ジゼル視点 白き役立たず 6

『ジゼル視点 白き役立たず 6』


 春が過ぎて夏が訪れても、クリスティーナの様子に変化はなかった。

 一日中ぼんやりと長椅子に座って過ごし、呼んでも話しかけても返事をしない。

 以前はプリンの味に関して点数をつけたりもしていたのだが、それもなくなった。

 とはいえ、これは反応がなくなったというよりも、プリンの味に満足したのだと思う。

 プリンと一言でいっても、カリーサは珈琲イホーク味やキャラメル味、チョコレート味とさまざまな味のプリンを作っていた。

 おそらくは、クリスティーナの中でそれらのどれかと認識されたのだろう。

 カリーサが作っていたものとまったく同じではないが、これもまたプリンである、と。


 ……眠ったままだった秋よりはいいけど、このまま無為に過ごさせるのもよくない気がする。


 心を閉ざしたクリスティーナは、泣かないかわりに笑いもしない。

 本当に、ただ一日中ぼんやりと座っているだけなのだ。

 これでは体力面の維持はともかくとして、このまま本当に心が戻ってこなくなってしまう気がする。


 ……まさか、直接傷つけられても無反応だとは思わなかった。


 つい先日、なんの反応も返さないクリスティーナに焦れたエドガーがジャスパーに命じ、傷が残っても目立たない場所を選んでナイフで撫でた。

 クリスティーナからの反応を引き出すことを目的としていたため傷は浅く、血はすぐに止まったが、クリスティーナは眉一つ動かさずにナイフを引くジャスパーの手を見つめていた。

