レオナルド視点 カミールとジャスパー 1

 ……そろそろジャン=ジャックと連絡を取りたい気がするが。


 神王に匿われ、いつの間にかひと月以上が過ぎていたらしい。

 カミールに黎明の塔へと繋がる洞窟に匿われてからも、一週間以上が過ぎている。

 ティナは相変わらず様子がおかしいままだが、俺に対してジッと探るような目はしなくなった。

 中身が足りないらしいティナなりに、俺が兄だと納得できたのだろう。

 どこへ行くにも俺の手を引いて、べったりだ。

 この様子なら、強行軍での移動は無理だとしても、俺について移動することに抵抗はないと思われる。


 さらに数日が経ち、カミールへは兵士を捕まえて取り次ぎを頼もうと思ったのだが、すぐにその必要がないことに気がついた。

 洞窟内はどこへ行ってもいいと言われていたし、行きたい場所があれば足元をうろついている小鬼に聞けばいい。

 わざわざ間に人を挟む必要が、俺にはなかった。


 ……精霊の中にも、なにか違いがあるみたいだな。


 正確なことは判らないのだが、どうも洞窟ここにいる精霊は三種類に分けられる。

 隙を見ては俺に名前を要求してくる知恵のあるもの、何か少しでも「ああしたい」「こうしたい」と思っただけで先回りして行動を起こしてくれるもの、あとは単純に他の精霊よりも明らかに巨大なものの三種類だ。

 このうちの巨大なものに関しては、他の精霊よりも上位の存在であると考えて間違いないだろう。

 周囲の小さな精霊たちへと命令を出し、精霊たちはこれによく従っていた。


 名前を要求してくる精霊とそうでない精霊とでは、見て判る差はない。

 うっかり何かを頼みそうになると、必ず先に「名前をくれるか」と確認をとってくれるあたり有難くもある。

 人間のように、断り難いよう故意に見返りを後から要求されると困ってしまいそうなのだが、そういった場合には「それは精霊おまえが勝手にやったこと」と礼を踏み倒すことが精霊相手には可能らしい。

 そう神王から教わっていた。

 神王は、俺が今のように精霊から囲まれることになることを予感していたのだろう。

 そうとでも思わなければ、納得がいかないぐらいに的確すぎる助言だった。


 ……カミールをたまに『カミロ』と呼ぶ精霊がいるのは、なんでだろうな?


 単純に名前が似ているため、精霊たちにとっては人間の名前の違いなどどうでもいいのかもしれない。

 注意深く観察してみると、カミールを『カミロ』と呼ぶ精霊には偏りがあった。

 巨大な精霊は全員が『カミロ』とカミールを呼び、名前を要求してくる精霊は半々ぐらいで『カミロ』、小鬼などの要求する前から動いてくれる精霊はカミールを『カミール』と呼ぶ。


 ……いや、そもそもカミールを名前で判別している、ってこと自体がおかしいか?


