第4話 二年間の良い話と悪い話

「……とりあえず、見てすぐに判る変化としては、レオナルドが髪を伸ばした」


「わたくしの兄は長髪も似合いますね」


 ワイルドで素敵です、と茶化しておく。

 アルフレッドのこれが冗談だということは判った。

 冗談から入るぐらいには、これから出てくる話が重いのだろう。


「わたくしが知らない間にボビンレースの指南書を印刷して、すでに売り始めているという話はサリーサから聞きました」


「ああ。ボビンレースを流行らせる必要があったからな」


 勝手なことをしてすまなかった、とアルフレッドが詫びてくれたので、私の手を離れてしまったことについては問わないでおく。

 台風のようにこちらを振り回してくれるアルフレッドだが、考えなしに迷惑をかけられたことはない。

 アルフレッドが必要だと判断し、理由あっての行動だったのだろう。

 あとでソラナに指南書の販売に関する報告書を用意させると続いたので、グルノールの街にはソラナも来ているようだ。


 ……ちょっとずつ広めるのも、楽しみだったんだけどね。


 私としては、オレリアの教えてくれたボビンレースを残したい。

 ボビンレースを身に付けていても、他者ひとから妙な関心を引かない程度にボビンレースが一般的なものになればいい。

 しかし、これを達成するには数年以上かかるだろう。


 そう考えてのんびりと広げていく予定だったのだが、アルフレッドはボビンレースを一気に流行らせようと考えたらしい。


「流行らせる『必要』、ですか……?」


 ボビンレースを流行らせる。

 ボビンレースという精緻せいちに織られたレースを見れば、誰でも心奪われるとは思う。が、それだけでボビンレースを流行らせることはできない。

 まずボビンレースの美しさを伝えるためには現物が必要であったし、流行らせるとなればそれなりの数が必要になってくるはずだ。

 指南書についてはあらかじめ私が用意していたが、そんな数のボビンレースの現物を用意し、『流行らせる』というような広範囲へと広めることは不可能だろう。

 私の記憶が曖昧らしい期間は二年だ。

 たった二年でボビンレースを国中で流行らせるというのは、たとえアルフレッドであっても少々どころではなく難しいはずだ。


「ボビンレースについては後だ。……まずはこの二年間の明るい話題から聞かせてやろう」


 そうだな、と何から話したものかとアルフレッドが首を傾げ、最初の話題として出てきたものは、フェリシアが結婚したという確かに明るい話題だった。


「え? フェリシア様がご結婚なされたのですか?」


「結婚どころか、すでに男児を産んでいる。今は第二子を妊娠中だ」


「……早すぎませんか!?」


 私の記憶が曖昧なのが二年間で、フェリシアは子どもを一人産んでいる。

 妊娠期間は十月とつき十日とうかと言うが、これは本当に十ヶ月かかるということではなかったはずだ。

 妊娠期間については、週の数え方が少し違う。


 ……や、第一子出産と第二子妊娠を考えたら、二年前の収穫祭からすぐあたりに結婚してない?


