第10話 春華祭とうめるもの
「わ、忘れてましたっ!!」
レオナルドからだ、と言ってなぜかミルシェが運んできた私が育てているものとは違うエノメナの鉢に、今日がなんの日かを思いだす。
春に男性が花を贈るといえば、春華祭だ。
女の子としては、家族や意中の相手へと刺繍を贈る日でもある。
ミルシェに礼を言って鉢を受け取り、鉢を抱いたまま二階のレオナルドの部屋へと向かう。
砦へ向かう身支度を整えていたレオナルドは、入室の許可も待たずに部屋へ飛び込んだ私に苦笑いを浮かべた。
「ティナ、
「淑女は後です。……春華祭をすっかり忘れていました! レオにプレゼント用意していませんっ」
ごめんなさい、ととりあえずの謝罪を兼ねてレオナルドへと片手でハグをする。
このレオナルドという兄馬鹿は、兄馬鹿の中の兄馬鹿なので、妹からのハグというだけである程度の効力がある安上がりな兄馬鹿だ。
しかし、いくら安上がりだとはいえ、ハグだけで誤魔化すつもりはないのが、妹馬鹿の私である。
忘れていて贈り物を用意していないことは正直に詫びるが、遅れても何か用意はしたい。
「時間はいっぱいあったのに、スポーンと春華祭のことを忘れていました」
普段以上に外出をしなかったので、刺繍をする時間ならいくらでもあったのだ。
それなのに運動や翻訳作業といった目先のことに夢中で、春華祭の贈り物については考えもしなかった。
春華祭の存在自体を忘れていた、と言った方が近い。
「贈り物なんて気にしなくていい。ティナが忘れているなってのは、なんとなく気付いていたし」
「気付いていたなら教えてください」
レオナルドが毎年
忘れていると気付いていたのなら、事前に指摘してほしかった。
そろそろ春華祭の季節だな、とぐらい食事の時にでも話題にあげてくれればよかったのだ。
……レオナルドさんの仕事はランヴァルド様がしてたし、仕事を引き継いでからはレオナルドさんが砦に行ってたしで、館の中でお仕事しなくなったから、気付けなかったよ。
もう、と恨みがましい気持ちでレオナルドを見上げると、レオナルドは私からそっと目を逸らす。
レオナルドが春華祭について指摘してくれなかった理由は、贈り物を催促するのもどうかと思ってのことらしい。
トラウマのせいで外出ができなかったり、筋力を取り戻すための運動をする必要がある私が、刺繍に時間を取られることを避けたかったようだ。
「俺は俺が春華祭に刺繍を貰って幸せになるより、ティナの体力と筋力が戻ってくれた方が嬉しい」
暗に刺繍する時間で運動をしろ、と言うレオナルドに、誕生日は期待していてください、と捨て台詞を吐いてみる。
外へは相変わらず出ることができていないが、商人を館に呼ぶという買い物方法を私は知っているのだ。
生地を買うことはできるので、レオナルドのためにシャツぐらいは作ることができる。
春華祭ということでミルシェをお使いに出す許可を取り、三羽烏亭へアルカス餅を買いに行ってもらおうと思っていたのだが、これは先手を打たれていた。
ミルシェは私へのエノメナの花を運んだ後は、最初から三羽烏亭へと使いに出される予定でいたようだ。
新作がないかと一緒に外出したい気はしたが、外に出たい気持ちはあってもすんなりと外に出られる私ではない。
何か美味しそうなものがあったら買ってきて、とレオナルドの渡したお金の他に黒猫の財布を預けてミルシェを見送った。
……それにしても、何が悪いんだろう?
レオナルドから贈られた今年のエノメナの鉢と、私の部屋で以前から育てているエノメナの鉢とを見比べる。
売り物なのでいつ植えられたものなのかは判らないが、今年のエノメナは立派な花を咲かせている。
それに引き換え、私のエノメナは未だに芽が少し出たままの状態だった。
裏庭の花もチラホラと咲き始めているぐらいには気温が温かくなっているのだが、私のエノメナは背を伸ばす様子も、葉を増やす様子もない。
「これが俗に言う『根腐れ』というものでしょうか?」
「根は無事のようですが……球根が少し大きくなっているような気がしますね」
あまりにも成長しないエノメナに焦れて、裏庭で花壇の世話をしていたバルトの元へと鉢を持って移動する。
どこが悪いのかと相談したら、バルトは芽を傷つけないように少し土を掘って球根の様子を見てくれた。
「やはり植える時期が遅かったということで、来年咲こうと栄養を貯め始めたのでしょうか?」
「来年でも、咲いてくれるんならいいんですけどね」
少し球根が大きくなっているようなのだが、これ以上成長する様子のない球根に、バルトと二人で首を捻る。
成長が遅いぐらいはいい。
他のエノメナと比べてしまい、どうしても心配にはなるが、枯れたり根が腐っているのでなければ、エノメナはまだ生きているということだ。
しかし、これといって原因も判らずに成長がない、というのが不思議だった。
「球根に栄養を貯めているのなら、土に肥料とか入れた方がいいのでしょうか?」
「無闇に栄養を与えるのも悪いですから、もう少し様子を見てみましょう」
「わかりました」
焦って栄養を与え、今度は栄養過多で腐らせてしまっても嫌だ。
幸い今のところそれらしい兆候もないので、もう少し様子を見ても大丈夫だろう。
……うん?
何気なくエノメナの芽を眺めていると、ふと記憶に引っ掛かる物がある。
なんだろう、と思考の引っ掛かりを捕まえようとするのだが、気になることがあるという程度で、これといった取っ掛かりがないため、上手く疑問を捕まえることはできなかった。
……なんだろう? 何か、エノメナのことであったような……?
