カミール視点 いつかの少年

 ジンと名乗る男とその妹が去って、洞窟が少し静かになった気がする。

 二人が来る前と同じ状態に戻っただけなのだが、奇妙にもの寂しい。

 しかし、そのうちこの寂しさにも慣れるだろう。

 これはもとの状態に戻っただけなのだ。

 寂しいと感じる方がおかしい。


 ……そういえば。


 静かになって、思いだしたことがある。

 記憶力には自信があったのだが、不思議とジンがいる間には思いだせなかった。

 年寄りの物忘れとは聞いたことがあるが、自分にもそんな現象が起こるとは、と少し感動もしている。

 物覚えがよすぎるせいか、転生者と呼び区別される元の世界の記憶の他に、この世界へと生まれた何度かの人生の記憶が僕にはあった。

 そんな僕の膨大の記憶の中に、ジンに似た顔が確かに埋まっている。


 ……まあ、レンが言う二十年、ってほど前じゃないんだけどね。


 ジンは二十年ほど前に会っているかと言っていたが、僕が彼に似た顔を見たのはつい最近だ。

 最近といっても、正確には五、六年前のことである。

 月の綺麗な夜に、ジンの年齢を二十歳ほど若返らせたらこんな顔になるだろうか、という少年に会った。

 ジンの話とは一致しないので、聞かれた時は気のせいだと思ったのだが、思いだせば思いだすほどに少年とジンの顔は似ている。


 ……まさか、本人ということはないと思うけど。


 たった五、六年であの時の少年がジンになるとは思えない。

 思えないのだが、ジンは精霊水晶の力を引き出せる男だ。

 精霊に好かれていることに間違いはないだろう。


 精霊に好かれるということは、精霊に攫われる可能性もある。


 ある男が精霊に攫われた結果、故郷の家の屋根へと腕一本だけで帰宅しただとか、エラース大山脈麓の森で行方不明になった男が神王領クエビア近くの森で発見されたという不思議話も存在していた。

