第3話 アルフレッドの帰還

 ……っていうか、私ってどんな生活してたっけ?


 微熱も下がって完全にベッドから離れていられるようになると、気になることが出てきた。

 ミルシェに身長が完全に抜かれていることもそうだが、どうも全体的に私の体が縮んでいるような気がするのだ。

 歳をとると背が縮むという話は聞いたことがあるが、私の年齢でそんな縮み方をするわけがない。

 となれば何がおかしいのか、と自分の体を観察すると、まず気がつくのは足や腕の細さだ。

 ダイエットを頑張った細身の体ではない。

 骨と筋が浮かび上がりそうな、病的な細さだ。

 記憶にある限り、私の手足はこうではなかったはずである。

 グルノールの街に戻ってからというもの、正確には神王祭を過ぎたあたりから何度も覚えている違和感が、私の体にもあったのだ。


 ……秋から冬で、ここまでやつれるはずないよね?


 となれば、私の感覚がおかしくなっているだけで、周囲の時間が進んだだけなのだろう。

 私の感覚よりも時間が多く過ぎていると思えば、ミルシェの背が伸びているのも納得ができる。

 私は元から成長が遅いようだったし、背も低かった。

 成長期に入ったミルシェには、単純に追い抜かされただけだろう。


 ……豚になるのは避けなきゃだけど、いっぱい食べよう。


 元・日本人としては痩身に対する憧れはあるが、これは少し細すぎる。

 とてもではないが、健康そうに見えないのだ。

 適度な食事と運動をして、できるだけ早く健康な体を取り戻したい。







 仕事の引継ぎ作業を行うレオナルドの横に陣取り、日中を過ごす。

 私がベッドから離れることができるようになったので、現在レオナルドが執務室として使っているのは居間の長椅子だ。

 友人の父親とはいえ、ランヴァルドが私の部屋に入ってくることになんとなく抵抗があったので、動けるようになった途端に移動した。


 女の子の部屋に、家族以外の男性はお断りだ。


 レオナルドの邪魔をしないように、とおとなしくしているのだが、毎日ともなるとさすがに若干の退屈を感じる。

 久しぶりに何か読もうかと思ったら、サリーサがボビンレースの指南書を持って来てくれた。


 どうも私が知らないうちに時間が過ぎていると考えたのは間違いではなかったようで、印刷のための紙を用意している段階だったはずの指南書が、印刷どころか販売まで開始されている。

 恐ろしいことに、サリーサが持って来てくれた指南書には、第三版の文字が刻まれていた。

 知らないうちに印刷されていた指南書は、順調に売れているようだ。


「印刷代とかいろいろ気になりますが、どなたかが手伝ってくれたのですね。貴族の方向けに作ったものより品質が抑えられていて、これなら平民でもなんとか手が出せそうです」


