庭師の少年視点 美味い話には裏しかない
人によってはちょいグロ注意かもしれません。
■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
ウーレンフート領中央には、アウグスタという女性の名前をつけられた城がある。
平民の俺の家に比べればとんでもなく大きな城なのだが、見る人が見れば『こぢんまりとした小さな城』らしい。
前庭だけでも俺の住む町がすっぽり入ってしまいそうな程に大きな城なのだが、これを小さいと言ってしまう貴族の考えることは解らない。
住む世界が違うのだから、見える世界も違うのだろう。
自分には一生縁のない世界だ。
そう思っていたのだが。
どんな幸運か、俺のところへとアウグスタ城の庭師として働き口が転がり込んできた。
普通に考えれば俺のような成人したてで無名な庭師のもとへなど絶対に来ないような仕事だったが、前任者が急な病で退職してしまったらしい。
花盛りの季節だというのに後継の庭師が見つかるまで庭を放置することはできない、ということで、それまでのつなぎとしてではあったが、俺が雇われることとなった。
腕がよければ、そのまま雇ってくれるという話も聞いているので、本当に幸運なことだと思う。
……庭師は城の中で働く下働きに比べたら、お貴族様と出くわす機会なんてそうそうないからな。
気楽な仕事、とまでは言わないが、貴族と同じ建物の中で仕事をする下働きと比べれば、幾分か気苦労は少ない。
うっかりでも貴族に姿を見られてしまえば、召使が主の前に姿を現すなと鞭で打たれ、器量のよい娘であれば手篭めにされることも珍しい話ではない。
貴族と平民では、本当に住む世界が違うのだ。
下働きとして城に雇われていようとも、掃除や食事の支度は主が起き出してくる前に終わらせて、決して彼らの視界を汚さないように振舞うのが鉄則である。
廊下の掃除中に貴族が反対側から歩いてこようものならば、気付かれる前に身を隠すか、それができなければ鞭打たれるだけだ。
……給金のいい仕事だから、このまま雇ってもらえるように頑張らないとな。
実のところ、俺は雇い主の顔も知らない。
領主一族の若様が時折使っている城だ、とは噂に聞いたことがあるのだが、その若様の名前すら知らなかった。
というよりも、平民の俺が貴族の若様の名前を知っている必要などない。
雇い主の名前はウーレンフート様だ、と家名だけを覚えておけばよかった。
母の薬代のため、仕事をクビになるわけにはいかない、と仕事に精を出す。
たまに窓から貴族が庭を眺めていることもあるが、腰を低くしていれば庭木に隠れて姿を見咎められることもなかった。
庭に出る仕事は主筋の人間が寝ているらしい午前のうちに終わらせてしまえば問題がないのだが、急な庭師の退職で数日とはいえ手入れのされなかった庭には雑草の姿がある。
腰を屈めて作業するぶんには問題ないだろう、と昼を回っても雑草を抜いていたのだが、それが失敗だった。
少し腰を伸ばそうと立ち上がった瞬間に、背後から声をかけられた。
「……テオっ!」
「へ?」
聞き覚えのない声で名前を呼ばれ、驚いて振り返ると綺麗な服を着た少女に服を掴まれる。
少女の青い目とばっちり目が合うと、泣きそうに揺れていた青い瞳が、すぐに落胆の色に変わった。
「……ちがう。テオじゃない」
ポツリと小さな声が聞こえ、背後から
人が心を閉ざす瞬間なんて、初めて見たかもしれない。
どうやら少女の知っている『テオ』と間違えられたらしい、ということだけは判った。
……俺も『テオ』なんだけどな。
どこにでもある『テオ』という名前だったが、目の前にいる少女のようなとびきりの美少女に呼ばれる『テオ』とは、どんな『テオ』なのだろうか。
そんなことをのん気に考えながら、なんとなく少女を見つめる。
髪は黒いが、なんだか不自然な気がする。
目の色は青くて、顔はとにかく可愛らしい。
こんなに可愛い少女を見たのは生まれて初めてだと思う。
そして、着ている物もまた綺麗で質が良い。
贅沢に布を使った、光沢のあるドレスである、とここまで考えて、ようやく気が付いた。
