レオナルド視点 セドヴァラ教会の報復
秋が近づくと、収穫祭での婚礼に向けてアルフレッドが王都へと戻っていった。
俺の髪もそれなりに伸びてきたので、砦での仕事は完全にランヴァルドへと任せている。
姿を見せる必要のない仕事は館で行っているが、人前に出て黒騎士の指揮を取ったり、街を巡回したりといったことはアルフが引き受けてくれていた。
……ティナが攫われて一年か。
収穫祭で騒ぎが起こり、怪我をしたティナが預けたはずのセドヴァラ教会から連れ出されてしまった。
ティナが攫われたと気がついた時には、一緒にいたはずのカリーサの遺体と、犯人のものらしき指と指輪しか残されてはいなかった。
ティナに付けていた番犬は毒で麻痺がいまだに残って歩くことにも苦労しているし、護衛として付けられていたアーロンは一人で歩けるまで回復したが、目はほぼ失明している。
どちらも発見された当初よりは回復しているのだが、元かそれに近い状態まで回復したとは言い難いのが正直なところだ。
……そろそろ出かけられるはずだな。
髪が伸びたので、変装の準備はできている。
都合よくジャン=ジャックも戻ってきた。
情報は慎重に集めたし、亡国についての詳細は神王領クエビアにいるクローディーヌを頼った。
彼女の執念深さであれば、俺が直接クエビアへと乗り込んで資料を探すよりも早く、正確に、より多くの情報を見つけ出してくれるはずだ。
となれば、そろそろティナを追ってズーガリー帝国へと乗り込んでもいい頃合だと思う。
アルフレッドが王都から戻ったら、後のことは任せてズーガリー帝国へと向かいたい。
「サエナード王国内の移動は恐ろしく順調でした。……というか、普段よりすんなり通れすぎて怖いぐらいでしたよ」
収穫祭が終わると、ズーガリー帝国経由で神王領クエビアからコーディが戻ってきた。
無事にサエナード王国内を移動できたようで、しきりに首を傾げている。
自国の人間であっても、それなりに調べられる国境で、今回に限ってはほとんど何も調べられずに素通りを許されたのだとか。
いったいどんな人脈を使ったのか、とコーディは不思議そうにしていたが、そこは黙っておく。
コートが俺の知人であることに間違いはないが、俺とコートの間に交友関係があるなんて話は、あまり大っぴらにはしない方がいい。
それがお互いのためというものだ。
「サエナード王国内での指南書の販売が、恐ろしく順調だったのですが……」
「知人が事前に噂を流してくれたのだろう。イヴィジア王国では女神の美貌と有名な王女が、婚礼で纏っているからな」
いくらなんでもボビンレースの知られる速度が速すぎる、と不思議がるコーディに、それほど不思議がることではない、と答えておく。
アルフレッドが故意にボビンレースを宣伝し、フェリシアを使って国内へと広めたのだ。
隣国の要職につく知人が、ボビンレースそのものについて噂を拾っていたとしても不思議はない。
噂としてでもボビンレースを知ったのなら、それを広めようと動いているアルフレッドに気付くだろうし、そこからさらに俺やティナへも関連付けて考えられるだろう。
なんということはない。
ウィリアムの件に対する、知人なりの後押しだ。
「アルフレッド様に頼まれた物を無事にお届けしてきました、と報告をしたかったのですが……アルフレッド様はどちらに?」
「アルフレッド様なら、今は王都にいる。婚礼は収穫祭だという話だったから、婚礼自体はもう終わっているはずだ」
アルフレッドなら、王都でダメ押しとばかりにボビンレースを宣伝しているはずだ。
サエナード王国でも知られ、神王領クエビアまで運ばれたボビンレースに、これ以上宣伝をする必要などあるのかとは思うが、アルフレッドが必要だと思っているのなら、必要なのだろう。
俺としては、想定よりも早くズーガリー帝国での指南書の需要が生まれそうで、何よりである。
「レミヒオ様がオレリアンレースを気に入ってくださったようで、レースを纏った姿絵を印刷してくださいました」
レミヒオによる宣伝効果をアルフレッドは狙っていたようなのだが、その意を汲んでくれたらしいレミヒオの行動は恐ろしく速い。
自身の姿絵を商品としてコーディへ持たせ、ズーガリー帝国での宣伝をすでに行ってくれていた。
おかげで帝国の中央はともかくとして、北部ではボビンレースの知名度が上がっているらしい。
北部といえば、
「それと、こちらが軍神ヘルケイレス神殿の巫女から預かった報告書になります」
どうぞ、とコーディが差し出してきたのは、分厚い紙の束だった。
往復の移動に掛かる時間を考えれば、それほど神王領クエビアに滞在できたとは思えないのだが、それにしてもすごい量だ。
「……あの方は、書類仕事を任せると頼りになる方だったんだが」
王族として生まれ、一時は王爵を得ようと教育を受けていた王女だ。
結局国政や領地経営に携わる道は選ばなかったのだが、文官としては間違いなく優秀な能力を秘めている。
資料から要点を拾い出すのが得意で、それらを簡潔に纏め上げる能力にも秀でていた。
……俺にさえ関わらなければ、フェリシア様のようにクリストフ様を支える王爵になられたはずなんだけどな。