 印刷の色数も少なく、多色刷りが行われているのは表紙だけだ。

 あとは特に注意したい箇所が赤インクで刷られているが、ほぼ黒インク一色である。

 貴族向けに作ったものより華やかさが足りないが、値段を抑えるための工夫でもあるのだから仕方がない。


「指南書の印刷については、ランヴァルド様とニルスが頑張ってくれました」


 販路についてはアルフレッドや王都にいるフェリシアが広告塔として宣伝してくれたようなのだが、印刷についてはランヴァルドとニルスが担ってくれていたらしい。

 王都での印刷も手伝ってくれたランヴァルドと、メンヒシュミ教会で学者見習いとしても働いているニルスが手伝ってくれたのだ。

 むしろ、私が間に入るよりも順調に印刷が終わったのかもしれない。


「ランヴァルド様もそうですが、ニルスにもお礼を言わないとですね」


 いきなり訪ねていっては、ニルスにも都合があるはずだ。

 まずは手紙でそれとなく都合のいい日を聞いてみるのがいいだろう。

 そう考えて便箋を用意してもらおうとしたのだが、サリーサには止められてしまった。

 ニルスは今、メンヒシュミ教会にはいないそうだ。


「ニルスでしたら、まだグーモンスから戻ったという話は聞いていません。おそらくはメンヒシュミ教会へ手紙を送っても、すぐには会えないかと」


「グーモンスというと……たしかエセルバート様の領地でしたね。え? ニルスがエセルバート様に捕まったのですか?」


 どういうことだ、とついレオナルドを見上げると、私とサリーサの会話はばっちり聞いていたらしい。

 サリーサの話の続きは、レオナルドが聞かせてくれた。


「グーモンスで『精霊の座』が発見されたらしい。グーモンスでは誰も『精霊の座』が破壊できなかったということで、試しに精霊の寵児であるニルスに向かってもらった」


 無事に破壊されたという報せは届いたが、ニルスが戻ってくる様子はないそうだ。

 報せを持って来たジャン=ジャックが特に何かを言ってはいなかったので、ニルスがエセルバートに無理矢理引き止められているということもないだろう、と。

 ジャン=ジャックはニルスが私の友人だということを知っている。

 エセルバートがニルスに無理難題を吹っかけて困らせていれば、必ずなんらかの対処・報告をレオナルドへとしているはずだ。


「ということは……『精霊の座』はあと四つみつけないとですね」


「……神王領クエビアとサエナード王国でも一つずつ見つかって、破壊が確認されているらしい。破壊する必要があるのは、あと二つだな」


 ズーガリー帝国にも一つある、と続いたレオナルドの言葉に瞬く。

 『精霊の座』の破壊については、私が知らないうちに進んでいたようだ。

 これなら本当に私が生きているうちにすべて壊せそうで、なによりである。







「……髪の毛が短いと、少し変ですね」


 今日はアルフレッドがグルノールの街へ帰還するので、と少し気合の入ったワンピースへと着替えさせられる。

 近頃は楽な部屋着でばかり過ごしていたので、布が贅沢に使われているお洒落着は少し重い。

 これも私の筋力が落ちている影響だろう。


 いつの間に切ったのか、ようやく肩に届くかという長さになっている髪を引っ張ってみる。

 そんなことをしても急に髪が伸びたりはしないのだが、今日の装いにはもう少し髪が長い方が可愛らしい。

 私自身は髪が短い方が楽なのだが、私はレオナルドの『可愛い妹』だ。

 他人からは可愛く見えるに越したことはないと思う。


 ……最終手段としてカツラも用意されてるみたいなんだけど。


 髪の短さは気になるのだが、カツラを被ろうとまでは思わなかった。

 以前の髪と同じぐらいの長さに整えられたカツラなのだが、なんとなく嫌だと感じるものがある。


 ……淑女、淑女。王子アルフレッド様を相手にするんだから、猫は大きなドラ猫を五匹ぐらい被るつもりで。


 王都から帰ってきてからというもの、ヘルミーネに仕込まれた淑女という名の猫を脱ぎっぱなしであるという自覚はあった。

 これは久しぶりに気合をいれて猫を被らなければ、とヘルミーネの教えを頭の中で反芻する。


 ……えっと、淑女は玄関先まで出て出迎えない。お出迎えするのは玄関ホールで、と。


 いつものように玄関扉を開けて飛び出して行きたい気はするのだが、そこはぐっと我慢する。

 私だって、いつまでも子どもではないのだ。

 ちゃんと淑女らしく振舞えるところを見せて、アルフレッドを驚かせてやりたい。


 ……動機が『驚かせたい』ってあたり、全然大人じゃないけどね。


 ようはレオナルドに恥をかかせない範囲で、淑女らしく振舞えればいいのだ。

 根底が悪戯魂であろうとも、関係はない。


「お久しぶりです、アルフレッド様。本日は……って、なにするんですか!」


 淑女らしく、淑女らしく、と猫を被ってアルフレッドを玄関ホールで出迎えたのだが、会って早々にサリーサが整えた髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。

