第2話 ランヴァルドの探しもの

「今さらですけど、どうしてランヴァルド様が城主の館にいるんですか?」


 それも、さもここにいるのが当然という顔をして。

 あまりに普通すぎる顔をして部屋ここへと顔を出すので、呼び方に少し悩んでしまった。

 王都では『王弟ランヴァルドに似ているかもしれないが、あくまで他人です。ヴァルドっていうんですよ』という屁理屈のために『ヴァルド』と呼んでいたのだが、グルノールではランヴァルドとヴァルドを呼び分ける必要はない。

 ランヴァルドが隠れたい相手エセルバートはここにはいないのだ。


 ついでに言えば、すぐ背後に護衛兼見張りの白銀の騎士を二人も連れているため、ただの『ヴァルド』にはとてもではないが見えなかった。


「本当に今さらだな」


「ランなんちゃら様は、顔が見たとおり……遠目になら俺に見えなくもないだろう」


 しばらく秘密裏にグルノールを離れる必要があったので、ランヴァルドには自分の影武者をしてもらっていたのだ、とレオナルドが言う。

 その流れで砦を離れている間の仕事もランヴァルドに変わってもらっていたため、今は引継ぎ作業をしているのだ、とも。


「……そうだったのですね。ランヴァルド様がレオナルドお兄様のお仕事を手伝ってくれたというのなら、わたくしもランヴァルド様をお持て成しして差し上げます」


 どうやら頼まれた仕事を真面目にやってくれていたらしいので、私もランヴァルドに対して姿勢を正す。

 レオナルドの仕事の代わりをしてくれていたのだ。

 レオナルドの恩人は、私にとっても恩人である。


「では、特別にわたくしがココアを淹れてあげます」


 お湯を用意してください、と澄まし顔でミルシェを呼ぶ私に、レオナルドが堪えきれずに噴出す。

 レオナルドは私の意図を正確に読み取ったようだ。


「ティナ、俺の分も淹れてくれるか?」


「いいですよ」


 ついでにランヴァルドの護衛二人の分も淹れよう、と数に含めると、自分たちは護衛しごと中である、と辞退されてしまった。

 せっかく大量すぎるインスタントココアを消費するチャンスだと思ったのだが、仕事中であれば仕方がない。


 インスタントココアは記憶にない間の私が気に入っていたようなのだが、今の私が飲むには少し物足りないものがある。

 インスタントココアや珈琲は、少し味は落ちるが、お湯を注ぐだけで飲める手軽さが売りなのだ。

 逆に言えば、手間をかければより美味しい物が飲めるということでもある。

 そして、我が家にはサリーサというお料理上手な女中メイドがいてくれた。


 ……サリーサが淹れてくれるものの方が圧倒的に美味しいんだもん。手軽に飲みたい時にしか手が伸びそうに無いんだよね、インスタントココア。


 インスタントココアとサリーサが淹れてくれるココアでは、手軽さという一点でしかインスタントココアに勝ち目は無い。

 しかし大量に持ち帰ってしまったようなので、湿気てしまう前には飲みきりたかった。


 こんなどうしようもない理由から、現在のマイブームは『インスタントココアを淹れてあげる』である。

 わたしが淹れてくれるということで、レオナルドには大好評のブームだった。

 ミルシェとタビサにも比較的好評だと思うのだが、味の違いがわかるサリーサには『お嬢様が淹れてくださった』というプレミア感しかないようで、バルトにいたっては『甘さが苦手』だと渋い顔をされている。







