第11話 ウアクスの社とカリーサの遺骨

「無理はしなくていいんだぞ。カリーサを迎えになら、俺が一人で行ってもいいんだから」


「女の子には、張らなければいけない意地があるのです」


 カリーサを迎えに行くのなら、絶対に私も一緒に行くぞ、とたらいを脇に抱えて胸を張る。

 脇の盥は先日名前をつけた『タライら五郎』だ。

 別に一郎や二郎がいるわけではないが、五郎である。

 いつもどおり、語感で決めた。


「カリーサを迎えに行くのですから、わたくしも絶対に行きます。吐き気ぐらいなんですか。五郎が一緒だから大丈夫ですよ」


「盥を持った淑女というのも、どうかと思うんだが……」


「王都には鉄扇てっせんを持った淑女がいるらしいですから、盥ぐらいなんでもないです」


「扇と盥じゃ、違うだろう……」


 どうあっても諦める気はないと、レオナルドにも伝わったのだろう。

 レオナルドは深いため息をはくと、盥を持っていない方の私の手を取った。


「……うっ」


 レオナルドに手を引かれたまま自然な動作で玄関から外へ出ようと思ったのだが、内と外との境界線が見えてしまい、足が止まる。

 目を閉じて通り過ぎてしまおうとも思うのだが、今度は境界線が気になりすぎて目を閉じることができなかった。


「ティナ? やっぱり留守番をしているか?」


「……ですよ。カリーサを迎えに行くぐらいできないと、わたくしの女がすたります」


「そんな戦場に立つような顔で言われてもな」


「これでも進歩はしているのですよ。前はレオナルドお兄様の帰りを玄関ホールの隅で待っていましたけど、今は中央で待てていますからね」


 亀の歩みではあっても進歩はしているのだ、と軽口を叩く。

 気が紛れるかと思ったのだが、あまり効果は無い。

 が、目を閉じることはできたので、深呼吸をしてみる。


 ……カリーサを迎えに行くよ。今日はレオナルドさんも一緒。絶対にレオナルドさんから離れないから、大丈夫。アーロンは馬車の中に置いていくけど、コクまろも一緒だし、サリーサはカリーサより強い。


 外に出ても滅多なことなど起きない、と暗示をかけるように心の中で繰り返す。

 これだけ安心できる条件が揃っているのだから、絶対に大丈夫だ、と。


 ……よしっ!