 ナイフで肌を裂かれて痛くないはずはないのだが、クリスティーナは悲鳴すらあげていない。

 ジャスパーの手元を見ていたのでさえ、ただ『動いているから、目で追った』という様子だった。


 ……傷は残らなかったけど。


 故意に傷つけられたクリスティーナの腕に、傷は残らなかった。

 傷が残らなかった、というよりは、一晩で精霊に癒されたのだと思う。

 翌日、クリスティーナの眠るベッドの天蓋を開くと、いつかの花の香りとともに、腕の辺りに葉が落ちていた。


 ……クリスティーナお嬢様に関する不思議な話はいくつか聞いていたけど、あれは初めてだった。


 精霊の寵児であるクリスティーナは、精霊に攫われることがある。

 その際の帰還には、攫われた場所から離れた場所へと現れることもある。

 初めて精霊に攫われた時は、グルノールの街からマンデーズの街まで移動したらしい。

 嘘かまことか、ラガレットの街で誘拐された際には、誘拐犯の馬車を足止めするように次々と不可思議な事故が起こったとも聞いている。


 他にもいくつか不思議話を聞いたことがあるが、クリスティーナ以外の人間に直接何かが起こったのは初めてだと思う。

 クリスティーナを故意に傷つけた報復か、ただの偶然か、ジャスパーの腕にはクリスティーナに付けたものと同じ位置に傷ができていた。

 それも、傷を残さぬよう慎重に薄く傷つけたクリスティーナとは違い、ざっくりと結構な深さのある傷だ。


 ……クリスティーナお嬢様でも、精霊に傷つけられたことはあったからね。


 クリスティーナという前例があるため、精霊が人間にあだをなすことがある、ということは知っていた。

 クリスティーナの時は「精霊を怒らせたからだ」と言っていたが、今回は違う。

 ジャスパーはクリスティーナを傷つけ、おそらくはその報復として精霊に傷つけられたのだ。

 精霊の寵児のような特別な存在を除いて、精霊が普通の人間に直接攻撃をしてくることがあるなんて、考えたこともなかった。


 ……でも、抑止力にはなった。


 クリスティーナを傷つければ、なんらかの形で精霊から報復がある。

 ジャスパーの身で示されたことではあったが、エドガーに対する抑止力としてはよく働いてくれた。

 見目よく、日本語の読める転生者として将来的には自分の役に立つはずのクリスティーナが、今の状態であることに近頃のエドガーは苛立っていた。

 香水でクリスティーナの視線を奪うことには成功しているのだが、意志の疎通はまったくといっていいほどに取れていない。

 それに焦れたエドガーがいつクリスティーナに手をあげるかと心配していたのだが、ジャスパーの傷を見て思いとどまったようだ。


 クリスティーナに対してエドガーが手をあげることはないが、その代わり、エドガーの苛立ちは私や他の女中メイドたちへと向けられることとなった。

 背中を蹴られたり、腕を鞭打たれたりは珍しくない。

 もっと酷いことをされる日もある。

 家に帰したと言って若い女中が一人城から消えたが、庭師が変わったのと同じ理由だろう。


 エドガーは苛立っているが、クリスティーナはそんなことにはお構いなしで心を閉ざしている。

 エドガーの都合など知ったことではないが、何かクリスティーナが心穏やかに過ごせる方法はないだろうか、と考えて、真っ先に思い浮かんだのはボビンレースだった。

 ボビンレースの指南書を作っていたクリスティーナは、自身でも糸巻ボビンを操る。

 コロコロといい音を響かせて、一日中でもボビンレースを織っていた姿が思いだされた。


「ティナお嬢様、ボビンレースをいたしませんか?」


「……」


 話しかけても相変わらずの無言で応えるクリスティーナに、折れそうになる心を奮い立たせる。

 何を言っても反応がないのは、この半年間ずっとだ。

 私にだけ反応がないのなら『主の不興を買った結果、無視されている』と落ち込むことかもしれないが、クリスティーナのこれは違う。

 誰に対しても変わらない『無』だ。


「もちろん、以前使っていた道具はありませんので、有り合わせで用意してみました」


 いかがでしょう、とクリスティーナの手を引いてボビンレースの道具を用意したテーブルの前へと移動させる。

 テーブルの上の道具は、本当に有り合わせの物だ。

 クリスティーナが使っていたような糸巻はなかったので、糸巻代わりに木製の匙へと糸を巻いた。

 レースを織る際にピンを刺す枕は、クリスティーナのベッドで使っているような羽の詰まった柔らかなものではなく、使用人のベッドで使われている硬い枕だ。

 針はさすがに用意できたので、針である。

 あとは図案が必要になってくるのだが、これは自分で描いた。

 クリスティーナが指南書を作るその場に、私は護衛として同席している。

 そのため、自分たちで新たな図案を作れるほどの腕前を持っていたカリーサの話を直接聞くこともあった。

 その時の話を思いだせば、簡単な図案ぐらいは私でも描ける。

 私が描いた図案は単純な幾何学模様でしかないのだが、クリスティーナならこれでも十分にレースを織れるはずだ。


 ……やっぱりダメか。


 クリスティーナはぼんやりと道具を見つめているのだが、それだけだった。

 腕を持ちあげる様子もなく、糸巻代わりの木の匙を握らせてもみたのだが、握ったら握ったままだ。

 放り投げるでも、レースを織り始めるでもなく、クリスティーナはいつものように何の反応も見せない。







 これは失敗だったか、と思ったボビンレースだったが、驚くことにクリスティーナからの反応があった。

 少し私が場を離れている間に、クリスティーナは黙々とレースを織り始めていたのだ。


 ボビンレースを織り始めたクリスティーナは、今度は一日中ボビンレースを織り続けた。

 相変わらず呼びかけても反応らしい反応はないのだが、糸が切れると自分で繋ぎ、糸が足りなくなると部屋を見渡す。

 そしてその視線に反応した者の前へ、糸の無くなった木の匙を持って来て糸を催促してくれるようになった。


 ……欲張って言葉を引き出そうとしたら、拗ねて十日もボビンレースを織らなくなったけど。


 なんとか他の反応を引き出せないものか、と糸の催促に来たクリスティーナに年配の女中が「糸をください」と言えたら用意する、と子どもに言い聞かせる真似をしてみたところ、見事にクリスティーナは拗ねた。

 じゃあ、もういらないや、とでも言うように木の匙を投げ出し、いつもの長椅子ていいちへと戻って行ってしまった。

 あとは何度呼びかけても以前のままで、結局クリスティーナがボビンレースを再開するまでに十日かかった。

 その間どれだけ呼びかけても無駄で、諦めた女中が木の匙へと糸を巻いて置いたところ、目を離した隙にまたクリスティーナがレースを織っていた。


 ……そういえば、クリスティーナお嬢様のことは、国でも絶対に探しているはず、だよね?


