レオナルド視点 ティナの居場所と大樹

 ……前は三日で元のティナに戻ったんだけどな。


 人形のような無反応ではなくなったのだが、ティナの様子は五日が過ぎても目覚めてからとあまり変わらなかった。

 素直で言いつけを守るいい子なのだが、ティナらしさが足りない。

 髭の剃り残しがあっても引っ張ってこないし、精霊とばかり話していても脛を蹴ってくることはなかった。


 ……レオって呼ばれるのは、嬉しいんだけどな。


 もともとティナは俺が呼ばれたがっているから、と故意に『レオナルドお兄様』と呼んでくれていたようだ。

 ティナからの『お兄様』呼びは、意識しなければ出てこないものだったのだろう。

 今のティナの口から出てくる俺への呼びかけは、常に『レオ』だ。

 愛称呼びは、それはそれで嬉しいのだが、兄と呼んでもらえないことが少しだけ寂しくもある。


 ――なかは隠れてる。


 ――なかは絶対に安全なところに隠れてる。


 ティナの症状について精霊に聞いてみたところ、こんな奇妙な答えが返ってきた。

 ティナの中身こころは生きた人間には手出しができないところへ隠れているのだ、と。


「安全なところとはどこだ? ティナが待っているのなら、迎えに行ってやらないと」


 ――教えない。


 ――教えたらだめ。


 ――安全なところだから、教えない。


 これについては俺の名前と引き換えでも教えることはできないのだ、と言われてしまい、おとなしく引き下がるしかなかった。

 俺の名前に固執する精霊が、名前と秤にかけても駄目だと言うのだ。

 逆に考えれば、これだけ精霊が守ろうとしている場所ならば、確かに安全な場所なのだろう。


「本当に、安全なところにいるんだな?」


 ――安全だよ。


 ――生きものは手を出せないところ。


 ――生きていたら、ぼくらでも手が出せないところ。


 精霊の言葉から、いくらかは逆算できそうな気がする。

 生きていたら精霊ですら手が出せないということは、死んでいれば手が出せる場所とも考えられた。

 精霊が感知していて、ティナの中身だけがそこにいる。

 ティナの中身こころは、死の国までカリーサを探しに行っているのかもしれない。

 死の国は、文字通り死者たちの国だ。

 命ある者は本来入り込むことができない場所なのだろう。


「……つまり、俺が取り戻したティナは体だけか。どうすればティナを取り戻せる?」


 ――さあ?


 ――もう安全だって判れば、勝手に戻ってくるんじゃない?


 ――あいつが見つければ、もしかしたらこっちに追い出してくれるかも?