「……そういえば、ランヴァルド様の探しものはみつかったのですか?」


 インスタントココアを人数分淹れると、サリーサが私のおやつを持って来てくれた。

 ミルシェにお湯を用意させたあたりから、レオナルドの休憩時間になったと判断したのだろう。

 焼きたてのモコッと背伸びをしたスフレが、今日のおやつだ。


 自分の前へも置かれたスフレへと手を伸ばすランヴァルドに、そういえば、と胸に浮かんだ疑問をぶつける。

 ランヴァルドは王都で何か探しものをしていたはずだ。

 しばらくしたら気が済んだのか、ふらりと姿をくらませてフェリシアを怒らせている。

 グルノールの街へ戻ってきてからはアルフがランヴァルドを捕まえたと言っていたが、まさかいまだにグルノールの街にいるとは思わなかった。

 てっきり王都へ護送されているものと思っていたのだ。

 真面目に館で、それもレオナルドの影武者をしているだなんて、想像もできなかった。


「探しものは……見つかったような、判らなくなったような?」


「変な答えですね。結局、何を探していたんですか?」


「何って、……俺の息子?」


「……息子? ランヴァルド様、お子さんがいたんですか?」


「そのようだな」


 しれっとした顔で「息子を探している」と言ったランヴァルドの背後で、護衛の騎士が二人すごい形相になっている。

 背後の二人はたしか王都でランヴァルドの使い走りのようなことをしていたはずなのだが、何を探しているのかは今の今まで知らなかったようだ。

 今にも左右からランヴァルドを挟み込み、根掘り葉掘りと問い質したそうな形相をしていた。


 ……そしてレオナルドさんもなんか変な感じだね?


