コーディ視点 アウグーン領主カルロッタ 2

 ……なんで領主が、中庭で畑仕事なんてしてるんだろう?


 くわを持った老婦人に、到着して早々領主に会うだなんて、と心の準備もないままに連れてこられた俺の頭が混乱する。

 イヴィジア王国の王族であれば可能性としてあるかもしれないが、ここはズーガリー帝国だ。

 貴族が、それも領地を預かるほどの淑女が、自ら鍬を持って畑に立つはずなどない。


 ……いや、そもそもなんで中庭が畑になってるんだ?


 庭師が丹精込めて世話した花壇がある、ということなら解るのだが、中庭にあるのは畑だ。

 いい堆肥を与えられているのか、収穫直前といった大きさのイアスカフが整列している。

 とてもではないが、小さめとはいえ城の中庭の光景には見えなかった。


 とにかく冷静になろう。

 ズーガリー帝国の貴族を前にして、惚けているわけにはいかない、と思考が切り替わり始める。

 老婦人の違和感に固まっているよりも、何か別のことを考えていた方が冷静でいられる気がした。


「畑が気になるかしら?」


「あ、いいえ……」


 畑のイアスカフの数をかぞえていると、老婦人が侍従へと鍬を預けつつ首を傾げる。

 一つひとつの動作に品のある老婦人なのだが、首にはまだ汗拭き用のタオルが下げられていた。


 ……むしろ気になるのは老婦人あなたの格好です。


 思ってはいても、声に出して指摘をするような愚行はおかさない。

 姿勢よくスラリとたたずむ姿は淑女そのもので、身に纏ったドレスは流行の型とは少し違うのだが、使われている生地の質が良いことは見ただけでも判った。

 一見しただけでは、どこからどう見ても淑女の鏡といった老婦人だ。


「……領主様。この商人は、領主様のお姿に呆れているのかと」


「あら? 顔に泥でもついていて?」


「普通の領主は、鍬を持って客人を迎えたりなどいたしませぬゆえ」


わたくしに小言を言うために、商人を中庭まで案内してきたのね? いい度胸だこと」


「いいえ、滅相もございません。領主様が早く姿絵のレースをご覧になりたいとおっしゃられていましたので、急ぎ商人を案内してきたまででございます」


「そんなことを言って、私に顔を洗って来いと言っているのでしょう。わかりました。畑でお買い物ということもないでしょう」


 着替えてきます、という言葉を老婦人の口から引き出して、侍従は満足気に微笑む。

 老婦人の視界に入らない角度へ持ってきた手で女中メイドへと合図を送り、老婦人の身支度の準備をさせた。


 ……とりあえず、領主様に身支度を整えさせるために、着いて早々連れてこられた、ってことだけはわかった。


 急いで連れてきました、という演出のために薄汚れた姿で領主の前へと通され、侍従は老婦人の畑仕事をやめさせたかったのだろう。

 老婦人が身だしなみを整えている間に手足を洗って髪を整えるように、と洗い場へと案内される道中でそれらしい説明を聞かせてくれた。

 侍従曰く、領主様は趣味で中庭を畑にしてしまったのではなく、領民のため、より多くの収穫を得ることはできないだろうか、と農法を研究していたのだ、と。


 ……解りました。アウグーンの領主様が中庭を畑にして畑仕事をしていただなんて、他所で話すなってことですね。


 領民思いの素晴らしい領主様ですね、と相槌を打って了解の意を伝える。

 正直を信条として生きてはいるが、言わない方がいいことが世の中にあるということぐらいは知っている。

 下手なことを言って首をねられたくはないので、侍従の言葉には素直に従った。







「すっかりお待たせしてしまって、ごめんなさいね」


 早速商品を見せてちょうだい、と椅子に座るアウグーン領主カルロッタの目の前へ、侍従が指南書と実物見本として持って来たいくつかのボビンレースを並べる。

 目玉はマンデーズの街で作られたという飾り襟だ。

 王都でも少しずつボビンレースを作れる者が出てきはじめているのだが、まだ飾り襟や絵を図案として織り込める者はいない。

 今のところ飾り襟のような大物レースを作れるのは、マンデーズの街でだけだ。


「……これは?」


 感嘆の溜息とともに、カルロッタの手が飾り襟へと伸びる。

 並べたうちでは一番手の込んだ作品なので、当然の反応とも言えた。


「ボビンレースの実物がどのようなものか、それを御覧にいれるために譲り受けてきた飾り襟です。もともとは指南書を作った少女のために作られたものだそうです」


「指南書を作った少女?」


「少女が『祖母のように慕っていた方の作ったボビンレースを残したい』と、指南書を作ったそうです。イヴィジア王国では糸巻ボビンレースというよりも、最初の作成者にちなんで『オレリアンレース』と呼ばれています」


