第6話 マンデーズの三つ子

 ……最低の気分です。


 穴があったら赤裸々に本心を叩き込んで埋めたい。

 そんな気分だ。


「おはよう、ティナ」


「……おはようございます」


 昨夜私にしがみつかれたまま眠ったと判るレオナルドが、若干体が痛むのか首のあたりを気にしている。

 私はというと、とにかく情けなくて、恥ずかしくて、気まずくて、心の中が滅茶苦茶だ。


 知らない振りをしていた二年間の話を聞けたことはよかったと思う。

 後悔ばかりが浮かんでくるが、これは私が受け止めるべきものだ。

 いつまでも見えない振りをしているわけにもいかない。


 そうは思うのだが、今生の年齢が十五歳に達していて、夏がくれば十六歳になると自覚すると、さすがにこの醜態はどうかと思う。

 十五歳といえば前世ではまだ中高生だが、今生では成人に数えられる。

 結婚だってできる、大人扱いされる年齢だ。

 目を逸らしたい程の大後悔があるからといって、本当に何もかも忘れていて許される子どもではない。

 私が仕出かしたことで招いたことは、ちゃんと自分の責任として向き合うべきである。


 ……とりあえず、わんわん泣くのはやめよう。もう十五歳なんだから。


 それから、いくら不安だからといってレオナルドにべったりとくっついているのも、そろそろやめた方がいいだろう。

 私は安心するし、いえの中だけのこととはいえ、そろそろレオナルドが社会的に死にそうだ。

 騎士としてそとへと働きに出られない、というのも致命的だろう。


 ……少しずつ、元の生活に戻らないとね。


 朝なんて時間ではなかったが、おはようといってベッドから降りる。

 レオナルドは先に起きていたが、私がしがみついていたせいで起きられなかったのだろう。

 その証拠というのか、レオナルドの脇には書類がある。

 私を寝かせたまま、仕事をしていたのだろう。


「……サリーサにも、ごめんなさい」


 着替えを手伝ってもらった後で、改まってサリーサに向き合い謝罪する。

 私の誘拐に巻き込まれたせいで、サリーサの姉であるカリーサが命を落としていた。

 レオナルドは私が最後まで無抵抗でいたとしてもカリーサは殺されていただろうと言ってくれたし、私も理性ではそう思うが、理性で導き出した答えと感情はまた別ものである。


 カリーサは私のせいで死んだ。


 どうしても、そう考えてしまうのだ。


「カリーサが死んだのは、ティナお嬢様のせいではありません。むしろ、よく戦ったと褒めてくださる方が、私は嬉しいです」


 たしかに私を守り切れはしなかったかもしれないが、ちゃんと私へと繋がる犯人の手掛かりを残すことができたのだ。

 下げる必要のない頭を下げるより、そこを褒めてほしいとサリーサは苦笑いを浮かべる。

 私の誘拐に関しては、誘拐犯がすべての責任を負うべきであり、私もまた被害者でしかないのだ、と。


「……わたくしは、誰かのせいでレオナルドお兄様が死んだら、その誰かを責めずにはいられないと思います」


 苦笑いを浮かべただけで、理性的な判断ができるサリーサはすごい。

 感情と思考は分けて考えろとヘルミーネに教わったが、まだまだ私にはできそうにないのだ。

 思考ではちゃんとすべての責任が私にあるわけではないと判っているのだが、感情がついてきてくれない。

 どうしても私が悪いのだ、と私自身が思いたがっている節がある。


「カリーサのことは悲しいし、寂しいです。けれど、ティナお嬢様の助けになったのだから、誇らしく思っています。カリーサは立派に子守女中ナースメイドとして務めを果たしたのですから」


 少なくとも、カリーサ自身はそう思っているだろう。

 だから自分が落ち込むことはしない。

 カリーサのために自分がしてやれることがあるとすれば、それはカリーサが働けなくなった代わりに、できるだけ長く私に仕えることなのだとか。

 そちらの方がカリーサは喜ぶ、と。


「……カリーサは、わたくしがどうしたら喜ぶでしょうか?」


「カリーサならティナお嬢様が健やかに過ごされているだけで喜ぶでしょうが……カリーサのために何かをしたい、とおっしゃってくださるのなら、ティナお嬢様にしかできないことをなさってください」


 聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活は、日本語を読める私にしかできない仕事だ。

 私が日本語を読んで秘術を復活させ、未来で多くの命が救われるのなら、カリーサも自分たちも「私たちのお嬢様はすごいでしょう」と胸を張って自慢できる、と。


「……翻訳作業はもともと続けていくつもりでしたけど、一生懸命翻訳をして、わたくしを守ったカリーサの自慢になれるよう頑張ります」


「頑張ってくださるのは嬉しいのですが、無理はなさらないでくださいね」


 まずは食事を取って、健康を取り戻すことから始めましょう、と言いながらサリーサは衝立を片付ける。

 衝立の向こうではいつものようにレオナルドが仕事をしていたので、その隣へと腰を下ろした。







「カリーサを迎えに行きたいです」


 ほとんど昼食のような時間に朝食を取って、食後の珈琲イホークを飲むレオナルドに外出をおねだりしてみる。

 カリーサが遺骨の状態で死の神ウアクスのやしろに安置されているというのなら、早く埋葬してやりたい。

 埋葬をするためには墓の土地を確保しなくてはならないし、カリーサの故郷はマンデーズの街だ。

 グルノールの街での埋葬が無理だとしても、無事に帰って来たと挨拶ぐらいはしたかった。


 体力づくりに歩いていきたい、と言ったのだがこれは却下されてしまう。

 ウアクスの社は街外れの墓地にあるため、なんとか私でも歩いていける距離なのだが、体力づくりよりも弱っている体で冬の冷気に触れることを心配された。

 ただでさえ落ちている体力で、風邪を引いたら大変なことになる、と。


 そんな理由わけで、私のお出かけは馬車になった。

 外を歩いての体力づくりは、春までお預けだ。


 昨夜した私の話をレオナルドが報告書へと纏めている間に、バルトが馬車の用意をしてくれた。

 私の番犬として早速職場復帰した黒柴コクまろは、私との久しぶりのお出かけが嬉しいのか尻尾をピンと立てている。

 少し早足になると時折片足を上げる奇妙な歩き方になるのだが、それ以外は元気そうだ。


 いつの間に仕立てたのか記憶にないコートを着込み、レオナルドの手を引っ張って玄関ホールに立つ。

 早く馬車に乗り込もう、と館の中と外との境界に立ち、ふと足を止める。


 ……あれ?


