レオナルド視点 帰還

「へっぷしっ!」


 横から聞こえた奇妙なくしゃみに、視線をティナへと落とす。

 クエビアの船から荷馬車が下ろされる作業を見守っていたのだが、港の風はティナには冷たかったようだ。

 鼻をすするティナのコートの襟元を直してやると、コートの内側に触れる指が妙に温かい。


 ……そういえば、秋用の少し薄いコートだったはずだが……?


 今は冬も中頃に近い。

 秋用のコートで冬の冷気は防ぎきれないだろう、と気がついたコートの内側は、モフモフと毛皮に覆われていた。

 どうやら精霊の作ったティナのコートは、秋から冬にかけて内側に毛皮が生えてくるようだ。

 船室にいる間は薪ストーブで部屋が暖かかったため、今頃になって毛皮が現れたのだろう。

 今の今まで、コートの変化に気がつかなかった。


 ……春になったら、抜け替わるんだろうか。


 そんなことを考えているうちに作業は終わった。

 ここまで乗せてきてくれた船長に礼を言い、船旅の安全を祈って別れる。

 すでに国境を越えているため、ティオールの街からは陸路でも比較的安全に旅ができるのだが、陸路それでは神王祭までにグルノールへと戻ることはできない。

 アバックの引く船で川を遡る方が早く確実に、神王祭までにグルノールへと帰還できるはずだ。


 ……クエビアの船なら、アバックに引かせなくても川が遡れそうな気がするな。


 きっと海路と同じようにいい風が吹いてぐんぐんと川を遡れるのだろう。

 そうは思うのだが、さすがにクエビアの船で内陸までは進まない方がいいのは判る。

 神王領クエビアは侵略行為などしない国だと信用されているが、それでも事前の打ち合わせもなしに船を寄せられるのは港までだろう。

 内陸まで小船を出せば、神王領クエビアとイヴィジア王国の間に要らぬ摩擦が生まれる。

 レミヒオとしては俺たちを送ってくれるためだけに小船を出したのに、侵略行為の前準備ではないのかと疑われることになるのだ。

 お互いのために、越えてはいけない一線は確かにある。


「レオ、ここがティオールの街ですか?」


「そうだぞ。あとは川を遡れば、あっという間にグルノールの街だ」


 荷馬車ごとグルノールへと運んでくれる船探しは、慣れているコーディに任せた。

 これ以上ティナを寒風にさらさないように、と荷馬車を守りつつ待機しているのだが、ティナは珍しくも荷馬車の外に興味津々といった様子だ。

 ズーガリー帝国の国境近くでのように、下手な人間に目をつけられたくない、とティナには荷馬車から顔を出してほしくないのだが、何度荷馬車の中へと押し込んでもティナはまた顔を出してくる。


「せっかくティオールの街に来たんですから、お買い物に行きましょう!」


「……お買い物?」


 ティナが買い物に行きたがる、というのは珍しい。

 というよりも、初めてに近い気がする。

 これまでにも少し大きな街へ寄ることはあったが、ティナが買い物に行きたいだなんて言い出したことはなかったはずだ。

 以前のティナでも、滅多に言い出さないことだった。


「何か目当てがあって言っているのか?」


 そんなはずはないだろう、と思いながらも聞いてみる。

 ティオールの街はティナにとって初めて立ち寄った街だ。

 目当てなどあるはずもないし、そもそもどんな店があるのかだって、見当もつかないはずだった。


 ……うん? ティオールの街で、ティナの記憶にありそうな情報?