 クリスティーナが指南書を作ることになった経緯については、少し詩的な表現を加えて指南書に載っている。

 少女と賢女の心温まる交流といった具合に描写されているのだが、アルフレッドが聞かせてくれた本当のところは、実に切実なものだった。


 クリスティーナがボビンレースのリボンを付けてグルノールの街を歩き、リボンを売ってくれとしつこく商人に付き纏われたことがあったらしい。

 ただお気に入りのリボンを付けていただけなのに、商人の執念に悩まされることとなったクリスティーナは、リボンを外して箱へとしまいこむのではなく、ボビンレースが一般的に出回ればいいと考えたようだ。

 普段からボビンレースのリボンを使っていてもおかしな商人に付き纏われないように、ボビンレースが一般的なものへと広がればいいのだ、と。

 そうして職人を増やそうとして、まずは指南書を作り上げた。

 当時十二歳の少女が作った指南書が、二年後には大陸中へと広まっているのだから、不思議だ。


「イヴィジア王国には腕のよい職人がいるのですね」


 ……まだほんの数人らしいけどな。


 腕のよい職人は、クリスティーナが最初にボビンレースを教えたマンデーズにいるという数人だけだ。

 他の職人はまだ『職人』と呼べるほどの者は育っておらず、少し複雑な幾何学模様のリボンが作れるようになってきた程度だとアルフレッドから聞いていた。


 ……まあ、クエビアやイヴィジア王国で流行っている、って思わせておく必要があるから、言わないけど。


 ひとしきり飾り襟を見た後、ようやくカルロッタの視線が指南書へと向けられる。

 穏やかな微笑みを浮かべながらも、目は真剣そのものだ。

 ボビンレースの実物を見ていた時にはいくらかの言葉が出てきたのだが、指南書についての感想は出てこない。


 ……なんだろう。嫌な沈黙だ。


 何か受け答えで失敗してしまっただろうか、と沈黙に耐えかねて己の行動を振り返る。

 最初に薄汚れた姿で対面してしまった以外は失敗をしていないはずだし、そもそもそれは侍従が故意に行ったことだ。

 責められるいわれはないと思うのだが、ここはズーガリー帝国だった。

 貴族と平民であれば、平民は平民であるというだけで責められる材料になる。


「……よくできた指南書ね。私でも作れるかしら?」


「指南書を作った少女は、十歳の頃からボビンレースを作っていたそうです」


「あら、そんなに小さな少女でも作れるのね」


 孫娘に贈るのもよさそうだ、と言ってカルロッタは指南書の購入を決めた。

 孫娘のやる気を出すためにも、と見本として持参したリボンを選ぶ。

 このリボンはイヴィジア王国の王都で作られたものなので、販売も可能だった。







「あー、緊張した」


 アウグーン城の城門を抜けると、荷物番として荷馬車に残っていたジミーに「お疲れさん」と労われる。

 ジャン=ジャックも荷馬車にいたのだが、こちらは特になにもなしだ。


「アウグーン領の領主カルロッタといえば、評判のいい領主様ってことだったけど、そうでもなかったのか?」


「いや、領主様はいい方っぽかったんだけど……」


 相手が貴族と思うだけで緊張する、と城を背にして伸び伸びと感想を洩らす。

 間違っても、城の中では言えなかった感想だ。


「呼びつけておいて目当ての商品だけを買うのは申し訳ない、って荷馬車の荷を丸ごと買ってくれようとしたんだけど……」


「それじゃ、こっちが困るだろ」


 帝国では売れ難い本を故意に商品とし、行商をしながらズーガリー帝国内へと留まってクリスティーナを探す予定なのだ。

 すべての荷物を買われてしまっては、帝国内をゆっくりと移動する大義名分がなくなってしまう。


「うん。そう顔に出てたらしくて、侍従が止めてくれたよ。商品は食料が主だから、必要としているところへ売られるべきだ、って。そしたら領主様がいくつかの商品についてお金を出してくださって、食料の足りない村へ運んでくれ、って」


 聞いていた以上のよい領主で驚いた、というのが正直なところだ。

 輸送料として商品代金に色まで付けてくれたし、食料の厳しい村までの地図を用意してくれた。

 ズーガリー帝国内だけで言えば、恐ろしく善良な領主である。

 しかし、現領主であるカルロッタの善性はその子どもたちへは受け継がれなかったようで、跡取りには孫娘をと考えているらしい。

 そんな老婦人の苦労話を、侍従が廊下を歩きながら聞かせてくれた。


 指定された領地を巡り、指南書とボビンレースで織られたリボンを売る。

 カルロッタが商人おれを城へ招いたという話がどこから洩れたのか、他の領主から城へと呼び出されることもあった。

 貴族に呼びつけられ、大きな街では商人へと指南書を卸す。

 その間に情報収集も行なっていたのだが、やはり今でも西向きのアドルトルを紋章として掲げている家はなかった。

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