 糸巻の代用品として木の匙を使っているため、ここでのボビンレース織りはコロコロとしたあの気持ちのいい音はしない。

 それでもクリスティーナの手元を見つめていたら、ふと気がついたことがある。


 どう考えても、今頃レオナルドはクリスティーナを探しているはずだ。

 白銀の騎士を護衛として付けるほどに重要視していたクリスティーナの誘拐だ。

 当然、クリスティーナの捜索はレオナルド個人によるものではなく、国として黒騎士を使った大規模の捜索になるはずである。


 ……ということは、もしかして無理に逃げることを考えなくても、そのうち迎えが来る可能性がある……?


 私一人ではクリスティーナをつれてイヴィジア王国へと戻ることが難しくとも、黒騎士が迎えに来てくれるのならば、クリスティーナがイヴィジア王国へと帰還できることもあるかもしれない。

 もちろん、黒騎士に迎えに来てもらうためには、クリスティーナがここにいると知らせる必要があるのだが、私が一人でクリスティーナを連れて逃げることよりは簡単に思える。


 ……コレを目印にしたら、見つけてもらえるのでは?


 クリスティーナの手によって少しずつ織りあがっていくボビンレースを見下ろし、ひらめいた。

 イヴィジア王国へと手紙を送ることは難しいが、クリスティーナはここにいる、と主張することぐらいはできるかもしれない。


 リボンをいくつか貰ってもいいか、と相変わらず無反応なクリスティーナに一応の断りを入れる。

 図案は私が描いた物なので、それほど凝った模様ではないのだが、それでも精緻に織られたレースであることに変わりはない。

 杖爵家のバシリアへとクリスティーナが贈り物にしていたように、貴族が身につけるものとして遜色のないものだった。


「システィーナ様からの贈り物です」


「ほう。見事なレースだな」


 内心で舌を出しながら、クリスティーナの織ったボビンレースをエドガーの元へと運ぶ。

 男がレースなんて、と受取を拒否された場合には女性への贈り物にしたらどうかと提案するつもりだったのだが、意外にもエドガーはボビンレースに興味津々だ。

 近頃はクリスティーナが熱心に織っていると聞いていたからか、本当に興味を引いたのか、エドガーは手の中のレースをじっくりと見つめる。


「……よし、このレースを使ったシャツを仕立てよう。噂のオレリアンレースとやらを我が帝国で一番に手に入れたのはこの私だ、と知らせてやらねばな」


 ……え?


 エドガーの口から予想外の言葉が飛び出し、しばし瞬く。

 ボビンレースはイヴィジア王国へ広めようとクリスティーナが指南書を作っていたぐらいで、隣国とはいえズーガリー帝国へと噂が届くような段階にはないはずだ。

 ボビンレースの名前がズーガリー帝国へと届くことがあるとすれば、イヴィジア王国へと指南書が広がり、そこから職人が育った数年後になるはずである。

 まさか今日、エドガーの口から「噂として聞いている」だなんて話を聞くことになるとは思わなかった。


「なぜ、糸巻……オレリアンレースのことをご存知、なのですか?」


「イヴィジア王国発の流行だと聞いているぞ。クエビアの仮王が献上されたオレリアンレースを気に入り、それを纏った姿絵を描かせたということで、今は帝都でも話題になっている」


 帝都で話題の、しかし実物の入手が困難なボビンレース。

 それを帝国内で誰よりも早く手にすることができた、とエドガーはご満悦で帝都へと戻っていった。

 クリスティーナの居場所を知らせることができれば、とエドガーにボビンレースを持たせたのだが、知らないうちにボビンレースの名が知れ渡っていたことで、予想よりも早く迎えが期待できそうだ。

 ついでに言えば、現段階で新たなボビンレースを作ることができる帝国内唯一の人間であるクリスティーナの身の安全も、少しは期待できるだろう。

 エドガーの機嫌がよければ、私や女中への暴力も減る。


 ……それにしても、イヴィジア王国で流行していて、クエビアの仮王様までボビンレースを知っているだなんて、いったいどうなっているの?


 何がどうなって状況が変わったのかは解からなかったが、一つだけ判ることがある。

 ボビンレースの流行は、どう考えてもクリスティーナの保護者たちの差し金だろう。

 クリスティーナの保護者といえば兄であるレオナルドが真っ先に思い浮かぶのだが、その背後には王子であるアルフレッドがついているし、国王クリストフもクリスティーナとは懇意にしている。

 イヴィジア王国内で流行を生み出すことなど、クリスティーナの保護者たちにしてみれば簡単なことだ。


 ……これは本当に、無理に逃げ出すより迎えを待つ方がいいかもしれない。


誤字脱字はまた後日。

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