第13章 グルノールの転生少女

第1話 違和感だらけの静養生活

 気がついたら暗闇の中にいた。

 それに、とても狭い場所だ。

 立ち上がれないし、足も伸ばせない。

 ただ、狭いおかげか妙に温かくもある。

 熱源は私の体温と、私の体の前面にある大きなものだ。


 ……温かいのは、レオナルドさんの背中。


 なぜこんなにも狭い場所へと押し込められているのかは思いだせないのだが、目の前にあるのがレオナルドの背中だということは解った。

 汗臭いわけではないが、ほんのりとレオナルドの匂いがするのだ。

 私にとってはホッとする香りでもある。


 ……あれ?


 指先から伝わってくるレオナルドの体温に、目頭が熱い。

 暗闇に閉じ込められているため周囲の様子は判らなかったが、明るければ世界が歪んでいたことだろう。

 レオナルドの匂いと体温に、体中の力が抜けていくのがわかる。

 目頭が熱いのは、私が泣いているからだ。


 どこに泣く必要などあるのだろう。


 そうは思うのだが、溢れる涙は止められなかった。

 涙の理由も私には判らない。

 ただ、わんわんと声に出して泣いたら、暗闇に光が差し込んだ。

 逆光になって顔はよく見えなかったのだが、伸びてきた腕がレオナルドの物であることは判ったので、身を任せる。

 おかえり、と抱きしめられたので、私がどこかへ行っていたのだろう。


 私が『帰ってきた』から『おかえり』なのだ。


 そう直感だけで理解すると、完全に気力が尽きた。

 考えることも、レオナルドに理由わけを聞くことも放棄して、感情のままに泣き喚き、意識を手放す。

 自覚は無いのだが、これまでずっと気を張っていたのだろう。

 気の抜けた私はあっけなく、言ってしまえばいつものように熱を出した。







 ……なんで寝込んでるんだっけ?


 疲れからくるものと思われる熱が下がり、少しだけ思考する余裕が戻ってきたのは、神王祭から一週間ほど過ぎた頃だった。

 目が覚めるたびにレオナルドの姿を探し、枕元や天蓋の外にある長椅子で書類を読んでいる姿を見つけてホッとする。

 夜はというと、巨大な熊のぬいぐるみを枕に一緒に寝ていた。

 ヘルミーネに見つかれば間違いなく怒られると思うのだが、ヘルミーネは王都でディートフリートの家庭教師をしているはずだ。

 私のブラコンが悪化していようとも、苦言を呈してくれる人はいない。


 ……わ、わかってますよ。ブラコンは治さなきゃいけない病気だって。


 解ってはいるが、今は判りたくはない。

 少し姿が見えないだけでも不安になるのだ。

 せめて熱が下がってベッドからおりる許可が出るまでは、と頭の中で淑女についてを説くヘルミーネの声に耳を塞ぐ。


 ……それにしても? ミルシェちゃんが大きいのはなんでだろう? 成長期にしても、成長しすぎなような……?


 王都から戻ってすぐも成長したミルシェの姿に驚いたのだが、今はそれよりも大きい。

 前はギリギリ私の身長の方が低いか、という程度だったのだが、もう比べるまでもなくミルシェの背の方が高かった。

 ついでに言えば、気のせいでは誤魔化せない程度には胸が膨らみ始めている。


 ……私はまだぺったんこだけどね!


 なんだか周囲の様子がおかしい。

 これは判る。


 レオナルドの髪は長いし、当たり前の顔をしてランヴァルドが館に滞在していた。

 王都から連れ帰ったのはカリーサだったはずなのだが、館で女中メイドとして私の世話をしてくれているのはサリーサの方である。

 マンデーズ館から女中を一度に二人も借りてくることはないと思うので、カリーサはマンデーズに帰ってしまったのだろうか。


 ……なんか変だなぁ?


