第18話 油断大敵

 ……もはや鉢植えというより、立派な箱庭だね。


 日が当たるように、と窓辺へ飾ったエノメナの鉢を改めて見下ろす。

 始めはエノメナの小さな芽が中央にあるだけの鉢だったのだが、今は本当に賑やかだ。

 まず目が行くのは中央のエノメナの芽ではなく、ランヴァルドが作ったドールハウスだろう。

 すでに鉢飾りという域からは逸脱しており、ドールハウス単体としても素晴らしい出来で、二階部分と屋根が取り外せる。

 近頃は内装に手を加え始め、少しずつミニチュアの家具が増え始めていた。


 ……雰囲気としては、オレリアさんの家に近いよね。


 広すぎず、狭すぎず、実に私好みの家だ。

 一階は大きめの暖炉がある居間と浴室、台所がある。

 二階には個室が三部屋あって、これで屋根裏が部屋になっていれば完璧に理想の家だ。

 こんな家に住みたい、と言ったところ、サリーサが使用人の離れを作りましょうと言い始めた。

 私としては、レオナルド人形に一部屋、私の人形に一部屋、サリーサとミルシェ人形で一部屋と思っていたのだが、ドールハウスでもサリーサたちは使用人として離れに住みたいらしい。

 サリーサの要望に応えてランヴァルドが一回り小さな離れを作ると、その間にサリーサは「調理場は自分の領域である」と理想の台所作りに励み始めた。

 フライパンや鍋などの小さな金属加工はランヴァルドにも難しいとのことで、レオナルドに相談したところ、職人へと発注することになる。

 少し鉢が寂しい、と飾り始めたはずなのだが、すでにドールハウスが本体となりつつある気がした。


 ……まあ、楽しいからいいけどね。


 職人の手を借りることになった以上、私ももう少し手をかけたい。

 ベッドは収納のついた二段ベッドに近いものをランヴァルドに作ってもらい、私はそのベッドに入れる布団一式を作る。

 ボビンレースを飾りにすれば華やかになるのだが、素朴な雰囲気の家に合わないので、今回は刺繍で模様を入れることにした。


 ……そしてやっぱり、ベッドにはぬいぐるみ、と。


 グルノール館の私のベッドには、巨大な熊のぬいぐるみがある。

 王都にある離宮の私のベッドには、一回り小さな黒い犬のぬいぐるみが置かれていた。

 そんな理由でこのドールハウスの私のベッドへも、ぬいぐるみを置くつもりだ。

 丁度よいことに、黒い犬の小さなぬいぐるみはすでに鉢飾りとして作ってあった。


「これだけ賑やかなら、カリーサも寂しくないよね?」


 ベッドに完成したばかりの布団を置いて、内装を触るために取り外していた二階部分を重ねる。

 離れを置く予定地は空いているが、ミニチュアの花を置いた花壇や案山子かかしの見張る小さな家庭菜園、山羊や鶏といった家畜の人形まで飾られていて、エノメナの鉢は実に賑やかだ。

 寂しいどころか、かえって上が重たいとカリーサは不満に思っているかもしれない。


「……あれ?」


 一瞬だけエノメナの芽がぼんやりと光ったような気がして、気のせいかとジッと芽を見つめる。

 相変わらず芽だけが大きくなっているのだが、それ以上の成長をする様子がない。


「気のせい?」


 しばらくエノメナの芽を見つめていたのだが、特に光るだとか、突然成長を始めるだとかいった変化はなかった。

 光の加減で光ったように見えただけなのだろう、と結論付けて、本日のドールハウス作りは終了だ。







 近頃の私の日常は、実に平和だった。


 目が覚めるとまずエノメナに水をやり、レオナルドと朝食を取る。

 そのあと砦へと出勤するレオナルドを玄関ホールで見送り、裏庭に出て黒柴コクまろの散歩を兼ねて一緒に遊ぶ。

 遊びのあとは翻訳作業を一時間ぐらい行って、私の集中力が切れた頃におやつの時間だ。

 おやつ休憩の後は、運動の時間である。

 最近では踏み台昇降運動が五分続くようになってきた。

 左右の足でさすがに連続五分ずつはできないので、間に息を整えるための休憩を挟み、また翻訳作業に戻る。


 昼食の後は、趣味の時間だ。

 刺繍をしたり、ボビンレースを作ったり、箱庭を改造したり、読書をしたりと、その日の気分でいろいろなことをして過ごしている。

 午前の翻訳作業の切りが悪ければ、この時間に少し進めることもあった。

 仕事ばかりではいけない、と用意された趣味の時間だが、運動はほとんど強制なので午後にも時間が取られている。

 再び裏庭に出て黒柴の散歩に付き合い、庭中を走り回るのだ。

 冬の終わりはまともに走ることもできなかったのだが、今は全速力でなければ二分ぐらいは走っていられるようになったので、体力は順調に戻ってきている。


「……うん、完成」


 今日の趣味の時間は、レオナルドのシャツ作りだ。

 春華祭の埋め合わせと、誕生日プレゼントを兼ねている。

 毎年シャツを縫うというのも芸がない気がしたので、今年は寝間着も作ってみた。

 レオナルドは夏の夜は全裸で眠りたい人のようなので、少しでも快適になるかと汗を吸う寝巻きの生地に、形は甚平だ。

 半そで半ズボンで、それなりに快適になったはずである。


「あとは一度お洗濯をして、アイロンはタビサにお願いしましょう」


 どうせ普段使いするものだが、一応は贈り物だ。

 ピシッとアイロンをかけた状態でレオナルドへと贈りたい。


「少し早いですけど、お昼寝します」


 針と糸を裁縫箱へと片付けて、部屋の扉の前に立っているアーロンへと声をかける。

 アーロンの視力は相変わらずなので、事前に私の行動を声に出して伝えた方がアーロンも行動しやすい。


 裁縫箱を片付けて靴を脱ぎ、ベッドへ上がって巨大な熊のぬいぐるみの足の間に座る。

 横になってもいいのだが、昼寝はこの巨大な熊のぬいぐるみのお腹を背にまどろむのが一番心地よい。


 ……もうすぐジンベーも甚平にお着替えの季節だね。


 シーツ代わりに服を着せられたベッドの巨大なぬいぐるみは、季節によってさまざまな衣装に身を包む。

 冬は私の仮装にあわせてか、熊なのに猫や犬の耳を付けられていた。

 今は春ということで、耳に花飾りをつけ、若葉色のシャツを着ている。


 ……そういえば、離宮のカレーライスは夏でもシャツだったな。


 服の種類はグルノールよりも豊富だったが、夏だからといって黒い犬のぬいぐるみが甚平を着ることはなかった。

 離宮は王城の中にあったため、普段着からしてグルノールでのお洒落着に近い。

 そのため、夏でも甚平で過ごすことはなかった。

 だから黒い犬のぬいぐるみに甚平を着せよう、という発想にならなかったのだろう。


 ……カレーライスにも季節感は大事だよね。


 今から甚平を作って送れば、夏までに離宮へと届けられるだろうか。

 あの黒い犬のぬいぐるみには、何色が似合うだろう。

 私とお揃いで、赤い甚平を作ろうか。


 こんな取り留めのないことを考えていると、睡魔はすぐにやって来た。

 こくり、こくりと頭を揺らし、意識を手放す。


 次に意識が浮上した時には、周囲の様子は一変していた。







「……んあ?」


 間の抜けた自分の寝言で目が覚める。

 何か変だぞ、違和感がある、と数回瞬き、周囲を見渡すのだが、ここは私の部屋ではない。

 しかし、見覚えのある部屋ではあったので、慌てる必要は感じなかった。

 まずは背中に感じているものの正体を確認しよう、と視線をあげる。


「あ、カレーライス」


 巨大な熊のぬいぐるみを背に昼寝をしていたはずなのだが、いつの間にか背にしていたのは黒い犬のぬいぐるみになっていた。

 見上げた視界に、カリーサ渾身の麻呂眉がついた黒い犬の顔がある。


「えっと……?」


 ……眠りに落ちる直前まで、カレーライスのことを考えていたからかな?