 フェリシアにはお気に入りの白銀の騎士がいたが、彼は性格に難があったはずだ。

 清楚可憐な外見に似合った気弱な性格で、とてもではないが王の配偶者として隣に立てる器ではない。

 そして、フェリシアはいずれクリストフの跡を継ぐと目されている王爵だ。

 自分が選ぶ相手は王配となる可能性がある、とフェリシアが自分の好みよりも立場に相応しい相手を探していたことを知っている。

 ついにそんな相手を見つけたのか、と聞いてみれば、相手は以前からフェリシアが気に入っていた騎士らしい。

 つまりは、私も知っている清楚可憐な外見のあの騎士だ。


「えっと、エラルドでしたか? あの方はわたくしの護衛としてグルノールに来ることになっていたような気が……?」


 あれ? とは思うが、それだけだ。

 エラルドの心情にどんな変化があったのかは判らないが、フェリシアが選んだ相手と幸せになったのなら、それでいい気もする。


「エラルドもついにやる気を出したのですね。いいことです」


「いや、エラルドはエラルドのままだ。王の座は、私が継ぐことになった」


「ああ、それでエラルドでもよくなったのですね」


 アルフレッドが次の国王か、と聞いた情報が脳にしみこむまでに少し時間がかかった。

 無意識に理解したくない、と脳が考えることを拒否したのかもしれない。


「……ふへっ!? アルフレッド様が、次の王様ですか!?」


「クリスティーナが驚きすぎなのは気になるが、私が父の跡を継ぐ。今回はいろいろと無茶をしたからな」


 王に次ぐほどの権力の振り回し方をしていろいろとやったので、その責任を取ることになったらしい。

 王の子として生まれたのだから、権力にはそれに付随する責任がある。

 それを承知でおこなった無茶だ。

 自分が利用した権力の責任を取るというアルフレッドの言葉は、同じく王の子に生まれながらすべての責務を捨てて出奔したランヴァルドに聞かせてやりたい気がした。


「……でもいいのですか? 次の王様になるってことは、女の人と結婚しなきゃいけないのでしょう? アルフさん、アルフさん言っていられなくなりますよ」


 今生の常識では同性愛も同性婚も、特別なことではないとわざわざ話題に上がらないほどに定着しているが、跡継ぎともなれば話は変わってくる。

 家の血を残して繋いでいくのが、跡継ぎの役目だ。

 家を継ぐものは、どうしても実子が望まれ、異性との婚姻が求められる。

 アルフレッドがアルフ、アルフと言っているのがどういった種類の愛情なのかは知らないが、少なくとも夫が男の名前を連呼することを受け入れられる女性を伴侶とする必要があるはずだ。


「私もこの二年の間に結婚している。ついでに言うと、無事に女の子が生まれたと知らせがあった」


「ああ、そうなんですか。よかったです。ご結婚おめでとうございます。……え? は? 女の子、ですか……? つまり、アルフレッド様が……女児ひとの親、に……っ!?」


 ついでとばかりに足された情報に、思わず「似合わない」と飛び出しかけた言葉を飲み込む。

 アルフレッドが結婚したことも信じられないのだが、その相手が女性で、すでに父親となっていることがもっと信じられなかった。


「……ど、どんな女傑ならアルフレッド様のお嫁さ……いたいれすぅ」


 驚きのあまり少し伸び伸びと発言しすぎたのかもしれない。

 にゅっと対面からアルフレッドの手が伸びてきて、頬を抓られた。


「失礼なことを考えていると、よくわかりすぎる顔だな」


「だって、アルフレッド様の結婚ですよ? わたくしでなくとも驚くと思います」


 結婚だけでも驚くが、アルフレッドが父親になったと言うのだ。

 これが驚かずにいられるわけがない。


「何を考えているかは聞かないが、アリエル鉄扇てっせんより重いものなど持ったことのないような淑女だ。女傑だなんて単語とは対極にいる女性だぞ」


「はたして鉄扇を持つ淑女が本当に淑女と呼べりゅ……いたいれすぅ」


 アルフレッドの説明によると、長いこと待たせていた幼馴染の婚約者が結婚相手らしい。

 アルフレッドの婚約者といえば、アルフの想い人だったはずなのだが、そのあたりはどうなったのだろう、と突っ込んでみたところ、これはアルフが答えてくれた。

 元の鞘に収まっただけなので、私が心配することではないそうだ。


「クリスティーナと交流がある相手の変化といえば……ディートフリートとバシリア嬢が婚約した」


「へー」


「……あまり興味がなさそうだな」


「バシリア様は幼い頃からディートフリート様をお慕いしておりましたし、おめでたいことだな、とは思っています」


 ただ、私は元から他人ひとの恋路というものにあまり興味がない。

 ルシオのように、私の視界に入るところで「おや?」と思える行動をしていれば真相が気になる場合もあるが、普段会うことのない友人の色恋沙汰など、細かに知りたいとは思わなかった。

