レオナルド視点 祖父と孫娘
洞窟の外では、まだ検問が行われている。
そう聞いてはいたのだが、あまり意味のない検問だった。
アルバートの馬車も時折検問で止められるのだが、貴族の馬車と判るからか、ほとんど口頭による確認だけで終わっている。
たまに馬車の中を確認する兵士もいるのだが、それだってズーガリー帝国の馬車にはほぼ必ず作られている隠しまでは確認をしなかった。
……いや、隠しまで確認しないのは、ベルトラン殿の顔を見て、って気もするけどな。
検問のたびにティナを宥めて隠しへと入れているのだが、その蓋の上へとベルトランが座り、馬車の中を改めようと顔を覗かせる兵士を睨みつけている。
貴族の馬車とはいえ、ちゃんと改めなければ、とズーガリー帝国には珍しい真面目な兵士たちだったのだが、ベルトランの
小さな声で「異常はないようですね」と確認した兵士に、ベルトランは「声が小さい!」と怒鳴っていた。
その声に飛び上がって驚いた兵士は早々に逃げていったのだが、この声に驚いたのは兵士だけではない。
ティナもだ。
検問を抜けて隠しの蓋を開けると、泣き出しそうな顔をしたティナが俺の首へと腕を伸ばしてきた。
どうやらもなにも、ベルトランの大声が怖かったようだ。
そのあと三日ほどティナはベルトランに近づかなかったので、ベルトランは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
それはそうだろう。
ベルトランから距離を取ったティナは、アルバートの連れていた使用人に懐いた。
これは俺も意外に思う。
俺の姿が見えなくなるほど離れることはないが、ティナは一人で行動をして使用人からお湯を貰うといった行動ができるようになっていた。
……あれは俺のコップだな。
ティナは俺のコップを持って、朝食の準備で湯を沸かしている使用人へと話しかけている。
お湯をください、と言っているのは聞こえたのだが、使用人はコップを見て怪訝そうな顔をした。
何か疑問があるようなのだが、ズーガリー帝国の平民は貴族に逆らわない。
疑問はあっても、ただ言われるままに働くだけだ。
自分たちの主であるアルバートの客人として扱われているティナに対しても、主に接するのと同じように自分たちの疑問は顔の奥へと押し込めた。
「レオ、ココアをあげます」
はいどうぞ、とティナが差し出してきたコップは、使用人がお湯を注いだばかりのものだ。
ティナはココアと言っているのだが、ふわりと広がるのはイホークの香りだった。
「……ティナ、これはインスタントコーヒーか? ココアじゃないぞ」
「あれー? 鞄に間違えていれちゃったかなー?
「そうかー。間違えたのかー。ティナには残念だが、俺はインスタントコーヒーがまた飲めて嬉しいぞー」
清々しい棒読みでインスタントコーヒーを差し出してくるティナに、こちらも白々しい棒読みで応える。
インスタントコーヒーを持ち帰りたければ自分の荷物に入れろ、と怒っていたティナだったが、どうやら俺のために自分の鞄へとインスタントコーヒーを入れてくれたらしい。
……うちの妹は可愛い。少し天邪鬼なところが最高に可愛い。
間違えて荷物に入れちゃったみたいです、と俺のためではないと言い訳をするところがさらに可愛い。
素直でも天邪鬼でも、悪戯っこでも、うちの妹は可愛いのだ。
……なにか咳払いが聞こえるな。
礼を言われて照れているティナを愛でていると、斜め上からわざとらしい咳払いが聞こえる。
