第7話 翌日に来るとかまだまだ若い

 どうも外出に対して私はトラウマか何かを持っているようだ。

 収穫祭では三羽烏亭へと皿焼きを買いに行くつもりで出かけ、元・第二王子に誘拐されかけ、擦り剥いた膝の治療に預けられたセドヴァラ教会から連れ出され、二年も誘拐されていたらしいので、無理のないことかもしれない。

 その誘拐に関しては、子守女中ナースメイドのカリーサを失い、二年も経っているというのに愛犬コクまろには後遺症が残っている。

 完全に終わったこととは、まだ言えないのだ。

 外出という行為を、私が無意識に避けていたとしても不思議はないだろう。


 ……よし、ここは開き直って、前向きな気持ちで引き籠ろう。


 外に出られないのだから、館の中で過ごすしかない。

 幸い、稼ぎのよい保護者レオナルドのおかげで、私が今すぐ外へ働きに出なければ食べていけないほどに生活は困窮していなかった。

 使用人もいる館なので、食材を手に入れるために私が外へ買い物に出かける必要すらない。

 極端な話、館から一歩も外へ出なくとも私は暮らしていけるのだ。


 ……それに、もとから引き籠りみたいな生活してたしね?


 あまり積極的に外へ出かけて遊ぶ子どもではなかったので、館の中でだけ過ごそうと考えても、それほど苦にはならない。

 館の書庫にはまだ読んだことのない本がたくさんあったし、趣味は刺繍やボビンレースといった内向きなものばかりである。

 本当に、館から出られなくとも困らないのだ。


 ……これはこれで、どうかと思うけど。


 ゆっくりと訓練をしていって、いずれカリーサに会いにいければいいか、と目標を決める。

 焦って遺骨を迎えに行っても、埋葬する場所すら心当たりがないのだ。

 遺骨とはいえ、あまり動かさない方がカリーサも安心していられるだろう。


 外出に対するトラウマについては、のんびりと付き合っていくことにした。

 次に私が向き合うべきことは、甘えん坊の再発で、四六時中レオナルドにくっついていないと安心しないことだろう。

 誘拐が由来のトラウマであるとはいえ、十五歳にもなって兄にべったりというのは、おかしすぎる。

 それに、私がくっついているせいでレオナルドがしごとに出かけられないというのは不味い。

 社会人としてのレオナルドが死んでしまう。


 ……とりあえず、ひっついている時間を減らすとこから始めよう。


 長椅子に並んで座るのは以前からのことだが、今はピッタリとくっついている。

 ここに拳一つ分の距離を置き、慣れたら拳二つ分の距離を置いて過ごす。

 適切と思われる以前の距離に戻ったら、同じ部屋の中でなら離れていても不安を感じることはなくなる。

 私と違って居間で仕事をしているレオナルドは、探そうと思えばいつも同じ場所に座っているのだ。







 ……あ、まだ無理だったっぽい。


 部屋の中でなら離れられるようになったということで、私は次の段階に進んだ。

 レオナルドと別行動をとれるようにならなくては、とレオナルドを居間に残したまま書斎に本を取りに来たのだが、振り返ってもレオナルドの姿が見えないということに妙な焦燥感を覚える。

 一緒にサリーサがついて来てくれているので一人ではないのだが、レオナルドがいないというだけで息が詰まりそうだ。

 それでも本も取らずに居間へ戻るのは格好悪いので、やせ我慢をして目的だけは達成する。

 目当ての本を持っての帰路は、ギリギリ駆け足にはならなかったが、半分競歩のようなものだったと思う。


「ティナ、おかえり。一人で行って来れたな」


 偉いえらい、とレオナルドが私の頭を撫でてくれるのだが、その姿勢がなんとも格好つかない。

 レオナルドのいる居間へと競歩で戻ったまではいいのだが、近頃の頑張りなどポイッと本と一緒に長椅子の上へ投げ出し、絨毯の上にお尻を下ろしてレオナルドの足に抱きついていた。

 長椅子に座ってわき腹へとしがみ付かなかったのは、進歩か退化か謎だ。


 そしてタイミングの悪いことに、アルフレッドが館へとやって来た。


「クリスティーナは近頃頑張って兄離れをしようとしている、と報告にあったはずなのだが……」


「笑いたければ笑えばいいですよ。ちょっと欲張って一人で書斎まで行ったんですが、このざまです」


 早くレオナルドを解放しようと、努力の進捗を報告してはいたのだが、今日はこのざまである。

 ようやく少し離れていられるようになったと思ったのだが、欲張って別行動をしたらまた元のひっつき虫に戻ってしまった。

 アルフレッドが来る前に持ち直せればよかったのだが、今日はもう絶対にレオナルドから離れられない。


 ……それにしても?