 この世界には、精霊という存在が確かに息づいているのだ。

 元の世界での常識や、科学的に証明できない事象も、十分に起こりえる。


 それに、元の世界にも『神隠し』という言葉はあった。

 行方不明になった子どもが数十年後に当時の姿のまま戻ってきただとか、逆に数日行方がわからなかったうちに白髪の老人になっていたという嘘のような話も聞いたことがある。

 元の世界であれは証明しようのない与太話と片付けただろうが、この世界では違う。

 もしかしたら証明できる可能性のある、ありえる話なのだ。


 ……ないな。


 ありえるかもしれない、とこの世界ならではの法則で考えてみるのだが、どうにも僕には納得ができない。

 ありえないことではないはずなのだが、頭が固いのだろうか。

 精霊水晶を使って精霊の力を引き出す研究なんてものに手を出してはいるが、この研究を形にするためにはまず僕自身が精霊に好かれなければ難しいだろう。

 ジンのためには精霊水晶が正常に働いていたが、僕のためにはまったく働いてくれない。

 精霊水晶を誰にでも使えるクリーンな動力にしたいと考えているのだが、この『誰にでも使える』という部分が難しかった。

 精霊に好かれているらしいジンですら、必ず動かせるというわけではなかったこともある。

 精霊水晶を動力として働かせるためには、まだ研究が足りないのだろう。


 ……あの月の夜に、不思議なことに巻き込まれた人間は他にもいたけど。


 ジンに似た少年は見失っている。

 あの夜は他にも何人か見かけたが、意外な場所で遺体になっているのが発見されたり、気が触れた状態で発見されたりとしていた。

 彼らが精霊に攫われたのだとしたら、ジンに似た少年もどこかへと飛ばされたのだろう。

 精霊による『神隠し』は、出てくる場所も、移動する距離も予想することができない。

 さすがに国外へと飛ばされていたら、僕には情報を集めることができなかった。







「えー? 侵入者? 珍しいね」


 部屋に籠って計算式と図面を見比べていたら、見張りの兵士からこんな報告をされた。

 黎明の塔周辺に近づいてくる人間がいる、と。


 黎明の塔へと近づくことは、皇帝によって禁じられている。

 無断で近づけば反逆罪で処刑されることになっているのだが、それを知らないズーガリー帝国の民はいないだろう。

 皇帝陛下の権力は絶大で、もう二百年もズーガリー帝国の民はこの圧力に頭を押さえつけられ続けている。

 ほんの少しでも後押しすれば爆発しそうな不満を抱えた民たちだったが、今日明日中にどうにかなるようなものでもなかった。

 黎明の塔になんらかの秘密がある、と民が探りに来るとしても、今ではないだろう。


 では、いったい誰が黎明の塔へと近づいてきたのか。


 興味があるので、捕まえてみよう。

 そう提案すると、夕食の前には侵入者を捕らえたとの報告が来た。

 洞窟内の設備もそうだが、黎明の塔周辺にもさまざまな仕掛けが施してある。

 皇城よりも余程侵入者に優しくないのが、この黎明の塔だ。

 侵入者も予想外の仕掛けにかかり、呆気なく捕らえられたようだ。


「なんだこれっ!?」


「僕は魚が好きなんだ」


 だから魚のぬいぐるみを敷き詰めた、と落とし穴の先に用意された牢屋に捕まっている男の質問へと答える。

 大きな魚のぬいぐるみを振り回した眼帯の男は、そういうことじゃねェよ! とご立腹な様子だった。


「ええっと……じゃあ、落とし穴に落ちた先で怪我をしないよう、ぬいぐるみを敷き詰めておいたよ?」


「そういうことでもねェっ!!」


 他に何かあっただろうか、と首を傾げると、眼帯の男が正解を教えてくれる。

 どうやら彼は、何もないように見えた雪原で正確に、まるで自分の場所がわかるかのように雪球を投げられたことが気になっていたようだ。

 雪球に誘導された先で落とし穴を踏み抜き、今いる牢屋へと放り込まれている。

 確かに、疑問にも思うだろう。


「外には熱源を感知するセンサーが取り付けてあるんだ。一応、監視カメラも作ることは作ったんだけど、あの吹雪だろう? 映ったとしても吹雪だけだし、すぐに雪に埋まっちゃうんだ。あとは熱源に向かって兵士が雪球を撃って誘導しただけかな」