非常に優秀な頭脳を持った王女ではあったが、その優秀さを俺のため以外に発揮する気はないと公言して憚らず、王族特有の困った性格が暴走すると絵画一枚に金貨五千枚を出してしまうような暴挙に出る。
紙一重で困った成分が多い方なのだ。
「クローディーヌ様のご指示で、いくつかの領地を下見してきました」
クローディーヌが纏め上げてくれた報告書へと目を落としながら、コーディから追加の情報を受け取る。
さすがというのか、クローディーヌの判断で情報が不足していると感じた場所へは事前にコーディを向かわせてくれたようだ。
つくづく、俺に関わらなければ頼もしい王爵になっていたと思う。
「アウグーンの現在の領主は高齢の女性で、帝国にしては良心的な領地経営をしている、か。珍しいな、帝国の領主が領民の都合に合わせて税を調整しているなんて」
「アウグーンの領主は領民から慕われているようでした。逆にスラウルムの領主は評判が悪いようです。分家筋ということでアウグーンの領主に借金を申し入れることもあるようで、先代の頃からの負債を抱えているのだとか」
レミヒオの姿絵が噂になったのか、北部を抜ける頃にはボビンレースに興味を持った貴族の遣いがコーディを訪ねてくることもあったらしい。
指南書を手に入れたら必ず領地へ寄るように、と声をかけられたようだ。
「……ボビンレースを持っている、という人物にはあったか?」
「いいえ。そういう話は聞きませんでした。クリスティーナお嬢様が変な商人に追い回された、と身に付けることを控えたように、災いを呼ぶこともある、と大切にしまっているのかもしれません」
「だとしたら、本当にむこうからこちらを見つけてもらうしかないな」
オレリアの知人であれば手を貸してくれるのではないか、とは思ったが、そう都合よくは見つからないようだ。
アルフレッドに言わせれば、オレリアからボビンレースを渡された人間は五人もいないらしい。
オレリアに恩義を感じている者であれば必ずティナの窮状に手を貸してくれるとは思うのだが、見つからない相手を頼ることは不可能だ。
仮にアルフレッドの言う五人が見つかったとして、ズーガリー帝国の人間でなければ、今回はそれほど頼れることもない。
「クエビアに残る『精霊の座』は確かに破壊した、とレミヒオ様からの伝言です」
「クエビアでは『精霊の座』を破壊……できたのか。グーモンスでは大人でも壊せなかったと聞いたが」
グーモンスでは大人でも壊せなかった『精霊の座』を破壊することができたということは、クエビアにも精霊の寵児がいたのだろうか。
グーモンスへと送ったニルスは難なく『精霊の座』を破壊したと報せが届いたが、ニルスとティナの共通点は『精霊の寵児』であることだ。
クエビアでも破壊ができたということは、精霊の寵児がいたのだろう。
「……しかし、これで『精霊の座』はあと半分か」
「半分、ですか?」
「ティナが神王から聞いた話では、全部で六つあるらしいんだが……どうした?」
「いえ、神王様、ですか……? 神話の」
「ああ。その神王で間違いないが……」
なにか変だぞ、とお互いに首を傾げる。
微妙に会話がずれている気がした。
俺としては普通にティナから聞いた話をしているだけなのだが、コーディはなんともいえない不思議そうな顔をしている。
「……コーディは、ティナがなんで攫われたのかは知らなかったか?」
「そもそもクリスティーナお嬢様って、何者なんですか? レオナルド様の妹ってことは、アルフレッド様の妹の王女様じゃありませんよね? レミヒオ様は聖女と呼んでましたけど……?」
「ティナと俺は、名付け親を介しての兄と妹だな。レミヒオ様がティナを聖女と呼ぶのは、神王に何度か会っているからだろう」
「え? 仮王のレミヒオ様に、ではなくてですか?」
「ティナが言うことには、神話の神王の方だな。王都の追想祭では、二回もティナを連れ出されている」
ティナを引き取ってからというもの、不思議な体験が多いな、と指折り数えてみた。
最初に不思議な体験をしたのは、神王祭の夜だ。
グルノールの街にいたはずのティナが、遠く離れたマンデーズ館の暖炉の中へと現れた。
次に不思議なことがあった、と数えるのなら、ラガレットでの誘拐だろうか。
ティナを攫った誘拐犯を足止めするかのように馬車の車輪が外れたり、道に大木が倒れて道を塞いだりとしていた。
精霊の寵児として初めて参加した追想祭で神王に会ったそうなのだが、これはティナが場所を移動していなかったため、本当に会ったのかどうかは判らない。
ただ、味の消えた玉子サンドを、ティナとレミヒオがなんともいえない顔で食べていたのを覚えている。
王都の追想祭では、二度もどこかへと連れ出されていた。
一度目はアルフレッドの目の前で姿を消し、王城地下の『精霊の座』へと帰還している。
二度目は俺の目の前で姿を消し、また王城地下の『精霊の座』へと、全身血だらけで帰還した。
精霊の怒りを買った、とティナは怪我の説明をしたが、後日その精霊が怪我の治療にも来ていたようだ。
精霊の寵児は稀に現れるが、ティナほど精霊と関わった寵児も珍しいだろう。