 なんか変だな、と頭上で交わされるレオナルドとアルフレッドの会話に耳を澄ませる。

 アルフレッドは元から気さくな王子さまだったが、レオナルドの方はここまで気さくには接していなかったはずだ。

 一応は王子と騎士という線引きがあり、友人のような口の利き方はしていなかったと思うのだが、まるでアルフと話す時のような気安いやり取りが頭上で交わされている。


 ……そもそも、レオナルドさん宛ての書類をアルフレッド様が持って来る、っていうのも変だよね?


 ランヴァルドとレオナルドの間の引継ぎ作業は終わったのだが、レオナルドは未だに砦へは顔を出せていない。

 私がレオナルドにべったりとくっついていて、そのくせ外出はできないというのがその理由だ。

 結果として、ランヴァルドはまだ砦へとレオナルドの変わりに顔を出している。

 これも不思議といえば、不思議だ。

 脱走癖のあるランヴァルドが、レオナルドにお願いされて律儀に砦で働いている、というのがなんとも信じられなかった。


 ……そろそろまた脱走する下準備だったりしてね?


 見張りにつけられた白銀の騎士たちの油断を誘うため、真面目に働いているように見せかけているのだろうか。

 そうも思うのだが、砦から戻るたびレオナルドに出迎えられて喜んでいる顔を見ると、判らなくなる。

 実はテオの父親だったらしいランヴァルドは、妙にレオナルドを構いたがるのだ。


 ……レオとテオで、一字違いだからですかね?


 もしくは、レオナルドからイヴィジア王国の王族に対して妙なフェロモンでも出ているのだろう。

 前国王エセルバート現国王クリストフも、レオナルドが好きすぎる。

 アルフレッドの妹二人もレオナルドには骨抜きだったそうなので、アルフレッドとフェリシアには耐性でもあるのだろう。


 ……そういえば、アルフレッド様の一番上のお姉さまについては噂も聞かないな。


 クリストフの后エヴェリーナは五人の子どもを産んでいる。

 クリストフの子どもとしては、五番目から十一番目がエヴェリーナの子だ。

 第六王女がフェリシアで、第七、第八とアルフレッドの妹が続くのだが、第五王女については本当に噂を聞いたことがない。


「――しかし、館の外へ出られないというのなら、それはそれで好都合だ」


 ……うん?


 話題が私のものに移ったことを感じ、顔をあげる。

 レオナルドとアルフレッドの顔を見比べて、話を振ってきたアルフレッドの青い目を見つめた。


「どう都合がいいんですか?」


「クリスティーナが出歩かないということは、しばらくは警備が楽だという意味だ」


「それだけの意味には聞こえなかったのですが……?」


 何か変だぞ、とアルフレッドの目をジッと見つめるのだが、それ以上の答えはない。

 近頃はどう過ごしているのか、と聞かれたので、レオナルドの仕事の邪魔にならないよう過ごしている、と答えておいた。

 書斎から持って来た本を読んだり、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の写本からエラース語翻訳を作ったりだ。


