第8話 アーロンの進退

 ……あれ? なんだか様子が……?


 私が外出できないことについて『都合がいい』と言っていたアルフレッドは、館にアーロンを連れて来た。

 アーロンといえば私の護衛としてグルノールの街にやって来たはずなのだが、私のいない二年の間に御役御免にはなっていなかったらしい。

 今日まで姿を見せなかったのは、私の体調を考慮してのことだろう。


 二年ぶりに見上げるアーロンは、少し雰囲気が変わっていた。

 背はこれ以上伸びないようだが、肩幅が少し広くなった気がする。

 これは護衛対象わたしがいない間も鍛錬を怠らなかったという証拠だろう。

 筋肉の鎧が厚くなったのだ。


 そして表情は、というか、人相が悪くなった。

 睨まれているのか、背の高いアーロンが目を眇めて私を見下ろしてくるので、なんとも居心地が悪い。


「アーロン、護衛対象ティナを睨んでどうする」


「睨んでいるつもりはないのですが……」


 アルフレッドの指摘で、アーロンの細められていた目が開く。

 両目がはっきりと開いたために判ったのだが、アーロンの目は焦点が合っていないようだ。

 こちらだろうか、と私へと顔が向けられているのだが、目線は微妙に合わない。

 そして、少しすると目線が合わないことに焦れたのか、またアーロンの目が細められた。


「えっと……アーロンは視力が落ちたのですか?」


「視力が落ちたというか……はっきりとは物が見えていない。このあたりに人がいる、ぐらいは判る。……今、手を振っただろう」


 試しにアーロンの目の前で手を振ると、アーロンがそれに反応する。

 手を振るような大きな動きは判るのだが、指を何本立てているだとか、相手の表情までは判らないらしい。

 全体を捉える要領で服の色ぐらいは判るのだが、襟の刺繍や袖の形といった細かなものは判らないようだ。

 姿勢などから対面する人間の性別ぐらいは判るが、これも完璧ではない。

 遠くにある物はもちろん、すぐ目の前にある物でさえも正確な距離をつかめていないそうだ。


 ……と、説明している間にも目が。


 油断すると、アーロンは目の前の物をよく見ようとして目を眇めてしまうようだ。

 残念なことに、事情を知らない者が見れば人相の悪い青年の出来上がりである。


「眼鏡でどうにかならないのですか?」


「それはもう試した。度の強弱に関係なく、見えるものは変わらない。目ではなく、頭の方に影響が残っているのだろう」


「影響、ですか?」


 はて、何があったのだろう、と考えて、すぐに思い当たる事柄があった。

 レオナルドから聞いた二年前の誘拐事件の中で、アーロンが毒を受けた状態で発見されたと聞いていたはずだ。

 なんらかの外的要因でアーロンの視力が失われたと言うのなら、これ以外に思いつくものがない。


「……ごめんなさい。わたくしのせいですね」


「謝罪は必要ない。すべては誘拐犯と、護衛の任を全うできなかった自分の落ち度だ」


 少し見え難くなったぐらいで、特に困ってはいない、とアーロンは言ってくれるのだが、これは嘘だろう。

 まったく見えないわけではないのでなんとか生活はできるが、他者ひとの表情が判らないどころか、距離感が狂っているというのは、騎士としても、護衛としても致命的なはずだ。


