第15話 訪問者

 アルフレッドが帰還の挨拶に来た数日後、アルフレッドは本当に王都へと出立した。

 なかなか気軽に行き来できる距離ではないので、何もなければ次に会うのは私が二十歳になった時である。

 少し寂しい気はするが、何かあった場合というのは事件や事故に巻き込まれた後、ということだ。

 この件に関しては、予定外に再会するようなことが起こらないことを祈った方がいい。


 ……私の人生、結構誘拐とか誘拐とか誘拐未遂とかあるしね。


 犯人が精霊や神王など、人間以外の手による誘拐を入れれば、もっと数は増える。

 私自身は平穏に冒険心薄く暮らしているつもりなのだが、事件トラブルの方から寄ってくるのだから仕方がない。


 不幸中の幸いと言うのか、人間による誘拐は外出さえしなければ危険度が大きく下がる。

 私が外出に対してトラウマを持っている、というのは、危険を避けるためには丁度よかった。


 ……よし、前向きに受け止めた。これは心の傷じゃない。学習。平穏に暮らすための、生活の知恵。


 トラウマで外へ出られないのではない。

 これは危険を避けて自分から外出を控えているのだ、と考えるようになると、レオナルドの帰宅時に玄関扉のすぐ近くまで出迎えることができるようになった。

 淑女は外まで出ず、玄関ホールで出迎えるものとヘルミーネから教わっているので、これも肯定的に受け止めておく。

 大概の物事は受け止め方、考え方によってまるで違う側面を見せるものだ。

 外出トラウマだって、良いこととして自分に吸収していこうと思う。


「それにしても、本当に元アルフレッド様のアルフさん? アルフレッド様らしさがすっかり鳴りを潜めて……ひりゃいれす」


 あの台風のようなアルフレッドと、静かなアルフが一致しない、と口を滑らせたら頬を摘まれた。

 静かな雰囲気のアルフとアルフレッドが一致しないのだが、遠慮なく私の頬を引っ張るのはやはりアルフレッドなアルフだ。


「私がアルフでは不満かい、クリスティーナ?」


「不満はないれすけど、中身が元アルフレッド様だと思うと、ちょっぴり親交度が下がります」


「……親交度?」


「交友値でもいいですよ」


 いったい何の話をしているのか、と問われたので、ゲーム風にした数値のことだ、と答える。

 簡単に言えば、何年も付き合ってきた現アルフレッドと、時折顔を出したり、王都で少し世話になった程度の現アルフとでは、私の中の『親しみ』に差があるのだ。

 どうしても意識という名の壁が生まれてしまい、以前のアルフとまったく同じように懐くことは難しい。


「私たちが入れ替わっていると知らないうちは、まったく同じに懐いていただろう。私とアルフレッド様に、それほど違いはないはずだぞ」


「それほど違いはない、というか、ほぼ違和感が無さすぎて怖いです」


 人がまるっきり入れ替わっているというのに、アルフとアルフレッドに違和感はない。

 逆にそれが怖くもあるのだが、アルフは不可解そうに首を捻るだけだ。


「……違和感がないのなら、それでいいじゃないか」


「いいのかなぁ……?」


 違和感なくアルフレッドと入れ替わったアルフは、城主の館を訪ねてくることが増えた。

 増えたというよりも、アルフレッドがいる間は控えていたのかもしれない。

 以前のアルフは、アルフレッドを苦手として避けているように振舞っていた。

 そのため、中身が入れ替わったとはいえ、アルフレッドにべったりと付き纏うこともできなかったのだろう。


 ……まあ、素のアルフさんはそれほどアルフレッド様に夢中ってわけでもないみたいだけど……?


 現アルフは、以前のアルフより幾分落ち着いているように見える。

 おとなしいと言うのか、とてもではないがアルフレッドを演じていた人物と同じには見えなかった。







 ……やっと元の生活に戻った気がする。


 ミルシェやランヴァルドといった新しい顔がいるし、私に付いている女中メイドはサリーサで、カリーサではないという変化はあるのだが、おおむね以前の生活だと思う。

 元から積極的に外出する性格ではなかったし、レオナルドの帰りを待ちながら一日中刺繍やボビンレースを作って過ごしていたはずだ。


 ……身長がほとんど伸びてないのも、元通りといえば元通り?