 今のように、ざっくりとした結果だけ知らせてくれる方が対応もしやすい。


 ……婚約おめでとうございます、ってバシリアちゃんにお祝いを贈らないとね。


 どんなものを送るべきか、はサリーサにでも相談すればいいだろう。

 以前はヘルミーネに相談していたのだが、ヘルミーネはディートフリートの家庭教師として王都でお別れをしている。

 今回は頼ることができなかった。


「……ディートフリートは、本当に芽のない片恋をしていたのだな」


 さっぱりしすぎていて清々しい、とアルフレッドが目を逸らしたので、褒め言葉と受け取っておく。

 腕力的な意味で頼りがいのある男性としては、レオナルドを身近く見すぎた。

 美形男性としては、アルフで慣れている。

 環境からくる不感症とでもいうのか、ちょっと顔が整っているぐらいの細身美少年では、私の乙女回路はうんともすんとも反応しないのだ。


 ……や、ディートはちょっとやそこらの美少年じゃなかったけどね。


 二年前に一度だけ見たディートフリートの顔を思いだす。

 驚くほどの美少年に成長していたとは思うのだが、美形ならフェリシアで目がすっかり肥えてしまっていた私には、特になんの感慨もなかった。

 あれから二年経っているということは、さぞかし麗しい青年に成長したのだろう。

 そうは思うのだが、やはり胸にときめくものはない。


「ディートフリートは三年後の秋に婚礼を予定している」


「ということは……十九歳で結婚ですか。早いですね」


「王族や貴族の結婚としては、それほど早くはないぞ」


 むしろ、自分や姉の結婚が遅すぎたのだ、と続けて、アルフレッドは何かを思いだしたようだ。

 これは追加するべきかどうか、と少しだけ考える素振りをしてから、結局教えてくれた。


「……ついでに言うと、私に妹が一人増えた」


「アルフレッド様に妹さんが。それはきっと可愛い……うん? 妹さん? 姪ではなくて、ですか?」


「ああ。妹だ」


「それは……なんというか……」


 おめでとうございます、と当たり障りのない祝いの言葉を口にする。

 真っ先に出かけた言葉は「クリストフ様もお若いですね」だが、さすがにこれは淑女として口に出してはいけない発言だろう。

 少々ではなく下品な物言いになる。


「あと二人増える予定だ」


「うわぁお」


 クリストフはすべての妻を平等に扱う。

 そのため、一人に子どもができると、他の二人の妻にも子どもを作る。

 それを繰り返した結果が、十六人兄弟という多すぎる子どもたちだ。

 一番早くクリストフに嫁いだジョスリーヌあたりは、そろそろ出産にさまざまな危険が増えてくる年齢だろう。


 ……王族はベビーラッシュに突入ですね。


 これは確かに、祝うべき明るい話題だ。

 国王に娘が増え、王女には男児とお腹にもう一人、王子には女児が生まれ、王の孫は三年後に結婚予定。

 しばらく続きそうなブームでなによりである。







「クリスティーナはこの二年間について、どのぐらい覚えている?」


 王族のベビーラッシュについて話し終わると、アルフレッドの声が一段低くなる。

 これからは本題の、あまり嬉しくない話が始まるのだろう。


「どのぐらいと言われても……?」


 どのぐらい、と曖昧な範囲で聞かれても困ってしまう。

 第二王子が暴れた収穫祭が二年前だというのなら、私の記憶はほとんどそこまでだ。

 あとは今年の神王祭から今日までの記憶になる。

 アルフレッドの言う二年間は、ほとんど私の記憶にないということだ。


「では、順を追って話そう」


 覚えていることや思いだしたことがあったら教えてほしい、と言ってアルフレッドは二年前の収穫祭を振り返る。

 第二王子が暴れた後、私は擦り剥いた膝の治療のためにセドヴァラ教会へ行った。


「そこは覚えています。ジャスパーが傷の手当をしてくれました」


 手当ての終わった私に安心し、レオナルドは第二王子が暴れた後始末のためにセドヴァラ教会へと私を預けた。

 後始末が終わったら迎えに来るから、と言って。


「お人形のようにおとなしく待っています、って……レオナルドお兄様を……見送った、はず? なのです、が」


 ――人形のようにおとなしくは待っていなかった。


 チラリとそんな考えが頭を過ぎり、そこだけ思考が切り落とされたかのように行き詰る。

 行き詰るというよりは、その先の思考がない。


