庭師の少年視点 赤毛と不穏な噂

 急遽『いなくなった』庭師の代わりに、と城に務めるようになってからというもの、季節が過ぎるのが早い。

 春の終わりは早く城の雰囲気に慣れなければ、と気を張り続け、使用人たちと少し言葉を交わせる余裕が生まれたのは夏の中頃だった。

 俺は庭師として雇われているため、城の中へと入ることはない。

 それでも、使用人たちの噂話から少しだけ城の中の様子を知ることができた。


 城の中での仕事は、やはり息が詰まるものらしい。

 城主が居ない時はいくらか気を抜くこともできるのだが、領主の居る時はとにかく影に徹して働くそうだ。

 呼ばれた時以外は姿を見せてはいけない、というのが城の中で働く使用人の鉄則らしい。

 主の予定を先回りして把握し、主が部屋を移動する際には移動先の部屋で快適に過ごせるよう整えておく必要がある。

 少しの遅れも許されず、整え終わった部屋からは速やかに退かなければならない。

 たとえ後姿とはいえ、主に使用人の姿など見せるわけにはいけないのだとか。

 もしも主へと姿を見せることになってしまえば、それは使用人の不手際ということになる。

 主の視界へと『薄汚れた姿を見せた』という罪に問われ、処分されるという話も珍しいものではない。

 城の使用人という仕事は、給金はいいが常に緊張にさらされ続ける仕事だ。


 ……多少の危険があっても、母さんの薬代を稼ぐためにはいい仕事だしな。


 緊張が多く、気の休まらない職場ではあるが、給金がいい。

 ついでに言えば雇用主あいては城主であるため、俺の意思で辞めることなどできるはずもなかった。

 腕のいい庭師を城主が見つけて来た場合には暇を貰うこともあるかもしれないが、それ以外には円満に職を辞する方法は無い。

 俺の仕事ぶりに不満があっての解雇であれば、良くて放逐、悪くして前任の庭師と同じ運命を辿ることになる。

 貴族の下で働くということは、そういうことだ。

 給金はいいが、常に命の危険と隣り合わせの職場である。


 ……さすがに寒くなってきたな。


 夏から秋に向けて真面目に働いたおかげか、引き続きアウグスタ城の庭師として雇われていた。

 危険な職場だとは思うのだが、主の目につく可能性は城内の使用人に比べれば格段に低い。

 それに、いつ貴族の勘気に触れるか、という意味では命が幾つあっても足りない職場だったが、貴族の身近に在れるということには利点もある。


 ……お抱えでセドヴァラ教会の薬師がいるんだもんな。さすがはお貴族様の城だ。


 町の噂では、近頃セドヴァラ教会が妙な具合らしい。

 小さな村に薬師がいないことは珍しくもなんともないのだが、セドヴァラ教会がある街からも薬師の数が減り、薬師が完全にいなくなってしまった町もあるようだ。

 ところが、アウグスタ城にはお抱え薬師であるガスパーがいる。

 町のセドヴァラ教会から薬師が減っていようとも、城に雇われている俺はガスパーの都合さえつけば母の薬を調薬してもらうことができた。


 ……薬の材料さえ集めてくれば調薬してくれるってんだから、ガスパーさんっていい人だよな。


 貴族の側で働くのは息が詰まるが、薬師ガスパーの恩恵を受けられるのだから、解雇されるわけにはいかない職場だ。







 ……えっと、リーズの茎、乾燥させたパーニャンの皮? あとは……。


 ガスパーから手渡された薬の材料一覧へと目を落とし、市場を回る順番を決める。

 リーズは夏に咲く花なので、今の時期に採取はできない。

 となると、薬の材料として乾燥したものを保存しているだろうセドヴァラ教会を頼るのが正解だと思うのだが、はたして薬師の消えたセドヴァラ教会に薬の材料など残っているものだろうか。


 ……困ったぞ。薬師ガスパーはいるけど、材料が手に入らないかもしれない。


 薬師がどこへ行ったのかは判らないが、留守になる施設内に薬の材料を置いていくわけがない。

 置き去りになっていたとしても、盗難を警戒して厳重に保管してあるはずだ。


 ……となると、セドヴァラ教会に材料を卸していた商人が見つかるといいんだけど。


 リーズの茎は食べ物ではないが、セドヴァラ教会へ売れることもある。

 少しでも生活の足しになれば、と誰かが個人的に保存しているということもあるかもしれなかった。


 ……まずは市場だな。


 ガスパーに指定された材料を探しつつ、昼近い市場を歩く。

 目当ては薬の材料であるため、朝早くから市場を走り回る必要はなかった。

 目当てが乾物ではなく、野菜や肉といった食料の買出しであったとしても、俺に走る必要はない。

 城勤めの給金のおかげで、懐が暖かいのだ。

 多少高い値を付けられたものでも買うことができるため、高くて売れない残り物をあとでゆっくり回って買えばいい。


 ……荷馬車ってあれか?