 短い髪を気にした私のためにサリーサがリボンを複雑に編みこんで華やかにしてくれたのだが、すべて台無しだ。

 急ぎアルフレッドの手の届く範囲から退避しよう、と手を振り払うと、今度は私の頬へとアルフレッドの指が伸びてきた。


「いたいれふよ」


「……クリスティーナだ。本当にクリスティーナだな」


 むにむにと頬を摘まれて、少し痛い。

 好き放題にやられっぱなしというのは面白くないので指へ噛み付いてやりたいのだが、そこは我慢した。

 今日の私は淑女なのだ。

 多少の腕白ぐらいは笑顔でかわしてみせなくてはならない。


「アルフレッド様、クリスティーナが戸惑っています」


「痛がっていりゅんれすよ」


「ああ、そうか。すまないな」


 アルフからの制止で、ようやくアルフレッドの指が離れる。

 親からもらった可愛い顔が歪んでしまっては大変だ、と両頬を手で隠してレオナルドの後ろへと逃げ込む。

 せっかく淑女らしく出迎えてやろうと思っていたのだが、すでに台無しだ。


「アルフさんも、なんだかお久しぶりですね。近頃は全然館に来てくれなくて」


「砦の主の印が必要な書類を積極的に運びたがる人間がいたからね。クリスティーナもまた寝込んでいたようだし、遠慮したんだ」


 熱が下がったようでよかった、と微笑むアルフに違和感を覚え、隣に立つアルフレッドと顔を見比べる。

 なんとなくだが、また二人が入れ替わっているような気がするのだが、気がするだけで、気のせいかもしれない。

 アルフとアルフレッドは瞳の色が微妙に違うのだが、どちらがアルフかは、フェリシアと並べて見なければ判らなかった。

 弟であるアルフレッドよりもアルフの方がフェリシアの瞳と近い色をしている、というのは考えてみれば少し不思議な話だ。


「アルフレッド様には本当にお世話になりました。アルフレッド様が国境へと兵士を引き付けてくださったおかげで、クエビア側の国境は検問も見張りも少なく、移動がかなり容易になりました」


「クエビアの軍艦ふねでティオールへ乗りつけたそうだな。神速で走るという噂の船の乗り心地はどうだった?」


 頭上で飛び交い始めた大人たちの会話に、聞いていい話かどうかの判断がつかず首を傾げる。

 とりあえず内容は理解しておこう、と耳を澄ませているのだが、聞けば聞くほどに疑問の湧いてくる内容だ。


 ……レオナルドさん、いつクエビアに行ったの?


 少し前にイヴィジア王国が戦をしたのは隣のサエナード王国だ。

 その先にある神王領クエビアではない。

 となれば、レオナルドが神王領クエビアに行く機会などあるはずがなかった。

 レオナルドは冬の移動で四つの砦を回るほかには、王都にいる間にルグミラマ砦へと詰めていたぐらいしか私から離れてはいないのだ。


 ……あれ? でもこの会話だと、アルフレッド様が最近国境に兵士を引きつけていた、みたいな感じだよね? ということは、レオナルドさんがクエビアに行ったのも最近のこと?