 黒い犬のぬいぐるみについて思い馳せていたため、夢に黒い犬のぬいぐるみが出てきたのだろう、と結論づける。

 背中にあるものの正体が判れば、部屋に見覚えがある理由も判った。


 ここは王都にある離宮の、夏の部屋と呼ばれていた私の部屋だ。


 グルノールの私の部屋は模様替えをしたので少し落ち着いた色合いになっているのだが、離宮の夏の部屋は以前の私の部屋そっくりに整えられている。

 全体的にチョコミントを思わせる色使いの、夏にはぴったりの部屋だった。


 なんだ夢か、と思えばこの不思議な事態も冷静に受け止められる。

 せっかく夢に黒い犬のぬいぐるみが出てきてくれたのだから、と手触りのよい布の感触を堪能しつつ、甚平を作るのに必要な採寸を行うことにした。


「……巻尺が欲しいかも?」


 夢なら都合よく巻尺が手に現れたりしないものだろうか。

 そう考えて手のひらを見下ろすが、突然巻尺が現れたりはしないようだ。

 仕方がないので裁縫箱から巻尺を取ってこよう、とベッドを降りると、軽いノックの後にレベッカとウルリーカがワゴンを押して部屋に入ってきた。


「クリスティーナ様、おやつをお持ちいたしました」


「おやつ……?」


 夢の中でまでおやつの時間があるのか、と自分の食欲に呆れつつ、お茶の用意が整えられつつあるテーブルに向かう。

 妙に足元がふかふかとするな、と下を見ると、なぜか靴を履いていなかった。


「あら? わたくしの靴は……?」


 はて、靴をどこに脱いだのだろうか、と歩いてきたばかりの背後を振り返る。

 ベッドからテーブルまでの短い距離に、私の靴は転がっていなかった。


 ……靴を履いてない理由は判る。ベッドでお昼寝してたから、だよね?


 昼寝をするためにベッドへ上がったのだから、靴を履いていない理由は判る。

 ベッドに入るために、靴は脱いだのだろう。

 当然のことだ。

 当然のことなのだが、その脱いだはずの靴がベッド周辺に見当たらない、というのは少しおかしかった。


「靴はわたくしが探しておきます」


「それにしても、クリスティーナ様が事前の連絡もなくいらっしゃるので、今日のチーズケーキは内街にあるクリスティーナ様お気に入りの店から取り寄せたものです」


 突然の帰還すぎて、改良を続けているチーズケーキを出せなかった、と料理人が落ち込んでいるらしい。

 妙にリアルな夢だ。


「本日いらっしゃると聞いていれば、料理人が腕によりをかけてチーズケーキを作りましたのに……」


「その代わり、夕食はクリスティーナ様のお好きなナパジ料理を作る、と料理人が張り切っておりました」


「それにしても、アルフレッド様が離宮への連絡を忘れてしまわれたのかしら?」


「いつも一緒のコクまろはどうしたのですか? 番犬がクリスティーナ様のお側にいないだなんて……」


「やはりレオナルド様は離宮へお泊りなのでしょうか。私どもにも支度というものがありますので、クリスティーナ様にも次の帰宅の際には事前の連絡をお願いしたく……」


 ……あれー?