「あいつ?」


 ――あいつは、あいつ。


 あいつとは誰のことか、と聞き返してみたのだが、精霊からは答えらしい答えは返ってこなかった。

 どうも精霊は『あいつ』という存在を毛嫌いしているようだ。

 それが誰かまでは答えてくれないのだが、零れ始めた愚痴を拾い集めれば、御伽噺の登場人物だった。


 彼は『子どもたちの守護精霊』と呼ばれている。

 この世界と重なり合うように存在する世界を旅し、そこで死の国へと歩く死者たちの行列を見守っているのだ。

 そんな場所へ、時折生きた人間の子どもが迷い込む。

 子どもたちの多くはその年に家族を亡くしたり、今まさに路傍で死に掛けていたりする者たちだ。

 そのまま生きていても、幸せになれるとは思えない不幸な子どもたちでもある。


 子どもたちの守護精霊は、死者の行列に紛れ込んでしまった子どもを見つけ出し、生者の世界へと戻るための道を示してくれる。

 そのまま生きるために元の世界へ戻るか、愛する家族を探しながら死者の行列に混ざるかは、子どもたち次第だ。


 ……御伽噺の登場人物が、精霊にかかると実在の精霊になってくるんだな。


 しかし、これを考えてしまえば、俺やティナが会った神王も神話の登場人物だ。

 物語の中の存在だと思っていた人物や精霊が実在したとして、今更驚くのはおかしいのかもしれない。


 ……これは、本当に長くなりそうだな。


 ティナの本格的な回復をのぞむは、グルノールへ戻ってからの方がよさそうだ。

 今はとにかく、少しずつでも筋力を取り戻し、長旅に耐えられるだけの体力をつけさせることだけを考えるべきだろう。

 少し体力がついたらアウグーン領へと移動し、そこでもう少しティナの体力を付けたい。

 洞窟ここで匿われているのも安全は安全そうなのだが、男しかいないというのが気になる。

 ティナの下着は精霊が作ってくれたのでなんとかなったが、ティナだって兄に自分のパンツを縫われたくはないだろう。

 ティナの世話をするためには、やはり女性の手がほしい。


 ……食事の量は増やせないから、回数を増やすか。


 少しでも食べる量を増やすとティナが吐いてしまうため、一度に食べる量は増やせない。

 ならば、と少ない食事でも回数を多く取らせることにしてみた。

 たったの五日ではなんの効果も見られないが、俺が吐かせてしまう回数は減ったと思う。

 気のせいかもしれないが、ティナに少し元気が出てきた気もする。


「カリーサを探しに行きましょう」


 以前のティナは俺が誘ってもなかなか外へと出たがらなかったのだが、今のティナは積極的に部屋の外へと散歩に出たがった。

 主な目的は『カリーサを探しに』だ。

 カリーサを探してティナは道があればどこまでも歩いて行こうとするのだが、これは少し俺にも都合がよかった。

 この場所について調べておきたかったのだが、ティナを一人で部屋に残して出かけるのも不安だったので、ティナから部屋を出て歩きたいと言い出してくれるのは非常にありがたい。


 ……本当に、鍵はかけられていないんだな。


 これまでも部屋へと食事を運んでくる兵が来た時に、外から鍵を開ける音がしたことはない。

 この部屋に鍵がかけられているのは、就寝時に内側からだけだ。

 カミールの言った「どこへでも入り込んでいい」というのは、本気だったのだろう。

 俺とティナを閉じ込めておくつもりはないようだ。







「ここにもいませんね、カリーサ。どこに行っちゃったんでしょう?」


 カリーサを探している時のティナは、少しだけ積極的だ。

 兵士の姿を見るとすぐに俺の背中へと隠れてしまうのだが、それ以外は俺の手を引っ張りながら前を歩いている。


 ……ティナには悪いが、カリーサのことはもう少し黙っておこう。


 今のティナがカリーサの死を理解できるかどうか怪しいところだということもあるが、最大の狙いはティナの体力づくりだ。

 ジゼルも利用していたようなのだが、カリーサを探して歩き回るというのは、体力と気力の落ちきったティナにとってはいい運動になってくれていた。

 動いていればお腹も減ってくるので、ティナの食事回数を増やす役にも立ってくれている。


 ……カリーサとオレリアには、助けられっぱなしだな。


 オレリアのボビンレースはティナを探すのに役立ち、カリーサは脱出のための体力づくりに貢献してくれていた。

 二人がティナに齎したものはこれだけではないが、どれだけ感謝をしても、したりない。


 ……あとは、たまに日光浴もさせたいんだが?