記憶の引っ掛かりを求めてエノメナの芽を見つめていると、不意にカリーサの面影が胸に浮かび上がる。
カリーサに関わることで、このエノメナについて何かあった気がするのだ。
……なんだっけ? 誰だっけ?
誰かが何かを言っていた気がする。
カリーサを探している時だ。
カリーサを探している時に、誰かが私を呼び止めた。
呼び止めたというよりは、スカートの裾を掴んで引っ張られたのだ。
低い位置からの力に、驚いて振り返ったのを思いだした。
あれはいつのことか、と思考の方向性が定まり記憶を探る。
ただでさえ小さい私の身長で、さらに低い位置から裾を引っ張っていたのだ。
相手の身長は幼児どころか赤ん坊ほどもなかったのではないか、と気が付いて、その姿を思いだす。
……あれ? ゴブリン?
私のスカートの裾を引っ張っていたのは、前世の漫画やゲームに出てきた
カリーサを探す夢の中で、小鬼に呼び止められた気がする。
―― 一緒に埋める。そしたら、産める。
生まれたら、ずっと一緒。
そんなことを、あの小鬼は言っていた気がした。
……何を埋めるの? 産めるって何?
なんとなくただの夢とは思えず、小鬼の言葉を頭の中で繰り返す。
エノメナの花について考えている時に思いだしたのだ。
埋める場所は、エノメナの鉢なのだろう。
……あれがただの夢じゃなかったら、レオナルドさんの心配どおり、ただの球根じゃないってこと?
レオナルドの心配はまったくの杞憂ではなかったらしい。
困ったことに、今生は不思議体験をすることが多いので、前世では信じていなかった幽霊も、今生なら信じられそうだ。
幽霊はともかくとして、妖精や精霊関係はただの夢と流さない方がいいだろう。
私の記憶にはまったくないのだが、ついには私の周囲にいる
精霊に関係することは、少し真面目に考えた方がいい。
「……というわけで、何を埋めたらいいと思いますか?」
砦から帰ったレオナルドを玄関ホールの隅で出迎えて、早速本日思いだしたことを報告する。
夢の中で小鬼に言われたのだ、と告げると、レオナルドもこの話を真面目に受け止めたようだ。
なんでも、私の帰還については小鬼が命と引き換えに情報をくれたらしい。
……つまり、カリーサを探しにまた行きかけて、小鬼が引き止めてくれたってことかな?
二年前に何があったのか。
それをレオナルドから聞いた私は、懲りずに夢の中へと逃げようとした。
カリーサを探して夢の中を彷徨い、その時に私のスカートを引っ張って止めた小さな手があったのを覚えている。
覚えているというよりは、思いだした。
きっと、レオナルドの言う小鬼が私を引き戻したのだろう。
……カリーサ?
埋めるものと言えば、カリーサの遺骨を埋葬できていないということを思いだす。
それから、小鬼について思いだしたのも、カリーサを思いだした時であったことに気が付く。
とどめを刺すのなら、カリーサを埋葬する場所が決められずに困ってもいた。
「なにこれ、全部繋がって気持ち悪い」
なんとなく、あの小鬼が伝えたかったことが判った。
あの小鬼は、カリーサの遺骨をエノメナの鉢に埋葬しろ、とでも言いたかったのだろう。
そして、あのエノメナの球根はなんだか特別な球根のようだ。
何かが起こりそうで、カリーサを埋葬する場所としては少々どころではない抵抗がある。
「……やはり怪しい物だったか」
埋めなくていいんじゃないか、というのがレオナルドの反応だ。
埋めるものとはカリーサの遺骨ではないのか、と思いついたままに相談してみたのだが、レオナルドもこれ以上の不思議体験はお断りしたいのだろう。
「何が咲くか判らん。ホントに咲くのはエノメナなのか……?」
「もう植えちゃいましたから、今さら抜くのは嫌ですよ。花なら咲きたいはずですし」
咲かせてはやりたいが、得体の知れない球根の鉢に
ついでに言えば、エノメナの鉢は私の部屋で育てていた。
カリーサは大好きだが、幽霊はいたら怖いので信じたくないし、遺骨が部屋の中にあるというのは絶対に落ち着かない。
「私としては、鉢へカリーサを埋葬したいと思います」
サリーサも姉妹の遺骨を怪しい球根の養分になどしたくはないよね、と同意を求めて話を振ったのだが、意外なことにサリーサはこの話に乗り気だった。
びっくりして
「花の鉢の中なら、花を部屋で観賞している間はティナお嬢様のお傍にカリーサはいられるわけですし、お嬢様は
姉妹としては、カリーサの望みと自分たちの希望が一致するそうだ。
カリーサの望みと聞けば叶えたい気がするが、本当にそれでいいのだろうか。
「灰の成分が植物の栄養になるような話を聞いたことがありますけど……遺骨ですよ? 本当にいいのですか?」
「鉢植えの花でしたら、ティナお嬢様がお嫁に行かれて引っ越される時も一緒に付いていけます」
「サリーサがそれでいいのなら、わたくしは構いませんが……」
どうやら私はお嫁入り先までカリーサを連れて行くことになったらしい。
花嫁道具=カリーサだ。
個人的な
問題は、カミールが品種改良したというエノメナの球根が、本当にただの植物であるかどうかということだけだ。
「いくらなんでも、遺骨を鉢植えの肥料にするのはどうなんだ?」
「前世でも樹木葬とかありましたし、ありと言えばありなのかもしれません」
遺骨を自分の部屋に置くことになるが、仮に幽霊が出てきたとしても、それはカリーサだ。
ここは気持ちを切り替えて、謝罪とお礼を言える
……一番の問題は、カリーサを迎えに外へ出る必要があるところかな。
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