 広場になっている市場の中央に、見慣れぬ荷馬車を見つける。

 結局市場を隅から隅まで回ってみたのだが、パーニャンの皮は手に入れることができたのだが、リーズの茎は見つからなかった。

 乾物屋の店主に聞いたところ、いつも薬草や織物を買い付けていく旅の商人が町に来たため、リーズの茎は商人に売ってしまったようだ。

 食べ物として売れないリーズの茎を、セドヴァラ教会が引き取ってくれない以上はいつまでも店に並べておいても仕方がない。

 旅の商人に売ってしまうというのは、店主としては当然の選択とも言える。


「いらっしゃい。何か入り用かい?」


 荷馬車に近づくと、護衛らしい傭兵にギロリと睨まれた。

 思わず半歩下がると、傭兵に愛想が無い分を補うように、すぐに赤毛の商人が荷馬車から顔を覗かせる。

 今度の顔は、人のよさそうな赤毛の青年だった。


「リーズの茎を買った商人ってのは、アンタか?」


「ああ。確かにさっき乾物屋からリーズの茎を引き取ってほしい、って言われて買ったけど……」


 人好きのする笑みを浮かべた赤毛の商人に、さっそくリーズの茎を売ってほしいと交渉する。

 当然、足元を見られて値段を吊り上げられると思っていたのだが、赤毛の商人は人がいいのか馬鹿なのか、乾物屋から買った値段と同じ値段で売ってくれた。

 それで商売になるのか、と他人事ながら心配をしたら、赤毛の商人は困ったように笑う。


「リーズの茎を欲しがるということは、調薬できる薬師に心当たりでもあるんだろう? あまり大きな声では言えないけど、当てがあるんなら、材料はあった方がいい」


「……それは、薬師がいなくなっている、って噂と関係あるのか?」


「なんだ。お客さん、耳がいいな。もうその噂を聞いているのか」


 不安を煽らないようにあまり言い触らすなよ、と前置いて、赤毛の商人は町の外でのセドヴァラ教会の動向を教えてくれた。

 どうやらセドヴァラ教会の薬師が減っているという噂は、真実だったらしい。

 城にガスパーが居るため安心していたのだが、この町にいた薬師はすでにいなくなっているようだ。

 この町どころか、周辺の村や町にも薬師はいない。

 領内で薬師が残っているセドヴァラ教会は、アウグスタ城のあるアウグスタの街ぐらいらしい。


「どこもそんな感じなのか?」


「いや、アウグーン領は町にもまだ薬師が残っていたかな。あそこの場合は……いや、なんでもない」


 赤毛の商人は言葉を濁したが、続けようとした言葉は想像できた。

 アウグーン領の領主様といえば、良い噂ばかり聞こえてくる方だ。

 そんな方が治める領地なら、薬師たちも居心地がいいのだろう。

 何があってセドヴァラ教会から薬師たちがいなくなっているのかは判らないが、アウグーン領の薬師たちはギリギリまでかの地を捨てることはないと思われる。


 ……捨てる?


 自然に浮かんだ言葉だったが、妙にしっくりときた。

 俺たちは、セドヴァラ教会に捨てられたのだ、と。


 ……なんでだ? なんで突然、セドヴァラ教会が……?