 これはさすがに無理か、と思いつつティナを見て懐からクリームを挟んだパンを取り出した男に相談してみる。

 ティナに甘い物を貢いで餌付けしようとしているようだが、保護者おれの前で妹を餌付けなどさせるつもりはない。

 男が何か言い出すより早く、日光浴のできそうな場所がないかと聞いてみる。

 ちなみにティナは俺が男との間に体を挟み込んだ隙に、俺の背中へと張り付いていた。


「たまには妹に日の光を浴びさせてやりたいんだが……」


「……日光浴ならお勧めの場所があるぞ。ちっとばかり遠いけどな」


 ティナのために持って行け、と男の上着が渡され、カミールの描いた地図を使って道順が説明される。

 どうやら兵士の間でも日光浴をするのに丁度いい場所、と認識されている区画があるらしい。

 この上着はなんだと聞いたところ、ティナが寒かったら可哀想だろう、と謎の気遣いを受けた。

 今は夏で、洞窟の中は暑くも寒くもないのだが、日光浴ができる区画は寒いらしい。


「少し遠いみたいだが、どうする?」


「いいですよ。どうせカリーサを探しに行きますから」


「……そうか」


 兵士は丁寧に地図を使って道順を教えてくれたが、俺にはあまり関係がない。

 足元の小鬼に地図と目的地を伝えると、あとは勝手に足元の精霊灯が正しい順路を照らしてくれた。


 ……これは確かに、少し距離があるな。


 カリーサを探して休みやすみ洞窟を散策していたティナは、日光浴ができる区画へと辿りつく前にもともと少ない体力が尽きてしまう。

 始めのうちはまだ自分で歩けます、と強がっていたのだが、今はぐったりと俺の胸に背中を預けて休んでいた。

 途中で兵士に渡された上着はティナのお尻の下にあるので、ある意味上着の主も本望であろう。


「ここか? それにしては、何もない空間だが……?」


 洞窟の最奥といって間違いない程に奥まった空間へと出て、周囲を見渡す。

 部屋の作りとしては、他の部屋と同じだ。

 岩を削りだした人口の洞窟で、他の部屋より広く、天井が高いぐらいの差しかない。


 ――かいだん、あっち。


 ――でも、こっち。こっちのが、早い。


 おいで、おいでと小鬼に手招かれ、精霊灯の伸びた壁の前まで進む。

 遠目には壁にしか見えなかったのだが、近くまで来ると扉があるのが判った。


 ――べんりなかいだん。


 ――ひとっとび。


 小鬼が扉に触れると、洞窟の入り口にあった鉄の扉と同じように扉はひとりでに開く。

 中は小さな部屋だった。

 小鬼はここに階段があると言っているようなのだが、それらしいものは何もない。


 ――なかにはいる。


 ――ひとっとび。


 訝しげながらも、小鬼に誘われるまま小さな部屋の中へと入る。

 ティナは何かに気がついたようで、下におろしてくれと言い始めた。


「エレベーターですね? 何階ですか?」


 扉の近くに光る板を見つけ、ティナが俺に聞いてくる。

 どうやらティナにはこの部屋が何のための部屋なのかが判っているようだ。


「階段から出るそうだから、一番上か?」


「最上階ですね、わかりました」


 ポチっとな、と奇妙な掛け声を上げて、ティナが光る板を押す。

 室内灯のスイッチと似たようなものらしい。

 この光る板も、なんらかの仕掛けを動かすためにあるのだろう。


 ……うん?


 一瞬だけ体が重くなったような錯覚に襲われ、それもすぐに治まる。

 ティナは何も感じていないのか、少し楽しそうに体を揺らしながら光る板を見つめていた。







「なんだ、これは……?」


 チーンと高い鐘を叩くような音がしたかと思うと、入ってきた扉が開く。

 扉の向こうの景色は、入ってきた時とはまるで違うものになっていた。


「外だー! 外ですよ、雪ですよ!」


 パッとティナが部屋から飛び出して、三歩進んだところで雪に足をとられて転ぶ。

 盛大に顔面から倒れていたが、すぐに「冷たい」と悲鳴をあげながら笑っているので、痛くないほどには雪が厚く積もっていたのだろう。


 ……今の季節に、厚い雪が残っている場所?


 そんな場所は、この大陸には一つしかない。

 大陸中央にそびえる、エラース大山脈の山頂だけだ。


「山頂は常に吹雪いていると聞いたことがあるが……」


 見事に晴れている。

 一面の雪景色を見渡すことができたし、山裾に広がる緑や近くに氷の湖が見えた。

 この氷の湖は、帝都トラルバッハの近くにある氷の湖とほとんど同じ大きさをしている、双児湖と呼ばれる方だと思われる。

 その証拠に、帝都トラルバッハ近くの氷の湖であれば見えるはずの皇城の姿がない。


「これが『黎明の塔』か」


 妙な気配を感じて背後を振り返ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 奥には石組みの塔が見えるのだが、塔を覆い隠すように半透明な何かが幾重にも重なっている。

 これはいったいなんだろう、と半透明なものを追って空を見上げると、一本の巨大な木だ。

 『黎明の塔』と思われる石組みの塔を飲み込むように、半透明の大樹がエラース大山脈山頂にたっていた。


「……呼吸をしている、のか?」


 半透明の壁が時折膨らみ、また縮む。

 その動きを見ていて、自然と浮かんだ言葉が『呼吸』だった。

 大樹が安らかな寝息をたてている。

 そんな印象だ。


 ……精霊が多い、妙なところだとは思っていたが。


 どうみても精霊が関係しているとしか思えないものが、目の前にある。

 精霊たちはおそらくこの大樹に惹かれ、この場所へと集まっているのだろう。


 ……凍土に最近になって礎を打ち込めるようになった、というのはカミールの発明かなにかか。


 洞窟の位置と『黎明の塔』の位置を考えるに、カミールがこの件に関わっていない、ということはないはずだ。

 いったい何をするつもりなのか、と考え始めたところで小さなくしゃみが聞こえた。

 夏とはいえ一面の雪景色で、ティナの体が冷えないわけがない。


「おいで、ティナ。中へ戻ろう」


「はいです」


 途中で兵士から渡された上着を羽織らせる気にはなれず、ティナを抱き上げて出てきた扉の中へと逃げ込む。

 ティナの頭や肩に載った雪を払っていると、今度はティナの代わりに小鬼が光る板を押した。

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