 考えてはいけない。

 思いだしてはいけない。


 そんな形のない想いに捕らわれ、その先へと思考を向けると斧か何かで思考を断ち切られるような感覚がある。

 ブツッと思考が強制的に遮られ、その先を考えることができないのだ。


 ……あれ? なんだっけ? これ。


 気持ちが悪い。

 思いださなければいけないことがあるのに、本能がそれを拒否しているとでもいうのか、思いだそうとすればするだけ思考が遠ざかる。

 答えは頭の中にあるはずなのだが、答えが透明にでもなって隠れてしまったようだ。

 考えれば考えるだけ、答えが遠ざかって行った。


「――騒動の後始末に奔走していると、レオナルドが桟橋の火事に気がついた」


 掴みどころのない不安からくる気持ち悪さを、アルフレッドの声に意識を向けることでやり過ごす。

 ここから先の話は、セドヴァラ教会にいた私の知らない話だ。


 城壁の外で煙が上がっていることに気がついたレオナルドは、グルノールの街の外にある桟橋へと向った。

 そこで火事を見つけ、人を呼んで消火活動にあたる。

 鎮火したのは翌朝で、焼け跡からは男女の遺体が発見され、他に桟橋の管理人と倉庫番の遺体も見つかったそうだ。


 ……女性の遺体?


 スッと血の気が失せた気がする。

 胸は嫌な予感でドキドキと鼓動がうるさいぐらいなのだが、頭の中は真っ白だ。

 何も考えられなくなって、アルフレッドの声だけが頭の中に響く。


 なぜ、そんな話を私に聞かせるのだろうか。

 凄惨な遺体たちの様子を語るアルフレッドの声に、耳を塞ぎたいのだが腕が動かない。

 ぎゅっと固く膝の上で握り締めた両手が、嫌な汗でベタベタとした。


「レオナルドたちが桟橋周辺を捜査していると、別のものを追っていたアルフと合流した」


「アルフさんは、何を追っていたんですか?」


 ああ、やっと桟橋から話が離れるらしい。

 そう嫌な空気を吐き出すように安堵のため息をはくと、アルフレッドがジッと私の顔を見つめていることに気がつく。

 私を見ているのは、アルフレッドだけではない。

 レオナルドもアルフも、ジッと私を見つめていた。


「アルフが追っていたのは、セドヴァラ教会から連れ出されたクリスティーナ。おまえだ」


「……わたし?」


 私を探していた、と言われても困ってしまう。

 私にセドヴァラ教会から出た覚えはない。

 もちろん、連れ出された覚えもなかった。


「セドヴァラ教会内で何があったか、覚えているか?」


「……レオに待っていろって言われたから、セドヴァラ教会で待っていました。暇つぶしに、石鹸作りの続きをしようとしたんです。ジャスパーが、前に作ったものの乾燥が終わったって言うから……」


 石鹸を乾燥させている部屋へ移動しようとして、石鹸を確認した記憶がない。

 部屋を移動しようと扉を開けて、そのあとにある記憶は、嫌な音と臭いだ。


 粘着質な水音と――


 グッとせり上がってきた胃の中の物に、両手で口を押さえて立ち上がる。

 すぐに気づいて抑えてはみたが、吐き気など意志の力でどうにかなるものではない。


「吐きそうっ! カリーサ!」


 口の中の物をこぼさないように、それでも必死に助けを求めてカリーサを呼ぶ。

 今、欲しいのはたらいだ。

 何か口の中のものを受け止めてくれるものが欲しい。


 淑女だとか、アルフレッドの前だとかいうことはポンっと頭の隅へと追いやって、とにかく客人の目の前で粗相をするわけにはいかない、と小走りに廊下へと飛び出す。

 すぐにサリーサが盥を持って追いかけて来てくれたので、廊下での大惨事はまぬがれた。

 その代わり、私の服は少し吐瀉物で汚れてしまっている。


「……お昼を、欲張って食べ過ぎましたかね?」


 胃の中の物をすべて戻し終わるのを待って、レオナルドが廊下へと出てきた。

 吐瀉物で汚れた顔を見られたくなくて顔を伏せていると、レオナルドの大きな手で頭を撫でられる。

 昼食からは、十分すぎる時間が経っていた。

 戻した理由など食事には関係がないと誰にでも判るはずだが、レオナルドは私の軽口に乗ってくれる。

 まだ普通に食べられるようにはなっていないのだから、無理に食べることはない。

 そう言って私の頭を撫でた後、私へのこの二年間の説明会はひとまずの解散が宣言された。

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