ティナと揃って顔をあげると、ベルトランが難しい顔を作って立っていた。
「……ティナ、ベルトラン殿にもココアどーぞ、ってやらなくていいのか?」
判りやすすぎるベルトランの行動に、たまには手助けをしてやろうとティナを誘導する。
ティナは俺に言われてようやくベルトランの要求に気がついたようで、不思議そうな顔をして瞬いた後、ベルトランに向かって首を傾げた。
「ベルトラン様、ココアほしいですか?」
「ああ、いや。別に要求しているわけでは――」
「わかりました。じゃあ、あげません」
ティナはたまに非情だ。
ココアが欲しいわけではない、と言ったベルトランに、ティナはそれをそのまま素直に受け取った。
ティナにとってココアは貴重品だ。
欲しいと言うのならココアを淹れてもいいが、いらないという人間に貴重なココアを淹れてやることなどない、と判断したのだろう。
……今のティナに対しては、素直に振舞うのが一番だな。
これで話は終わった、とばかりにティナはベルトランへと背を向けて駆け出す。
少し離れたところにアルバートがいたのだが、今度はアルバートにココアを飲むかと聞き始めた。
「バートおじいちゃん、ココアいかがですか?」
「お嬢さんの大切なココアだろう。私が飲んでもいいのかい?」
「いいですよ。おいしいものは、みんなで飲みましょう」
会話が聞こえたのか使用人がアルバートのコップを用意し、ティナがそれを受け取る。
開けている瓶が違うので、今度はココアを淹れるのだろう。
……インスタントコーヒーは俺用か。
飲み物自体は誰にでも用意してくれるようなのだが、インスタントコーヒーは俺用としてティナの中で別の扱いになっているようだ。
兄として、少しどころではなく嬉しい。
……まあ、ティナの
素直に『孫娘に飲み物を淹れてもらいたい』と言っておけばよかったものを、妙な虚勢を張ったおかげでせっかくの誘導も台無しだ。
それどころか、アルバートがティナから『バートおじいちゃん』と呼ばれ、手ずからココアを淹れられていた。
ベルトランの自業自得ではあるのだが、見ていていたたまれない。
……今のうちに多少の関係改善を、とは思うんだけどな。
ベルトランに対する負の感情も欠けているらしいティナは、ベルトランと普通に接している。
意地を張って無視したり、一つひとつの言葉に反発したりとはしていない。
今なら素直に祖父として受け入れられると思うのだが、今度は虚勢を張るベルトランのせいでなんとなく上手くいってはくれなかった。
……相性が悪い、ってことはないと思うんだが。
アウグーン領への旅程は順調に進んだ。
途中やはり何度か検問で馬車を止められたが、イヴィジア王国方面から離れるほどに検問は
ティナの遺体が見つからない、と探しているようなのだが、生きていればイヴィジア王国へ逃げると考えているためだろう。
収穫祭は、ほとんど馬車の中で過ごした。
途中立ち寄った大きめの町でベルトランが焼き菓子を買って来たので食べたのだが、今年のティナの収穫祭での思い出はこれぐらいだ。
収穫祭の日に攫われたティナは、収穫祭について何か嫌な思い出になっているのではないかと心配したのだが、特になにも言い出さなかった。
ただ、皿焼きが食べたいとは言っていたので、だいぶ調子が出てきている。
収穫祭が過ぎ、秋が深まる頃になってアウグーン領へと到着する。
領内のどこかの町で降ろしてくれればいい、とアルバートには伝えてあったのだが、紹介状を書くより直接アウグーン城へ連れて行って紹介する方が早い、と笑い流されてしまった。
