第17話 恋話

 少しだけディートフリートの将来が心配になりつつも、バシリアとのお茶会は終了した。

 船で川を遡れば半日、下りはもっと早い距離とはいえ、とんぼ返りもないだろう、と客間への宿泊を勧めたのだが、宿の手配は先にしてあったようだ。

 正直、事前に宿を手配するという考えがあったのなら、私へも一言欲しかった。

 主に、突然の来客に慌ててサンルームへとテーブルセット一式を持ち込んでお茶会の準備を整えたタビサたちのために。


 相変わらず外へ出ることはできないので、バシリアを玄関ホールで見送る。

 馬車まで送るのはサリーサに任せた。

 しばらく玄関ホールで待っていると、バシリアを乗せた馬車が遠ざかっていく音が聞こえる。

 さらに少し待っていると、玄関ホールへとサリーサが戻ってきた。


「……サリーサは刺繍を贈った相手のどこに惹かれたのですか?」


「バシリア様の影響でしょうか? お嬢様がそういった話をされるのは、珍しいですね」


 すぐに答えが返ってこないことから、なんとなくサリーサはこの話題を避けたがっている気がする。

 バシリアは放っておいてもどんどんと惚気ていったが、サリーサは逆のようだ。

 もしかしたら、まだ片思いなのかもしれない。


 ……どこの誰だろ? うちのサリーサに言い寄られて靡かないなんて。


 同性である私から見ても目が行く巨乳の持ち主がサリーサだ。

 おっぱいが嫌いな男などいないと思うのだが、このサリーサの巨乳をもってしても「うん」と首を縦に振らない男などいるのだろうか。


 ……違った。この世界では恋の相手が同性ってこともあるんだった。


 つい前世の感覚でサリーサの恋する相手は男性だろう、と考えてしまったが、異性が恋の相手だとは限らない。

 前世とは違い、同性間の恋愛も普通のこととして根付いているのだ。

 サリーサの相手が同性であるのなら、最強の武器たるサリーサの巨乳も、意味はないのかもしれない。


 想い人が同性である可能性に気がつき頭を悩ませていると、うんうんと唸り始めた私にサリーサは困ったような顔をして微笑む。

 まさか私がここまで本気になって自分の相手を気にするとは、考えもしなかったのだろう。

 内緒ですよ、と初めて見せる悪戯っぽい笑みを浮かべて指を唇に当てる。

 このサリーサを見て落ちない男がいたとしたら、それは性的嗜好が同性なのだとしか思えない。

 女性の私から見ても、サリーサに落ちそうな魅惑的な笑みだ。


「私とカリーサを一目ひとめで見分けたところが、気に入りました」


 どうやらカリーサと入れ違いでグルノールへとやって来たサリーサを、最初はカリーサと間違えて声をかけてきたらしい。

 しかし、相手はすぐにカリーサではないと気がついたようだ。


「人違いだった、と詫びる彼の顔が可愛くて……」


 彼の顔、ということは、相手は異性らしい。

 サリーサがその男性を意識し始めたのは、この一瞬だったようだ。


 三つ子として一括ひとくくりにされてきた三姉妹は、それぞれを見分けられる人間に好意を抱く傾向がある。

 念のために聞いてみたところ、三姉妹を拾った当時のマンデーズ砦の主、三姉妹を育てたイリダル、私、エセルバートとそのお供四人、ディートフリート、と三姉妹を見分けている人間は意外に少ない。

 レオナルドにいたっては、最初から見分けることを諦めて三姉妹がいるマンデーズでは全員を『アリーサ』と呼んでいた。

 リストラされた前のキュウベェも、こちら側の人間だ。

 個々の違いは判るらしいのだが、顔と名前がなかなか一致しないのだとか。


 ……私は一日中一緒にいたから、すぐに見分けられたけどね。


 とりあえず、一つ判ったことがある。

 サリーサの想い人は、グルノールにいる人間だ。

 カリーサと間違えて、入れ違いでグルノールに来たサリーサに声をかけたというのだから、私の生活圏内にいる人間だろう。

 私の生活圏内が、サリーサの職場でもあるのだから。


 ……ということは、怪しいのは門番の黒騎士?