少女は、どこからどう見ても
後ろに女中や護衛を引き連れている以上、貴族の娘とみて間違いないだろう。
そして、天啓のようにひらめく言葉がある。
――庭を歩く貴族の娘。
――前任の庭師は突然の病で退職。
――その後任として雇われた俺。
これらの言葉が直感で結ばれると、喉から恐怖に引きつった悲鳴が漏れた。
いますぐ
咄嗟に頭をかばって口から飛び出してきた言葉は、貴族に対する命乞いだ。
姿を見せたのは故意ではなく、自分の不注意だった。
薄汚れた姿でお貴族様の視界を汚してしまって申し訳ございません。
二度とこのような無作法をせぬよう、今日よりいっそう気を引き締めてお仕えさせていただきます。
だからどうかお許しください、と。
ここで「まさか貴族の娘が庭に出てくるなんて思わなかった」などと、少女の側に非があるような発言は、間違ってもしてはいけない。
貴族と平民が同じ空間にいるのなら、何かあった場合に悪いのはすべて平民ということになる。
たとえ何の非もない平民がナイフを持った評判の悪い貴族に嬲り殺しにされたとしても、悪いのは平民の側ということになるのだ。
貴族の目につく場所に平民がいたことこそが罪なのだ、と。
良くて鞭打ち刑、悪くて処分される。
そう覚悟を決めかけたところ、少女は追いついて来た女中に促されて来た道を戻っていった。
女中からも特に言葉はなく、鞭も処分もなさそうだ。
そう思いかけたのだが、護衛と思われる男たちに周囲を固められることになった。
「見ない顔だな」
「新しく雇い入れた庭師だろう。ほら、前の奴は……」
「ああ、それでか。あの庭師も運のない奴だったよな」
「仕方がないだろう。ご主人はあの子にご執心だから」
「外であの子のことを話したのも、まずかったよな」
けして俺へと話しかけているわけではないのだが、意図としては俺に聞かせているのだろう。
仲間内で話し合うような素振りで聞こえてくる言葉は、不穏なものばかりだ。
……前の庭師は運がなかったってことは、やっぱり……?
確認するのが怖くて、頭上で交わされる会話に黙って耳を澄ませる。
緊張で変な汗が出てきた。
拾い取れた情報からすると、以前の庭師は先ほどの少女に関わって雇用主の不興を買ってしまったようだ。
「まあ、今回のことはご主人へは報告しないでいてやるからサ」
ちょっと頼まれごとをしてくれよ、と男たちの囲みが解かれる。
どんな難題をふっかけられるのだろうか、と内心でビクビクと構えていたのだが、男たちからの頼まれごとは、簡単だが奇妙な作業だった。
……裏の林で地面を掘って、埋めてこい? なんだろうな。
不思議に思いつつも、指示されたとおりに城の外周を回り、裏庭へと出る。
前庭同様広すぎる裏庭に、林というよりは森に近い一帯へと足を踏み入れた。
……ああ、あった。あそこだな。
周囲に比べて明らかに地面が整っていない場所を見つけ、ここが護衛たちの指示した場所で間違いないと確信する。
最近掘り返された場所なのか、地面にはでこぼこがあるのだが、土は乾いていた。
「ここを掘って、埋め直すんだよな?」
チラリと頭を過ぎる嫌な予感に、不安を誤魔化すように独り言をもらす。
口を閉ざして黙々と作業をした方が早いとは思うのだが、どうにも黙っている方が不安だった。
「あ、土が軟らかい」
掘り返されたあとだと感じたように、スコップは地面にやすやすと沈み込む。
ざっくりと土を掘り返すと、中からは濡れた土が出てきた。
「それにしても、変なことさせるよな? 埋めたものを掘り出して来い、って言うんなら判るんだけど」
何が埋まっているんだろう、と考えてしまって、すぐに後悔する。
見つけたくはないものが埋まっているのだと、なんとなくわかった。
「なんだ? 何が埋まっているんだ?」
嫌だ、これ以上は掘りたくない。
埋まっているものなど、見つけ出したくない。
そうは思うのだが、言われた通りにしなければ、男たちはあの少女に会ったことを雇用主に話すと言っていた。
