レオナルド視点 霧と精霊の道案内

 俺のティナは可愛い。


 少しお転婆で、天邪鬼で、悪戯っ子な性格も含めて可愛いと思うのだが、アルフレッドに言わせればこれは兄の欲目なのだそうだ。

 他人から見たティナは、精霊のような神秘的な雰囲気の美少女で、中身は外見に伴わないヘンテコ娘らしい。

 そういった意味では俺とアルフレッドの意見は合わないのだが、どちらにも共通する意見がある。

 中身の評価は分かれるが、ティナの容姿は可愛らしい、というところだ。


 そして、ティナのこの可愛らしい外見は時として本人に害を運ぶ。


 ……追いかけてくる馬がいる、って気付いた時は、いよいよ追っ手に見つかったかと思ったんだけどな。


 ティナを乗せたコーディの荷馬車がぐるりと五頭の馬とその背に乗った男たちに囲まれ、傭兵としての仕事かと荷馬車から顔を出す。

 男たちは荷馬車から出てきた俺の顔に怯んだようだが、俺にくっついて顔を覗かせたティナの顔に、お互いの顔を見合わせた。

 小さな声で囁きあう内容を盗み聞いたところ、男たちが引き止めたいのはティナのようだ。

 どこでティナの顔を見たのか、男たちの雇い主がティナの顔を見て気に入り、少し話しがしたいと呼んでいるらしい。


 ……それ、絶対『少しお話ししよう』って用件じゃないよな。


 本当に少し話しがしたいだけならば、ティナを見かけた時に堂々と声をかければよかったのだ。

 ティナは人見知りをして俺の背中に隠れただろうが、人を使って攫いに来るよりかは印象がいい。

 街中より目撃者の減る街道へ出てから人を使って声をかけてくるあたり、解っていてやっているのだろう。

 これは見目のよい子どもを狙った犯行だ。


 残念ながら丁重にお帰り願ったところ、実力行使に訴えてきたので、こちらも実力行使で返答しておいた。

 相手が武器を抜いた時点で、生かして返すという選択肢は消えている。

 あちらが殺す気でくるのだから、こちらが生かしたまま帰してやる必要もないだろう。


 あっと言う間もなく物を言わなくなった男たちに、馬は使い道があるのでいただいておく。

 問題は男たちの死体の処理と、これがどう旅に影響するか、だ。


「どう思う?」


「ズーガリー帝国でこういった無法を仕掛けてくるのは貴族か富豪です。となると……」


「金に任せて国境へも手を回されている可能性がある、か」


 兵士へと賄賂を渡せば国境での順番待ちが優遇され、荷の確認も意図的に手を抜いてくれるのがズーガリー帝国だ。

 国境の兵士へと金を渡せば、見目のよい子どもを保護者から引き離してそのまま買い手のところまで運ぶぐらいは、可能性として否定できない。

 馬鹿正直にティナを連れて国境の砦へと行くのは、少しどころではなく危険だ。

 ティナ自身は荷物に隠して国境を越える予定だったが、この分では荷馬車の特徴が伝わっている可能性も考えた方がいいだろう。


「……まあ、馬が丁度手に入ってよかった、とでも思っておくか」


 一頭いれば俺とティナが乗るには間に合うので、残りの四頭は処分する必要がある。

 一番近い村で馬四頭を土産に街道の死体の処理を頼み、国境の手前でコーディと二手に別れた。

 コーディは普通に旅の商人として国境を守る砦を抜け、俺とティナは馬で密かに国境越える算段だ。







「……霧が出てきたな」


 人目ひとめを避けて山道を進んでいるというのに、不意に霧が立ち込める。

 霧が出てくるような気温でも天気でもなかったと思うのだが、本当に急だ。

 太陽の光が霧に遮られたかと思うと、周囲が一段と暗くなる。

 足元や障害物となる立ち木まで見えなくなってしまい、一度馬を止めようと合図を送ったのだが、馬の足は止まらなかった。


 ……うん?