一応は逃亡者であるため、カルロッタに迷惑がかかってはいけない、とすでに知人であることは伏せてある。
そのためアウグーン城の老紳士とは、なんとも白々しい対面をすることとなった。
「おや? そちらの方は……」
「カルロッタ様に紹介したいと思って連れて来た。取次ぎを頼めるだろうか」
侍従としてアルバートを出迎えながら、老紳士の視線が俺へと注がれる。
アルバートには俺の人となりを確認しているように見えるだろうが、俺としては「どういうことか詳しくご説明願います」と幻聴が聞こえてくる気がした。
「……お嬢様は初めて見るお顔ですね。ようこそ、アウグーン城へ」
腰を屈めて自分へと挨拶してくる老紳士に、ティナは一瞬だけ俺の背中へと隠れたが、すぐにまた顔を出して挨拶を返す。
人見知りをするティナには珍しいな、と思ったのだが、改めて考えるとティナは老人に対してだけ慣れるのが早い気がした。
エセルバートとは俺が知らないうちに出会って愛称で呼んでいたし、もしかしなくともオレリアのことは俺以上に慣れ慕っている。
カミールにも慣れていたし、お気に入りのココアを振舞うぐらいにはアルバートのことも好いていた。
ティナに老人として扱われず、なかなか慣れてもらえないのはベルトランぐらいだ。
「オスカー」
どこから出てきたのか、老紳士の案内で応接間へと続く廊下を歩いている途中に
わずかに足を引きずる感じのある歩き方をしていたが、元気そうだ。
ティナを前にした
「この犬は帝都から骨折をした状態で連れてこられたのですが、今は骨も繋がっています。薬師に診せたところ、そろそろ老犬なのであまり無理をさせるのはよくないだろう、とのお話でした」
「無理をさせたら駄目ですよ、ベルトラン様」
「私が無理をさせたわけではないぞ」
じとっとしたティナの視線から逃れるように、ベルトランの視線が俺へと向けられた。
ティナへの取り成しを求められていることは判ったので知恵を絞ってみたが、これについては擁護のしようがない。
ベルトランの黒犬使いは、荒いとしか俺でも思えなかった。
領地からサロモンを探させて放浪の旅をさせたり、レーベラン領まではベルトランが連れて来たと思いたいがウーレンフート領までは黒犬が単独で行動している。
それでなくともグルノールの街からメイユ村までの移動で、自分の馬へも載せずに犬の体力を無視して併走させていたことが思い返された。
「……老犬以前に、犬としても無理をさせ続けているような気が」
「ベルトラン様、酷いです」
つい思ったことを口から出してしまったら、ティナがベルトランへと非難の目を向ける。
目の前で広がっていく祖父と孫娘の溝に、黒犬だけが困ったように尻尾を垂れた。
応接間へと通されてしばらく待つと、老紳士の先導でカルロッタが姿を現す。
部屋に入ってきたカルロッタはアルバートと簡単に挨拶をすると、俺とベルトランよりも先にティナへと向き直った。
「こんにちは、クリスティーナさん。以前、エドガーの屋敷で会ったことがあるのだけど、覚えてくれているかしら?」
「こんにちは、カルロッタ様。エド……? 可愛い仔犬のぬいぐるみをありがとうございました」
エドガーについては記憶が曖昧だが、カルロッタからぬいぐるみを貰ったことは覚えているらしい。
本当に、ティナの今の記憶は謎だ。
何を覚えていて、何を忘れているのかが、聞いてみるまでわからない。
……それにしても?
