レオナルド視点 人間と精霊

 少し話を聞かせてほしい、ということで部屋が用意され、今夜は神域に泊まることになった。

 まずは場所を変えよう、と馬を門番に任せてレミヒオの後に付いて行くと、途中で荷馬車に乗ったコーディと合流する。

 やはり霧に包まれたらしいコーディは、国境を抜けたらなぜか神域にいた、という不思議な現象に対し、どこか遠い目をしていた。

 以前アルフレッドがコーディを神王領クエビアへと使いに出していた気がするので、実はこういった不思議にも慣れているのかもしれない。


「レオナルド様、合流できてよかったです……本当に、よかったです……」


 二手に別れて国境を抜けるところまでは打ち合わせどおりだったのだが、国境を抜ける際に神域行きの門を開かれることも、その先で霧に包まれることも、打ち合わせにはなかった。

 霧の先が神域であることは判っていたが、俺たちとはぐれてしまうことになると、コーディは気にしていたようだ。

 神域で俺たちと合流できたことに、コーディは心からと判る安堵の溜息をはいた。


「さて、それでは神王に助けられたというお話についてお聞きしたいのですが」


 案内されたのは、神殿の一室だ。

 極彩色で彩られた石造りの神殿だったので、間違っても神々が神王のために作った神殿ではない。

 普通の人間が建てた、普通の神殿だ。

 一つ普通ではないところがあるとしたら、ここが仮王の住まいとして使われている建物だということぐらいだろう。

 他とは少し様式が違うようだった。


 体が温まるように、と出されたミルクティーを早速口へ運び、ティナが首を傾げる。

 何ごとかと俺もミルクティーを飲んでみたら、中に香辛料が含まれているようだ。

 独特の風味がして違和感があり、少し舌にザラザラと残るものがある。

 ティナはこれに首を傾げているのだろう。

 もしくは、甘くないことが不満なのだ。

 戸惑っていると判るティナの様子を見て、ティアレットと名乗ったレミヒオの侍女が蜂蜜の入った小瓶を持って来てくれた。


「どこから話すべきなのか……帝都で一度、神王に救われたことがあります。神王が言うには、以前ティナに『一度だけ助ける』と約束していたそうなのですが……」


 どういうことなのか、と今のティナに説明を求めて答えが返ってくるかは怪しい。

 それでも、会話の流れが自分に向いたとティナにもわかったのだろう。

 蜂蜜を入れたミルクティーを飲んだティナは、甘くなったことに気をよくしたのか、ほわっと幸せそうな溜息を洩らした後、不思議そうな顔をしてこちらを見上げた。


「……本人ティナがこの調子なので、詳しいことはお答えできません。とにかく、『一度だけ助ける』という約束の下、ティナと一緒に橋から落ちた際に助けられ、私にとってはほんの一時の邂逅でしたが、気がついた時にはひと月近くが過ぎていました」


「ひと月近くも……それは精霊の世界へと匿われていたと考えてよさそうですね。あちらとこちらでは、時間の流れが違いますから」


 ティナが神王に会った、というだけでも驚きだったというのに、ティナはその後何度となく神王に会って言葉を交わしている。

 そして、次はティナの保護者あにである俺までもが神王と邂逅してしまった。

 神話の時代から姿を隠していた神王だというのに、近年はこちらの世界へと姿を現しすぎている。

 ティナが言うように、神王にはこちらへと戻ってくる意思があるのだろう。


「……本当に、神王の帰還が近いのだね」


 神王の帰還は、神王領クエビアにとっては悲願のようなものだ。

 神話の時代から不在の王が、いよいよ帰還の意思を見せ始めている。

 感慨深くもあるだろう。


「神王の帰還といえば、ズーガリー帝国内で『精霊の座』を見つけたのですが」


 カミールには、ティナと二人で匿われたという恩がある。

 そのため、洞窟の場所については伏せたが、『精霊の座』についてはレミヒオへと報告しておく。

 神王の遺骸については、神王領クエビアの領分だ。

 ボビンレースをズーガリー帝国へと広める際に、レミヒオには多大な協力をしてもらっていた。

 アルフレッドあたりには『情報は高く売れ』と怒られそうな気もするが、拾った情報は惜しまずに開示しておく。


「帝国の『精霊の座』はいくつもの粒に切り刻まれて加工されていました。見つけたものは壊してきましたが、あれですべてではないと思います」


 破壊した数と大きさを考えれば、あれで全部ではないはずだ。

 以前ティナから聞いた話とグーモンスで発見されたという『精霊の座』の話とも、大きさがまるで違う。


「おそらくは、どこかに本体が隠してあったと思うのですが……」


 ティナが『精霊の座』だと気付いた瞬間に破壊へと走ったために隠されたのか、見せる程のものではないとカミールの関心にも上らなかったのか、洞窟中を歩き回ったが、本体らしき『精霊の座』の塊は見つからなかった。

