レオナルド視点 帝国の兵士と山賊 1

 レストハム騎士団が守る国境は当然のことながらすぐに越えることができたのだが、帝国側の国境では待たされることとなった。

 本来ならばこのような区別があってはならないことだと思うのだが、帝国側の国境では商人としての格や、貴族の位を持つ者とで明確に扱いが変わる。

 とはいえ、コーディとそう歳の変わらない商人よりも後回しにされているのは、コーディが正直な青年だからだろう。

 積荷の確認をする兵士へこそこそと袖の下を渡す商人の動きに気づき、コーディの順番がまた一つ下がったことを知る。

 兵士へと賄賂を渡すか、賄賂を送る人間が途切れない限りは、いつまで待ってもコーディの順番は回ってこないだろう。


「えーっと? 積荷はヌゼールと干しイカクと林檎のシロップ漬け? それとプサル・ブランデーか。もっと強い酒はねーのかよ?」


「ええ!? そんなことを言われましても、今年は良いプサル・ブランデーができたっていうんで、お酒はそれだけですよ」


 ようやくコーディの順番が回ってきて、いかにも面倒臭そうな顔をした兵士が荷馬車を覗き込んできた。

 指南書の詰まった木箱の横で寝ているジャン=ジャックへと視線が向き、次に御者席に座ったままの俺へと視線が向く。

 訝しげに眉が顰められたが、それだけだ。


「……このボビンレースの指南書ってのは?」


「はい。神王領クエビアで人気のレースですよ。その指南書がイヴィジア王国のメンヒシュミ教会で印刷されたと聞いたので、全財産をつぎ込んで仕入れてきました!」


「本なんて喰えねぇーだろ。ンなもん、帝国ここじゃ売り物になんねーよ」


 絶対に本など売れない、と笑い飛ばす兵士に、コーディは大げさに嘆いてみせた。

 売れる見込みで全財産をつぎ込んで仕入れた本、その全財産ともいえる指南書の護衛として今回は特別に傭兵まで雇った、ということになっている。

 指南書が売れてくれなければ、コーディは全財産を失うことになる。

 

 傭兵を連れていることについては一応納得したようだったが、その後も兵士はネチネチと文句を言いながら荷馬車を検めた。


 ……やけに酒の話題が多いな?


 コーディはさっぱり気がついていないようなのだが、ジャン=ジャックは同じことに気がついたようだ。

 兵士はコーディに対して、プサル・ブランデーを賄賂として要求している、と。

 それに気がついたジャン=ジャックは、いかにもうるさいと言いたげな顔を作り、プサル・ブランデーの詰まった箱を漁る。

 そしてそのうちの二本をコーディと兵士から見えるように掲げもった。


「まあ、ま。帝国の兵士様もお役目ご苦労サマです。今夜はこれで英気を養ってくださいや」


「あ、こらっ! それは大事な商品……っ!」


 プサル・ブランデーを兵士へと手渡して、空いた片手でジャン=ジャックがコーディの口を塞ぐ。

 商品に手を付けたジャン=ジャックへとコーディが怒っているのだが、もう一本を差し出された兵士はニヤリと笑った。


「融通の利かねェ雇い主だと、苦労するな」


「この調子であっちこっちで足止めですヨ。俺は今夜こそ可愛い女がいる宿で寝たいんスけどねぇ……」


「このあたりじゃ、顔のいい娼婦おんななんかいねーさ。ポツダールぐらいまでいきゃ、そーいうのもいるが……」


「正直顔は二の次で、デカパイと具合さえよければ……」


「具合は亭主の仕込み次第だな。そういった意味じゃ、ここいらの女でも十分楽しめるだろ。冬はやることがねーから、ソレばっかだかんな!」


 頭上で交わされる下世話な話題に、ジャン=ジャックに口を塞がれたままのコーディの顔が赤くなる。

 純朴そうな青年だとは思っていたのだが、女性経験はなさそうだ。

 そろそろ嫁がいてもおかしくはない年齢だと思うのだが、商人とはいえ常に旅の空にいては嫁の来る当てもないのだろう。


 ……俺も他人ひとのことは言えないがな。


 年齢的には、俺だって子どもの一人や二人いても不思議はない。

 しかし出会いには恵まれず、未だに独り身だ。

 近年はティナという家族ができたため、嫁をもらうという意欲もなかった。

 血を分けた家族こどもというものにも憧れはあるが、それだけだ。

 結婚など、無理にする必要はない。


 ……俺にはティナだけいればいい。


 一年も離れることになってしまったティナは、今頃どうしているだろうか。

 短く切られた黒髪が見つかっていたが、そろそろ髪は揃えられるほどに伸びているはずだ。

 同世代の子どもと比べて小さな体格をしていたが、少しは背が伸びただろうか。


 そんなことを考えていると、ふと頭の片隅にランヴァルドの姿が過ぎる。


 ティナから俺に似ていると聞いていたのだが、確かに全体の雰囲気は似ている気がした。

 双子というほど似ているわけではないが、血の繋がりめいたものを感じるぐらいには面影がある。

 とはいえ、俺に兄はいなかったし、顔も知らない父親と考えるのは年齢的に無理がある。

 ならば異母兄弟が俺にはいたのではないか、とも考えられそうだったが、その場合は俺の父親がエセルバートということになってしまう。

 母が王都の娼婦であれば可能性がゼロとまでは言えないが、王都から遠く離れた街の娼婦とエセルバートに接点など生まれるはずもない。


 ……ランヴァルド様の母方の親族に、市井に下りた者がいれば、多少は可能性があるか?


 血の繋がりめいたものを感じさせるランヴァルドに、つい思考を深める。

 そんなはずはないのだが、と思いつつ、どういう偶然が働けば自分とランヴァルドが繋がるのだろうかと考えていた。


 ……いや、考える必要はない。ランヴァルド様は王族で、俺にはティナという家族がいる。


 ティナ以外の家族など必要がない、と考え始めている自分に気がつき、そんな思考を振り払うように緩く頭を振る。

 ティナ以外の家族は要らないと否定することで、ティナ以外の家族の可能性を考えている自分に気がついた。


 ……今はティナのことだけ考えろ。黒髪も黒い目も、そう珍しい色じゃない。


 たまたま同じ色を持つ他人など、どこにだっている。

 俺とランヴァルドが似ているのだって、体格や髪の色、雰囲気といった大雑把なものだ。

 この程度あれば、他に似ている人間だって少し探せば見つかるだろう。


 ジャン=ジャックの賄賂に気をよくした兵士によって、コーディの荷馬車の確認はすぐに終わった。

 というよりも、賄賂さえ受け取れば荷物の検査などしていないも同然なのがズーガリー帝国の国境らしい。

 イヴィジア王国とは、随分違う。


 賄賂など使ったことのなかったらしいコーディは、いつも国境でかなりの時間を待たされていたようだ。

 賄賂を渡した後の兵士からの呆気ない態度に、しきりに首を傾げていた。







「あまりイヴィジア王国と変わらない景色だな」


 御者席に座って周囲を眺める。

 国境を抜けてズーガリー帝国へと入ってきたのだが、当たり前のことだがイヴィジア王国とあまり風景は変わらない。

 帝国の民は日々の食事にも事欠く暮らしぶりだと聞いているのだが、それほど酷い生活を送っているようには見えなかった。


「このあたりはまだ帝国に飲まれて二十年も経っていないそうですからね」


「……ということは、中へ行くほどに酷くなるのか」


「帝都付近の町や村なんかは、酷いものですよ。屋根が抜けても補修する余裕がなかったり、そもそも人手が足りなかったりで、人が住んでいるのに廃屋寸前です」


 そんな様子で商売になるのか、と心配になったのだが、金がないのは平民だけで、平民が一年間汗水流して稼いだ金を吸い上げる貴族の懐は暖かいらしい。

 普段のコーディは貴族を相手に商売しているわけではないが、こちらは食料などの入り用なものと交換で神王領クエビアやサエナード王国で売れる商品を仕入れているようだ。

 金と自分たちが食べる分の食料はないが、工芸品などを畑仕事の手が空いた時間に作ることはできる。

 それらと引き換えに旅の商人から食料を買い、なんとか食い繋いでいるようだ。


「帝国の君主と領主たちは何を考えているんだ? 民が倒れれば、自分たちが立ち行かないだろうに」


「そう言ってくれるのは、クエビアとイヴィジア王国ぐらいですよ。俺の国は帝国ほど酷くないけど、似たようなものですし……ああ、でもコンラッド王子が復権したみたいで、あの方が次の王になってくださるのなら、少しは楽になるかもしれません」