 人間おれに周囲の様子が見えないのだから、馬も当然見えないはずだ。

 木にぶつかるぐらいならいいが、知らないうちに崖の際を歩き、足を踏み外してしまったなんてことになれば、笑い話にもならない。

 次に崖から落ちたとしても、神王が助けに来てくれるわけではないのだ。


 ……神王は来ないが、精霊は来たな。


 いったい何時からそこにいたのか、馬の頭の上に弓と矢筒を背負った精霊が座っていた。

 精霊は馬のピンと立った耳を掴んでいて、時折指示を出している。

 馬はこのほんの数歩先すら見えない霧の中を、精霊の指示で進んでいるようだった。


 ……そういえば、ワイヤック谷の周辺もいつも霧が出ていたような?


 あれも精霊の仕業だったのだろうか、と考えると妙に納得がいく。

 あの霧は『薬術の神セドヴァラの薬草園』との異名をもつワイヤック谷を守るように発生していた。

 許可のない者や谷そのもの、谷に住む者への害意を持った者が立ち入れないよう拒む、不思議な霧だ。


「ティナ?」


 不安そうな顔をして周囲を見渡していたはずのティナが、急に俺の胸へと体重を預けてくる。

 何事かと顔を覗きこめば、ティナはスヤスヤと安らかな寝息を立てて眠っていた。

 抱え込む形で俺の前に座らせていたおかげで落馬することはなかったが、馬上で眠るのは非常に危ない。

 事前に眠たそうな動作をしていれば、こちらもすぐに判断できたが、今回は突然だったので驚いた。


「ティナ、寝るなら寝るって、先に一言いってくれ。危ないだろう」


 胸の中へと倒れこんできたティナの体を抱き直し、丸みの戻ってきた頬を指で突く。

 こうするとティナは煩げに一瞬だけ起きて指へと噛み付いてくるのだが、今日はそれがなかった。


 ……何か変だな?


 変だとは思うが、寝ている以外の異変はない。

 胸は規則正しく上下しているし、額に手を当てて熱も測ってみたが平熱だった。


「おまえには方角が判るのか?」


 洞窟を出て以来姿を見せなかった精霊に、なぜ突然現れたのかと説明を求めたい気もしたが、やめておく。

 精霊に質問をしたところで、どうせ曖昧な答えしか帰ってこないのだ。

 不思議は不思議として受け止めてしまった方が早い。


 ……洞窟にいた精霊とは、少し雰囲気が違うな。


 俺の呼びかけに一度だけ精霊は振り返り、また前を向く。

 今回の精霊は、あまりおしゃべりな性質たちではないようだ。


 ……ま、この視界じゃ精霊にでも任せるしかないか。


 馬は言うことを聞かないし、精霊はどこかへと向かっているようだし、ととりあえずの道案内を任せてみる。

 下手な道を選ぶわけにはいかないが、視界は霧で塞がれているのだ。

 行く先があるらしい精霊の先導に任せるほかはない。


 ……他にもいるのか?


 道案内らしき精霊の他にも、霧の中には精霊がいるのだろうか。

 そう思って耳を澄ませてみると、時折小さな話し声や視線を感じることができた。

 どうやらこの霧の中には精霊が潜んでいるらしい。

 この分では、今ならワイヤック谷の霧に包まれても精霊を見ることができそうだ。


 ……鐘の音、か?