 城主の館にいる若い男、となると怪しいのは門番をしている黒騎士だ。

 若くなくともギリギリサリーサとつり合う年齢の男性を加えるのなら、ランヴァルドを入れてもいいかもしれない。

 今グルノールにいない男性であれば、長いこと城主の館で聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の警備をしていた白銀の騎士という可能性もある。

 どちらにせよ、サリーサの意中の相手を洗い出すことは可能になってきた。







 夜になって帰宅したレオナルドを玄関ホールで出迎えると、今夜はアルフが一緒だった。

 夕食を一緒に、とレオナルドが誘ったそうなのだが、外出ができない私の様子を見に来てくれたのだろう。

 アルフは中身が違うはずなのだが、以前のアルフとほとんど違和感のない行動をする。


「アルフさんの初恋って、どんな感じでしたか?」


「初恋? ……さあ、どうかな?」


 はて、なにか妙な反応だぞ、とデザートのムースを掬うスプーンを止め、アルフの顔を見上げた。

 物騒な話や子どもに聞かせるべきではない、と判断された話が濁されることは以前からあったが、ただの恋話コイバナをアルフに誤魔化されるのは少し意外だ。

 初恋話ぐらいさらりと聞かせてくれるかと思っていたのだが、アルフの反応は少しぎこちない。

 ぎこちないというよりは、おもいきり考え込み始めているようだ。


「恋……恋か。どうかな? ティナが聞きたいのだろうところの『初恋』というものに、覚えはないが……」


「え? 覚えがないのですか?」


 ではアルフレッドとして振舞っていた時のアルフへの熱烈な想いはなんだったのか、と聞いてみたら、あれは命とか概念のようなものだと答えられてしまった。

 アルフレッドにとってのアルフと、アルフにとってのアルフレッドは、そこだけ別格の別枠扱いで、他と比べられるものではないのだとか。


 逆に考えると、あくまでお互いは別格という位置にいるため、アルフレッドは妻となったアリエルを心から愛しているし、そのアリエルよりもアルフを優先することがあっても、それは浮気でもなんでもないらしい。

 そもそも別次元の存在として扱っているため、同列に並べて考えること事態がおかしいのだとか。


「よくわかりませんが、とりあえずアルフさんとアルフレッド様の中で、お互いが別枠だってことは理解しました。……じゃあ、アルフさんにとっては、ソラナが別腹のお嫁さん?」