 行くぞ、と気合を入れて目を開き、視界に飛び込んで来た『内と外との境界線』に、背筋を嫌な汗が伝う。

 これは駄目だ、と諦めたい自分の心に気が付かない振りをして、唇を引き結んでもう一度目を閉じた。


「レオナルドお兄様、お願いします」


 以前試したように、抱っこで境界を越えさせてくれ、と手探りでレオナルドの腕を遡る。

 手を繋いだままでは、私を抱き上げることは不可能だ。


「無理に、ティナが外出する必要はないと思うが……」


「しつこいですよ。無理でも無茶でも、わたくしも一緒にカリーサを迎えに行きます」


 早く、とレオナルドを急かすと、両脇にレオナルドの腕が添えられる。

 ふわっと一瞬だけ体が浮いたかと思うと、すぐに足へと地面の感触が戻ってきた。


「むぅ……っ」


 ぐっとせり上がってくる吐き気を、上を向いて堪える。

 目を開くと、レオナルドが困った顔をして私の顔を覗きこんでいた。


「無理はしなくていいぞ」


「話しかけないでください。まだ大丈夫です」


 ほら、前回より進歩しているだろう、と口を押さえた手を離す。

 以前は館から出た瞬間に玄関の中へと飛び込んでいた。


「……一歩も歩けそうにないんだが」


「それは……レオナルドお兄様が得意だから大丈夫ですよ」


 抱っこを所望します、とうそぶく頃には目を開けていられなくなる。

 あまりの気持ち悪さに、目が回りそうだった。

 視界を閉ざしたまま、暗闇の中でレオナルドを求めて手を伸ばす。

 その手がすぐに大きな手に包まれて、再び抱き上げられるのが判った。


「小さいのも、いいところがありましたね」


 体格が小さいおかげで、十五歳になるのだが保護者が私を抱き上げることができている。

 これはレオナルドが特別力持ちということもあるが、そういう意味で私とレオナルドは非常に相性のいい兄妹だ。

 人より力持ちなレオナルドと、人より小さなわたしで丁度いい。


 盥を膝に載せようとしたら、サリーサが受け取ってくれた。

 両手が自由になったので、レオナルドの太い首へと回して顔を首筋に埋める。

 そのままの姿勢で深呼吸をすると、鼻腔をくすぐるレオナルドの香りに、少しだけ気分が持ち直してくれた。


「……このままで、吐く時はレオナルドお兄様の服へ吐くことにします」


「それはそれで困るんだが」


「だから我慢できているのですよ」


 レオナルドは私に対する人質である、と。

 レオナルドの服へ吐けば、くっついている私も大惨事だが、当然レオナルドも困ることになる。

 悪戯を仕掛けることはあるが、基本的に私はレオナルドを困らせたくはないと思っていた。

 つまりレオナルドにくっついている間は、何がなんでも自分の吐き気には抗わなくてはならないのだ。


 レオナルドの首筋へと顔を埋めたまま、深呼吸を繰り返す。

 私に引く気はないと、レオナルドも悟ったようだ。

 諦めたような溜息が聞こえた後、レオナルドが歩き出すのが判った。


 馬車へ乗り込むと、座席の上へと下ろされる。

 すぐにレオナルドが隣へと腰を下ろしてきたので、わき腹へと抱きついた。


 ……あ、馬車の中は少し楽かも?


 少しだけ余裕が出てきた気がして、薄く目を開ける。

 向かいの座席にはサリーサから盥を持たされたのか、膝に盥を載せるアーロンが座った。

 黒柴コクまろは私が薄目を開けたと判ったらしく、ピンと尻尾を立てている。

 サリーサが見える範囲にいないのは、アーロンの代わりに御者席へ座っているのだと思う。


 ……これだけ守ってくれる人がいるんだから、大丈夫だよ。


 みんないるから大丈夫、レオナルドが一緒にいるから大丈夫。

 そう何度も自分に言い聞かせ、もう一度目を閉じた。







 私にとって問題なのは、館のなかと外の境界線である玄関らしい。


 一度外へと出てしまえば、案外なんとかなるものだった。

 とはいえ、少し油断してレオナルドから体を離すと不安と吐き気がやってくるので、ピッタリとくっついていることに変わりはない。

 ただ、館の玄関先のように抱き運ばれなければ動けないということはなかった。

 レオナルドも少し歩き難そうにしているが、自分の足で外を歩く私を見て安心しているようだ。


 ……レオナルドさんと一緒が条件だけど、なんとか外出できそう……かな?


 自分の足で歩いて玄関から外に出られる気はしないし、一人での外出はまだまだ不可能だと思う。

 それでも、今日私が外へと出られたことは大きな進歩だ。

 吐き気もすごいが、まだ館へは逃げ帰っていない。


 街外れの墓地には、死の神ウアクスのやしろがあった。

 社と聞くと小さなほこらを想像していたのだが、しっかりとした建物だ。

 メンヒシュミ教会やセドヴァラ教会の建物のように大きくはないが、一番広い部屋には死の神ウアクスの像が祭られている。


 死の神ウアクスへと、カリーサの魂の洗濯をお願いし、いつかは死者の行列を乱すような真似をしてしまってごめんなさい、と謝罪しておく。

 ついでに言えば、レオナルドから聞いた話によると、カリーサを追ってこの二年間私が逃げ込んでいた場所も、死者の国に近いところだったのだと思う。

 神王祭の夜に戻って来ることができたということは、そういうことだ。

 ますますお詫びをしておいた方がいい気がする。


 こちらへどうぞ、と司祭の案内に従って階段を下りる。

 地表にも墓地があるが、グルノールの街はぐるりと城壁で囲まれた街だ。

 土地には限りがあるので、地上にある墓地に埋葬される人間は数が限られていた。

 簡単に言うと、お金持ちが地表に埋葬され、普通の人は地下に遺骨を安置されることになる。

 ワーズ病のような伝染病で一度に大勢の人が死んだ場合は例外で、遺骨は地下に納められるが地表に慰霊碑として墓が建てられるのだそうだ。


 そしてカリーサの場合は火葬されて骨のみになっているが、埋葬場所をマンデーズとグルノールのどちらにするか決めかねていたため、諸々が決定するまでは社へと預けられていた。


 ……これがカリーサ?