 私の対面にランヴァルドがいるため、レオナルドの表情かおを見るためには横を向いて見上げる必要があるのだが、目の端に入るレオナルドの体の動きが妙だ。

 スフレを突くスプーンに、妙な緊張が込められている気がした。


「……そのようだな、って御自分のお子さんですよね?」


「俺も子どもがいると知ったのはつい最近……といっても五、六年前か? あれは本当に驚いた」


「驚いたって……そもそも家出をした身でよく子どもなんて作りましたね。駆け落ちでもしたんですか?」


 病死という形をとって、ランヴァルドは王族として生まれた責務のすべてを放棄し、市井へと逃げ出している。

 大げさに言えば出奔、軽く言えば家出だが、そんな人間に子どもがいたことが驚きだ。

 元から相手がいて駆け落ちをしたというのならわかるが、だとしたら子どもの存在を知らなかったというのはおかしい。

 王都やグルノールの街でフラフラとしているため、家庭を持っているようにはとてもではないが見えないのだ。


「一応お聞きしますが、ご結婚は……?」


「俺は独り身だよ。全部捨てて逃げ出したのに、王弟おれの子どもなんてものが出てきたらややこしいことになるだろ」


 この国では、王族と数えられるのは王の孫までだ。

 前国王エセルバートの子であるランヴァルドの子は、前とはいえ王の孫にあたるので王族になる。

 しかし王位は兄であるクリストフが継いでいるため、ランヴァルドの孫は王族ではない。

 ランヴァルドの孫は、ランヴァルドが王族として王都にいた場合には杖爵を与えられていたはずだった。


「たしかに、今さら出てこられても困りそうですね」


 なにしろ、ランヴァルドは病死したことになっている。

 ランヴァルドの子どもが名乗り出たとしても、それが真実であれ、王籍に戻すのは難しいはずだ。

 病死する前の子どもであれば問題はなかったかもしれないが、数年前にその存在を知ったとなると、完全に家を出てからの子どもである。


「子どもができたのは……クリスティーナはウェミシュヴァラ教会については知っているのか?」


「メンヒシュミ教会でざっくりと暈したものを教わりました」


 豊穣の女神ウェミシュヴァラを奉るウェミシュヴァラ教会では、神殿売春が行われている。

 神殿のような神聖な場所で売春など、と驚くかもしれないが、前世でも古代には行われていたそうだ。

 性行為と新たな命の誕生は切っても切れない関係にある。

 そのため、ウェミシュヴァラ教会では性行為自体は否定していないのだ。


 しかし、神を奉る教会が行う売春というだけあって、色町で娼婦を買うようにはいかない。

 娼婦や男娼――ウェミシュヴァラ教会では彼らを巫女と呼んでいる――を買うにもさまざまな条件があり、性行為以外の目的でも彼らの世話になることがある。

 王子であったランヴァルドとウェミシュヴァラ教会の巫女に接点があるとすれば、そちらの方だろう。


「母親はウェミシュヴァラ教会の巫女ですか?」


「市井に出てから思いだしたんだ。そういえば俺はまだだったな、と」


 貴族や富豪の子どもは性教育の教材としてウェミシュヴァラ教会の巫女しょうふを借りることが多いらしい。

 ただ実物見本きょうざいとして扱うのか、実施で学ぶかは、雇い入れた側次第だ。

 ウェミシュヴァラ教会の巫女は教会によって管理が徹底されており、豊穣の女神ウェミシュヴァラの守護を受けようと奉仕に参加する娼婦の場合には新人が多い。

 そのため、街で娼婦を買うよりおかしな病気をもらう危険が少ないと、子どもの教材として利用する家があるのだ。

 ランヴァルドも元の育ちがいいからか、それしか方法が思い浮かばなかったのかは判らないが、ウェミシュヴァラ教会の世話になったのだろう。


「まさか子どもができているとも、母親の側が自分で育てるとも思わなかった。グルノールの街で偶然あの時の巫女と出くわして、子が生まれていると聞かされて驚いたものだ」


 性教育の教材として働いてくれるウェミシュヴァラ教会の巫女ではあったが、もともとは豊穣を願っての神事という一面がある。

 街の娼婦とは違って避妊はしないし、子ができた場合の堕胎は禁じられていた。

 一度で子ができるかどうかはそれこそ神が決めることであったし、普通はウェミシュヴァラ教会で産まれた子どもは豊穣の女神ウェミシュヴァラの子として育てられるか、子どものできない夫婦の元へ養子として引き取られる。

 巫女が直接自分の子どもとして育てることは、非常に珍しいことだった。


「子ができたというのが本当なら、生まれた子は一応王族に数えられる。念のためにとウェミシュヴァラ教会で確認もしたのだが、本当だった」


 豊穣の女神ウェミシュヴァラの子としてウェミシュヴァラ教会で管理され、養子に出されるのなら問題はない。

 それは豊穣の女神ウェミシュヴァラの子であって、イヴィジア王国の王族であったランヴァルドの子ではないからだ。

 しかし、ランヴァルドの子として市井に紛れているのはよろしくない。

 世間は意外に狭いものだ。

 偶然が重なって、ランヴァルドの子だと判明しないとも限らなかった。

 事実として、その時点で子どもはウェミシュヴァラ教会にはおらず、娼婦の子どもとして市井の中で暮らしていたのだ。

 その存在をランヴァルドが知ることになった、というのも恐ろしい偶然だ。


 ……ランヴァルド様の場合、精霊に好かれてるって話だしね?


 できすぎた偶然だとは思うのだが、ランヴァルドに関わることならば、精霊によるなんらかの介入があったのかもしれない。

 そう考えれば、娼婦の産んだ子どもがランヴァルドの子だと判明するなんてありえない偶然も、本当に起こり得るのかもしれなかった。


 王族の流れをくむ自分の子どもがいると知って、ランヴァルドはエセルバートに預けようと考えたらしい。

 親子の縁を切る時に二度と顔を見せるなと言われたそうなのだが、場合が場合だ。

 何も知らない自分の子を放置もできない。

 今さらランヴァルドの子どもなど表舞台には立たせられないが、エセルバートに託せば養子として王籍に入れることも、生活に困ることもなくなる。


 こうして子どもを引き取る準備を整え、ランヴァルドが巫女の元を再び訪ねた時には、子どもは売られた後だった。


「……え? その巫女は子どもを売ったんですか?」


 どんな理由があったのかは知らないが、ランヴァルドと再会するまで育てていた自分の子どもだ。

 愛情がなかったとは考え難いのだが、巫女は子どもを手放したらしい。

 

