第9話 エノメナの鉢

 裏庭へは出られるようだ、ということで毎日裏庭に出てみることにした。

 裏庭に出たところでやれることは黒柴コクまろと遊ぶことぐらいなのだが、毎日出ていると季節の移り変わりがよく判る。

 段々と雪が解けて、地面が見えるようになってくるのだ。


 王都で遊んでいたように、木皿をフリスビー代わりに黒柴と遊んでいると、バルトが空の鉢を二つ持ってやって来た。

 バルトの手にある鉢には見覚えがある。


 ……あれって私の鉢?


 私の鉢をどうするのだろう、と木皿を黒柴から受け取りながらバルトが近づいてくるのを待つ。

 私の視線が鉢に向いていることに気がついたバルトは、重ねていた鉢をそれぞれの手に掲げ持った。


「嬢様が持ち帰った荷物の中に、エノメナの球根があったでしょう」


 私が育てたいと言い出すのではないかと思って、二年前に王都から持ち帰った鉢を出してきてくれたらしい。

 そういえば、誘拐される前はこの鉢でエノメナを育ててみようと思っていたはずだ。


「覚えていてくれたのですね。……でも、エノメナの球根なんて、持ち帰りましたか?」


 王都から持ち帰ったのは鉢だけだったはずだが、と考えて思いだす。

 誘拐されていた二年間については、ほとんど他者ひとから聞いた知識はなしとしてしか覚えてない。

 そのため、自然に思いだせることは少ないのだが、私がどこかから持ち帰ってきたというのなら、それが誘拐されていた隣国から、という場合もあるだろう。


「嬢様が『自分で世話をするから』と言っていたはずですが……」


「うーん? あ、思いだしました。鞄の中に入っていた気がします」


 容量と容積を無視して出てくるインスタントココアの詰まった瓶に驚いて他の記憶が曖昧だが、あの不思議な精霊の鞄には他の荷物も少し入っていた。

 その中の一つに、飾り気の無い小さな袋が入っていて、その中に何かの球根が入っていたはずだ。

 私には球根を見ただけではどんな花が咲くのか判らなかったが、バルトにはあの球根の正体が判ったらしい。

 エノメナを育てると言っていた私が、そのために用意した球根だと思っていたようだ。


「……でも、エノメナの球根は秋に植えるのではなかったですか?」


 今はもう春先だ。

 エノメナを植えるには遅すぎるだろう。


「エノメナは秋に植えると一冬越えて強くなりますが、別に春に植えても花は咲きますよ」


 春に植えても大丈夫、というバルトの言葉に、黒柴との遊びを早々に切り上げて館の中へと戻る。

 黒柴は少し不満そうではあったが、また忘れないうちに球根は植えてやりたい。

 球根だって、球根に生まれたからには土に植えられて花を咲かせたいはずだ。







 二つあるうちの一つの鉢へと土を入れてもらい、バルトに倣ってエノメナの球根を植える。

 春に植えても花は咲く、とバルトは言うが、外はまだ寒い。

 私でも運べる大きさの鉢に植えたことでもあるし、とエノメナの鉢は暖かい部屋の中で育てることにした。


「……というわけで、今日はエノメナの球根を植えました」


 夜になって帰宅したレオナルドを出迎えつつ、本日の進捗状況を伝える。

 踏み台昇降運動は休憩を挟んで三分ずつできるようになり、黒柴とも裏庭でよく遊んだ。

 早速植えたエノメナの球根は私の部屋で育てることにしたのだが、今夜はレオナルドに見せるため居間へと置いてある。

 ただ用意してもらった鉢に球根を植えただけなのだが、どうだ、と胸を張りながらレオナルドの腕を引っ張る。

 今日も私は裏庭そとへ出た、という証拠の提出のようなものだ。


「今は名前を考えていたところです」


 愛情を注ぐと花は綺麗に咲く。

 迷信か科学的根拠があってのことかは判らないが、前世ではよく聞いた話だ。

 せっかく自分で花を育てるのだから、と気合を入れるために球根へ名前を付けようと思ったのだが、なぜかレオナルドは渋い顔をする。

 球根に名前を付けるなんて子どもっぽい行動だ、と今さら呆れられるとは思えないので、なんだか不思議だ。


「……どうかしましたか?」


「いや、カミールが改良したと言っていたのが、少し気になってな」


「カミールさんって、花の品種改良とかができる人だったんですか? たしか、魔法を研究している転生者だって聞いていますけど……?」


 花の品種改良といえば、花びらの数を増やしたり、暑さ寒さに強くしたりと、見栄えや育て易さを改良したのだろう。