 誘拐される前に体の成長に合わせた家具を注文していたのだが、この二年間はほとんど成長していないようで、今の私にピッタリの家具たちだ。

 無駄にならなくてよかった、と前向きに受け止めたいのだが、せめて人並みの身長にはなりたいので、心中複雑である。

 成長期が遅いだけで、これからまだいくらでも背が伸びるはずだ、と自分の可能性を信じたい。


「結局、サリーサは春華祭の刺繍をどなたに贈ったのですか?」


「気になりますか? でしたら、来年はティナお嬢様に恋の仲立人キューピッドをお願いすることにいたします」


「そろそろ恋の仲立人をするような年齢じゃありませんよ」


 実年齢だけなら十五歳なので、恋の仲立人をするどころか、される側のはずである。

 残念ながら見た目は十三歳にも見えないし、しばらく幼児返りしていた影響か、タビサたちの私への呼びかけも『ティナお嬢様』という以前と同じ子ども扱いに戻ってしまっていた。


 ……王都から帰ってきた時は、ちょっぴり大人扱いで『クリスティーナ』だったんだけどね。


 私の名前はやはり『ティナ』だと思っているのだが、そろそろ『クリスティーナ』と呼ばれることにも慣れてきた。

 ペンネームやハンドルネームのようなものだと思えば、『クリスティーナ』も私だと思えるのだ。


 ……それに、私を『クリスティーナ』って呼ぶ人は、私を一応は大人扱いしようとしているわけだし。


 これを考えると、いつでも呼び方を変えられるタビサたちは問題ない。

 問題は、いつまでも私を子ども扱いしそうなレオナルドだ。

 妹でいるにしても、本気で嫁になるにしても、いつまでも子ども扱いはいただけない。

 基本的に引き籠りな私だ。

 レオナルドがいつまでも私を子ども扱いしていたら、このままでいいのだと誤認し、いつまでも子どものままな気がする。


 ……少しずつ、レオナルドさんにも『クリスティーナ』って呼んでもらう必要がありそうだね。……ん? あれ?


 レオナルドにも私のことを『クリスティーナ』と呼ばせる必要がありそうだ。

 そう気がついて、私を『クリスティーナ』と呼ぶレオナルドを想像しようとしたのだが、どうも上手く想像できない。

 いつもの外へ出せないだらけきった顔で『ティナ』と呼ぶレオナルドは想像できるのだが、同じ顔でも引き締めた顔でも、なんだったら困り顔でも、私を『クリスティーナ』と呼ぶレオナルドは想像できなかった。


 ……うーん?


 なんとか想像できないものだろうか、とレオナルドのさまざまな表情を思いだして『クリスティーナ』と呼ばせることに挑んでみるのだが、どの表情も惨敗だ。

 改まった場で私を『クリスティーナ』と紹介するレオナルドの声を聞いたこともあるのだが、どうしても私への呼びかけとして『クリスティーナ』と呼ぶレオナルドが想像できなかった。


 ……よし、無理矢理考えるのはやめよう。レオナルドさんだって大人なんだから、私が大人になれば子ども扱いはやめるだろうし。


 無理に呼び方を改める必要もないはずだ、と考えを翻して針山に針を戻す。

 休憩時間はこれで終わりだ。

 このあとは一時間ほど午後の翻訳作業をして、おやつを食べて、裏庭に出て黒柴コクまろと遊ぶ。

 そのあと少し運動をして、と休憩時間の多すぎる午後の予定を確認しつつ、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の写本を用意する。