 司祭が祭壇から下ろしてきたのは、白い個性のない骨壷だ。

 私でも運べそうなほどに小さい。

 小さすぎる、と思った瞬間に鼻の奥がツンと痛んだ。


 ……あ、泣く。


 覚えのある鼻の奥の痛みに、口をへの字にしてやり過ごす。

 そのせいで絶対に変な顔になっていると思うのだが、ここで泣くよりはましだ。


「二年もかかりましたけど、迎えに来ましたよ」


 守ってくれてありがとう。

 最後まで我慢できなくて、ごめんなさい。


 伝えたいことはいっぱいあったはずなのだが、私の口から出てきたのはこれだけだ。

 あとは声が震えて言葉にならないし、どうでもいいことばかりだ。

 どうでもいい、何気ないことを、カリーサにたくさん話したかった。


「ティナ、我慢しなくていいぞ」


「……今、気を抜いたら吐きます。あと、わたくしが泣いてもカリーサは喜びません」


 わんわんとみっともなく泣いてカリーサが生き返るのならいくらでも泣くが、現実はそうではない。

 私が泣いたところでカリーサは生き返らないし、余計な心配をかけるだけだろう。


 精霊に攫われて死者の行列に紛れ込んだことがある身としては、死の先にも世界は続いている。

 少なくとも、今生の私の両親は死んだ後も私のことを心配してくれていた。

 ということは、私が泣けばカリーサが心配し、安心して行列を進むことができなくなってしまうだろう。

 私はもうこれ以上、カリーサに心配をかけたくはない。


「カリーサが安心できるように、わたくしは早く元気になることを目指します。その方が、カリーサは喜んでくれると思うんです」


 そうか、と言ってレオナルドの大きな手が私の頭を撫でる。

 カリーサの死については私に慰められる資格はないと思うのだが、甘えておいた。







 帰りは相変わらずレオナルドにピッタリとくっ付いて横に座りながら、膝の上へとカリーサの骨壷を載せた。

 それにしてもあまりにも小さい、とあの後司祭に聞いたところ、カリーサの遺骨はほとんど形を残しておらず、粉のような状態になっているらしい。

 普通であれば頭蓋骨や骨盤のような大きな骨は残るし、カリーサの遺骨も火葬にした当初は形を保っていたそうなのだが、私の帰還でレオナルドが社へと連絡を入れ、司祭が遺骨の確認をした時には遺骨は形を失っていたそうだ。

 燃え残った大きな骨は細かく砕け、土と混ぜるには都合のいい大きさになっている。


「カリーサも、エノメナと一緒に鉢へ埋められたかったのですかね?」


 あまりにも都合がよすぎる、と膝の上に載せた小さな骨壷を見下ろす。

 遺骨を鉢に埋めるだけでも内心では抵抗があるが、頭蓋骨や骨盤は砕く必要があるかもしれないと思っていたところに、都合よく遺骨が粉になっていてくれた。

 生きている人間の意志で鉢へ埋めるなんて、とチラリと湧く罪悪感を、カリーサ自身の意思である、とでも後押しされている気分だ。


 馬車が館に到着すると、やはりというかこみ上げてきた吐き気に慌てて玄関ホールへと駆け込む。

 カリーサを抱いたまま吐くことなんてできるものか、と頑張ったのだが、骨壷をレオナルドに攫われ、サリーサに横から盥を差し出されるともう我慢はできなかった。


 盛大に胃の中のものを吐き出し、それでも以前よりは下腹のあたりにスッキリとした爽快感がある。

 なんとなくだが、今が一番酷い時だと感じた。

 今が一番酷いので、あとは持ち直して行くだけだ。


 いつかはまた外に出られるようになる。

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