 外での護衛はさすがに任せられないが、館の中という狭い範囲の護衛なら、間取りを頭に叩き込むことである程度は役割を果たすことができるだろう。

 そう考えて、アルフレッドはアーロンを館へ連れて来たようだ。

 今の私は外出ができないので、外での警護が難しいアーロンでも問題がない、と。


 間取りを頭に叩き込み直したい、というアーロンの案内はミルシェに任せる。

 居間から出て行くアーロンの背を見送って、アーロンの進退についてアルフレッドに聞いてみた。


「……アーロンは、これからどうなるのですか?」


 アルフレッドが『都合がいい』と言ったのは、私が館の外へ出られないからだ。

 あれから何度となく試しているが、相変わらず私は外へ出られずにいる。

 たしかに、館から出られない私と、室内という限られた範囲であれば仕事ができそうなアーロンは、相性がいいと言えるだろう。


 しかし、いずれはトラウマを克服して外へとカリーサを迎えに行くつもりでいるのだ。

 いつまでもアーロンに都合のいい護衛対象ではいられない。

 そうなってくると、室内の守りしかできない護衛では困ることが出てくるはずだ。


「目があの様子では、護衛どころか騎士を続けることすら難しいのではありませんか?」


「アーロンの視力は、職務の遂行中に失ったものだ。今は働きたいと本人が言うから護衛に戻すが……職を辞した場合の生活という話なら、クリスティーナは心配しなくていい」


 引退した騎士には毎年一定の金額が支払われるため、生活には困ることがない。

 特にアーロンの場合は仕事で負った傷が原因で引退が早まったようなもののため、その介助に使用人を雇えるぐらいには金額があがるそうだ。


「目が見えないだけで体力はあるし、腕も立つから、アーロンを引退させるのは惜しいけどな」


 視力さえ取り戻せれば、とアルフレッドが溜息をはく。


 毒なら、解毒すればいい。

 怪我なら、治せばいい。

 簡単な手術で治せる病もある。


 しかしアーロンが負傷したのは、瞼に守られているとはいえ、ほとんどむき出しの器官である目だ。


 毒は洗浄したし、時間は経っていたが解毒作業もおこなった。

 とれる処置はすべて試し、本人アーロンもこの二年間リハビリに励んできたそうなのだ。

 それでも元の視力を取り戻すことはできなかった。

 この世界の医術では、まだ脳になんらかの障害を負った際に試せる手立ては少ない。

 脳は精密機械のようなもので、前世の技術でも手を出しかねていた場所だ。

 アーロンの視力については、諦めるしかないだろう。


「カミールのところで治せればいいんだが……」


「……どなたですか?」


 レオナルドの口から出てきた知らない名前に、名医に心当たりでもあるのかとレオナルドを見上げる。

 誰のことかと続きを促すと、レオナルドは私の顔を見てわずかに眉を寄せた。

 神王祭以降、私の意識がはっきりした反面、誘拐されていた二年間の記憶が曖昧になっているようだ、と。


 ……ということは、誘拐されてる間にあったことがある人?


 誰のことだろう、と考えて、すぐに浮かんだのは洞窟へと私とレオナルドを匿ってくれたという老人だ。

 簡単な経緯を説明されただけだが、その時に聞いた名前が『カミール』だった気がする。


 ……たしか、帝国に囲われている転生者で、インスタントコーヒーを作った人だっけ?


 点と点が繋がると、次々と情報同士が繋がってくれる。

 食べ物関係からカミールを思いだすところが、さすがの私だ。

 食い意地と記憶力が直結している。


「……あれ? カミールさんって、インスタントコーヒーを作った人ですよね? その人、お医者様だったのですか?」


「医者ということはないと思うが……精霊の力を引き出す研究をしていた。怪我を一瞬で治す仕掛けがあったり、ティナが魔法と言って喜んだりしていたが……」


 やっぱり覚えていないのか? と聞いてくるレオナルドに、私が逆に食いつく。

 魔法とはなんだ、どういうことだ、と。


「あるんですか、魔法!? 怪我を一瞬で治せるって本当?」


「クリスティーナ、淑女ねこが脱げているぞ」


魔法ロマンの前には淑女ねこなんて二の次です」


「よし、ハルトマン女史の前で同じことを言ってみろ」


「……猫は可愛いですね。わたくし、猫が大好きです」


 ヘルミーネの名前を出されては、と淑女ねこを被り直す。

 ズーガリー帝国でカミールが研究しているらしい魔法については大いに興味が湧いたが、外へ出られない以上、私にはどうしようもない。

 詳しい話を聞きに行くことも、研究を見せてもらうこともできないのだ。


「怪我扱いで治せるのかは謎ですが、いいですね、魔法」


 本当にアーロンの目を治してくれたらいいのに、と靄のかかった記憶を手繰る。

 レオナルドの説明では、私は結構カミールに懐いていたらしいのだが、顔すら思いだせない薄情っぷりが、さすがの私である。


 ……あれ?


 カミールの情報を頼りに記憶を探るのだが、老人という情報に紐付けされているのか、なぜかベルトランの顔を思いだす。

 年齢の割に白髪が少なく、あまり老人という気はしないのだが、老人は老人だ。


 ……そういえば、しばらく姿を見かけませんね?