 人間にはそれぞれに名前がある。

 それは精霊も理解しているようなのだが、個々の人間を名前で呼び分けるということを精霊はしない。

 俺の名前を欲しがるのだって、名前を欲しがるだけだ。

 俺の名を精霊が呼ぶことはなかった。


 ……確かに、人間とはまるで違う生きものだ。


 神話の時代は、隣人として人間と精霊は普通に交流していたという。

 お互いがここまで感覚の違う生きもの同士で、本当に上手く付き合っていられたのだろうか。

 そんな疑問が湧くが、神話の時代には神王が地上にいた。

 神王は人間と精霊の仲立を使命としていたため、それなりに上手くやっていけていたのだろう。

 神王は精霊との付き合い方を俺へと簡単に説明できる程に、精霊たちの性質を熟知していた。

 神王の身ひとつですべての人間と精霊の諍いを仲裁できるとは思わないが、お互いの考え方をそれぞれへと伝えることが神王にはできていたのだ。

 神王が仲介せずとも、人間と精霊それぞれの間だけで治まる諍いもあったはずだ。


 ……まさか、俺まで神王に会う日が来るとは、思わなかった。


 俺はティナとは違い、精霊の寵児ではない。

 そんな俺に、精霊の世界へと姿を隠した神王とまみえる機会があるなんて、考えたこともなかった。

 しかも、ただ神王の姿を見ただけではなく、神王から直接精霊との付き合い方を教えられてもいる。

 こんな人間は、ティナ以外では神話の時代まで遡らなければ出てこないだろう。


 ……神王と邂逅した人間、というのも、神話以来ではティナだけだったんだけどな。


 ティナとの約束を果たすため、という偶然で、俺まで神王と対面してしまっている。

 このまま神王と邂逅する人間が増えていけば、神話の時代のように神王が地上へ戻る日も近いのかもしれない。







「ここか?」


 ――カミール、このへや


 小鬼の案内で足を踏み入れた部屋は、他の部屋よりも室温が低く感じる。

 感じるという曖昧な感覚よりは、はっきりと肌寒い。

 他の部屋は快適な温度を保っているのだから、この部屋が寒いのはなんらかの仕掛けを使って故意に整えていることなのだろう。


「くちゃい。なにおいする」


 部屋の異臭に気がついて、ティナが俺の手を握っていない方の手で自分の鼻を摘む。

 ティナは「臭い」とだけ言ったが、部屋の中に満ちているのは微かな死臭だ。

 腐敗臭とも言う。


「……ティナは扉のところで待ってるか?」


「嫌です」


 死臭がするということは、ティナを部屋の奥へは入れない方がいいだろう。

 そう思って入り口に残るよう言ったのだが、ティナは腐敗臭よりも俺から離れることを嫌がった。

 鼻を摘んでいた手を離すと、今度は両手で俺の腕へと掴まってくる。

 こうなっては俺の言うことなど聞くはずもないので、ティナの好きにさせておくしかない。

 せめてなにか隠さなければならないものに出くわした場合に、と俺にできるのは腕ではなく背中へと掴まらせることぐらいだ。


「まだあったのか」


 ティナを背中に貼り付けて、部屋の中央へと進む。

 部屋の中身らしい唯一のものが、中央にある診察台とその横にある何か大きな仕掛けだ。

 形としては、足踏みミシンの上部に似ている気がする。

 何をするための仕掛けなのかは判らないが、黎明の塔へと続く小部屋にあったものと似た光る板がいくつもくっついていた。

 そして、その仕掛けが使われていたか、これから使われる予定なのだろう。

 診察台の上に、腐敗の始まっているジャスパーの遺体が載せられていた。


 ……預かりものと一緒に埋葬するようなことを言っていたはずだが。


 まだ埋葬されていないということが、少し不自然に感じられる。

 瀕死の重傷であれば治療を試みた結果として今まで遺体が埋葬されていなかったとしても不思議はないが、馬車で運ばれていた時にはすでにジャスパーは死んでいた。

 一週間以上も遺体を保管しておく意味がわからない。


 ……これはあれか? 俺の怪我を何かの実験に使ったように、ジャスパーの遺体を何かに使った、もしくはこれから使う予定、とかか?


 おっとりとしているようで、存外したたかなカミールならありえる話だ。

 己の望む実験に使える素材があるのなら、それがたとえ知人の遺体であろうとも利用ぐらいするだろう。

 カミールとは短い付き合いしかないが、これぐらいはやりかねない人物だと思っている。


「ティナ、見ない方がいい」


 背後からもぞりとティナが動く気配がしたので、振り返って視界を塞ぐ。

 俺が立ち止まったことで、ティナは部屋の中央にあるものが気になったようだ。

 目隠しをされたティナは、困ったことに時折入る天邪鬼に取り付かれてしまったらしい。

 ぷくっと頬を膨らませたかと思うと、視界を塞ぐ俺の手を掴んで外した。


「……ジャスパー?」


 人の死に対し、どういった反応を見せるか判らない今のティナに、知人の死など見せたくはない。

 ところが、俺のそんな気遣いなど判るはずのないティナは、俺に隠されたものを見たい、と天邪鬼を発揮して部屋の中央に置かれた診察台を覗き込んでしまった。


 カリーサの死については予感しながらも認められないのか、未だにその姿を探し続けるティナだったが、ジャスパーの遺体についてはどういう反応を見せるのだろうか。

 ジャスパーの裏切りによってティナはズーガリー帝国へと連れ攫われたり、カリーサを失ったりとしているのだが、今のティナがジャスパーに対してなんらかの反応を返したという報告は、ジゼルからも受けてはいない。