「ソラナを嫁に、とはアルフレッド様が言っていることだな。妻に迎えることに異論はないけど、恋をしているかと言われると……?」


 むむむ、と眉を寄せてアルフが考え込むのは珍しい。

 軽い気持ちで初恋話を聞いてみたかっただけなのだが、意外なことにアルフ自身、恋愛話はピンと来るものではなかったようだ。


「アルフレッド様ががっちりソラナを囲い込んでいるし、アルフさんのお嫁さんに、って言っていたので、てっきりアルフさんはソラナが好きなのかと思っていました」


 自分で言いつつ、変だなと首を傾げる。

 アルフの言うことには、ソラナをアルフの嫁に、というのはアルフレッドの独断らしい。

 アルフの得にならないことや、意に沿わない相手を押し付けるような真似をアルフレッドがするとは思えないのだが、アルフの反応はいまいちだ。


「好き嫌いの話なら、好きだな。嫌う理由がない。ただ、ソラナはソラナだから……」


 おや? とアルフの表情の変化に瞬く。

 反応は鈍いのだが、なんだかアルフの表情が『違う』のだ。


「私はアルフレッド様の乳兄弟として離宮で育ったから、生まれてすぐぐらいからソラナを知っているんだ」


 アルフレッドの乳兄弟として離宮で育てられていたアルフと、同じく第八王女の乳兄弟として離宮で育てられることになったソラナとの出会いは早い。

 出会いの第一印象が赤ん坊であったため、アルフにとってソラナはいつまでも赤ん坊という意識が抜けないらしい。

 可愛い妹分、と愛おしむ気持ちはあるが、恋しく想う気持ちはないのだとか。


 ……いやいや、アルフさん。鏡見よう。目は口ほどにものを言うって見本が、今私の目の前にいるよ。


 話の流れから赤ん坊の頃のソラナを思いだしているのだろうが、アルフの表情は甘くとろけるように柔らかい。

 アルフレッドと入れ替わったために付き合いの長いアルフではないが、以前のアルフとして振舞っていたアルフレッドでも見せたことがないような表情だ。

 こんな表情かおをしておいて、ソラナを妹分以上には思っていない、なんてことはないだろう。


 ……うん、判った。たぶん、アルフさんの初恋はソラナで、恋に落ちた瞬間は初対面の赤ん坊ソラナだったんだね。


 初対面から恋に落ちていれば、改めて恋に落ちることはないだろう。

 それが通常の状態だと認識していれば、思春期になって改めて初恋を自覚することもないし、今さら自分が恋しているとも気付けないかもしれない。


 ……意外なところで、意外な人が鈍かった。


 赤ん坊の頃のソラナを思いだして、一瞬前までは他人ひとごとのような顔をしていたアルフも自分の結婚について考え始めたようだ。

 アルフレッドが結婚し、子どもまで生まれているというのも、心境の変化に影響を与えているのだと思う。


 ……聞こえない。何も聞こえない。今すぐ結婚して子どもを作れば、自分の子どもを白銀の騎士にしてアルフレッド様の子どもの護衛にできるな、だなんて大きな独り言は聞こえませんよ。


 中身が入れ替わっても、アルフはアルフだ。

 以前のアルフレッドのアルフ好きは、普段は潜められているのだが、はやり健在だった。

 