 ベルトランは今頃どうしているのだろうか。

 なんとなく。

 本当になんとなく、ベルトランへと思いを巡らせて、思考に強制終了まったをかける。


 ……噂をすれば影って言うしね。


 苦手なことに変わりは無いので、ベルトランへと向かう思考を切り替える。

 ちらりと考えた相手が翌日顔を出す、なんて偶然が世の中には多々あり得るのだ。

 用が無ければ会いたい相手でもないので、さっさと思考から箒で掃き出した。







 アーロンを護衛に付けることで、少しずつレオナルドから離れて過ごす訓練を始める。

 離れて書斎へ本を取りに行くだけでも甘えん坊が再発してしまったので、今度はより慎重に、扉を隔てた廊下へ出て五分過ごす、十分過ごす、と次第に離れている時間を長くしていった。

 ただこの方法はあまり効果があるのかどうかが判らない。

 やってみれば、やってみただけできてしまったので、もしかしたら距離が重要なのかもしれなかった。


 ……ちょっと、裏庭に出てみようかな?


 少しレオナルドから物理的な距離を取ってみよう、と居間の扉の前から離れる。

 扉を開ければすぐ中にレオナルドがいる、という状況は、あまり訓練になっていない気がしてきていた。

 そのため、同じ時間離れているにしても、少し距離を開けてみようと思ったのだ。


 裏庭に出てみようか、と思ったのはたまたまだった。


 レオナルドから物理的な距離を取ってみることが目的だったのだが、これはとにかく私への精神的な負荷がすごい。

 扉一枚隔てただけの距離ではなんともなかったが、玄関ホールや書斎といった明らかに違う場所へ移動すると、ムクムクと不安がやって来る。

 特に玄関ホールは、外へと続く玄関扉を見るだけでも居間へ逃げ込みたくなるほど危険だ。

 だからと言ってすぐに居間へ逃げ込んでしまっては何の訓練にもならないので、玄関扉は見ないようにして台所へと移動する。

 やせ我慢をするにしても、玄関ホールよりも台所の方が精神的に楽になるはずだ。


 そして移動した台所で、裏口へと続く扉を見た時にふと思った。

 自然な気持ちで、裏庭に出てみよう、と。


 ……これは、ちょっとは進化してるってことかな。


 裏口の扉を開けて、恐々と頭だけを外に出す。

 ひやっとする冷たい風が入ってきたが、それだけだ。

 ぞくぞくとする悪寒も、食道をせり上がってくる吐き気も無い。


 念のために最近『タライら五郎』と名前を付けたたらいとコートをサリーサに用意してもらって、うりゃっと堅く目を瞑って裏口から裏庭へと飛び出してみる。

 室内から雪の解け始めた冬の屋外へと出たことでむき出しの頬が冷えて寒いが、裏口から顔を出した時同様に、それだけだった。

 寒いだけで、吐き気は無い。

 足が動かなくなるということもなく、冷や汗もかかない。


「……平気、かもしれません?」


 恐々と目を開けてみるのだが、明るい室外だ。

 室内と比べてキンキンに凍える寒さなのだが、いつものような変調はなかった。


「あれ? なんででしょう? 外に出れました」

 

 これは夢か、と確認するように二歩、三歩と歩いてみる。

 雪に私の足跡が残り、どうやら本当に外へと出られるようだとゆっくり頭が理解した。


「もしかして、私にとって裏庭は館の一部なんでしょうか?」


 玄関ホールは立っているだけで不安になったし、玄関扉を見ると居間へと逃げ込みたくなる。

 けれど、裏庭は疑いようもなく屋外だというのに、出ることができていた。

 外出に恐怖を覚える今の私が出られたのだから、裏庭は外ではなく、家の中なのだろう。


 ……そういえば、玄関はお客様が入ってくる外との境界線だけど、裏庭は家族が楽しむ場所だしね?