 わずかに引っ掛かるものを感じ、少し本腰を入れて記憶を探る。

 ティナが興味を持ち、記憶に留めていそうなティオールの情報とは、と答えに辿りつく前にティナが口を開いた。


「ティオールの街には三羽烏亭の本店があるって、誰かが言っていましたよ。お刺身食べたいです」


「なるほど、食い気か」


 ティナはいつもどおりのティナだった。

 荷馬車の中に入っていなさい、と頭を押し込むと、開き直ったティナの抵抗を受ける。

 ティナに出せる全力と判る力で「おーさーしーみー」と頭をぐいぐいと押し付けてくるので、手を引いて勢い余ったティナが倒れこんでくるのを抱きとめた。

 押して駄目なら引いてみろ、という意味の言葉ならどこにだって存在する。


「ティナ、忘れているようだが、三羽烏亭には髭の白いお爺さんが常連として名を連ねている」


 エセルバートと出くわしても知らないぞ、と言外に含めてみると、ティナも意味がわかったようだ。

 青い目を瞬かせた後、くるりと手のひらを返した。

 寄り道はいけませんね、早く帰りましょう、と。







 アバックに引かれる船足は速い。

 速いというか、今年の冬は少し暖かいようだ。

 例年であれば所々で凍り始めた川の氷を砕いて進んでいるらしいのだが、今年はまだどこも凍っていないらしい。

 一度も船が止められることなく、アバックに引かれた船は進んだ。


 そして、アバックに引かせた船は、そろそろ終わる季節だった。

 この季節は神王祭に向けての荷物が多いが、これが終われば船頭たちも神王祭で仕事を休むことになる。

 アバックに引かれた船がティオールからグルノールの間を往復するのは、次の春までお預けだ。

 氷を砕けば川を遡れないこともないが、そこまでする商人は少ない。


 ……この二年で桟橋は元に戻ったが、ティナに見せて大丈夫なんだろうか。


 火事で焼け落ちた桟橋や倉庫の惨状を思いだし、そこから攫われたティナを思う。

 何かしらの心の傷になっているのではないかと心配したのだが、ラガレットの街を夕方近くに通り過ぎた船は、グルノールの桟橋へと深夜をすぎた朝方近い時間に到着した。

 そのおかげで、周囲は闇に包まれていたし、ティナ自身は夢の中だ。


 ティナが眠っているのをこれ幸いと、そのままグルノールの街へと向かう。

 城門が開かれる時間には早すぎたが、こちらには俺がいたので騎士が使う門を通ることができた。

 こちらの門は緊急の伝令が来たりすることもあるので、決められた時間しか開かないということもない。


「わ……ホントにティナちゃんだ」


 俺の帰還を他の騎士へも伝えようと元気よく挨拶をしかけた門番を押し止め、荷馬車の中のティナを見せる。

 スヤスヤと眠るティナの姿に、大声は禁止だとこちらの意図が通じたようだ。

 しっかりと潜められた声で、あちらこちらへと伝令が飛び始めた。


 問題なく城門を抜け、ティナを起こさないようゆっくりと荷馬車を進ませる。

 一年も留守にしているグルノール砦へ顔を出さなければ、とは思うのだが、ティナを館のベッドへと運ぶ方が先だ。

 荷馬車の中で毛布に包まって眠るよりも、薪ストーブで暖められた室内で、これまた温かいベッドの中で眠る方がいい。


 城主の館につくと、すでに門は開かれていた。

 城門から伝令が走っていたので、今頃はバルトたちも起き始めていることだろう。

 館から出てきた門番が持ち場に戻るついで、と少し背伸びをして荷馬車を覗き込む。

 そんなことをしても、角度的に毛布に包まって横になっているティナは見えないだろう。


「お帰りなさいませ、レオナルド様」


「長く留守にした。変わりはないか?」


「すべてレオナルド様のご指示通りに動いております。ヴァルド様が本当によく働いてくださり、足りない部分はアルフ様が支えておられました」


 荷馬車を玄関横へつけると、バルトが迎えに現れた。

 出かける前は不安もあったが、留守の間の様子をバルトから聞く限り、ランヴァルドは上手く働いてくれていたようだ。

 それで、と一通り必要な報告が終わると言葉を区切り、バルトがそわそわと背後を気にする。

 正確には、荷馬車の中身が気になっているのだ。


 珍しくも落ち着きのない姿を見せたバルトに苦笑し、荷馬車へと入って眠りこけているティナを抱き上げる。

 俺が一人で馬車から降りたり、コーディが「肩が出ているので」と毛布を直してやろうと近づいたりするだけでも飛び起きるティナなのだが、俺が抱き上げるぶんにはなんの反応もない。