 ジャスパーに対して、その死に対して、ティナがどう反応するかは、本当に予測がつかなかった。


 ジッとジャスパーの遺体を見つめるティナは、膨らませていた頬の空気を抜いて俺の腰へと腕を回す。

 遺体の顔を確認しようと近づく様子はないが、知人であるとは気がついているようだ。

 心細そうな表情をして、俺の腰に抱きついていた。


「おや? この部屋を見つけるとは……、随分歩き回っているようだね」


 小鬼へは、カミールの元へと案内してほしい。

 そう伝えていたのだが、案内された部屋にカミールはいなかった。

 どうやら小鬼は、カミールのいる部屋へと案内するのではなく、カミールが向かっている部屋へと俺を案内してくれたらしい。

 俺たちの方がカミールより先に部屋へついてしまっていたようだ。

 背後からカミールがゆっくりとした足取りで部屋の中へと入って来た。


「ジャスパーの遺体は埋葬すると言っていなかったか?」


「その予定だよ。ただちょっと……」


 せっかく遺体が手に入ったので、思いつくままに実験がしたかったのだ、とカミールは悪びれるでもなく小さく肩を竦める。

 ほんのもののついで、というのは俺の予想通りの答えだった。


「さすがに、遺体を実験台にするのはどうかと思うぞ」


「いいじゃないか、そこにあるんだから。死体が嫌だと言うわけでもないし、僕が新しく死体を作っているわけでもないよ」


 死体を作っているわけではない、と言ってしまえば、その通りだと言えなくもない。

 死体を作るということは、今生きている誰かを殺すということだ。

 生きた誰かを殺すぐらいなら、たしかに目の前にある偶然手に入った死体を利用した方がいいだろう。

 人道的には、どうかとも思うが。


「それにしても、君の時はちゃんと動いたのに、今回はどうして動かないんだろう?」


 なんらかの操作を行っているのか、カミールが光る板を押しながら口を開く。

 カミールの言うことには、俺に使った時には予定通りに動いた仕掛けが、ジャスパーに対してはまったく動かないらしい。

 というよりも、俺に対してだけ正常に仕掛けが働き、それ以外でまともに動いたことはないというのが正確なところだ。


 ……俺にだけ動いて、精霊の力を借りて動くらしいってことは、理由は簡単だな。


 精霊が俺のために動くのと同じ理由だろう。

 俺に対して使われたから、あの時は精霊が力を貸していたのだ。


 これは俺の予想でしかないのだが、カミールの研究が精霊の力を無理矢理に引きだして行おうというものであれば、研究は絶対に実を結ばないだろう。

 カミールは神話の時代に人間が犯した過ちを、今の時代に再び行おうとしているのだ。

 精霊が手を貸すはずがない。


「……レオになにしたの?」


 腰に回されたティナの手に力がこもる。

 カミールが俺に何かしたらしい、と今の会話から悟ったティナが、剣呑な視線をカミールへと向けた。

 その視線に、なぜか足元で小鬼たちが怯える。

 小鬼たちは一度頭を抱えて蹲ると、次にはティナの気を逸らそうとスカートの裾を引っ張りはじめた。

 残念ながら、ティナに小鬼たちの姿は見えていないので、なんの効果もなかったが。


 ……何か、あるのか?