 耳の奥で荘厳な鐘の音を拾い取る。

 いったいどこから響いてきた鐘の音かと首を巡らせると、霧に包まれた視界が一瞬で晴れた。


 密かに国境を越えるため、鬱蒼とした木々に包まれた山道を登っていたはずなのだが、山も森もない。

 目の前に現れたのは白い石畳で整えられた道と、秋も終わりという季節なのに咲き誇る花々。

 それから、陽の光を受けて白銀に輝く神殿だ。


「さすがにこんな神殿ものが国境近くにあるわけがない、ってぐらいは判るぞ」


 いったい俺たちをどこへ連れて来たのか、と馬の頭に乗る精霊に聞いてみたのだが、先ほどと同じだ。

 チラリとこちらを振り返りはするのだが、答えらしい答えは返ってこなかった。

 では、そろそろ言うことを聞くかと馬に合図を送ってみるのだが、こちらも霧の中と変わらない。

 精霊の指示は聞くのだが、人間おれの指示はさっぱりだ。


 どこまで連れて行く気なのかと、先導は精霊に任せて周囲を観察する。

 おそらくは湖だと思うのだが、神殿の周囲は一面の水だ。

 湖の上に神殿がある。

 そう考えた方が正しいかもしれない。


 ……神殿がすっぽりおさまるほど大きな湖となると……モンペール湖ぐらいしか思い浮かばないが。


 神王領クエビア最大の湖モンペールは、クエビア国土のほぼ中央に位置する首都レストーンの東にある。

 間違ってもズーガリー帝国の北、神王領クエビアとしては南にある国境近くにはない。


 ……本当に、精霊が関わると移動にかかる時間が滅茶苦茶だな。


 どうせ滅茶苦茶な距離を移動するのなら、ワイヤック谷にでも出してほしい。

 あそこなら不思議な霧が一年中出ているし、イヴィジア王国国内だ。

 国境を越えるためにあれこれと考える必要もなくなる。

 ついでに言えば、ワイヤック谷はレストハム騎士団の管轄だ。

 俺の自由が利く場所でもあった。







「え? ……あれ?」


 馬の歩みに任せていたら、白銀の神殿をぐるりと回って門から外へと抜ける。

 門の側には当然というか門番がいて、中から出てきた馬と俺とを見比べて目を見開いて驚いた。


「怪しい者ではない……と言っても、信じられないか」


 さて、どう説明したものかと考えている間に、人の気配が気になったのかティナが目を覚ます。

 俺の腕の中でキョロキョロと周囲を見回すティナの動きに、門番の驚きも解けたようだ。


「レオ、ここが国境?」


「いや、たぶん違うと思うんだが……」


 背後には立派すぎる白銀の神殿がそびえ立っているため、ここが国境ということはないだろう。

 湖に浮かんだ神殿など、ここが神王領クエビアであれば、一つしかない。

 神王の血を守る王族以外が立ち入ることが許されない、神王領クエビアの神域だ。


 ……なんか、神域って以上にまずそうな場所の気もするけどな。


 神王領クエビアの神域にある白銀の神殿。

 陽の光を浴びて白銀に輝く神殿といえば、神話の中にも出てきたはずだ。


 とりあえず、不法侵入の不審者が馬上から物を言う、というのもいかがなものか。

 まずは非礼を詫びて事情を話そうと馬から降りると、ティナも降りたがったので下ろしてやった。


「不思議な霧に包まれて方角を見失ってしまったのですが、馬の歩みに任せていたらこの場所へ出てしまった。無作法を詫びたいのだが、どなたにお目通り願えばいいだろうか?」


「え? 詫びる? この神殿から出てきた方が詫びる必要など……ああ、はい。待っていてください。すぐにレミヒオ様をお呼びしますので。……あ、あれ? 待たせるのはまずくないか?」