前の庭師があの少女と関わって『運のない』ことになったと言うのだから、今日のことを雇用主に知られるわけにはいかない。
自分には、病気の母が家で待っているのだ。
折角の実入りのいい職場。
こんなことで失いたくはない。
「庭師の死体が出てきたりして」
外れてほしい予想だ。
そして、外れるわけがないと確信もしている予想だった。
スコップの先に土とは違う感触を見つけ、それまで淡々と動かしていた手が止まる。
ごくりと唾を飲み込んで、それでもスコップで土を掘り返した。
男たちの意図としては、警告だったのだと思う。
前任の庭師が何をしたのか、それとなく俺に聞かせてくれていた。
庭師はあの少女に会ったことを、城の外で洩らしていたらしい。
そして、その庭師は現在裏庭の林の中で眠っている。
裏庭の林を掘り返して埋めてこい、というのは、雇用主の不興を買えばどうなるのか、俺に教えてくれたのだろう。
あんなものを見せられてしまえば、誰だって口は重くなるはずだ。
俺だって、病気の母を残して林になど埋められたくはない。
……美味すぎる話だとは、思ったんだよな。
成人したてのろくに実績のない俺を、庭師として雇ってくれたことからしてまずおかしい。
俺の生まれた町は小さな町だったが、庭師をしているのは俺だけではなかったし、前任者の庭師の年齢からすれば助手だって何人かいたはずだ。
領地には他に町も村もあるのだから、俺を選ぶ理由がない。
あえて理由を挙げるとしたら、母と子の二人暮らしで、何かあった時に後始末が楽そうなことだろうか。
他に挙げるのなら、俺は母の薬代のために職を失うわけにはいかない。
後始末が楽で、職に縋りついて言うことを聞く人間を選んだのかもしれなかった。
……噂話でもなんでもなく、ホントに殺されるんだな。
貴族は恐ろしい者だ。
決して逆らわないように、機嫌を損なわないように。
そもそも、近づかないことが望ましい。
器量の良い娘は隠せ、と長老たちが口をすっぱくして言っていたことの意味が、痛いほど理解できた。
うっかり給金に釣られて飛びついた職場だったが、その危険性に気がついた時には逃げられない場所に立っていた。
……忘れよう。忘れるぞ。忘れるんだ、あの女の子のことなんて。
うっかり外へと洩らせば殺されるような話題だ。
うっかりなどしないように、今日の記憶自体を忘れてしまえばいい。
……でも、『テオ』って呼んでたんだよな。
自分ではない『テオ』を呼ぶ、今にも泣き出しそうな青い瞳を思いだし、固く目を閉じる。
そのまま瞼の裏の面影を追い払うように頭を左右に振り、この日は真っ直ぐに家へ帰るとそのまま頭から毛布を被って寝た。
いつ自分が林に埋まっている庭師の隣へと埋められるかと思うと、怖くてなかなか寝付けなかったのだが、とにかく寝た。
無理矢理に寝た。
怖くて、あの黒髪の少女のことは忘れよう、忘れようと心がけた。
その甲斐あってか、一週間もすれば少女のことを思いだして悪寒が走ることもなくなる。
男たちが俺に何かを言ってくることもなかった。
そのままこれまで通りの生活に戻っていき、何食わぬ顔で庭の手入れを続ける。
母からは口数が減ったと心配されたが、それだけだ。
……あれ? あんなところに人形なんてあったか?
ある日、窓辺に飾られた大きな銀髪の人形を見つけ、首を傾げる。
まるで日向ぼっこをしているかのように見える人形は、人形と考えるには少々大きすぎる気がした。
……人形っていうよりは?
ほとんど人間と同じ大きさだ、と気がついて、考えるのをやめる。
人形の顔つきが、いつか見た黒髪の少女と同じものだなんて、気がついてはいない。
気がついてはいけない。
……気がつかないフリをするのが正解、なんだよな?
人形を守るように立つ護衛の顔には見覚えがある。
裏の林を掘って来い、と言った男だ。
男の視線がチラリと向けられたが、俺は気づかないふりをする。
ぼんやりと開かれた人形の瞳が、いつかの少女と同じ色をしていたことにも、気づかないふりをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます