レオナルド視点 ティナと精霊 2

 シャワーを浴びてカーテンを開くと、トイレの蓋の上にティナが座って待っていた。

 精霊に攫われてマンデーズの館へ来た時や、ラガレットでの誘拐騒ぎの後もティナは俺から離れなくなり、風呂の時間でさえも側に張り付いていた。

 今さら驚くことではないのだが、年齢だけはそろそろお嫁にもいける年齢になっているので、一応は改めさせた方がいいかもしれない。


「レオにはぴったり」


「ティナにはやっぱり大きいな」


 先にシャワーを浴びさせたティナは、着替えにと俺に用意された大人用のシャツを着ていた。

 大人の男性用のシャツなので、子どものティナが着るには大きすぎる。

 裾はちょっとしたワンピースだと思えば丁度いい長さなのかもしれないが、ボタンは上まで全部嵌めても、ティナの細い鎖骨が見えていた。


 ……好きな奴には堪らない状態なんだろうな。


 男物の大きなシャツ一枚の美少女だ。

 好きな者には堪らない、扇情的な姿だろう。


 ……まあ、妹相手に堪らないも何もないんだが。


 十五歳という年齢どおりにはまったく見えないティナに、男物の大きなシャツなど色気もなにもない。

 子どもが悪戯で父親の服を着ていると考えた方がしっくりくるぐらいだ。


「……作るか」


 妹相手にそそられる情欲なんてものはないが、それでもシャツの裾から伸びているむき出しの足や細い首が気になる。

 一番気になるのは、ティナには肌着がないことだ。

 大人用のシャツを着ることはできても、子ども用の肌着の代用になるものはない。

 これはティナに風邪など引かせないためにも、おもいきって服を作るべきだろう。

 そのための生地や足踏みミシンは、昨夜のうちに部屋へと運びこまれている。


「ミシンか……本当にこんな道具で服が縫えるのか?」


 カミールからは口頭で一通りの使い方を聞いているが、どうにも納得ができない。

 針へ糸を通し、下にあるペダルを踏むだけで布が縫えるとカミールは言っていたが、それだけで縫い物ができたら針子は職を失うことだろう。


「ミシン、何作るの?」


「とりあえずはティナの服かな? 肌着がないのは落ち着かないだろう?」


「スースーします」


「じゃあ、まずはパンツからだな」


 パンツを作ろう、といっても、俺はパンツなど作ったことがない。

 作り方に皆目見当がつかなかったので、とりあえず用意された生地を適当な大きさの筒状に縫い合わせることにした。

 パンツなど、要はズボンと同じだ。

 胴と足が二本出る穴があれば、なんとでもなる。


「レオのへたっぴ」


「下手じゃないぞ。ミシンが言うことを聞かないんだ」


 ジョキジョキと軽快な音をさせて生地を切ると、早速足踏みミシンを使ってみる。

 ペダルを踏むと針が動くという仕組みはなんとか理解できたが、安定してこれを使うのは少し難しい。

 自分が布に手を添えて針の方へと押し込んでいく必要があるのだが、踏み込みすぎると針の動きが早く、少し手元が狂うだけで縫い目が迷走してしまった。

 ティナは俺の失敗を面白そうに見守っているのだが、精霊たちは手を叩いて喜んでいるものと、布が可哀想だと嘆くもので半々だ。


「できたぞ」


「……チクチクする」


 大きな筒にした布を、足と股下の部分をミシンでいっきに縫って、中央へは鋏を入れる。

 これで布を裏返せば肌着が出来上がったのだが、実際に肌着を穿いてみたティナには不評だ。

 紐を通す穴もないので、ティナが肌着を手で持ち上げて穿いていた。


「紐で止めれば、ずり落ちないだろう」


「お店で作ってくれるのと、全然違います」


 膝も曲げ難い、と言いながらティナがその場で屈伸をする。

 適当な大きさに切って縫い合わせただけの肌着は、立っている時はそうでもないのだが、膝を曲げるとあちこちの布が引っ張られて窮屈そうに見えた。

 改良の余地があることだけは、認めざるを得ない。


「……とりあえず、次は紐を通す穴も作ってみるか」


 新しい布をと手を伸ばすと、布が俺の手から逃げた。

 そんなはずはない、と逃げた布を目で追うと、初めて見る羊のような姿の精霊が布を抱えて首を振っている。


 ――やめて、ぬのがかわいそう。


 ――ちょきちょき切られて、かわいそう。


 ――ちゃんと着てもらえない服になるの、かわいそう。


「……俺の裁縫は、そこまで駄目か」


 精霊が実力行使で布を抱えて逃げ出すほどに、俺の裁縫はまずいらしい。

 ティナは文句を言いつつも着てくれているのだが、精霊的には黙っていられない惨状のようだ。

 このまま精霊の妨害が続いては、洗い替えのティナのパンツを作ることができない。


「よし。じゃあ、ティナが作ろう。ティナは俺のシャツを作ってくれたことがあるからな。自分の下着ぐらい作れるだろう」


「わかった」


 ティナならいいだろう、と俺が提案すると、ティナは素直に頷いた。

 布を抱えて逃げていた精霊も、人が代わるのなら、と恐々といった様子で布を返しにやってくる。

 精霊が恐々ながらもティナを見守っていられたのは、次の瞬間までだった。


 ジャッキンっと鋏を構えたティナに、精霊の勘はよく働いたと思う。

 このままでは俺と同じ作業が繰り返されるだけだと瞬時に悟った精霊は、ティナから布を奪って逃げ出した。

 急に手から落ちた布に驚いたティナが鋏を落としそうになり、俺がその手を支える。

 精霊に部屋で暴れられると危ない、と羊精霊から布を取り返して部屋からは追い出そうと思ったのだが、今度は壁の向こうからかいこの羽を持つ老婆の精霊と、足が木の根をしている女性型の精霊が現れた。

 どちらも精霊であることは間違いがないと思うのだが、これまでに見た精霊とは明らかに違う存在だ。

 具体的にいうのなら、これまでの精霊は玩具や人形のような大きさをしていたのだが、今現れた二体の精霊は俺よりも一回りほど大きい。


 ……今度はなんだ?


 何が始まるのか、と二体の精霊を見守っていると、ティナの穿いたパンツを小鬼が引っ張り、三本の指でパンツを指差しながら二体の精霊へと何事か訴えている。

 どうやら精霊の言葉には、俺に判るものと判らないものがあるようだ。


「なんてこと! 布が可哀想だわっ!」


 ……あ、聞こえた。


 今度の精霊の声は、他の精霊の声よりもはっきりと聞こえる。

 そして、この声はティナにも聞こえたようだ。

 姿は見えないのかキョロキョロと声の主を探し、誰の姿もないことに俺の背中へと飛び込んで来た。


わたくしに任せなさい。布冥利に尽きる服に仕立てあげてみせます」


「まずは採寸からね、さあ、両手を上げてちょうだい」


 老婆の精霊は口調こそ柔らかいのだが、押しは強い。

 両手を上げるようティナに促しているのだが、言い終わるより早く本人がティナの腕を持ち上げた。

 あとは止める間もなくティナの背丈や腕の長さを計り、木の根の足をした精霊へとそれを伝える。

 ティナから生地を持って逃げた羊の精霊は、この精霊には従うようだ。

 恭しい仕草で木の根の足をした精霊へと生地を渡すと、木の根の足をした精霊は受け取った生地を宙に広げた。


「ドレスもいいけど、今の髪型ならズボンも似合いそう」


「まるっとしたスカートも可愛らしいんじゃないかしら?」


「髪飾りも必要ね」


「靴こそ手を抜いてはいけないわ」


 なにやら楽しそうに生地へと指を滑らせる精霊二体に、一応の釘を刺しておく。

 ティナの服を作ってくれるのなら願ったり叶ったりだが、早急に欲しいものはティナの下着だ。

 服は最終的には朝まで着ていたものを着ればいいので、シャツの時に困らないよう下着が欲しい。

 最低限の肌着が。


「そうね、そうね。おしゃれは下着にも気を遣わなければ」


「人間の十五歳は繊細の年頃だもの。ちょっぴりおませな下着がいいかしら?」


「あら、でも殿方にお見せするものではないわね」


「そうね、まだ早いわね」


「あら、そっちの意味じゃないわよ」


 二体の精霊はああでもない、こうでもない、と楽しそうに生地へと指を滑らせる。

 何をしているのかと思えば、指が撫でたとおりに生地が裁断され、裁断された生地はひとりでに縫い合わされる相方を見つけ出し、くっついた。

 そこへ老婆の精霊の手が伸びて、足踏みミシンの針の前に生地を置く。

 そうすると、足踏みミシンは勝手に動き出して布を縫い始めたように見えたのだが、よくよく見ると違う。

 足踏みミシン自体から手足が出ていて、自分で自分を動かしていた。


 ……足踏みミシンにも精霊が宿っているのか?


 カミールが作った道具だと聞いていたのだが、どうやら精霊が宿っているらしい。

 道具の精霊もいるようだと気がついてみると、裁ち鋏や針と糸にも何らかの精霊が宿っているようで、それぞれに仕事を始めてしまった。


 ……これは、本当にどういう状況だ?


 俺の目には大小さまざまな精霊が部屋中に溢れ、ティナのための服を作っている。

 しかし精霊が見えていないらしいティナには、勝手に道具や布が浮かんでいるように見えるようで、怯えて俺の背中から出てこなくなってしまった。

 そうこうしているうちに最初の一着目の服が完成し、花の香りとともに花の精霊が部屋の中に増える。

 花の精霊たちは聞き取れない声で何事かを相談し合うと、生成り色の生地を明るい緑色に染めた。

 どうやら精霊たちは、染色作業まで行なえるらしい。


 ……うん?


 羊の精霊が、端切れを器用に使って花飾りを作った。

 それを俺の手の平へと載せてきたので、背中に顔を押し付けたままのティナの目の前へと差し出してみる。


「ほら、ティナ。羊の精霊が、切れ端で花を作ってくれたぞ」


「……花?」


 恐るおそるとティナが俺の背中から顔を離す。

 上を見上げるのは怖いようなのだが、足元は平気なようだ。

 目の前へと差し出された花飾りに、ティナは数回瞬くと、顔をあげた。


「可愛い! なにこれ、すごーい。布なの? すごいね、レオ」


 部屋中に響いたティナの歓声に、ぴたりと精霊たちの動きが止まる。

 そんなことに気づけるはずもないティナは、花飾りではなく俺の手を握ったまま、花飾りを絶賛した。

 凄いね、綺麗だね、と。


 ……わかった。これが神王の言っていた精霊の御し方か。


 精霊へは極力頼みごとをせず、自主的に動くよう仕向けろ、と神王は言っていた。

 それが、ティナが今行なったことだろう。

 ティナからの素直な賛美に、すっかり気をよくした精霊たちが一斉に花飾りを作り始めた。

 服作りも楽しいが、素直な賛美が自分たちも欲しいらしい。


 ……これ、本当にティナの下着はできるのか?


 大きい二体の精霊はティナの普段着を作ることに夢中で、周囲の小さな精霊は髪飾りを作ったり、できたものを染色したりとしている。

 しかし、誰も下着を作っている様子はなかった。







 ――ひとが来るよ!


 ティナが見えないながらも精霊がいるらしい空間に慣れ、花の精霊たちがティナの頭上へと花びらを散らして遊んでいると、通路へと続く扉を抜けて小鬼が飛び込んで来た。

 この警告に、部屋中の精霊が一斉に姿を消す。

 突然放り出されることとなった縫い途中の生地や道具たちは、足踏みミシンの上へと積み上げられた。

 こうしておけば、俺が作業の途中で休憩しているだけのように見えるのかもしれない。


 ……いや、そんなはずはないだろう。


 明らかに俺一人でできるような作業量ではない進み方をした服が数着出来上がっている。

 ティナの歓声で気をよくした精霊たちは、用意されていた生地をすべて使いきると、老婆の精霊が羊の精霊の毛を使って新たに布を織ってまで服を作り続けた。

 部屋へ運び込まれた生地と出来上がった服の数は、残念ながら一致してくれない。

 明らかな異常事態だ。


「おーい、妹ちゃーん」


 扉からノックの音がしたかと思えば、男の猫撫で声が響いてくる。

 またティナ目当ての兵が来たのかと扉を開ければ、今度は大皿にパンケーキを山ほど載せた男が立っていた。

 俺の顔を見た男の反応は、朝とほとんど変わらない。

 出迎えた俺の顔に落胆し、背中に隠れているティナに相好を崩す。


「オヤツに食堂でパンケーキを作りすぎちゃってサ。一緒に……」


「そうか。ありがたくいただいておこう」


 ではな、と最後まで言わせずに大皿だけ受け取って扉を閉める。

 ティナを暇な男たちの見世物にするつもりはない。

 今朝までの服ならまだしも、今は危険なシャツ一枚だ。

 アルフレッドが相手であっても、見せたくはない妹の姿である。


 扉の向こうから「ちょっとぐらいお話しさせてくれてもいいじゃねーかよぉぉぉ!」という雄たけびが聞こえたが、無視だ。

 妹に群がる害虫など、視界に入った時点で駆除対象である。


「パンケーキ?」


「ティナに、って。さっきのオッサンが」


 俺とそう歳は変わらないように見えたのだが、『男』とも『お兄さん』とも告げるのが嫌で『オッサン』とティナの頭に刷り込んでおく。

 ティナはパンケーキを運んで来た男には最初から興味などなかったようで、大皿を俺から受け取ると高く掲げ持った。


「……ティナ? どうした? お皿を落としたら危ないぞ」


「精霊さん、ここ?」


 この辺かな? と時折立つ位置を変えながら、ティナが部屋のあちこちで大皿を掲げる。

 どうやら精霊へとパンケーキを分けたいようだ。


「……どうやらティナは服を作ってくれた精霊へとお礼をしたいようだ。受け取ってくれるか?」


 ――あまいものー?


 ――あまいもの、すきー。


 男の接近を知らせに来た小鬼へと話しかけると、すぐに他の精霊も姿を現した。

 我も我もとティナの持った大皿へと精霊が群がり、ティナは段々と軽くなる皿に不思議そうな顔をしている。

 ついに最後のパンケーキがなくなると、ティナの手から大皿を受け取って皿の上を確認させた。

 本当にいつの間にか消えているパンケーキに、ティナは驚きながらも嬉しそうだ。


 ティナからの賛美とパンケーキという賄賂に、精霊たちは気をよくしたようで、翌朝目が覚めるとティナの肌着も含めて服が何着も完成していた。

 短髪を目立たなくできる帽子や、飾りの大きな髪飾りが特に嬉しい。

 後頭部を覆う大きな丸帽子は、髪が伸びるまで愛用させてもらおうと思う。

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