「俺としては仮王であるレミヒオ様を呼びつける方がまずいと思うが……」


 そう指摘してみたのだが、門番の耳には届いていないようだ。

 門番の男は背後にある白銀の神殿への侵入を許すとは、本気で思ってもいなかったのだろう。

 周囲を湖に囲まれた神殿では、むしろ精霊の手引きなしには侵入など不可能に近い。

 俺だってこの神殿に侵入者があったとなれば驚く。

 驚くが、いつまでも門番が混乱していてはらちが明かないので、少し落ち着いてもらいたい。


「どう考えても不審で非があるのはこちらだ。俺から出向くのが筋だろう。すまないが――」


「その神殿から出て来られたのですから、私の方が出向くのが筋というものです」


 お久しぶりです、といつの間にそこへ来ていたのか、音もなく現れたレミヒオが膝をつく。

 突然跪いた仮王に、門番の男も慌ててそれに倣った。


「顔をあげてください、レミヒオ様。俺……私としては、仮王に膝をつかれる覚えなどないのですが」


「神王殿から出て来られたのですから、地上でもっとも神王に近いのは貴方なのでしょう」


「神王殿……これが?」


 背後に聳える白銀の神殿は、神話の時代に神々が神王のために作った神殿だったらしい。

 人間が作る神殿は石造りで極彩色に彩られ、神話では神々が作った自分たちの神殿はすべてが黄金だった。

 白銀で作られた神殿は、神王のためのものだけだ。


「神王殿は神王と『神々の寵児』のみが入ることを許された神殿。仮に王位を預かっているとはいえ、私でも入れない場所です」


 そこから現れたのだから、神王か『神々の寵児』なのだろう、ということらしいのだが、これについては少し心当たりがある。

 俺は神王でも、次代の神王として神々に選ばれた『神々の寵児』でもないが、今もどこかをさまよっているらしい神王本人の遺骸については、触れたことがあるかもしれないのだ。


 ……あれだよな、たぶん。洞窟でティナに言われるままに触ったやつ。


 ティナは中身が抜けていると言っていたが、抜けた中身がどこに行ったかは言わなかった。

 ティナ本人もわかっていなかったようなのだが、あの時抜けたものが俺の身に残っているのだとしたら、それが原因で白銀の神殿に入れたのかもしれない。


 ……そういえば、帝都で暴れた夜は神王が俺の中にいたようだったしな?


 思い返してみれば、心当たりはいくつか出てくる。

 俺は神王ではないが、俺の中に神王の残滓ぐらいは残っているかもしれないようなことが、何度かあった。


 ……もしかして、精霊が見えるのは神王の影響か?


 そういえば、と馬の頭に座る精霊へと視線を向ける。

 俺の視線を受けた精霊は、ぴょんっと馬の頭から飛び降りると、レミヒオの髪へとぶら下がった。

 レミヒオは髪にぶら下がった精霊を手のひらに乗せると、ちゃんと案内ができたんだね、と精霊へと礼を言う。


「その道案内の精霊は、レミヒオ様が寄越してくださったのですね」


「精霊が『貴人が困っている』と言うので向ってもらったのですが……、どうやら精霊が見えているようですね」


 やはり神王の後継者は、とレミヒオが不穏な言葉を紡ぎ終わる前に手を差し出して立ち上がるよう促す。

 俺が神王の後継者だなんてことはない。

 誤解もいいところなので、いつまでも仮王に膝をつかせておくわけにはいかなかった。


「俺に精霊が見えるのは……おそらくですが、神王に助けられた影響かもしれません」


 もしくは、洞窟での生活の影響だろう。

 あの精霊に溢れた洞窟での影響か、見えないだけで実はそこかしこに精霊が潜んでいるのではないかと思うようになった。

 考え方の変化と、精霊を見たという経験が何らかの変化を及ぼしたと考えられなくもない。


「それよりも、俺たちは国境を越えようとしていて、精霊にここまで案内されてきたのですが……」


 国境を越えられたことは喜ばしいが、一つ困ったことが起きていた。

 俺たちは国境近くまでコーディと行動を共にしている。

 もしかしなくとも、コーディを国境付近に置き去りにしてきてしまった。


 このことをレミヒオに伝えると、レミヒオはなんとも言い難そうな苦笑いを浮かべる。

 コーディについては心配いらない、と。

 俺たちの同行者と精霊が認識しているはずなので、さすがに白銀の神殿へは出てこないだろうが、こちらへ案内されてくるはずなのだとか。


「さすがは神秘の国クエビア。精霊の道案内で国境から神域まで霧を抜けただけで辿りつくとは……」


「誰でも、というわけではありませんが、精霊に気にいられたものには時々起こり得る現象です」


 コーディは精霊にあの性格を気に入られているようだ。

 レミヒオが旅の安全を守る護符おまもりを渡したこともあるが、それがなくともコーディ一人ならば精霊の気まぐれな手助けによって安全な旅ができるのかもしれない。


 ……コーディはもしかしなくとも、同乗者おれたちがいない方が安全だな。

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