「……ティナは俺には聞かないのか?」


「話したいのなら聞いてあげますよ、レオナルドお兄様の初恋話」


 アルフの初恋に対する話題が途切れた、とレオナルドが口を挟んでくる。

 普通であれば真っ先に聞かれるだろう兄なのに、レオナルドの初恋よりもアルフの初恋話を私が聞きたがったのが面白くないのだろう。

 どこかソワソワとした様子が面白くて、わざと冷たくあしらってしまった。


「妹がおれに冷たい」


「レオナルドお兄様の場合は、恋愛話を振っていいのかどうか難しいですからね」


 レオナルドは親に売られて孤児になったという過去を持つ。

 初恋が思春期前であれば、親元にいた頃の話になり、思春期の後であれば別の男と子どもを作って婚約話を白紙にした王女が相手という場合がある。

 ちょっとした好奇心で聞くには、地雷が見えすぎていた。


「俺の初恋は、メンヒシュミ教会で見た女の子だな」


「あ、結局話すのですね」


 これでも一応気を遣ったつもりなのだが、レオナルドは自分の初恋について話すつもりらしい。

 メンヒシュミ教会で、ということは、一応元王女との地雷話ではないようだ。


「教会の見学に来ていたのか、父親の腕に抱かれたお人形みたいに可愛い女の子だった」


「メンヒシュミ教会に来るってことは、七歳以上の子ですよね? まだ父親に抱っこされていたのですか?」


「ティナだって、九歳までは俺に抱っこで運ばれていただろう」


「十歳でも場合によっては抱き運ばれていた気がしますが、わたくしの場合は兄の腕力が有り余っていましたからね」


 需要と供給が一致しての、十歳という大きな年齢まで抱き運ばれていたという事実である。

 私が特別に甘えん坊だったわけでは、ないとは言い切れないが、ないと言い切っておく。

 ようは気持ちの問題だ。


「それにしても、意外に普通の話が出てきてびっくりです。レオナルドお兄様がいくつぐらいの話ですか?」


「俺がメンヒシュミ教会に通える七歳か八歳だったはずだから……」


 親に売られる前の話だ、と続けたレオナルドを軽く睨んでやる。

 一応気を遣って昔のことなど思いださせないようにしたつもりなのだが、本人はまったく気にしていないようだ。


「……やっぱり気軽には聞かない方がいい話ではありませんか」


「そうは言っても……親についてはもう気にしていないしな」


 気を遣われる程のことではない、とレオナルドは言う。

 弟妹については気になるが、お互いにもういい歳なので、それなりの生活を築いているはずだ、とも。


「……ひとつ、確認したいことがあるんだが」


 どちらにだろう、と一度レオナルドと顔を見合わせてから、話に入ってきたアルフへと視線を向ける。

 私とレオナルドの視線を受けたアルフは、奇妙なほどに真面目な顔をしていた。

 初恋話の延長の、他愛のない話題ではないようだ。


「以前クリスティーナの周辺に、テオという少年がいただろう。テオとの出会いを覚えているか?」


「テオですか?」


 アルフの言い回しが妙なのは、アルフとアルフレッドが入れ替わっているからだろう。

 知識としてはレオナルドが買ったミルシェの兄、とテオの名前が頭に入っているはずなのだが、こちらのアルフにテオとの面識はなかったはずだ。


「たしか、砦の闘技大会の日に……砦の正門に並んでいたら、後ろから突然髪の毛を引っ張られました」


 髪を引っ張られて悲鳴をあげた私に、一緒にいたバルトがテオへと拳骨を食らわせていたのを覚えている。

 間が悪いというか、当たり前というのか、場所が砦の正門ということもあって、砦の主の妹である私への暴力に、その場にいた黒騎士がテオを取り押さえていた。

 そして、子どもの悪戯と片付けられることなく、テオは砦に一晩拘束されたと、あとから聞いたはずだ。


 ……意外と覚えているものだね。


 懐かしい、と思い出に引きずられてテオの面影が頭を過ぎる。

 黒髪に黒い目をした、わんぱく小僧だ。

 決して美少年ではないのだが、だからといって醜くもない顔立ちだった気がする。

 親に売られた後の行方をレオナルドたちが少し調べてくれたそうなのだが、行方は掴めずじまいだ。

 生きていれば私の一つ下なので、十四歳になる。


 ……あれ? テオの誕生日って、レオナルドさんと一日違い?


 レオナルドの誕生日を祝った翌日に、テオが自分の誕生日を私が祝ってくれなかった、ずるいと拗ねて面倒なことになったはずだ。

 あの日はなぜかメンヒシュミ教会にベルトランが現れて、ベルトランの計らいでニルスたちと広場でテオの誕生日を祝うことになった。


 ……あの時は、結構楽しかったな。


 テオがいて、カリーサがいた。

 今では思い出の中にしかいない二人だ。


 ……テオはまだどこかで生きている可能性もあるけどね。


 可能性はあるが、二度と会えはしないだろう。

 私は館からほとんど出ない生活をしているし、テオは隣国で消息が掴めなくなった。

 王都から迎えが来たり、誘拐されたりとして意外に大陸中を移動することになったが、交通網がそれほど発達していないこの世界では、そもそも旅や引越しをする人間というのがすでに珍しい。