 薬術の神セドヴァラを祀るセドヴァラ教会は、対価を払えば薬術の恩恵を誰にでも与えてくれる。

 ズーガリー帝国ではその対価を払える平民が少ないため、恩恵を受けることができる人間は貴族や富豪ぐらいなのだが、それでもセドヴァラ教会は各地の町へ根付いていた。

 利用できる人間が少ないからといって、薬師を引き上げさせたりはしないだろう。


「なあ、アンタ。旅をしてるんだったら、なんで薬師がいなくなったのかも知らないか?」


「……一年ぐらい前かな? 隣国のセドヴァラ教会で、女の子が誘拐されたからだよ」


 イヴィジア王国にあるセドヴァラ教会で、手伝いをしていた女の子が誘拐されたらしい。

 当然、誘拐犯の足取りなどが調べられ、犯人はどうやらズーガリー帝国の人間である、ということが判ったようだ。

 ズーガリー帝国は昔から他国の人間を攫って来ては奴隷にしていたので、こういう時に疑われるのも仕方がないのかもしれない。


「セドヴァラ教会の施設内から連れ攫われたそうだから、女の子が戻るまでは報復が続くんじゃないか?」


「そんな……こっちはいい迷惑じゃないか。セドヴァラ教会の作ってくれる薬がないと困る人間だっているんだぞ」


「そんなこと俺に言われても……。セドヴァラ教会内から女の子を誘拐したアホに言ってくれよ」


「どこのアホだよ、そんな無謀なことをしたのは」


 普段からセドヴァラ教会の世話になっていない、世話になれる余裕もない人間には解らないかもしれないが、俺にとっては大問題だ。

 母の薬は、セドヴァラ教会で調薬してもらっているものである。

 材料さえ集めてくれば調薬してくれるとガスパーが引き受けてはくれたが、それだっていつまでも引き受けてくれるとは限らないのだ。

 セドヴァラ教会には、早々に薬師を返してもらいたい。


「攫われたっていうのは、どんな子なんだ?」


 誘拐された女の子について訊ねたのは、特に興味があってのことではなかった。

 会話の流れとして、情報の一つとして、赤毛の商人が知っているのなら俺も知っておきたい、という程度の気持ちだ。

 気には留めるが、本気で探し出そうだなんて考えはしない。


「名前はクリスティーナ。黒髪に青い目をした女の子だよ。顔はとにかく可愛い……可愛いらしい」


「……黒髪に、青い目の可愛い女の子? 名前は……」


 クリスティーナと聞いて、思い浮かぶ顔があった。

 いつだったか俺ではない『テオ』と間違えて服を掴んできた、アウグスタ城にいる少女の顔だ。

 城の使用人たちは彼女を『システィーナ様』と呼んでいるが、黒髪の女中メイドだけは『ティナお嬢様』と呼んでいる。

 そして、『ティナ』は『システィーナ』の愛称でも、『クリスティーナ』の愛称でもある。


 ……そういえば、システィーナ様って他所から連れて来られたんだっけ? 前の庭師って、なんで処分されたんだ……?


 システィーナが来た時期と、前任の庭師が処分された時期は近い。

 まったく関係が無いとは考え難かった。


 システィーナについては、使用人の間で交わされている程度の噂しか知らない。

 城主エドガーの姪で、幼い頃に誘拐されて行方不明だったものを、昨年の秋に見つけ出した。

 長い監禁生活で心身ともに病んでしまい、その心と体を癒すためにアウグスタ城で療養生活を送っているのだ、ということになっている。

 アウグスタ城に来る以前のシスティーナがどこにいたのかは、使用人の誰も知らない。


 ……あれ? システィーナ様って、もしかして……。







 赤毛の商人との会話を、どう結んで帰って来たのかが思いだせない。

 気がついてしまった可能性で頭がいっぱいになり、適当な返事をかえした気がする。

 早々にリーズの茎の代金を支払い、現金で支払う俺に赤毛の商人が驚いていた。

 町とはいえ、現金で商品を買う人間は珍しい、と。


 ……なんて返したっけ? なんかうっかりしたこと話してないよな?


 城で働いているから給金がいいのだ、と答えた気がする。

 答えたつもりだ。

 その若さで城勤めなのか、と驚かれた気もしてきた。

 それに対して、前任者が急に辞めてしまったために急遽雇われたのだ、と話してしまった気がする。


 ――外であの子のことを話したのも、まずかったよな。


 不意に、システィーナの護衛として付けられた男たちの言葉が甦った。

 彼らは俺の存在を不審がり、新しい庭師であると理解し、前任の庭師についての雑談を始めたはずだ。


 ――あの庭師も運のない奴だったよな。


 外でシスティーナのことを話したのもまずかった、と。

 思いだしてみれば、気のせいでもなんでもない。

 前任の庭師はシスティーナに出会い、システィーナについてを城の外でしゃべってしまったために処分されることになったのだ。


 ……大丈夫か? 俺、大丈夫か? 変なことしゃべってないよな!? あの商人に、システィーナ様のことなんて言ってないよな?