 ひょっとしたら、玄関から出なければ表へも出られるのかもしれない。

 そんなことを考えて、せっかく出ることのできた久しぶりの裏庭を少し歩いてみる。

 こうしている間にレオナルドとの物理的な距離は広がっているはずなのだが、新しいことに思考が向いているからか、今すぐ居間へ逃げ込みたいほどの不安はなかった。


 ……結構、歩けますね。


 ちらりと後ろを振り返ると、アーロンが相変わらず目を細めてはいるが、後ろについている。

 どうやら裏庭はアーロンの行動範囲として木や花壇の配置が頭に叩き込まれているようだ。

 これなら大丈夫そうだ、と油断したのか、敷地外へと続く通用門を視界におさめ、ぎくりと足が止まる。

 やはり、私は裏庭を館の一部と考えているようだ。

 館の敷地外へと続く扉を見ると、玄関扉見る時と同じような不安がやってきた。


 ……通用門が駄目なら、裏門はどうかな?


 裏門の先はグルノール砦だ。

 緊急の用事がある時以外使ってはいけないと言われているが、近づくだけならいいだろう。


 ……うん、裏門も駄目だね。


 辛うじて裏庭へは出られたが、その先の敷地外へはやはり出られないようだ。

 裏門の先には砦があり、砦にいるのは黒騎士たちだ。

 私にとっては絶対に安全で、なんの危険もない場所だと判っているのだが、裏門の木戸が見えたあたりから足が前へ進まなくなってしまった。

 私が行動できる『外』は、裏庭の花壇と畑がある一帯ぐらいのようだ。


 ……でも、裏庭に出てみようって自然に思えたのも、進化といえば進化だよね?


 春になれば裏庭で日光浴ができそうだ。

 これから少しずつ行動できる範囲を広げていけばいい、と今日の散歩は切り上げて裏口から館の中へと戻った。







 裏庭へは出られるようだ、とレオナルドに報告すると、外出の訓練をしようとレオナルドが言い出した。

 私の外出ではなく、レオナルドの外出だ。

 今のままではいつまでたってもレオナルドが砦の主として復帰できないので、レオナルドが不在でも不安を感じなくなる程度には兄離れをしてほしい、ということだ。


 最初は私が裏庭や自室で過ごし、レオナルドと物理的に離れている時間を少しずつ作ることから始める。

 始めのうちは三十分と離れてはいられなかったのだが、回数を重ねると離れていることにも不安を感じなくなった。

 もともと甘えん坊でレオナルドにべったり気味であったという自覚はあるが、最近ほどにはベタベタとくっついてはいなかったので、元の距離感に戻りつつある感じだ。


 半日離れて過ごすことに成功すると、少しずつレオナルドが外出をするようになった。

 最初は正門まで、次は砦の正門まで、とレオナルドの外出は距離を伸ばしていき、その間私は玄関ホールの玄関扉から一番離れた壁際でレオナルドの帰りを待つ。

 帰宅したレオナルドにべったりと張り付く時間が短くなってくると、レオナルドはこの二年の間に伸びた髪を切り、冬の終わりに砦の主として職場に復帰した。


 砦に戻ったレオナルドを、玄関ホールで帰宅までずっと待っていたのは最初の三日ほどだ。

 だんだんレオナルドの不在に慣れ、必ず帰ってくると学んだのか、四日目には玄関ホールから離れることができるようになった。

 それでもいつ帰ってきても判るように、と正門が見える窓辺に陣取って過ごすのはなかなか治らない。


 レオナルドは夜には必ず帰ってくるし、昼食を摂りにも館へと帰ってくる。

 移動にかかるレオナルドの負担を考えれば、早く一人で過ごせるように戻らなくてはと思うのだが、今の生活について一つ気がついたことがある。


 ……八歳でレオナルドさんに引き取られた時より厚遇されてない?


 あの頃は砦がワーズ病の対処で慌しかったこともあるが、引き取られたばかりの私は館へと放置された。

 タビサとバルトがいたので一人で留守番をしていたわけではないが、半日に一度はレオナルドが帰ってくる今とは扱いが雲泥の差である。

 八歳の私を引き取ったというのに、保護者であるはずのレオナルドは使用人に私の世話を丸投げし、平気で一週間戻らないということもあったはずだ。


 ……扱いが八歳以下っ!?


 気がついてしまえば、衝撃的な事実だった。

 これはいよいよ本気で立ち直らなければならないだろう。

 身長はもう自然に任せて成長期を待つしかないが、内面こころは自分次第だ。

 すぐに実年齢どおりの扱いは無理だとしても、せめて見える十一、二歳ぐらいには扱ってほしい。


 八歳以下だなんて、あんまりだ。

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