 外に出よう。

 カリーサに会いに行こう。

 そうは思っているのだが、足が止まってしまった。

 たった一歩足を前へ踏み出すだけで館の外へ出られるのだが、その一歩が踏み出せない。

 ジッと中と外との境界を見つめ、足を上げることがどうしてもできなかった。


「どうした、ティナ?」


 私の異変になど気付かないレオナルドが、普通の顔をして境界を越える。

 ただ建物の中から外へ出るだけなのだから、レオナルドが普通の顔をしているのも当然だ。

 なんらかの覚悟が必要になる、特別な行為ではない。


 ……変だな? なんで足が動かないんだろう。


 簡単なことだ。

 ただ足をあげて一歩前へと踏み出すだけでいい。

 それだけで外に出られる。


 そうは思っているのだが、動かし方を忘れてしまったかのように、私の足はピクリとも動いてくれなかった。

 ジッと境界を見つめている間に、背筋に嫌な汗が流れる。

 なんだか肌寒くなってきたな、と思ったのだが、今度は逆にコートの中が暖かくなった。


 ……よし、判った。歩けないんなら、飛び越えればいいんだよ。


 とはいえ、自分の意思でぴょんっと境界を飛び越えることはできそうになかったので、そこはレオナルドを頼る。

 レオナルドへと両手を伸ばして、ちょっと持ち上げてくれ、と甘えてみた。

 レオナルドは変な要求だな、と不思議そうな顔をしたが、すぐに私の脇へと両手を差し込んで持ち上げてくれる。


 次に私が足を下ろしたのは、館の外だ。


 ……あ、不味い。


 一歩館の外へ出たと自覚した途端に、サッと血の気が引くのがわかる。

 背筋を嫌な汗が流れるどころか、顔から変な汗が流れそうだ。

 続いて喉の奥をせり上がってくる吐き気に、咄嗟に両手で口を押さえて館の中へと飛び込む。


「サリーサ、吐きそうっ! たらいっ!」


 今度はちゃんとサリーサに助けを求め、館の中へと逃げ込む。

 建物の中に戻った途端に吐き気が穏やかになり、今回もたらいの到着を待つことができた。


 胃の中の物をすべて盥へ戻すと、盥を抱えてその場へと座り込む。

 もう吐く物はなにも残っていないはずだが、盥を手放すことにはまだ少し不安があった。


「……しばらく外出は無理そうだな」


「無理じゃないですよ。少し気分が悪くなっただけです」


 口の中が気持ち悪かったが、私を追って館へと戻ってきたレオナルドには間を空けずに反論しておく。

 これを認めてしまえば、ほぼ冬の間はカリーサに会いに行くことができなくなるだろう。


「無理をする必要はない。カリーサはどこにも逃げないから、ゆっくり体を治してからにしよう」


「無理じゃないって言ってるのに……」


 無理じゃないとは言っているが、盥を抱えて座り込んでいる状態では説得力というものがない。

 とりあえず今日のところはレオナルドの言うことを聞いて、外出を諦めることにした。







 外出を諦めたのはすべてを思いだした翌日だけのつもりだったのだが、日を開けて外出に挑んでも私の反応は変わらなかった。

 部屋の中で過ごしている間は吐き気などやってこないのだが、試しに館の外へと出ようとすると足が竦んで動かなくなる。

 先日のように玄関と外との境界をレオナルドに飛び越させてもらうこともできるのだが、やはり結果は同じだった。

 すぐに館の中へと逃げ込み、盥を抱え込むことを繰り返している。


「トラウマか何かでしょうか。外に出れないと、カリーサに会いに行けません」


 お湯で顔を洗い終わると、横からサリーサがタオルを差し出してくれた。

 礼を言って顔を拭くと、サリーサが少しだけ申し訳なさそうな顔をしている。


「ティナお嬢様は何も気になさらないでください。カリーサのところへは、お嬢様が無事に館へ戻られた、と私が報告をしてありますから」


 吐くほど外出に恐怖を覚えているのなら、無理を押してカリーサに会いに行く必要はない。

 埋葬をする場所についても決めていないのだから、急ぐ必要はないのだ、と。


「埋葬をする場所ですか。……やっぱりマンデーズの街に戻らなきゃ、ですかね?」


「それは……姉妹わたしたちはどちらでもかまいませんが、カリーサはティナお嬢様のお傍にいたいかもしれません」


 サリーサによると、マンデーズの街は確かに生まれ育った場所という意味ではサリーサたちの故郷になるのだが、三姉妹は三つ子を理由に捨てられ、街の住民に対してもあまりいい印象を持っていない。

 当時の私はまるで気がつかなかったのだが、三姉妹は揃って街へと買い物に出ることはなく、必ず一人ずつで行動していたそうだ。

 例えば、サリーサが街へ買い物に出る時、知人と出会っても名乗る名前は『アリーサ』だったらしい。

 これによって街の住民たちはマンデーズ館で働いている女中はアリーサ一人だと誤認し、三姉妹が三つ子であると知っているのはマンデーズ砦の黒騎士たちだけだったのだとか。


「じゃあ、イリダルがサリーサたちをグルノールの街に寄越してくれたのは……」


「三つ子だから問題なのです。一人で、あるいは二人で別の街に来る分には、誰も私たちが三つ子だとは思いませんからね」


 館の外では『アリーサ』として振舞う二人を、イリダルの親心が不憫に思ったのだろう。

 マンデーズの街以外を見るいい機会になるだろう、とイリダルがサリーサたちを貸し出してくれたが、カリーサとサリーサが『アリーサ』ではなく、それぞれとして外を歩ける環境に置いてやりたかったのかもしれない。


「カリーサをどこに埋葬するかは、ティナお嬢様が決めてください。私たちはそれに従います」


「そうは言われても……わたくしもレオナルドお兄様も、根無し草みたいなものですからね」


 さて、どうしよう、と考えてみる。

 私の家は、レオナルドだ。

 正確にはグルノールの館ではない。

 保護者がレオナルドで、そのレオナルドは黒騎士として砦で働き、砦の主をしているから城主の館に住んでいるにすぎない。

 レオナルドがグルノール砦で一番強い黒騎士でなくなれば城主の館を引っ越すことになるし、他の砦の主として君臨する場合にもこれは同じだ。

 なにかの気まぐれでクリストフにでも王都へと呼び戻されれば、また住処が変わることになる。

 私とレオナルドには、何があっても最後に帰ることのできる家というものがなかった。

 仮に今カリーサをグルノールの街へ埋葬したとして、私は二十歳になれば王都に引っ越すことを一応は考えている。

 そうなれば、カリーサはグルノールの街に置き去りにされることとなるだろう。

 日本語の翻訳作業が順調に終わったとして私が自由になった後、レオナルドの住処によってはグルノールの街へは帰ってこない可能性もあるのだ。


「あれ? 実はすごく難しいですか、カリーサの埋葬」


 だったらいっそマンデーズの街へ埋葬した方がいいだろうか。

 そうは思うのだが、マンデーズの街と三つ子の関係を聞いた後では、マンデーズの街に埋葬することは避けたい。

 早く埋葬してやりたい気はするのだが、私の傍にいてくれるというのなら、埋葬する地は慎重に考える必要があった。


「……やっぱり、埋葬は焦らず、もうしばらくウアクスの社にいてもらいましょう」


 外出ができるようになったら、時折会いに行く。

 今はそれが丁度よさそうだった。

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