 これで質問には答えられただろうか、と眼帯の男を見ると、一応は満足してくれたようだ。

 ポカンっと口を開けてはいるが、そうじゃない、と回答が否定されることはなかった。


「……あれ?」


 牢の中の男を観察すると、奇妙な違和感がある。

 お世辞にも身奇麗とはいえない山賊のような格好をしているのだが、彼は山賊ではないだろう。

 立ち居振る舞いが、どこか洗練されていた。

 ならず者や食い詰めた村人がいつの間にかなっていた山賊というよりは、訓練を受けた兵士の動きに見える。

 魚のぬいぐるみを振り回す姿は間抜けなのだが、姿勢に油断というものがない。

 同じような印象を受ける男が、ついこの間まで身近にいた。


「もしかして、ティーチのお迎えかな?」


「誰だよ、それ」


「ジンの妹ちゃんのことだったら、名前はティナだよ、爺さん」


「ああ、そうだった。ティーナだ」


 無駄に人生経験が長いせいか、どうにも人の名前が覚えられない。

 同じ名前の別人だとか、出会った人間が多すぎて、顔は覚えられても、名前までは覚えていられないのだ。

 少し前まで洞窟にいたティナの名前を間違えて、案内の兵士に間をおかずに訂正される。

 おかげで、正しい名前が眼帯の男へと伝わったようだ。

 ティナっこを知っているのか、と食いついてきた。


「どうやらナコのお仲間のようだから、出してあげよう」


「ティナだよ、カミール爺さん。あと、侵入者であることに変わりはないんだけど……」


「でも、あの二人の知り合いなら、悪い子じゃないよ、きっと」


 出してあげよう、と重ねて言うと、案内の兵士は渋々といった様子で牢の鍵を開ける。

 牢から出てきた眼帯の男は、チャックと名乗って礼を言った。


「話の判る爺さんで助かったよ。……んで、ティナっこはどこにいンだ?」


「迎えには、少し遅かったね。あの二人なら外から呼んだ馬車に乗って、少し前に洞窟ここを出て行ったよ」


「げっ。入れ違いかよ」


 仲間と待ち合わせている場所へ向かうと言っていたから、本当に二人の仲間だというのなら判るだろう、と教えておく。

 口先だけで二人の迎えでもなんでもなく、追っ手の誰かであるのなら、これで追いかけることはできない。

 そして、本当に二人の仲間であるのなら、アウグーン領へと向かうはずだ。


「そっか。ジン親分が待ち合わせ場所に向かったってンなら、完全に無駄足でもなかったな。あんがとよ、爺さん」


 ついでにティナの容態について聞かれたので、わかる範囲で答えてやる。

 僕から見れば十一、二歳に見える、少し幼いかなと思える女の子だったが、ジンが言うにはティナは十五歳だったらしい。

 幼すぎる言動については、ティナ本人から答えがもたらされた。

 彼女は自分のことを、九歳ぐらいだと思っていたようだ。

 実年齢とも、見た年齢ともかけ離れている。

 ジャスパーはティナを日本語の読める転生者として攫ってきたはずなのだが、転生者だったら中身は享年に引きずられるはずだ。

 ティナは実年齢より大人びているのが正常な状態だと思うのだが、まるで真逆な様子だった。


「どこか中身が欠けているようだ、というのがジオンの見解だったよ」


「……うちの親分はジンだぞ」


「そうだった、そうだった。それで、ティコを迎えに来たということは、ジャスパーについても知っているかい?」


「ティナっこだって。じーさん人の名前覚えねェな。……うん? ジャスパーは覚えてンのか」


 ジャスパーとどういう関係だ、と聞かれたので、正直に答えておく。

 別に隠す必要などない事柄だ。

 ジャスパーの大切なものを預かっていて、時々預かり賃として便利に働いてくれていた。

 長い付き合いでもあるので情はあるが、それだけの関係だ、と。


「ジャスパーねぇ……。あれも長いことティナっこの面倒を見ちゃいたが、なんにも思わなかったのかねェ」


 あんなに懐かれていたのに、あっさりティナを裏切った、とチャックが吐き捨てる。

 イヴィジア王国にいた頃のジャスパーの話など、初めて聞くものばかりだった。


 ……楽しくやっていたように聞こえるんだけどなぁ?


 チャックの語るジャスパーは、付き合いにくそうではあるが、それなりに楽しくやっていたように聞こえる。

 本当に、ティナという転生者を見つけさえしなければ、それなりに幸せな人生を歩んだのだろう。

 めぐり合わせが悪かったのだ。


「ありゃ何者だったンだ? 皇城の隠し通路を知ってっとか、妙な知識があったみたいなんだが」


「何者も何も、ただの平凡な男だよ。死んだ幼馴染を取り戻そうとして、人生をかけた愛すべき愚か者だ」


「そーゆー馬鹿は嫌いじゃねーけどよ。ただ、方法が最悪だったな」


 自分に懐いていた子どもを誘拐するとか、最悪だろう、とチャックは言う。

 ジンからも少し聞いていたのだが、ジャスパーはティナを連れ出す時に周囲への配慮の一切を捨てていたようだ。


 ……死者はどうにもできないが、失明ぐらいは治せないかな?


 ティナかジンのどちらかがいれば、精霊水晶が予定通りに働くかもしれない。

 ジンに対して使った時は、魔法のミトンこと『癒し手ちゃん3号』が正常に動いていたのだ。


「あの子たちを追いかけるのなら、伝言を頼めるかな」


「伝言? まあ、そのぐらいはいいけどよ……」


 長くなるようなら紙に書いてくれ、と言うチャックのために、ジンの顔について思いだしたことを短く纏めた。


 二十年前は知らないが、五、六年前に二十年前の君と似ているだろう子どもと会ったことがある。

 その子どもは狼に襲われていたらしく、肩から腕がちぎれ落ちそうになっていた。

 あの怪我では狼から逃れることができたとしても、生き延びることができたとは思えない。


「……君は子どもの頃、狼に襲われたことはあるか、とだけ伝えてくれればいいよ」


 もしあったとすれば、僕が会ったあの少年がジンだったのかもしれない。

 そんな馬鹿げたことを、少し考え始めていた。

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