「一緒に暮らしていた男の借金を返済するために、売られたそうだ。……クリスティーナも聞いたことがある話だろう」


 子どもについて調べている時に私の名前が出てきたぞ、とランヴァルドは言う。

 正確には、ランヴァルドの子が意地悪を仕掛けていた女の子がいて、その女の子が私だったそうだ。


「それって……?」


「テオという名前に覚えがあるだろう? メンヒシュミ教会ではクリスティーナが蹴り倒して逆に泣かせていたと聞いたぞ」


「……ふへっ!? ランヴァルド様がテオのお父さんっ!?」


 私が蹴って泣かしたと言えば、レオナルドとテオぐらいだ。

 つま先を保護するためと称した特注靴を履いてはいたが、誰彼構わず蹴っていたわけではない。

 私が泣かせた男児となると、テオ一人に絞ることができる。


 驚きのままに奇声を発し、慌てて両手で口を塞ぐ。

 テオについては、ある意味で禁句だ。

 特に、ミルシェの前では出さない方がいい名前となっている。


 ……あ、ミルシェちゃん。


 ミルシェの前では、と考えて思いだした。

 この場には、そのミルシェがいるのだ。

 女中見習いとして館で働き、先ほどもランヴァルドに淹れるためのココアのお湯を用意してくれていたミルシェが。


 どうにも気になって、チラリとミルシェへと視線を向ける。

 やはりランヴァルドの発言にはミルシェも驚いたようで、目を丸く見開いて固まっていた。

 けれど、私と目が合うとすぐに自分が仕事中だということを思いだしたようで、ミルシェはきりりと顔を引き締める。

 サリーサによる女中教育は、順調に進んでいるようだ。


「……レオナルドお兄様は、テオの行方を追ってくれていませんでしたか?」


 視線をミルシェからレオナルドへと移し、首を傾げる。

 テオの行方については、以前レオナルドの口から聞いたことがあった気がするのだ。


「正確にはアルフが調べた情報だ。テオを連れた奴隷商人の足取りを追いはしたが、途中で消息をつかめなくなったらしい」


「……そうですか」


 この話はミルシェも事前に聞いていたようだ。

 ランヴァルドがテオの父親だと名乗った時以上の驚きはなく、女中として背筋を伸ばして立っていた。


「テオはいませんけど、テオの妹ならここにいますよ」


「知っている。あの小さな女中がそうだろう。テオについて調べている時に、一緒に名前が出てきた」


 テオとランヴァルドは親子だが、ミルシェとテオは父親が違う。

 自分の血を引いていないのだから、とランヴァルドはミルシェについては思うことがないようだ。

 ランヴァルドにとってミルシェは、『テオの妹』という以上の意味はないらしい。


「……まあ、テオのためにも買い取りたい気はするが」


 ミルシェの話では、母親が最初に売ろうとしたのはミルシェだ。

 テオはミルシェを庇って、自ら売られることを選んでいる。

 自分が庇ったはずのミルシェが、母親によってやはり売られたとは知りたくないだろう。

 ならばとミルシェを自分が買い取り、間違っても娼館になど売らず、手篭めにする趣味もない自分が預かっていたい気もする、とランヴァルドは口を開く。

 ランヴァルドの口から出てきた突然の商談に、壁際に控えるミルシェの体がこわばり、緊張しているのがわかった。


「せっかくの申し出だが、ミルシェは物ではない。そう何度も売り買いなんてしてたまるか」


 それに、ミルシェには迎えが来る予定があるのだ、とレオナルドは言う。

 少し時間はかかるだろうが、迎えが来るまでは自分の元でしっかり守ってやるのだ、と。


「ミルシェのお迎えというと……ルシオですか?」


 ルシオの名前を出すと、壁際のミルシェの頬にわずかな赤みが差す。

 おや? とは思ったが、今は指摘しないでおく。

 以前はルシオの片思いか、たんなる年下の女の子に対する気遣いかと思っていたのだが、知らないうちに二人の間でなにか成立するものがあったようだ。

 王都に行っていた二年間で何があったのか、一度詳しく聞く必要がありそうでなによりである。


「……ルシオはそろそろ三年経つと思うのですが、まだ黒騎士にはなれないのですか?」


「ティナ、ヴィループ砦は普通三年では出てこられない場所だぞ」


「でも、レオナルドお兄様は三年で出られたのでしょう?」


 そうメンヒシュミ教会で習ったぞ、とレオナルドを見上げる。

 メンヒシュミ教会へと通い始めてすぐの歴史の授業で、レオナルドは最年少で騎士になったと教えられたはずだ。


 ……まあ、レオナルドさんの場合は、騎士は騎士でも白銀の騎士だったみたいだけど。


 ルシオが三年経っても黒騎士になっていないのはなぜだ、と口にしてから思いだす。

 レオナルドはいろいろと伝説を持っている男だ。

 その中で最初に作った伝説が、最年少で騎士になった、という物だったはずである。


「俺以外に最短かつ最年少で騎士になれた人間はいない。俺より年下の黒騎士なんて、出始めたのはここ三、四年のことだぞ」


「……そうでした。レオナルドお兄様は見た目より若いのでした」


 最年少でヴィループ砦に入り、最短でヴィループ砦を出ることを許されたレオナルドだ。

 当時のレオナルドより若い年齢で騎士になれる人間などいないだろう。

 そんなことがあるとすれば、同じ年齢で誕生日の前後といった誤差のような日付で勝てる可能性があるだけだ。


 現在はどうか判らないが、私がグルノールの街に来た頃のレオナルドは、グルノール砦の主でありながら、砦で一番若い騎士だったということになる。

 レオナルドは当時からグルノール砦に主として君臨していたが、アルフやジャン=ジャックはレオナルドよりも年上だ。

 年下の主の命令など、完全実力主義の黒騎士でもなければ機能しなかったかもしれない。


 ……あらためて考えると、レオナルドさんってすごい重責を背負ってお仕事してる?


 これからはもう少し労わってあげよう、とそっと心に決めて、思考を戻す。

 ルシオがヴィループ砦から出てくるには、まだ数年かかりそうだ。

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