 見た目が十一、二歳の私にくれたぐらいだから、子どもが少し水遣りを忘れても育つぐらいに強い球根なのかもしれない。

 そんな程度に考えていたのだが、何やらレオナルドは悩み始めていた。

 カミールのすることだからな、と溜息とともに呟かれた言葉はなんとなく憂鬱な雰囲気を含んでいる。


「……カミールのすることだから、中から精霊が出てきても驚かない」


「それは驚きますよ」


 真顔でなにを言っているんですか、と呆れつつ、でも本当に精霊が出てきたら可愛いかもしれない、と返したところ、レオナルドから球根へは名前を付けないように、と釘を刺されてしまった。

 ただの思い過ごしならいいのだが、本当に中から精霊が出てきた場合に、不味いことになるかもしれない、と。


「精霊たちには無闇に名前を付けるな、と神王に言われている。精霊との付き合い方のひとつだそうだ」


 私の記憶にない期間に神王と遭遇したらしいレオナルドは、神王からいろいろと精霊との付き合い方について聞かされたらしい。

 私に聞かせてくれるのなら判るのだが、なぜレオナルドにそんな話をしたのだろうか。

 そこが気になるのだが、疑問をぶつけたい相手はどこにいるのか判らなかったし、次にいつ会えるかも判らないので、湧いた疑問は脇へと置いておく。

 いつ会えるかどころか、普通ならそもそも遭遇しない相手だ。

 神王に対する疑問など、考えるだけ無駄だろう。


 神王の話によると、精霊に名前を付けてしまうと、その精霊と名前を付けた人間の間で契約が結ばれるらしい。

 契約をした精霊は人間の願いを叶える代償として、人間の側も精霊の願いを叶えなければならなくなるそうだ。

 人と人との間の約束であれば、人間こちらもある程度人間あいての要求が理解も予想もできるし、不可能なことであれば妥協点を交渉することができる。


 しかしこれが精霊相手になると、交渉という概念が存在しない。


 人間と精霊は考え方も感じ方もまるで違うため、約束をたがえただけですぐに報復が始まるのだ。

 達成可能なラインまで引き下げるための交渉ですら、精霊には約束不履行と判断されてしまう。


 精霊からどんな要求がされるかが事前に判らない以上、彼らとはなんの契約も交わさない方がいい。

 精霊の力を借りたければ、精霊が自主的に動くよう誘導するのが一番安全なのだ。


「――というわけで、球根に名前は付けてほしくない」


「ただの花の球根、ですよね? 少し品種改良しただけの」


 少し心配しすぎではないだろうか。

 そうは思うのだが、レオナルドがあまりにも真剣な顔をしていたため、反論は飲み込む。

 レオナルドには二年も誘拐されていて散々心配をかけた後なのだ。

 これ以上はどんな小さな心配もかけたくはないので、レオナルドがそれで安心するというのなら、球根へは名前を付けないことにしておく。


 ……心配のかけすぎで、レオナルドさんが禿げても嫌だしね。







 室内で育てられることになった球根は、十日ほどで発芽した。

 部屋が暖かいからか、もともとエノメナがこのぐらいの期間で発芽するのかは判らないが、とにかく嬉しい。

 水のあげすぎには注意してください、とバルトに言われているので土が乾いたかな? という時期をみて少し水をあげる程度に世話をする。

 植物というのは大事にしすぎても枯れてしまうらしい。


「……なかなか大きくなりませんね?」


 発芽した時は全力で喜んだのだが、その後二日経っても、三日経っても芽の大きさが変わらない。

 そういうものなのか、と裏庭でバルトが育てているエノメナを覗いてみるのだが、こちらは順調に成長中だ。

 冬の間は地面の下で眠っていたようなのだが、春が来てからは本当に成長が早い。

 

 ……植えるのが遅かったからかな?


 発芽したタイミングはほとんど変わらないのだが、部屋で育てているエノメナと、裏庭で育てられているエノメナの成長速度は目に見えて違う。

 暖かい室内で育てているエノメナの方が成長が早くてもよさそうなものなのだが、内と外とで成長が違う、と気になり始めてから七日が過ぎても、私のエノメナは芽のままだった。


 ……成長が遅いだけならいいんだけど。


 ここまで成長が遅いと、レオナルドの言っていたことが気になってくる。

 このエノメナの球根は、魔法を研究しているという転生者が品種改良したものだ。

 やはりレオナルドが危惧したように、何かがあるのかもしれない。

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