「信頼されているんだな、コンラッド王子は」


「あの方が治めるアルスター領は、我が国で一番活気のある領ですからね。他のご兄弟が治める領地とは、まるで雰囲気が違いますよ」


 荷馬車に揺られながらサエナード王国の様子を聞いていると、荷台からジャン=ジャックがにゅっと顔を出してきた。

 てっきり荷台で寝ているものとばかり思っていたのだが、話を聞いていたらしい。

 どうでもいいけどよ、と前置いて、コーディの言葉遣いを指摘した。

 今は雇用主と傭兵という関係なため、商人と砦の主という普段とは逆の力関係だ。

 いつものように丁寧な話し方をするのはおかしい、と。


「それもそうですね……じゃなくて、それもそうか? ううっ、なんだか違和感が……」


 雇用主と傭兵という力関係を考えても、年長者に対して砕けた口調は使いづらい、とコーディは頭を悩ませる。

 このあたりは商人としての癖のようなものだろう。

 染み付いた習慣のせいで、無意識に言葉を改めてしまうのだ。


 俺とジャン=ジャックは言葉を粗野に、コーディは俺たちに対して言葉を崩すように、と訓練を兼ねてさまざまなことを話す。

 コーディによると、イヴィジア王国では軍神ヘルケイレスの化身と謳われる俺は、戦で相対することになるサエナード王国では死の神ウアクスの遣いと恐れられているらしい。

 たしかに、戦場で相対した以上は殺し合うことになるので、俺がこうして生きている以上は、相手にとっての俺は死の神ウアクスの遣いで間違いないだろう。

 俺と戦場で相対し、生きて返った人間はほとんどいない。


 ジャン=ジャックがうっかり俺の昔話を話したせいでコーディが知ることになったのだが、少年に人気の物語『白銀のレオ』の主人公のモデルが俺だと知って、コーディが驚いていた。

 いったいどれだけ名前を持っているのか、とコーディには驚かれたが、俺の名前など二つしかない。

 ティナの父親であるサロモンの付けた『レオナルド』と、俺を売った母親の付けた名前だ。

 そもそも、軍神ヘルケイレスの化身だとか、白銀のレオという呼ばれ方は、いつの間にか周囲から呼ばれていただけであって、俺の名前ではない。


 荷馬車に揺られて数日も移動していると、目に入る町や村の様子に変化が出てきた。

 イヴィジア王国と近い町や村では崩れた外観の家などなかったのだが、薄汚れた家が目につく。


「このあたりの村は、みんなこんな感じで……感じだ」


 コーディは言葉を崩すことに慣れてきたが、油断をするとすぐ元に戻ってしまう。

 これに対し、粗野な言葉遣いを心がけなければならない俺はというと、口数を減らすことで対応していた。

 ユルゲンから山賊に見えるとからかわれた俺は、下手にしゃべらない方がそれらしく見える。


 ……いや、山賊じゃなくて、傭兵なんだけどな。今は。


 山賊だなんてことを考えたのが悪かったのかもしれない。

 噂をすればなんとやら、という奴だ。

 今夜の野営地に、と街道を外れた少し開けた場所へと荷馬車を停め、馬のために水を運んでいると、荷馬車の周囲へと薄汚れた男たちが現れた。


 ……馬に乗っているのは三人、他は……驢馬ロバか。まあ、その辺りの村人が食うに困って山賊を、といったところか?


 ざっと数えて二十人ほどの集団だ。

 手には斧や鉈といった武器らしきものが一応握られていた。

 ここまでくると、さすがに間違えようもなく山賊に囲まれているのだと判る。


 ひっと息を飲んだコーディを荷馬車の中へと押し込める。

 帝国へと潜り込むための設定とはいえ、傭兵は傭兵だ。

 本当に山賊に襲われたというのなら、こちらも傭兵として働くしかない。


「荷物をみんな置いてけば、命は助けてやンぞ。そっちの二人は傭兵だな。俺たちの仲間になるってんなら……」


「どちらも断る」


 口上が長い、と山賊の長らしき男の言葉を遮り、コーディを荷馬車へと押し込んだ動作で荷馬車に置いた槍を取り出す。

 相手が馬上から降りてこないのなら、間合いの長い方が有利だ。

 相手の武器は斧や鉈といった殺傷力が十分にあるものではあったが、攻撃が届かなければなんの意味もない。

 

 ……さて、帝国の山賊についての法はどうだったかな?

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