 耳が拾い取る情報と、私の中の記憶が一致してくれない。

 なんだか変だな、と居心地悪くアルフを見上げると、アルフはわずかに腰を屈めて私の顔を覗きこんできた。


「体調は本当によさそうだね。……これなら、そろそろ話してもいいんじゃないか?」


 何をですか、と聞き返したかったのだが、アルフの言葉に頭上の声がピタリと止まる。

 なんだろう、とアルフレッドとレオナルドを見上げると、二人の視線は私へと落とされていた。


「……クリスティーナには、どう説明した?」


「まだ何も話していません。とにかく体調を整えるのが先だと思いましたので」


「そうか」


 気のせいでなければ、レオナルドとアルフレッドは何かを言い出す順番を互いに押し付けあい、しばし睨み合う。

 ややあってから私へと視線を落としたのは、アルフレッドの方だ。

 睨み合いに負けたというよりは、アルフレッドがレオナルドの言い難いことを引き受けてくれたのだと思う。

 アルフレッドは台風のようにパワフルで周囲を引っ掻き回す王子さまなのだが、実は意外に気遣いのできる素敵な王子さまだ。


 そして私はというと、なんとなく不穏な雰囲気を感じてレオナルドの腰へと抱きつく。

 そうすると、そっと背中へとレオナルドの手が添えられて、レオナルドの背中に隠れることは封じられてしまった。


「……なにか、嫌なお話ですか?」


「明るい話じゃないな。でも、クリスティーナは聞かなければならない話だ」


 まずは明るい話からしよう、と言って手を取られる。

 明るい話であれ、嫌な話であれ、玄関ホールで話すことではないのだろう。







「クリスティーナは、二年前の収穫祭は覚えているか?」


「二年前ですか?」


 居間に場所を移すと、一人掛けの椅子までエスコートされた。

 普段はレオナルドと並んで長椅子に座るのだが、今日は一人だ。

 なんとなく、レオナルドの後ろに隠れることを封じられたのだと判る。

 これからする話は、私が逃げてはいけない内容なのだろう。

 頭の中にここから先の話は聞きたくない、と拒絶している自分がいるが、これを押さえつける。

 聞くのが怖いが、聞かないわけにはいかない話のはずだ。


「二年前の収穫祭というと、王都にいたから……?」


 嫌な予感はヒシヒシとしているのだが、言われるままに二年前のことを思いだす。

 二年前の収穫祭といえば、王都での収穫祭だろう。

 あの頃の私は、秋はレオナルドの不在で外へ出かける気分ではなかったはずだ。

 というよりも、王都で行われたお祭りに参加した記憶となると、毎回誰かしら迷子になっている神王祭ぐらいだった。

 一年目はペトロナが迷子になり、二年目にはランヴァルドが姿をくらましている。


「クリスティーナが王都にいたのは四年前だ。私たちの言っている二年前というのは、チャドウィックがグルノールで暴れた時のことだ」


「王都にいたのが四年前で、第二王子が暴れたのが二年前……ですか? ついこの間ではなく」


 私の時間感覚と、周囲の感覚にズレがある。

 それは少し前から感じていたのだが、アルフレッドの口から出てきた実際のズレは二年間であったらしい。

 私にとっては第二王子が暴れたのは昨年の秋という感覚だったのだが、アルフレッドたちには二年前のことなのだとか。


「……それでミルシェちゃんが大きくなっていたのですね」


「あのぐらいの子どもは成長が早いからな。私やレオナルドを見てもそれ程ではないだろうが、ミルシェを見れば嫌でも時間の流れが判るだろう」


「なんとなく、変だな? とは思っていました。わたしの手も足も骨みたいにガリガリで、秋からちょっと寝込んでいました、って感じじゃありませんでしたからね」


 二年も過ぎていたのか、と聞かされた時間を思い、自分の体を改めて見下ろす。

 二年過ぎているということは、今の私は十五歳だ。

 夏が来れば、すぐに十六歳になる。

 普通ならもう少し背が伸びていて、胸やお尻も丸みを持ち始めている頃だ。

 にもかかわらず、私の体は十三歳からほとんど成長していない。

 成長したミルシェが館にいなければ、二年も経っているとアルフレッドに言われても到底信じることなどできなかっただろう。

 私だけが二年前のままなのだ。


「……あの後、チャドウィックはどうなったのですか?」


 以前のアルフレッドは、忌々しげではあったが、それでも異母兄である第二王子を『王子』と付けて呼んでいた気がする。

 それが今は完全に『チャドウィック』と呼び捨てだ。

 もともと仲のよい兄弟だとは思えなかったのだが、収穫祭あれが決定的なものになったのだろう。


「チャドウィック元第二王子は、事件のあらましを伝えたその場でクリストフ国王陛下によって王籍から排除された。捕縛時の罪状はクリスティーナの誘拐未遂と収穫祭で人の溢れる街中で故意に馬車を暴走させたことだが、余罪がゴロゴロと出てきたからな」


 個人的には楽に死なせたくはなかったそうなのだが、チャドウィックは他人ひとを使うのが本当に上手い。

 下手に牢の見張りを抱き込んで逃げられても面倒なことになり、また騒動を引き起こされても困るということで、春には処刑されたそうだ。


 なんといっても、チャドウィックは愉快犯である。


 相応しい罰を、とクリストフが頭を悩ませることにすら喜びを感じる困った人物だ。

 そんな人間には、むしろ無関心に接してやることこそが罰になるだろう、と異例の速さで刑が執行されることとなった。

 あとは話題にも出さず、思いだしもせず、早々に存在を忘れることこそがチャドウィックへの一番の意趣返しになるだろう、とアルフレッドは言う。

 チャドウィックに対しては私よりも思うことがあるだろうアルフレッドが「これでいい」と言うのだ。

 多少思うことはあるが、これでいいのだろう。


「……チャドウィックのことは判りました。それで、あの収穫祭が二年前だというのなら、わたくしの記憶は二年ほど抜けているようなのですが……?」


「それでおまえの体調が整うのを待っていた、というレオナルドの言葉に繋がる」


「納得しました」


 つまりは、聞くだけでも気力が削がれる話が、これからされるのだ。

 そんな話を、熱で寝込んでいた私にレオナルドが聞かせられるわけがない。


 私はこれから、抜けている二年と向き合わなければならないのだ。

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