 精霊に溢れる洞窟の様子から、どこかにはあったと思うのだが、洞窟内の精霊が本体の場所を教えなかったことを思えば、それも思い過ごしなのかもしれない。

 『精霊の座』本体はあの洞窟ではなく、別の場所に保管されていたという可能性もあり、この場合は洞窟内の精霊に聞いたところで答えられるはずもなかった。


「なんてむごいことを……。神王の遺骸を切り刻むだなんて」


 ズーガリー帝国へは仮王として、正式に抗議を送ることにしたようだ。

 『精霊の座』の場所が判っているのなら、速やかに破壊するか神王国クエビアへと移譲せよ、と。

 神王の遺骸を妙な実験に利用するなんてとんでもない、ともレミヒオは怒る。

 俺から見れば水晶の欠片としか思えず、遺骸と言われてもピンとこないのだが、レミヒオにとっては遠いとはいえ先祖の遺骸だ。

 憤るのも無理はない。







「……そうだ、レミヒオ様なら解るだろうか」


 『精霊の座』についての報告がひとまず終わり、他に報告すべきことはないかと考える。

 記憶を探っている間に思いだしたのが、洞窟を去る際に小鬼から聞いた言葉だ。


 ――ぼくらのおまつりの夜に、ひとの子どもはだんろでいるの。そうするとね……。


 暖炉は出口だから、と続いたのだが、聞こえたのはここまでだ。

 すべてを言い終わる前に、小鬼は白い炎に包まれて消えた。

 他の小鬼が言うことには、あの小鬼は言ってはいけないことを言ったために消滅したらしい。

 小鬼が命と引き換えに教えてくれた情報だ。

 無駄にはしたくない。


「精霊たちの言う『僕らのお祭りの夜』というのがいつのことか、レミヒオ様はご存知ですか?」


「精霊の祭りという言葉を、外の人から聞くのは久しぶりですね……」


 どこで聞いた言葉なのか、と聞かれたので、小鬼のことを話してみる。

 洞窟を去る際に、命と引き換えに教えてくれたのだ、と。


「その精霊は貴方のことが本当に気に入っていたのですね。精霊は人間よりも自由だけど、人間よりも約束事に縛られる存在だから」


 精霊は人間とは違い、肉の体を持たないものが多い。

 そのため壁があろうが、鉄格子に閉じ込められようが、どこへでも行けるし、何ものにも阻まれることがない。

 その代わりのように、形のない言葉のような約束事には縛られる。

 人間は他者との約束を破っても信用を失う程度で終わるが、精霊は違った。

 なんらかの罰として封じられたり、あの小鬼のように消滅したりと、小さな嘘でも命取りとなるのが精霊だ。


 あの小鬼は、それを人間おれへ洩らせば自分が消滅すると知っていて、それでも教えてくれたのだろう。

 仲間の小鬼たちは、何度もあの小鬼を止めようとしていた。


「精霊たちの言う『僕らのお祭りの夜』というのは、人の言うところの神王生誕祭のことですよ。人も精霊も同じです。神王の誕生を喜び、神王祭の夜に集まって宴を開きます」


 神王祭の夜に獣の仮装をするのは、このためだ。

 祭りに集まって来た精霊に攫われないように、人間より精霊に近い獣の仮装をして、自分たちは精霊の仲間である、間違えて攫ってくれるな、と精霊の目を欺く目的がある。

 元は子どもが精霊に攫われないように、というまじないだったはずだが、今は大人も本気の仮装をしていた。


「精霊の祭りの夜が神王祭ということは、暖炉が出口というのは……」


 一度経験しているし、御伽噺としても有名だ。

 神王祭の夜に精霊に攫われた子どもは、灰へとつけた手形を頼りに家の暖炉へ戻ってくる、と。

 ティナは精霊に攫われたわけではないが、ティナの中身が逃げ込んだのは生きているのなら精霊でも手を出せない場所だと聞いている。

 隠れた先が精霊の世界なら、今度も暖炉から帰ってくることもあるのかもしれなかった。


「つまり、神王祭の夜にティナを暖炉へ、ということか。……日数的に厳しい気がするな」


 今はもう秋の終わりで、神王祭は冬の中頃に近い。

 ティナの体調を考慮した旅路では、グルノールの街へ到着する頃には神王祭はすでに終わっているはずだ。

 どこの暖炉でもいいと言うのならともかく、ティナを帰るべき家の暖炉へ入るためには、今年の神王祭を逃せば、来年の神王祭まで待つことになる。

 一応ティナの本体からだを取り戻せたとはいえ、中身も早く取り戻したい。

 ティナはティナだと思うのだが、中身の欠けたティナは少々物足りなくもあるのだ。

 あのちょっと拗ねた顔をして特注靴の洗礼を食らわせてくる、お転婆なティナにも早く会いたい。


「マンハルト港からイヴィジア王国のティオールの街まで送っていこう。クエビアの船は精霊が助けてくれるから、船足が速いんだ。陸路を行くより早くつけるはずだよ」


「ありがとうございます。しかし、そこまで世話になってしまってもいいのでしょうか」


「聖女ティナには神王の使いをしてもらっているようだし、貴方にも一部とはいえ『精霊の座』の破壊に協力をしてもらっている。私にできる範囲でぐらい、お礼はさせてほしい」


 レミヒオにできる範囲のお礼というのが、クエビアの船によるイヴィジア王国への帰路の確保になるようだ。


 これまではただの迷信でしかなかったのだが、精霊を間近く感じ、不思議な体験をした今となっては、これほど心強い後押しはない。

 仮王であるレミヒオのお墨付きでの船旅になるのだ。

 精霊の助けで帆は順調に風を受け、陸と違って木や山といった障害物のない海路は驚くほど順調に、机上の計算よりも早く進む。


 陸路ではグルノールの街へとつく頃には神王祭は終わっているはずだったのだが、海路を使った帰還は神王祭の一週間前には港町ティオールへと到着した。


 あとはアバックに引かせて川を遡るだけでグルノールの街だ。

 俺にとっては一年ぶりの、ティナにとっては二年ぶりの帰還である。

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