 赤毛の商人が話していたのは『クリスティーナ』という少女の話だ。

 システィーナではない。

 うっかりでも「それはアウグスタ城にいるシスティーナ様のことではないか?」などとは言っていないはずだ。

 そうだと信じたい。


 ……でも、システィーナ様がセドヴァラ教会から攫われた女の子だったら、システィーナ様を帰せば薬師が戻ってくる、のか?


 誘拐された女の子が元の家に帰る。

 これはどう考えても良いことだ。

 そして、女の子が家に帰れば、セドヴァラ教会からの報復も終わり、また町や村に薬師が戻ってくるはずである。

 そうなるべき、そうするべき展開だ。


 ……ダメだ。システィーナ様について城の外で話せば、俺が殺される……っ!


 すでに前例があるため、これは疑いようもない。

 システィーナについてセドヴァラ教会へと洩らせば俺が殺される。

 もしかしなくとも、城主からの見せしめと仕返しとして母も殺されるだろう。

 薄情な親戚ではあるが、伯父や叔母にも迷惑がかかるかもしれない。


 埋め直せ、と言われて掘った地面の中身を思いだし、固く目を閉じ、耳を塞ぎ、唇を引き結ぶ。

 良心は痛むし、攫われてきたシスティーナには気の毒だったが、自分と母親の命の方が大事だ。

 それに、俺にはガスパーがいる。

 セドヴァラ教会から薬師が引き上げていったとしても、城にはまだ薬師がいるのだ。

 急いでセドヴァラ教会の怒りを解く必要はない。

 ズーガリー帝国中のセドヴァラ教会から薬師が消え、罪も無い民が薬術の神セドヴァラから見捨てられようとも、母の薬は用意できるのだ。


 ……仕方がない。仕方がないんだ。俺は殺されたくない。死ぬのは怖い。誰だって嫌なはずだ。俺だけじゃない。誰だって同じ選択をするはずだ。俺が悪いわけじゃない。


 仕方がない、仕方がないと何度も言い訳を繰り返し、自分に言い聞かせる。

 帰宅したかと思ったら「ただいま」も言わずに頭から布団をかぶった俺を母が不審がっていたが、理由わけなど話せるはずもなかった。







 翌朝、頭が重いながらも城へあがり、言われていた材料を集めてきたとガスパーに薬の素材を手渡す。

 すると仕事の終わる夕方近くには調薬が終わったようで、ガスパーがわざわざ庭師小屋へと薬を届けにきてくれた。


「ありがとうございます、ガスパーさ……」


 受け取った薬の礼を言おうと頭を下げ、ふと気がついたことがある。


 ……システィーナ様がクリスティーナなら、ガスパーさんも本当は違う名前なんじゃあ?


 そんな可能性に気がついてしまったのだが、疑問は疑問のままに喉の奥へと押し込む。

 赤毛の商人との会話のように、興味もないのに指摘していいことではないし、興味があったとしても指摘してはまずいことだと、さすがにわかる。


 結局、ガスパーへは薬の礼だけを言った。

 下手なことを言えば、自分の首を絞めることになるのだ。

 口は閉ざすしかない。


 システィーナについては考えないようにしよう。

 自分には無関係な事柄だ、と無理矢理心の整理を付ける。


 心情的に居心地の悪い城から早く逃げ出したい、と一日の仕事が終わると早足で家路につく。

 庭師小屋で生活ができるようにと整えられていたのだが、病気の母がいるため通いで働かせてもらっていた。


「お、いたいた。黒髪に黒目の、城から出てきた……成人済みつー話だったけど、まだまだガキだな」


 少し話をしよう、と言いながら道を塞いできたのは、赤毛の眼帯を付けた男だ。

 話をしよう、と町の中で話しかけて来られたため、一応はただ人相が悪いだけの男だと思うのだが、これが町の外での遭遇であれば山賊に出会ったかと逃げだすところだった。


「アンタ、誰だよ。山賊に知り合いなんて……」


 山賊に知り合いなんていない。

 そう言い捨てて逃げたいのだが、道を塞がれているためにそれはできなかった。

 では、どうやってここを切り抜けようか、と考えていると、山賊にしか見えない男はにやりと口の端を持ち上げる。


「……昨日、市場でセドヴァラ教会の話をした時に、妙な反応をしたヤツがいるって聞いてな」


 聞きたいことを素直に話せば、すぐに俺の用事は済む。

 そう言ってチャックと名乗る赤毛の男は一歩俺へと近づいて来た。

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