 隣国へと売られたテオが、イヴィジア王国へと帰ってくることはないだろう。


 十四歳のテオを想像してみたら、なんとなくレオナルドと雰囲気が重なる。

 レオナルドは大柄な体格をしており、テオも年齢よりも大きな体つきをしていたはずだ。

 アルフレッドのような美形ではないが、レオナルドもそれなりに整った精悍な顔立ちをしている。

 テオが生きていれば、と考えて、王都の離宮にあったレオナルドが壷を持った噴水を思いだした。

 あの噴水のモデルになった当時のレオナルドが十七歳だと聞いている。

 今のレオナルドと重ねるよりも、あの噴水のレオナルドの方がテオの年齢に近いはずだ。


「……いや、違うぞ。テオと初めて会ったのは、メンヒシュミ教会だ」


「あれ? そうでしたか?」


 テオが生きていればこんな感じだろうか、と想像していた思考が中断される。

 私の思考を遮ってくれたレオナルドを見上げると、レオナルドもまた思案している顔をしていた。


「そうでしたか、って……ティナが言っていたんだろう。闘技大会の時に、たぶんあの時の子だ、って」


「そう言われてみれば、そんなことがあったような……?」


 指摘されてさらに思いだせば、そんなことを言った気がする。

 グルノールの街へ来たばかりの頃に、メンヒシュミ教会とはどんなところかと、レオナルドに見学へ連れて行ってもらったのだ。

 最初は自分で歩いていたのだが、途中から疲れてレオナルドに抱き運ばれていた。

 その時に、背後から声をかけられたのだ。

 父親に抱き運ばれているなんて、赤ん坊みたいだ、と。


 ……まあ、レオナルドさんは父親じゃなくて、兄なんだけどね。


 私は今以上に小さかったし、レオナルドは老け顔だったしで、テオも私とレオナルドを親子だと思ったのだろう。

 あの時は背後から声をかけられた。

 後ろから見れば私とレオナルドの髪は同じ黒髪で、親子に見えたとしても不思議はない。







「――それは、テオ視点で見てみたら、レオの初恋話と同じにならないか?」


「そうですか?」


 エノメナの鉢植えに飾ったハリボテの家を、改良に限界を感じたランヴァルドが少し本格的に作り直してくれた。

 私とサリーサが作った人形で遊べる小さなドールハウスと化した家は、鉢に飾るには存在感がありすぎるが、もとから鉢が大きすぎるので収まってしまうといえば収まるのだからすごい。


 現在のエノメナの鉢植えは、ちょっとした箱庭のようになっている。


 中央にはいつか咲く予定のエノメナの芽があり、芽を守るように私たちの人形が飾られ、その人形の家としてランヴァルド作のドールハウスが飾られていた。

 最初は大きな鉢に小さなエノメナの芽が一つあるだけの寂しい鉢だったのだが、随分と賑やかになったものである。

 いつの間にか家畜小屋や井戸まで追加されていたので、人形たちも快適に暮らせるだろう。


「レオはテオみたいな子どもだった、って自覚はあるみたいですけど……」


 新しくなった家に、人形の位置を少し調整しながらランヴァルドの言葉を反芻する。

 たしかに、視点をテオに変えてみれば、私とテオの出会いはレオナルドの初恋話と重なる部分が多い。

 あの時のテオはレオナルドを私の父親と思ったようなので、レオナルドの言った「父親の腕に抱かれたお人形みたいに可愛い女の子」にも当てはまるだろう。

 中身込みなら頭に『残念』と付くが、今生の私は両親が可愛い顔に産んでくれた。

 レオナルドに抱き運ばれる年齢よりも体格の小さな当時九歳の私は、人形のように可愛らしかったはずだ。


「……でも、レオナルドお兄様の話とテオの視点から見た話が重なるからって、なんの意味があるんですか?」


「意味はないかもしれないが……気になるだろう」


「え? 特に気になりません」


 レオナルドの初恋の思い出と、テオと私の出会いが重なるからなんだと言うのか。

 この話を聞いて何か思うことがあるかもしれないのは、テオの父親だというランヴァルドが、顔も見たことのない息子情報に少しだけ詳しくなるか、という程度だろう。

 私にとっては、男児に意地悪をされた嫌な思い出でしかない。


「そんなことよりも、ヴァルドさんは絵も描けましたよね? ベルトラン様とか描けますか?」


「ベルトランなら王城にいた頃に何度か見たことがあるが……なんだ? 肖像画でも描いてほしいのか?」


「いりませんよ。あんな顔を部屋に飾ったら、夜中にうなされそうです」


 うなされそうなので自分の部屋にベルトランの肖像画を飾りたいとは思わないが、自分や相手の肖像画を描いて贈ることは、贈り物として『あり』だと、以前ヘルミーネに教わった。

 残念ながら私の記憶にはないのだが、誘拐されている間にベルトランには少々世話になったそうなのだ。

 ここは一つお礼として、ベルトランの肖像画を贈る、というのもいいだろう。


「……というわけで、等身大の下絵を描いてください。色はわたくしが刺繍でつけます」


 義理も果たせて、私の暇も潰せる。

 これはいい考えだろう、とランヴァルドを見上げると、ランヴァルドはなんとも言えない嫌そうな顔をした。


「第八王女を失脚させた、噂の金貨五千枚桃色絵画か」


「どんな噂を拾ってきたかは聞きませんが、普通の立ち姿でお願いします。レオナルドお兄様の刺繍絵画は悪戯目的でわざと下絵を描いてもらったので、ベルトラン様にはしませんよ」


 それこそ玄関に飾ったら魔除けになりそうな、勇ましい姿にしましょう、と続けると、ランヴァルドも少しだけやる気が出てきたようだ。

 魔よけ目的ならば全盛期の勇ましいベルトランにしよう、と積極的な意見を聞かせてくれた。

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