 その間に、サリーサが机へと紙とペン、塗板こくばん白墨チョークを用意してくれていた。


 ……あ。


 写本を取り出そう、と鍵つきの引き出しを開くと、同じく中にしまわれていた封筒が広がっていた。

 あまり勢いよく引き出しを開けたつもりはないのだが、引き出しの中でバラバラに広がってしまったようだ。


 ……そういえばバシリアちゃんは婚約したんだっけ。早いな。


 引き出しの中に広がってしまった封筒を片付けようと手に取ると、一番上にはバシリアからの手紙があった。

 バシリアの手紙は、便箋はもちろん封筒にまで気が遣われている。

 今手にした封筒は蓋の部分が花柄に切り抜かれ、中に薄い色紙が重ねられていた。

 色の濃い紙であれば透かし予防という色気のない用途とわかるのだが、これはお洒落狙いの演出だろう。


 この二年の間に届いたバシリアからの手紙は、全部で六通あった。

 日付から察するに、一ヶ月に一通、半年間届いている。

 前半の三通は普通に近況報告や街で見つけた美味しいお菓子の話題といった物が多いのだが、さすがに返事が無いことに焦れたのか、四通目からは文面が拗ね始めている。

 最後の六通目は私が誘拐されたという噂を聞き、返事が無いのはそのためか、と私の身を案じるものだった。


 ……六通目これを読んでからは、すぐに返事を出したよ。さすがにね。


 手紙に目を通そう、と思うようになったのは、アルフレッドからボビンレースの指南書についてオレリアの知人から連絡があった、と聞いてからだ。

 彼らからの手紙に目を通し、返事を書いてからようやくバシリアのことを思いだした。

 筆まめなバシリアであれば、この二年間に手紙が届いていないことはないはずだ、と。

 バルトに聞いたら手紙を持って来てくれたので、婚約を祝う手紙と一緒に私の無事を知らせた。


 ……そろそろ返事が来るころかな?


 そう考えたのが悪いのか、私の午後の予定はすべて潰れることになる。

 引き出しに広がった封筒を片付けて写本を取り出すと、控えめなノックの後、ミルシェが私に来客だと呼びに来た。

 私に訪ねてくるような友人は少ないのだが、と取り出したばかりの写本を片付け、引き出しに鍵をかける。

 首を傾げながら玄関ホールまで降りていくと、グルノールにはいないはずの少女が立っていた。


「大きいっ!」


「小さいままですわっ!!」


 互いを見た瞬間に、お互いについての感想が口から飛び出る。

 玄関ホールに立っていたのは、手足が伸びてすっかり娘らしい容姿に成長したバシリアだった。


 二年ぶりのバシリアは、随分と印象が変わっている。

 少し気の強そうな目元はそのままに、頬から少女らしい丸みは消え、スラリと背が伸び、腰はきゅっと細い。

 伸びた髪はハーフアップで纏めているのだが、背中に流れているのは見事な縦ロールだ。

 字面で『縦ロール』と見るとギャグにしか思えないのだが、バシリアの場合は似合っているのだから素晴らしい。

 外見は随分と変わったが、ハーフアップを飾るリボンは私が贈ったもののままなので、バシリアはバシリアのままなのだろう。


 ちなみに、私が第一声で『大きい』と驚いてしまったのは、バシリアの胸についてだ。

 サリーサほどではないが、十分すぎるほどに大きい。

 胸が大きいせいで、細い腰がさらに細く見えている気もした。


「何を食べたらそんなに小さいままでいられますの? ずるいですわ!!」


 バシリアにとって小さいことは『ずるい』らしい。

 私はバシリアの年齢どおりの成長が羨ましくて『ずるい』と思うのだが、これは仕方がないことだと飲み込んでいる。

 人形に徹するためか、誘拐されていた二年間の私は、成長することすら止めていたようなのだ。

 むしろ、娘らしく成長したバシリアを前にすると、誘拐犯の下で年齢どおりに成長しなくてよかった、とも思える。

 自由意志を奪える年頃の美少女など、誘拐犯に何をされていたか判らない。


 ……うっ!?


 年頃に成長した私が誘拐された場合を想像し、そこで行われるであろうおぞましい行為に思考が飛んで、喉の奥に吐き気のようなものがやってくる。

 すぐに逸れた思考を強制終了させたおかげで吐き気は堪えることができたが、気付きたくないことに気が付いてしまった。

 気付きたくないことというか、当たり前すぎて考えもしなかったことだ。


 ……アレをするのは無理。


 いつか嫁に行けば、の話だが、結婚をすればその先で当然のように子どもを産むことを求められるだろう。

 そのための行為が、私にはおぞましいものだとしか思えない。

 知識としては知っているが、顔も想像できない未来の夫と行う子作りと、カリーサがされていたことは、行為としては一致する。

 夫婦間の子作りと陵辱とでは性質が違うだろうが、夫であろうと誰であろうと、男に組み敷かれられて正気を保っていられる気はしない。


 ……うん。一生お嫁に行かないか、レオナルドさんのお嫁さんになろう。


 翻訳の礼金があれば一人でも食べていけるし、妹馬鹿のレオナルドなら私が本気で嫌がることはしないだろう。

 無理に他所へ嫁に行く必要はない。

 レオナルドの隣でゆっくりと、私のペースでこちらのトラウマとも向き合っていけばいい。

 顔も想像できない未来で会うだれかのための努力はしたくないが、レオナルドのためならこちらのトラウマとも向き合える気がするのだ。


 ……私も相当のブラコンだからね。

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