 スヤスヤと寝息を立てたまま、俺に抱き運ばれていた。

 そして、眠りこけるティナの顔を見て、バルトの目にうっすらと涙が浮かぶ。

 ようやく帰宅したティナに、バルトも安心したのだろう。


「……早くベッドで休ませてやりたいんだが、部屋は使えるか?」


「いつでも使えるよう整えてございます」


 目頭に滲んだものを誤魔化すように、バルトが勢いよく体の向きを変える。

 と、丁度身支度が整ったらしいサリーサが玄関へとやって来た。


「お帰りなさいませ、レオナルド様」


「ああ、今戻った。丁度いい。ティナを部屋で――」


 ティナを部屋で寝かせるように、とサリーサへとティナを渡そうとしたのだが、俺から離される気配をティナは敏感に察知したようだ。

 寝ぼけ眼と判る眠たげな目で周囲を見渡し、自分へと手を伸ばしているサリーサに気がつき、自分を差し出している俺へと視線を向ける。

 しばし俺とサリーサの顔を見比べた後、ティナは俺の首へと腕を伸ばしてきた。

 どうやらサリーサに抱き運ばれるのも嫌らしい。


 ……一応、カリーサとサリーサは見分けているんだな。


 サリーサを見たティナがどういう反応をするだろうか。

 少しだけ心配もあったのだが、杞憂で終わったようだ。

 ティナはカリーサとサリーサを混同しない。

 それ自体は喜ばしいことなのだが、別の心配も出てくる。

 ティナがカリーサの不在を知った時に、どんな反応をするのだろうか、と。


「ティナは人見知りを再発中だ。俺が運ぶから、先導してくれ」


「かしこまりました」


「バルトはコーディを客間へ案内してくれ。ここまでの旅路で、コーディも相当疲れが溜まっているだろう」


「心得ております」


 ティナの部屋の扉をサリーサが押さえ、ティナをベッドへと運ぶ。

 相変わらず巨大な熊のぬいぐるみが占拠するベッドなのだが、ティナ一人が寝るにはまだまだ余裕があった。

 熊のぬいぐるみの腹を背もたれにしてティナを寝かせてやると、俺の手が離れる気配にティナの目が開く。

 何ごとかと周囲を確認する気配がしたので、ベッドの端に座ってティナの足を持ち上げた。


「ティナ、ベッドで寝る時は靴を脱がないとな」


「んー、ん?」


 半分以上寝ているとわかる、曖昧な返事だ。

 それでも緩慢な動作で腕が伸ばされ、靴を脱ごうとする意思が見られたのだが、パタリと腕がベッドに落ちる。

 半分以上眠っていたティナは、やはり眠ってしまったらしい。

 まあいいか、とティナの靴を脱がしてやると、サリーサがティナのコートを脱がせる。

 俺が一緒にいるせいか、ティナは他人サリーサが自分に触っているというのに目を覚ます様子がなかった。


 コートと帽子を持ってサリーサがティナの毛布をかけ直す。

 これでひとまずは風邪を引く心配をしなくてもいいだろう。

 そう思って腰を上げたら、ティナが目を開いた。


「レオ、どこいくの?」


「……戻ったばかりだからな。砦へ報告に行ってくる。ティナは安心して寝ていていいぞ」


 おやすみ、と頭を撫でてベッドから離れると、ティナはベッドから降りてしまう。

 そのまま危うい足取りで俺の元まで来ると、俺の腰へとしがみついてきた。


「レオといっしょ、いく」


「ティナは眠いだろ? 寝ていていいんだぞ」


「ねむくないですよ」


 寝言に近い丸みをおびた声で「眠くない」と繰り返されても説得力がない。

 俺の腰にしがみついたままコクリコクリと揺れるティナの頭が証拠だ。


 結局、何度ベッドへ戻しても俺の後について起き出してきてしまうティナに負けた。

 砦への報告は後日行うと門番へ言伝を頼み、ティナと一緒にティナのベッドで横になる。

 こうなってくると、ベッドを占拠する巨大な熊のぬいぐるみが少々邪魔だ。

 少しずつとはいえ、ティナも成長していた。

 以前は俺が寝てもまだ少し余裕があったのだが、ティナがもう少し成長すれば二人では眠れないだろう。