 何かが致命的におかしい。

 それは判るのだが、決定的な情報が欠けている気がした。


「そもそも、どうしてわたしは寝込んでいるんですか?」


「ティナお嬢様は、長旅の後はいつも熱を出して寝込んでいらっしゃいましたよ」


 まだ微熱が残るながらも少し体を起こしていられるまでに回復し、寝間着から楽な部屋着に着替えて定位置を長椅子へと移す。

 あまりベッドで寝てばかりというのも、落ち着かないのだ。


「長旅をした覚えはないですよ。王都から帰ってきた時も、ちょっと熱が出たかな、ってぐらいでしたし。……あれ?」


 長旅をした覚えはない。

 そう答えたのだが、すぐにこれは違う気がしてきた。

 確信はないのだが、つい最近まで旅をしていた気がする。


「……変ですね? たしかに旅をしてきたばかりな気がしてきました」


 覚えはないはずなのに、そんな気がした。

 これは本格的におかしいぞ、と首を捻っていると、私の着替えが終わった、とサリーサは衝立を片付ける。

 とにかく病的なまでのブラコンを発症中の私は、少しでもレオナルドから離れたくないらしい。

 さすがにこの執着は自分でも異常だと思うのだが、私の保護者たちは普通だ。

 以前まえにも同じようなことがあったから、とあまり深刻には受け止められていない。


「もう少しティナお嬢様の体調が戻られましたら、レオナルド様が説明してくださるはずですよ」


「そうですね。なんだか調子が悪いな、って自覚はありますから、もう少しおとなしくしています」


 髪を整えてくれたサリーサに礼を言って、仕事の書類を読むレオナルドがいる長椅子へ移動する。

 私が仕事の書類を覗き込むわけにもいかないし、手伝うこともできないので、本当に隣へと座るだけだ。


 レオナルドの邪魔にならないよう息も潜めて座っていると、私のおやつの時間にレオナルドは書類から顔をあげる。

 知らないうちに食が細くなっていたらしい私に、一度の食事の量は増やせないから、と頻繁におやつを食べさせることで量を取らせる作戦らしい。

 知らないうちに大きくなっているミルシェに焦って一回無理に食事の量を増やしたところ、見事にベッドの上で吐いてしまった。

 それ以来、私の食事の量はサリーサにしっかりと管理されている。







「……あれ?」


 口に含んだココアに違和感を覚え、首を傾げる。

 同じ物をレオナルドも飲んでいるが、こちらは特に反応していない。

 ということは、このココアはこの味で正常なのだろう。


「どうした、ティナ?」


「なんていうか……、サリーサのココアの味じゃないような……?」


 なんと言ったらいいのだろうか。

 思ったままを口にすることが憚られて、言葉に困る。

 当たり障りのない言い方をするのなら、『サリーサの味ではない』だ。

 思ったままを口にするのなら、『安っぽい味がする』になる。

 コクが無いというのか、味が薄いというのか、なんとも微妙な味がした。


「今日はティナお嬢様が持ち帰られた『インスタントココア』を淹れてみました。レオナルド様から、ティナお嬢様が気に入っていたようだとお聞きしたのですが……」


「インスタント、ですか?」


 サリーサの口から出てきた『インスタント』という単語に驚かされる。

 前世では普通に聞いた言葉なのだが、サリーサの口から出てくることには違和感があった。

 しかも、レオナルドから私のお気に入りだと聞いたらしいのだ。

 レオナルドも普通に『インスタント』という言葉を知っていたということになる。


「とりあえず、わたしが持ち帰った、という覚えはないのですが……?」


 あれ? とここしばらくで何度目かの違和感に突き当たる。

 とにかく、覚えのないことが多すぎた。


「ティナお嬢様がこちらの鞄に詰めて持ち帰られたのですが……」


「見覚えのない鞄ですね」


 サリーサが私に見せるために持ってきたのは、見覚えの無い鞄だ。

 私好みの飾り気の少ない鞄で、色も落ち着いている。

