺や精霊の悪戯による別離など、もってのほかだ。


「今のところ、最大の悪戯は離宮への長距離移動で、最小の悪戯はドールハウスの家具の位置が変わっていることだと思います」


 やはりと言うか、なんと言うのか、悪戯の回数はエノメナの鉢に飾られたドールハウスが一番多い。

 特に黒い犬の小さなぬいぐるみは頻繁に場所を移動しているので、相当この悪戯妖精には気に入られているようだ。







 春の終わりにレオナルドの誕生日が来て、シャツと寝間着を贈ったら喜ばれた。

 二年ぶりの妹からの春華祭と誕生日の贈り物ということでレオナルドが大いに喜んでくれたので、私の悪戯心もムクムクと起き上がる。

 起き上がった悪戯心を抑えなければ、とは思うのだが、だらしなくにやけるレオナルドの顔に押し負けた。

 レオナルドのにやけ顔に、私の中の悪戯心が勝ってしまったのだ。


「……というわけで、そろそろテスト期間終了です。今日から『クリスティーナ』呼びは禁止です。レオナルドお兄様は『ティナ』って呼んでください」


「そろそろ『クリスティーナ』にも慣れよう」


「レオナルドお兄様以外はいいですよ、『クリスティーナ』で。でもレオナルドお兄様は嫌です。わたくしに向かって別の女の人の名前を呼んでいるみたいで、イラッとします」


 要約すると「おまえが呼ぶのは嫌だ」と言われたレオナルドが判りやすく表情を凍らせたので、一応のフォローを入れておく。

 あなたの妹は極度のブラコンで、目の前で他所の女の名前を呼べばきますよ、と言ってやると、レオナルドは気分を持ち直しすぎたようだ。

 可愛い妹に「お兄ちゃん大好き」と言われたようなものなので、にやけるのも仕方がない。


「……ティナはそんなに『クリスティーナ』が嫌なのか?」


「レオナルドお兄様だけ特別です。改まった呼び方をされると、なんとなく照れちゃう、みたいな?」


 大人扱いとして改まった場所などで『クリスティーナ』と呼ばれるのは仕方がないことかもしれないが、私の名前はあくまで『ティナ』だと思っている。

 他の誰が『クリスティーナ』と呼んでもかまわないが、家族レオナルドぐらいには『ティナ』と名前で呼ばれていたい。


 なんとなく覚える不満を少しずつ並べて言葉にすると、レオナルドはそれ以上「クリスティーナに直そう」とは言わなかった。

 ただ「お嫁に行く時には直そう」と言ったので、「それでいいですよ」と答えておく。


「……妙に素直に頷いたな」


「お嫁に行くのは二十歳以降ですからね。さすがにそのぐらい期間があったら、慣れられるかもしれません」


 レオナルドへは素知らぬ顔をしてこんな返しをしたが、内心で舌を出す。

 私の野望よていとして、将来はレオナルドの嫁になるつもりなので、嫁に『行く』日は来ない。

 来るとしたら、嫁に『なる』日か、レオナルドが『婿に来る』日だ。


 こんな話をした午後に、王都からの急使が城主の館へとやって来た。

 いずれ王都から人が来るだろう、という予想はできていたので、タビサたちも慌てることなく急使を出迎える。

 タビサがまず急使に水を出し、馬の世話をバルトに任せ、ミルシェを使って砦にいるレオナルドへと連絡を出す。

 ランヴァルドとサリーサが応接室を整えている間に、水で一息ついた急使が身だしなみを整える。

 私も一応は淑女に数えられるので、急使も身だしなみを整えずには顔を出しにくいのだそうだ。


 レオナルドの帰宅を待って急使を応接室へ通すと、急使はまず私の顔をまじまじと見てきた。

 思わずまじまじとこちらも見つめ返してやると、急使は淑女の顔を凝視しすぎたようだ、と気付いたらしい。

 小さく咳払いをすると、姿勢を正した。


 ……この人、知ってる。たしか、王都でレオナルドさんが紹介してくれた、白銀の騎士の人だよね?