「……クリスティーナには、うちの血が入っているはずなんだけどな」


 公務はサボらないが遊びに全力すぎる父とその前任者である祖父、なにかにつけて脱走したがる叔父を見ているアルフレッドは、私の仕事の成果を見て首を傾げる。

 王族の血が混ざっているはずなのに、言われる前にするべき仕事をしている私が不思議なのだそうだ。


「人の命に関わる、必要なことですからね。早めに進めておく方がいいですよ」


「それはそうなんだが……」


「俺としては研究資料の翻訳よりも、少しでも運動をして筋力を取り戻してほしいぞ」


 私としては研究資料の翻訳を先に作った方がいいと思ったのだが、レオナルド的には体力と筋力作りの方が先らしい。

 食事の量は少しずつ増えているが、筋力が全然戻らない、と腕の筋肉を確認された。


 ……まあ、私の運動なんてレオナルドさんにくっついて館中を歩くか、本を持つかぐらいだけどね。


 ボビンレースは、糸巻ボビンを転がす音がレオナルドの仕事の邪魔になるかと思って、戻ってきてからはやっていない。

 私の持つ最大重量の物といえば、やはり本だろう。

 今は私の体力づくりとして故意に自分で運んでいるが、本来はサリーサのような女中メイドの仕事である。


 レオナルドが望むのなら、と居間へ台所で時折使っていた踏み台を運び込んでもらう。

 レオナルドと別行動はまだできそうにないので、私が運動をするためにはレオナルドを連れ出すか、居間で行うしかない。

 そう考えて思いだしたのが、踏み台昇降運動だ。

 地味でさほど場所を取らず、そこそこの効果が望める運動である。


「……そんな動作で、本当に筋力なんてつくのか?」


「ダイエットや健康のための筋力作りでは、定番中の定番です」


 最初は左右の足で五分ずつやってみよう、と思って挑戦してみたのだが、二分も持たなかった。

 すぐに息があがって長椅子へと突っ伏した私に、レオナルドは私の体力の無さに衝撃を受けたようだ。

 そんなに激しい運動には見えないのだが、と。


 試しに、とレオナルドが難なく十分間昇降運動を続け、ならばとアルフレッドも同じだけ踏み台を使う。

 騎士であるレオナルドはともかくとして、王子のアルフレッドが息切れもせずに十分間昇降運動ができたことは少し意外だ。

 もしかしたら、この世界にはまだエレベーターがないからかもしれない。

 少なくとも、イヴィジア王国の王城にはなかった。

 踏み台昇降運動が運動として有効だった現代日本人と比べ、普段から階段を自分の足で上り下りしているレオナルドたちにはあまり効果がないのかもしれない。







 ……お仲間はっけーん。


 レオナルドとアルフレッドには効果が見えなかった昇降運動だったが、砦から戻ったランヴァルドを誘導したところ、五分でばてた。

 やはり普段から体を動かしているかどうかの違いだろう。

 騎士のレオナルドには効果が実感できず、ほぼ体を動かさない私やランヴァルドには効果覿面なのだ。

 翌日になって揃って筋肉痛を訴える私とランヴァルドに、レオナルドは釈然としないながらも昇降運動の有用性を認めた。

 少なくとも、運動不足の私やランヴァルドには効果があるようだ、と。


「というわけで、時間を決めてみました」


 どうでしょう、と朝食の席で塗板こくばんに書いた私の一日の予定をレオナルドに提出する。

 翻訳作業だけではなく運動もしろ、とレオナルドが言うのだ。

 レオナルドの希望を取り入れつつ、室内で過ごそうと思う。


「……ティナ、翻訳作業と運動を交互にやる予定なのはいいんだが……これだと休憩が入ってないぞ?」


「え? 翻訳作業の休憩に運動をやって、運動の休憩に翻訳作業をするんですよ?」


 しっかり休憩時間は考えている、と薄い胸を張ると、塗板をレオナルドから受け取ったランヴァルドが「これがニホン人伝説にある社畜精神か……」とこめかみを揉み始めた。

 どうやら先人の日本人転生者は『社畜』などという言葉をこの地に残しているらしい。


「これは『休憩を挟んでいる』とは言わないだろう」


「でも、息抜きにはなると思うんですよね。机仕事と運動を交互に行うって」


 そもそも翻訳作業は仕事という意識が薄いし、運動は自分のための体力づくりだ。

 合間に休憩が必要なこととは考え難い。

 どちらかといえば趣味の作業の延長や、自分のための運動でしかないのだ。

 わざわざ休憩の時間を用意するのは、妙な気がする。


「……サリーサ、予定表これに適切な休憩時間を挟み込め」


「かしこまりました」


 私に言ってもが明かないと思われたようだ。

 塗板は私を素通りしてサリーサの手へと渡り、内容を確認したサリーサの顔から表情が消えた。

 どうやらサリーサも、私の立てた予定には不満があるようだ。


 私の立てた予定はサリーサ監修の下、驚きのゆとりプランへと進化を遂げる。

 てっきり休憩時間が挟み込まれるだけだと思っていたのだが、午前と午後に黒犬コクまろと戯れる時間が設定されていた。

 おやつ休憩は少ない食事量に回数を増やすことで対応しようと以前からあったが、お昼寝の時間まで用意されている。


「おやつの時間があるのは解るのですが、お昼寝って……十五歳の成人の生活じゃないと思います」


 これでは子どもと同じではないか、と今度は休みすぎている気がする予定表に物申してみた。

 年齢が一桁の子どもであれば昼寝も大事かもしれないが、体格はともかくとして私は一応成人に数えられる年齢になっているのだ。

 もう少し休憩時間は少なくてもいい。

 さすがに昼寝はやりすぎだ。

 やりすぎだとは思うのだが、レオナルドは私と違う考えのようだった。


「十五歳とはいえ、ティナは体が小さいし、今は半分病人みたいなものだからな」


 欲張らず慎重に筋力を取り戻していこう、とサリーサの修正した予定表を見て満足気に頷いている。

 過保護がすぎる、とは思うのだが、保護者レオナルドがこの予定表で安心するというのならお昼寝付きの生活もいいのかもしれない。

 体力と筋力を取り戻すことが目的なのだ。

 無理をして寝込み、ただでさえ減っている体力と筋力をこれ以上失いたくはなかった。

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