 私の記憶にないのだから、この鞄を用意したのはレオナルドのはずだ。

 レオナルドにしては珍しい趣向だとは思うが、布の質や作りはしっかりしていた。

 いつもと違うところは、デザインがおとなしめだということぐらいだろう。


「……ホントにインスタントですね」


 記憶に無い鞄ながら、私の鞄だということで遠慮なく中を覗き込んでみる。

 鞄の中にはインスタントココアの瓶が二つと、インスタントコーヒーの瓶が一つ入っていた。


「ココアだけじゃなくて、珈琲イホークも……?」


 こんなものを手に入れた覚えはないぞ、と疑問に思いながらも、鞄からココアと珈琲の瓶を取り出す。

 中が空になったことを確認して、今度は側面についたポケットを確認した。


「……蓋?」


 鞄の側面に作られたそれほど厚みのないポケットの中に、インスタントココアの瓶と同じ蓋が入っている。

 なぜ蓋なんてポケットに入れたのか、と疑問に思いつつも蓋をポケットから取り出すと、私の口からは奇妙な声が出た。


「ふへっ!?」


 スルッとなんの抵抗もなく薄いポケットから出てきたのは、先に取り出したインスタントココアの瓶と同じ瓶だ。

 こげ茶色の粉がいっぱいに詰まった、円柱状の瓶である。


「なんで? 無理でしょ、なにこの鞄。なんですか? このポケットに瓶を入れるとか、絶対に無理っ!」


 あまりの衝撃に、つい淑女教育も忘れて大きな声を出してしまう。

 目の前で起こったことが本当のことか、といまいち自分の目が信じられなくなり、レオナルドの手へとポケットから取り出した瓶を載せた。


「……ああ、ティナだと出てくるんだな」


「へっ!? ってことは、レオナルドお兄様はこの鞄が変だって知ってたんですか?」


「知っていたというか、そのポケットに精霊がせっせと瓶を詰めているのを見た」


 俺が取り出そうとした時は何も入っていなかったんだけどな? と瓶ではなく鞄を求められたと解ったので、レオナルドの手に改めて鞄を載せる。

 流れるような動作でレオナルドがたった今異常な収納力を見せたポケットを覗き込んだので、つられて私も覗き込んだ。


「……あれ? また蓋が入ってる」


「そうだな。精霊が詰めていたのは、一瓶なんてものじゃなかったからな」


 まだまだ入っているだろうとレオナルドが言うので、試しにもう一度蓋を取り出してみる。

 私としては蓋を取り出しただけなのだが、ポケットから出てくるのは中身がいっぱい詰まった瓶だ。


 いったい全部で何個の瓶が入っているのか、とポケットに蓋が現れなくなるまで中身を取り出してみる。

 最終的に出てきた瓶の数は、ココアの瓶が七個と、珈琲の瓶が三個だ。

 どう考えても容積的に鞄に入る量ではなかったし、重さもおかしい。

 空の鞄は布の重さぐらいしかなかったのだが、今まで入っていたはずの全部で十個になる瓶の重さはどこに行っていたのだろうか。


 ……あれ? レオナルドさん、さっき「精霊が詰めてた」って言った?


 不可思議な存在である精霊が詰めたのなら、こういうこともあるかもしれない。

 そう思えなくもないのだが、精霊の仕業だとすると、今度は違う疑問も湧いてくる。


「レオナルドお兄様は、精霊に会ったんですか?」


「精霊に会ったというか……そもそも、その鞄を作ったのが精霊だな」


 詳しい話は私がもう少し元気になったら話してくれるつもりらしい。

 その頃にはアルフレッド王子もメール城砦から戻ってくるはずだ、と続いた言葉に、本当に何度目になるかもわからないのだが首を傾げる。


 ……王都にいるはずのアルフレッド様が、なんでグルノールの街に『戻って』くるの?


 疑問には思うのだが、レオナルドがそのうち話すというのだ。

 今は無理に聞き出そうなどとはせず、体調を整えるのが先だろう。


 ……それにしても、レオナルドさんはどこで精霊の鞄なんて貰ってきたんだろうね?

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