「……つまり、クリスティーナお嬢様が攫われたのは、神王の寵愛を受ける聖女だから、だったんですね」
「うん? ティナを誘拐する人間の目的といえば、ティナがニホン語の読める転生者だからだろう」
「え? 転生者?」
「転生者だな。聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させる、とセドヴァラ教会が言っていただろう?」
「はい。それで、必要な材料を取ってきてくれって、クリスティーナお嬢様が……え? あれ? ってことは、クリスティーナお嬢様がセドヴァラ教会で聖人ユウタ・ヒラガの残した
ぽかんっと口を開けてコーディが瞬く。
少し認識にズレがあるとは思っていたが、ティナについて何も知らないとは気がつかなかった。
しかし、たしかに俺やアルフレッドは、ティナについてわざわざ言い触らしてはいない。
「え? あ、ええっ!? 駄目じゃないですか、クリスティーナお嬢様を助けないとっ!!」
「そのために今、いろいろと調べているんだが……」
「大変じゃないですか。俺にできることがあったら、なんでも言ってください。なんでもします」
多少とはいえオレリアと交流のあったらしいコーディは、ニホン語の読める転生者、というだけでティナの重要性が理解できてしまったようだ。
聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活がティナの誘拐で止まってしまったことにも気がつき、誘拐犯に文句を言い始める。
ティナを攫ったせいで、いったい何人の助かる命が失われると思っているのか、と。
「……あ。でも、だからか。ズーガリー帝国から、一部の薬師がクエビアに移動していたのは」
「どういうことだ?」
「帝国内を移動している時に見たんですよ。セドヴァラ教会が薬師を少しずつクエビアへ移動させているのを。一人、二人ぐらいなら修行期間が終わったのかな? と思いますけど、小さな町ではセドヴァラ教会が空になっていることもありました」
ティナはセドヴァラ教会から連れ出されて行方不明になっている。
そのため、自分たちが誘拐に加担したのではない、と証明しようとセドヴァラ教会は最初からティナの捜索に対して協力的だった。
情報は多く欲しかったため、出せる情報はこちらからもセドヴァラ教会へと渡していたのだが、西向きのアドルトルの紋章が帝国に飲み込まれた亡国で使われていた紋章である、と伝えた影響だろう。
ティナを連れ去ったのがズーガリー帝国の人間ならば、とセドヴァラ教会がズーガリー帝国全体へと制裁を開始していたらしい。
「それはさすがに、気が早すぎるだろう。たしかに犯人の手がかりは帝国北部の紋章だったが、まだ国ぐるみの誘拐と決まったわけではないぞ」
ティナを攫ったことは兄として許しがたい暴挙ではあるが、だからといって犯人以外にまで影響が出るのはいただけない。
国ぐるみでの犯行であればセドヴァラ教会の制裁もわからないでもないが、まだ犯人が個人なのか、帝国という国そのものなのか、判明していないのだ。
国民すべてに影響の出る報復を行なうのは、少しどころではなく早すぎる。
……なんの罪もない民にまで影響が出るのは不味い。
帝国の民とはいえ、自分たちにはなんの非もないティナ誘拐の影響で、薬師を奪われたくはないだろう。
いきなりすべての薬師を引き上げさせるような報復には出ていないようだが、少しずつとはいえ小さな町から薬師が一人もいなくなってしまえば、それは大問題になる。
ある意味で、セドヴァラ教会からズーガリー帝国への脅迫だ。
民の命を盾に、ティナを返せと言っていた。
……これは逆効果だと思うぞ。
ズーガリー帝国が国としてティナを誘拐したのなら、身に覚えがあるのだから一応の抑止力にはなるかもしれない。
可能性として、限りなく低いとは思うが。
しかし、これが帝国という国にとってまるで身に覚えのないことであれば、逆に
こちらが見つけ出す前に誘拐犯個人から帝国という国へとティナを奪われれば、ますますティナを取り返すことは難しくなる。
……セドヴァラ教会は、短絡的すぎる。
ティナの手紙を改ざんしてオレリアを怒らせたり、ティナがオレリアのために縫った刺繍入りのハンカチを懐に入れてしまう者がいたりと、セドヴァラ教会には短絡的な行動に出る者が多い気がした。
今回のこの報復もそうだ。
ティナに恩を売るつもりなのか、セドヴァラ教会へ喧嘩を売ったことに対する報復なのか、いずれにしても教会内で発言力のある者が取っていい行動ではない。
……なんで妹を攫われた俺が、帝国の民の心配などしなければならんのだ。
憎むべきはティナを連れ去った犯人であり、帝国の民たちではない。
そうは思うのだが、被害者の兄である俺が帝国のために動くのは、なんだか釈然としなかった。
釈然とはしないのだが、放置もできないのでペンを取る。
事実確認と報復を行なっていることが事実ならば、すぐにやめさせる必要があった。
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