 ……いや、ティナが成長する頃には落ち着いているだろうし、一緒に寝ることもないはずだけどな。







 ティナに付き合って仮眠を取るつもりが、予定外にしっかり眠ってしまったらしい。

 目が覚めたらティナの青い目がジッと俺を見つめているのと目が合った。

 俺が目覚めたと見るや、ティナはのそのそと移動してきて、俺の耳元へとうずくまる。

 どうやら内緒話があるようだ。


「大変です、レオ。知らないトコにいます」


 近くで人の気配がします、と言っているのは、おそらく天蓋の外にいるであろうサリーサのことだろう。

 女中メイドとして控えているだけなのだが、ティナには不審者の気配に感じられたようだ。

 寝る前に一度会っているはずなのだが、やはり寝ぼけていたのだろう。


「知らないとこじゃないぞ、ティナの部屋だ。ほら、ジンベーもいるだろう?」


 見てみろ、と促すと、ティナは顔をあげる。

 そこにはティナが『ジンベー』と名付けた巨大な熊のぬいぐるみの顔があった。

 ジンベーはティナが館に来てすぐに買ったぬいぐるみなので、自分のことを九歳と思いこんでいるティナの記憶にも残っているだろう。

 ジンベーを買ったのは、ティナが九歳の時だ。


 あれー? と間の抜けた声を出したティナに、天蓋の外へも俺たちの起床が伝わったのだろう。

 天蓋を開いてサリーサとミルシェが顔を出した。


「おはようございます、レオナルド様。ティナお嬢様……?」


 サリーサの挨拶が途中からおかしくなったのは、ティナが俺の背中へと隠れたせいだ。

 昨夜は完全に寝ぼけていたらしいと判明したティナは、サリーサとミルシェに対してしっかりと人見知りを発揮した。


「ティナ、隠れる必要はないだろう。サリーサとミルシェだ」


「……サリーサは知っていますよ。カリーサの妹です。でもミルシェって? ミルシェちゃんと同じ名前ですね」


「ティナの言う『ミルシェちゃん』と、このミルシェは同じ『ミルシェ』だぞ」


「違いますよ、ミルシェちゃんはこんなに大きくありません」


 ミルシェはこのぐらいの身長である、とティナが示したのは、出会ったばかりの頃の身長だ。

 二年前のミルシェよりも小さい。

 そして今のミルシェは、ティナよりも背が高かった。

 二年前の時点ですでにミルシェの背の方が高かったのだが、この二年まるで成長した様子のないティナは、成長期に入ったミルシェに身長を完全に追い抜かされている。

 自分のことを九歳だと思いこんでいるティナに、今のミルシェとティナの知っているミルシェが同一人物に思えないのは仕方がないことなのかもしれなかった。


 ……それにしても、ミルシェは大人だな。


 ティナの言動に一瞬だけ傷ついた様子を見せたのだが、すぐにティナの様子がおかしいと察してくれたようだ。

 ミルシェは居住まいを正すと、ティナに対して初対面のような挨拶をした。

 自分は新しく館で雇われた女中見習いである、と。


「ミルシェにはコクまろの世話を頼んである。ミルシェ、コクまろの様子はどうだ?」


「まだ足を引きずることがありますが、近頃は庭を走り回ることもできるようになってきました」


 今は部屋の前で待っている、とミルシェが言うので黒柴コクまろの入室を許可する。

 黒柴だってティナに早く会いたいだろう。

 ミルシェに扉を開かれると、黒柴がひょこっと右の後ろ足を時折奇妙にあげて駆け寄ってくる。

 ミルシェによると、普通に歩く分には四本足で歩けるのだが、少し急いだり走ったりする時には右の後ろ足を上げることがあるらしい。

 黒柴的には、その姿勢の方が早く動けるようだ。


「コクまろはどうしたの? 足が痛いの?」


「コクまろは……」


 ジャスパーのせいで死に掛けて、一命こそ取り留めたものの、どうやら障害が残ったようだという言葉を寸前で飲み込む。

 カリーサの身に何が起こったのか、ティナが連れ出された方法や経緯については状況証拠から察することができたが、ティナの視点から見た今回の誘拐についてを俺はまだ知らない。