 急使として白銀の騎士が使われている、ということにまず驚くべきだろう。

 おそらくは、馬術の面で一番優れているか何かで、急使として抜擢されたのだと思う。


「失礼しました。アルフレッド様の遣いとして、グルノールのクリスティーナ嬢の所在を確認にきました」


「それは、なんというか……」


 お疲れ様です、と予想通りの用件に、心の底から急使を労う。

 突然の急使は、アレだ。

 私が離宮へと突然出没したことへの確認として、アルフレッドが送ってきたのだ。

 この世界にはまだ電話も車もないので、急ぎの用件はどうしても馬と人を使った急使で数日がかりの仕事となる。


「それで、その……、クリスティーナ嬢は最近王都へは?」


「夢の中で、王都の離宮でぬいぐるみの採寸をしたり、チーズケーキを食べたり、アルフレッド様にお会いしたりした覚えはございます」


「夢、ですか? いや、でも……」


「わたくしからも確認をしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 納得していない様子の急使の言葉を遮り、こちらも確認したいことを口に出す。

 せっかく王都から人が来たのだから、離宮でチーズケーキを食べたことが夢であったのか、本当のことであったのかは、はっきりとさせておいた方がいい。


「アルフレッド様が急使を送ってこられた、ということは、あの夢はやはり夢ではなかったのですね?」


「……その確認のために、私が急使に出されました」


 この急使は、やはり馬術を見込まれて急使に選ばれたようだ。

 体力のある馬術にすぐれた白銀の騎士、ということで、換え馬と時には睡眠を削ることで、馬車でひと月掛かる王都からグルノールへの旅程を九日で越えてきたらしい。


「こちらがアルフレッド様からの手紙です。クリスティーナ様が離宮へ来たとおっしゃったら渡すようにと言付かりました」


 ……なんていうか。


 本当にごめんなさい、としか言いようのない手紙だ。

 急使が持って来た手紙なので、とその場で中身を改める。

 急いで中身へと目を通せば、王都に向かって土下座で謝りたくなるような内容だった。


「アルフレッド様はなんと?」


「精霊の悪戯が酷いようなら、エノメナの鉢は処分しろ、ってお叱りのお手紙です」


 どうぞ、と中身が気になっているようなので手紙をレオナルドへと渡す。

 別に秘密にするような内容でもないので、いいだろう。

 むしろ、私の管理と警護という観点でなら、アルフレッドはレオナルドへも見せたいと考える手紙のはずだ。


「アルフレッド様は、ティナが離宮に現れただけでエノメナの鉢のせいだと考えたんだな」


「むしろ、他に犯人はいないと思いますけどね」


 さてどうする、とレオナルドが手紙を返してくれたので、封筒に戻しながらも断固たる拒絶姿勢をとる。

 エノメナの鉢へはすでにカリーサの遺骨を埋めてある。

 今さらエノメナの芽を抜くことは、私にはできなかった。


「ちゃんと調教して手懐けろ、ともありますから、エノメナの鉢を処分するのは無しです」


 姿も見えない、意思の疎通が可能かも判らない精霊と、どう交渉をして調教すればいいのかは判らないが、やらないわけにもいかないだろう。

 精霊の悪戯対策である名前を『クリスティーナ』に変える、もすでに試しているのだ。

 他の方法を試してみるのも、ありだと思う。


 ……無茶が過ぎるよ、アルフレッド様っ!


 姿の見えない相手を手懐けろだなどと、無茶が過ぎる要求だとは思うが、これができなくて一番困るのは私だ。

 そして、一番心配することになるのはレオナルドである。


 とりあえずは手懐ける方向で頑張ってみる、と手紙をしたためて、急使へと託す。

 グルノールへと到着したばかりの急使は、一晩だけ客間で休息を取ってから、翌日すぐに王都へと旅立って行った。

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