 小鬼たちはティナを連れて行こうと、懸命にスカートの裾を引っ張る。

 物の置かれた部屋の中央とは違う壁際へとティナを誘う小鬼に、そちらへと視線を向けると、壁にはめ込まれたガラスに気がついた。

 薄いガラスの向こうに、さらに透明な何かが埋め込まれている。


「……テオ? 君のお兄さんはシンと名乗っていた気がするけど……」


「そうでした。レオはジンでした。ジンですよ。シンじゃないです」


 カミールは俺の名乗った名前と微妙にズレた覚え方をしていたようだ。

 ティナはティナで、グルノールへ戻るまでは『ジン』と呼ぶように、と教えておいたことを忘れていたらしい。

 微妙に噛み合わない会話をする二人の間では大丈夫そうだが、部屋の外では偽名である『ジン』とちゃんと呼んでくれないと困る。


「ジンに何したの?」


「君のお兄さんで治癒魔法の実験をしたんだけど……」


「魔法!?」


 神秘の力はなかなか思うように操れないようだ、と肩を落とすカミールにティナが食いついた。

 どうやらティナは『魔法』という言葉に弱いらしい。

 思い返してみれば、オレリアについても『谷の魔女』という俗称になんらかの期待を見せていた気がする。

 魔女というからには魔法が使えるのか、と。


 ……あの時はアルフと一緒になってティナの期待を踏みにじったんだよな。


 魔法など存在しない、と期待に目を輝かせていたティナの夢を打ち砕いてしまっている。

 今思えばもう少し夢を見せてやってもよかった気がするのだが、子どもの夢など理解しない大人でしかなかった俺たちは、早々にティナの期待を打ち砕いた。

 夢見る子どもへの、大人がやりがちな対応といってしまえばそれまでだが、ティナの言うことには当時のティナには成人した大人だという自負のようなものがあったらしい。

 大人であっても目を輝かせて期待するものを、俺とアルフレッドはそうと気付かずに踏みつけてしまったのだ。


「おじいちゃん、魔法使えるの? 魔法使い? レオに魔法使ったの?」


「おじいちゃんは魔法使いじゃないけど、魔法は使えるようになりたいなぁ。異世界に転生したら、やっぱり魔法を使いたいと思うよね?」


「思う! 魔法使いたい!」


 ……あっと言う間にティナの警戒が解けたな。


 魔法という言葉は、それだけティナにとって魅力的な言葉だったらしい。

 普段であれば会ったばかりの人間と話すまでに時間のかかるティナだったが、俺から手を離さないまでも腰へと抱きついていた体は離してカミールへと食いついている。

 老人に対しては比較的慣れるのが早いティナだったが、カミールへの警戒の解きっぷりは異常だ。

 このあたりも、本来のティナからは少し欠けている影響だろう。


「うん、うん。やっぱり魔法は浪漫だよね。使いたいよね」


「ジャスパーにも魔法を使おうとしたの?」


「少し潰れているからね。埋葬する前に少し直せたらいいな、と思ったんだけど……」


 なかなか思うようにいかない、とカミールが仕掛けの光る板を押す。

 ティナはその仕掛けが気になるようで、うずうずと俺と仕掛けを見比べていた。

 仕掛けに近づきたいが、俺から離れたくはないのだろう。


 ……まずいな。


 ティナが仕掛けに興味を持ったからか、精霊がカミールの周囲に集まり始めた。

 正確には、仕掛けの周囲に、だ。

 先日俺の傷を癒した草冠を載せた小さな老人の精霊が現れ、ジャスパーの遺体の様子を見て首を振る。

 精霊の力をもってしてもジャスパーは癒せない、ということだろう。

 ではどうするのか、と思えば小鬼と種類は同じと思われるのだが、各自手に木槌を持った精霊が現れてジャスパーの様子を見始める。

 今度は首を振らないので、なんらかの変化は起こせるのだろう。


「それ、なんの機械? 魔法じゃないの?」


「今は機械にしか見えないが、いずれこれが魔法の道具になる」


 ティナの口から出てくる疑問に、カミールは次々と答えていく。

 研究者だと言っていたような気がするのだが、カミールに自分の研究を秘匿するつもりはないらしい。

 銃については制限を設けているようなのだが、ティナの質問にはペラペラとよく答えた。

 もしかしなくとも、話したところで理解などできるはずもない、と思っているのだろう。

 俺にも聞こえてはいるのだが、話の半分も理解できた気はしない。


 ……精霊の力を引き出せる鉱物、か。


 初めて聞く話だったのだが、ズーガリー帝国では精霊の力を引き出せる鉱物が発見されていたらしい。

 精霊灯などの精霊の力を借りる仕掛けには、すべてこの鉱物が使われているそうだ。


 ……あの壁に埋め込まれている物がそうか?


 壁にはめ込まれたガラスの向こうにある透明な物が、それだろう。

 小鬼の何人かは俺とティナにそれを知らせるべく、ガラスのはめ込まれた壁の下でぴょこぴょこと飛び跳ねていた。

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