 何か変だな、とチーズケーキを口に運びながら内心でだけ首を傾げる。

 夢にしては妙に細かいことを気にしているような気がするのだ。

 たしかに、私が離宮へと連絡もなしに帰れば、侍女や使用人たちは困るだろう。


 だけど、これは夢だ。


 夢の中でふらりと離宮に帰ったからといって、事前に連絡をくれ、と注意を受けるのはなんとなく違和感がある。

 夢の中なのだから、細かいことは気にしなくてもいいと思うのだ。


「クリスティーナが突然戻った、というのは本当か!?」


「あ、アルフレッド様」


 馬車の音は聞こえなかったのだが、廊下を早足に歩く音がした。

 足音が部屋の前で止まったかと思ったら、金色の髪をわずかに乱してアルフレッドが部屋へと入ってくる。

 そのままズカズカと部屋を横切って私の目の前へとやって来ると、おもむろに私の頬へと腕を伸ばしてきた。


「いひゃいれすよ」


「……本物、だな」


 突然頬を引っ張られたので、ぺちりと手を払いのける。

 王子相手にどうかと思う態度なのだが、これは突然頬を引っ張ってきたアルフレッドが悪い。

 私だって理由もなく食事中に頬を引っ張られれば、怒ることだってあるのだ。


「いきなりなにをするのですか。食べている時にほっぺたを引っ張らないでください」


「気にするところはそこなのか? いや、確かに今のは私が悪かった。……いや、そうではなくてだな」


 珍しくも驚きを隠す様子のないアルフレッドに、何か緊急事態が起きているらしい、と姿勢を正す。

 チーズケーキはまだ食べたいが、真面目な話があるというのなら、こちらも真面目に話を聞くべきだろう。


「それで、どうしたのですか? そんなに慌てた様子で」


「いや、慌てて駆けつけるだろう。レベッカから私の元へと急使が来た。『離宮に突然クリスティーナが戻ってきたが、何か連絡を受けているか』と」


「……納得しました。お知らせが行ったから、アルフレッド様は慌てて離宮にやって来られたのですね」


 妙にリアルな夢だな、とレベッカに出されたカップを口へと運ぶアルフレッドを見つめる。

 優雅な仕草は相変わらずだが、今は少しだけ髪が乱れていた。

 本来なら王子にあるまじき惨状だろう。

 遅れて部屋に入ってきた従者が、アルフレッドの背後でこっそりと内ポケットに櫛の所在を確認していた。


「……それで、突然どうした。外出ができないというのは、治ったのか? レオナルドはどこだ。王都に来るという事前連絡はなかったはずだが」


「外出はまだ裏庭にしか出られていません。レオナルドお兄様は、今日も朝から砦でお仕事です。夜まで戻りませんよ。王都に来る予定なんてなかったので、連絡がないのは当然です?」


 アルフレッドの質問の一つひとつへと律儀に答える。

 答えるたびに新たな質問で返され、本当に妙なほど細部に拘る夢だな、とそろそろ面倒になってきた。


「……妙な夢ですね。普通、夢って言ったら細部は適当でツッコミどころ満載な設定でも誰も疑問に思わず先に進んでいくものだと思っていましたけど」


「夢……?」


「夢ですよ。わたくし、夢を見ているのでは?」


 そうでなければ、王都に帰ったアルフレッドが目の前にいるはずがない。

 今はなぜか私が離宮にいるのでアルフレッドがいることも不思議ではないが、そもそも私はグルノールの自室で昼寝中なので、王都になどいるはずがないのだ。

 現在の状況の辻褄を合わせるのなら、これは夢だと判断するのが一番早い。


「……これが夢か?」


「いたいれすよ」


 むにっと再び摘まれた頬に、不満を訴えてペチペチとアルフレッドの手を叩く。

 頬を摘まれるような覚えはないのだ。

 チーズケーキを美味しくいただく邪魔なので、速やかに頬を開放してほしい。


「夢なのに痛いとか、妙にリアルな夢ですね」


「まだ認めないのか。私はおまえが突然離宮に現れたと連絡を受けて、確認に来たんだぞ」


 取るものもとりあえず駆けつけてみれば、のん気にチーズケーキを頬張っていたのだから、頬ぐらい引っ張りたくなるだろう、とアルフレッドは言う。

 のん気すぎる、と。


「……何をしていたらこんなことになったのか、覚えているか?」


「何をというと……カレーライスの採寸をしようとしていました」


 己の行動を思い返してみろ、と促されたので、自分の行動を振り返ってみる。

 チーズケーキを食べ始める前の私は、黒い犬のぬいぐるみに甚平を作るべく、採寸をしようとしていたはずだ。


「カレーライスは離宮のぬいぐるみだろう。それよりも前だ。何をしていた?」


「カレーライスの採寸の前というと……レオナルドお兄様のシャツと甚平を縫っていました」


 ようやく完成したので、昼寝の時間には少し早かったが裁縫道具を片付けて休憩に入ったのを覚えている。

 巨大な熊のぬいぐるみのお腹を枕に、黒い犬のぬいぐるみには甚平がなかったな、と考えていた。


「……よし、話が繋がってきたな。とりあえず、クリスティーナが『夢を見ている』と思っているのと、靴がない理由は解った」


「変なことを言いますね。夢でなければ、王都に戻ったアルフレッド様がいるわけないではありませんか」


「ここが離宮だ、という認識は?」


「ありますよ。離宮でなければレベッカとウルリーカがいるはずないではありませんか」


「ここが離宮だということは、ここは王都ということにならないか?」


「……なります。つまり、やっぱり夢なんですね」


「なぜそうなる」


「いたいれす」


 むにっと三度みたび摘まれた頬に、アルフレッドの手を振り払う。

 次からは簡単に摘ませないぞ、と両手で頬を隠し、アルフレッドの腕の動きに注視した。

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