ティナの受け答えが、俺たちに対するものと少し違う。
九歳のつもりでいるらしいティナは、俺やベルトランに対しては九歳の子どもらしい受け答えをしているのだが、カルロッタに対しては違った。
まるでハルトマン女史に淑女教育を受け始めた頃のような受け答えをしている。
完璧な淑女とは言えないのだが、それなりに躾けられている子どもの反応だ。
「相手を見て返しているのではないかしら?」
疑問をそのまま言葉にしてみると、カルロッタの考えはこうだった。
ティナは相手を見て反応を変えているのだろう、と。
俺に対しては兄に甘える妹として奔放に、ベルトランに対しても孫娘としての気安さから大雑把に、カルロッタに対しては九歳の淑女らしく振舞っているように見える。
少なくとも、友人の孫娘として接するアルバートへは、今のティナでも猫を被った反応をしていた。
アルフレッドへの態度と似ているので、家族の知人に対しての態度なのだろう。
ティナのための部屋が整えてあるので、好きなだけ滞在していくといい。
カルロッタのこの言葉に、アルバートは俺とカルロッタがすでに知人であったことを知る。
しかし、騙しただとか、謀ったな、とは責められなかった。
いざという場合に、カルロッタにまで累を及ばせないために黙っていたのだ、とアルバートにも判ったのだろう。
「……では、ジンとお嬢さんはカルロッタ様にお任せするとして、おぬしはどうする?」
「私は旅行者として堂々と国境を越えて来たからな。堂々と出て行かねばならん」
ティナを探しにズーガリー帝国へと正面から入り込んできたベルトランは、後ろ暗いことなど何もないと証明するためにも、来た時と同じように堂々と国境を越えていかなければならない。
ひそやかに国境を抜ける必要のある俺たちと行動を共にするわけにもいかないだろう。
渋々といった顔つきで、一度アルバートとレーベラン領へ戻り、そこからイヴィジア王国方面の国境が落ち着くのを待って帰国する算段をつけはじめた。
「そういうわけで、しばしの別れだ。寂しくなるか?」
「ばいばーい」
今すぐ帰るはずはないのだが、ティナはケロッとした笑顔でベルトランに手を振る。
ティナには他意も悪意もないはずなのだが、的確に孫娘と仲良くしたいベルトランの心をえぐっていた。
「クリスティーナさんの滞在用のお部屋は整えてあるのだけど……」
「それなのですが、イヴィジア側の国境へと兵が集まっているのなら、逆にクエビア側の国境が手薄になっている可能性があると思うのですが……」
もし予想通りに神王領クエビア側の国境が手薄になっているのなら、今のうちにそちらからズーガリー帝国を出たい。
アルフレッドがイヴィジア王国側の国境へ兵士を引き付けておくにしても、冬は越せないはずだ。
ズーガリー帝国の食糧事情では冬に戦などできないし、イヴィジア王国だって似たようなものだ。
収穫の秋に兵を国境へと集めること自体、無茶が過ぎる。
「……コーディがいてくれたら、彼の荷馬車で移動できたのですが」
「残念ながら、いるのよ、現在このアウグーン城に」
コーディは俺宛の手紙をアルフレッドから預かり、道中の商売もそこそこに再びズーガリー帝国へと来ていたらしい。
グルノールの街へ帰るまでは安心できないが、一応はティナを取り戻してもいる。
そろそろ元の旅の商人に戻してやりたい気はするのだが、もう少し頼らせてもらうことになりそうだ。
「ああ、やはり故意に引き起こしていたのか」
応接間へと呼ばれてきたコーディから手紙を受け取ると、その場で中身を確認する。
手紙の中身は、今回の国境付近での騒ぎについて簡単に纏められていた。
ズーガリー帝国内では『イヴィジア王国が戦を仕掛けてくるのでは?』と噂になっているが、これはアルフレッドが人を使って流した噂らしい。
イヴィジア王国内で騎士団を動かした理由としては、次期国王となることが決定したアルフレッド王子の権威付けという名の民へのお披露目だ。
騎士団を大規模に動かして国境近くで演習を行い、そのついでにこれまでアルフと入れ替わっていたために表へと出ることが少なかった第三王子の印象を強める狙いがあるのだとか。
イヴィジア王国としては次期国王が騎士団を動かす練習をしているだけなのだが、ズーガリー帝国としては大規模な兵を国境へと集めた挑発行為にしか見えないだろう。
慌てて国境へと兵を集めるのも、仕方がないことだ。
「……手際がよすぎて少し怖いな」
「本来手際が良いのはいいことなのだけど、これに関しては忌々しいこと」
手際がよすぎるおかげでティナとゆっくり過ごせそうにない、とカルロッタが少し拗ねた仕草を見せる。
ティナのために部屋まで整えて待っていてくれたのに、これは少し申し訳ない気もした。
とはいえ、せっかくアルフレッドが国境を手薄にしてくれているのだ。
この機を逃す手はない。
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