 黒柴についてもどう話してやるべきなのかと考えて、少し言葉をずらして答えた。


「少し体調を崩していたんだ。ミルシェの世話で、ここまで回復した」


「そうなんですか。ありがとう、ミルシェ」


 足元へとやって来た黒柴の頭を撫でつつ、ティナがミルシェへと視線を向ける。

 まだ知らない人を見る目ではあったが、寝起きほど怯えた顔はしていないので、そのうち慣れてくれるだろう。

 ティナから知らない人間を見るような目で見られるミルシェには辛いかもしれないが、それほど長いことでもないはずだ。

 これについてはティナの中の記憶が繋がるか、ティナの中身が戻ってきさえすれば解決する話だった。







 やはりというか、ティナの様子は館に戻っても落ち着かなかった。

 これについては精霊から「中身は別のところに隠れている」と聞いていたのである程度の諦めはつくが、それでもと一縷の望みは持っていたのでいろいろとキツイものがある。

 とはいえ、レミヒオの協力で神王祭には間に合ったのだ。

 まだティナの帰還についてはすべてを試し終わったわけではないので、望みは残っている。


 ……カリーサを探そうとしないのは意外だったな。


 館に帰ってきたティナは、俺から離れないのは変わらないのだが、場所が変わったからとカリーサを探し回ろうとはしなかった。

 とにかく朝から晩まで俺にべったりとくっついていて、着替えや風呂もいつかのように衝立越しに俺のいる場所で行っている。

 この様子では外へも出られないということで、砦の仕事は神王祭が終わるまでは引き続きランヴァルドへと任せることになった。

 俺はというと、館の執務机に向かってランヴァルドから仕事の引継ぎ作業を行ったり、各所へと手紙や報告書を書いたりと、それなりに忙しい。

 その合間に、神王祭の夜にティナが一晩暖炉で過ごせるようにとサリーサに指示も出しておいた。

 冷たい暖炉に一晩閉じ込めて、ティナに風邪を引かせるわけにはいかない。

 火は入れられなくとも、できる限り快適に整えてティナには一晩を過ごさせたいのだ。


 『ミルシェちゃん』と『ミルシェ』が一致しないながらもティナがミルシェに慣れ始めた頃、ようやく神王祭の当日となった。

 ティナを引き取って七年になるはずなのだが、神王祭の夜をティナと過ごすのは初めてだ。

 夕食に並んだ『イツラテルの四つの祝福』を切り分けてやると、ティナは大いに喜ぶ。

 もしかしたら、毎年一人での神王祭の夜は寂しかったのかもしれない。

 一人と言っても、周囲には女中もハルトマン女史もいたはずなのだが、家族あには一緒にいなかった。


 ……普段は俺が砦で祭祀をしているからな。俺が騎士を辞めるか、砦の主じゃなくなるまで、ティナと過ごせる唯一の神王祭なんじゃないか?


 夕食が終わって風呂を済ませると、サリーサが快適に整えた暖炉の中へとティナを座らせる。

 ティナは最初のうちは狭くて楽しい、と喜んでいたが、段々暇だと拗ね始めた。

 たしかに、一晩ただじっと暖炉の中にいるというのも退屈だろう。

 ならば、とセークやリバーシを持ち込んで遊んでやった。

 薪ストーブがあるので、お湯も使いたい放題だ。

 ティナが飲みたがればすぐに洞窟から持ち帰ったココアが用意できたし、黒柴もミルシェもいるので、遊び相手の代えはいる。


 これなら一晩ぐらい過ごせるだろう、と楽しそうにしているティナの様子を見て思ったのだが、深夜に近い時間になって急にティナが暖炉から出たいとぐずり始めた。

 暖炉は嫌だ、冷たい、怖い、と。

 とにかく滅茶苦茶に泣いて嫌がるティナに、やはり何かあるらしいという確信を深める。

 泣いて嫌がるティナには悪い気がしたが、ティナからなんらかの変化が確かに見て取れるのだ。

 怒られようが嫌われようが、ティナのためになるのなら、と心を鬼にしてティナを暖炉へと押し込める。

 我慢できなくなったティナが自力で暖炉から出ようとしたので、背中を蓋にティナを暖炉へと閉じ込めた。

 ドンドンとティナの全力と判る力で背中を叩かれるが、気にしない。

 泣き喚くティナは可哀想だったが、小鬼が命と引き換えに教えてくれたことなのだ。

 絶対に無駄にはしたくない。


 数分も暴れると、ティナは泣き疲れたようで静かになった。

 俺の背中が温かいのは、ティナがしがみついているからだ。


 静かになったティナに安心していられたのは、この数分だけだった。


 背後から再びティナの泣き声が聞こえてきたのだが、今度は何かが違う。

 何かが変わった。

 一本芯が通ったように感じるティナの泣き声に、ティナの帰還を確信する。

 その証拠に、体をずらして暖炉から出られるだけの隙間を開けてやっても、ティナが暖炉から飛び出してくることはなかった。

 ただ隙間ができたことでより鮮明に聞き取れるようになったティナの泣き声は、誰かへの謝罪だ。

 ごめんなさい、ごめんなさいと顔をぐちゃぐちゃにして泣くティナに、両手を伸ばす。

 ティナの小さな体を抱きしめると、ティナの泣き声は一段と大きくなった。


「おかえり、ティナ」


 何に詫びているのかは判らないが、ティナが今度こそ帰ってきたことが解る。

 これはティナだ。

 これまでのような、ぼんやりとしたどこか欠けたティナではない。


 俺の妹がようやく戻ってきたのだ。

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